第二章:君が手を伸ばすのは、いずれを掴むためか
1:判断の正しさと成果の高さが
「ササキさん、ごめんなさい! 私が……!」
夜の本所支部事務所、その増設区画に少女の慟哭が響く。
キャスターに横たえられた、頭部をポリ袋で隠す青年に縋りつくサイネリア・ファニー(衣装はまだ届いていない)の、悲痛な涙声である。
青年は、意識が無いようでピクリとも動くことがなく、
「気持ちはわかるが、今は治療を……頼む」
「はいさ、組合長。ほら、ファニーちゃん」
「ササキさん! ササキさん……!」
白衣を来た女がキャスターを押し、縋る少女を振り払えば、医療室のドアが閉じられた。無慈悲な車輪の音を残して、崩れ落ちた彼女を彼と別つ。
「私のせいで……!」
沈痛な組合長と組合事務員の眼差しを、けれどなんの慰めにもならず、ただただ後悔に嗚咽するしかなかった。
※
事態は、パトロール中にもたらされた、ビル火災の一報まで遡る。
繁華街内の雑居ビル群の一角。五階建てビルの四階にある飲食店から失火し、消防隊が消火活動を行うも建物内に逃げ遅れた一般人を確認、危険度を鑑みて組合への要請と相成った。
すぐに駆けつけたジェントル・ササキとサイネリア・ファニーは、骨格部分への損傷は小さいと判断したため、強行突入策を採ることに。
魔法少女のギフトによって突入口を確保し、高いコモンで身体能力の高い魔法使いが実働となり、逃げ遅れていた三名を確保。待機していたはしご車に、無事受け渡し、救助となった。
だが、そのタイミングで館内に走るガス管が熱で損傷、爆発を起こしてしまった。
危険のため、はしご車に撤退を促すと、ジェントル・ササキは単身で退路を模索し始めた。
が、突入に使った入口は爆発の衝撃で塞がり、骨格も急激に限界を迎えつつある。早急な、自身の脱出が求められることに。
危急の事態に、魔法使いは上階層を活路と定めた。
身体強度を考えれば、墜落しても命にかかわることはなく、炎に巻かれて酸欠を被るほうが危険との判断であった。
目論見は、正しく果たされた。
目下の騒乱から人的被害が無いことを炎越しに確かめると、満足げに次の目的地に目を向ける。
隣のビル、その屋上。
同階層であるため、水平で六メートルほど先の金属手すりだ。
助走なしの跳躍とはいえ、魔法使いのコモンを考えれば紙の厚み程度でしかない。逆に、力をかける足元が崩れないように、調整が必要なほど。
だから、最低限の踏ん張り、向こうの手すりに届く程度の力加減で、ビルの谷間に身を躍らせた。
懸念だった衝撃も床材をへこませる程度で済み、あとは目標に手をかけるだけ。
安堵の中、だからこそ魔は差す。
突然に、向かう屋上のドアが開かれたのだ。
そうして現れたのは、
「ササキさん! 大丈夫ですか、ササキさん!」
息を競って胸を揺らす、相棒の姿であった。
退路を失ったこちらを心配して駆けつけたのだろう、泣きそうな顔でこちらを見つけた表情に、思わず笑い、そしてありがたいと思う。
しかし、今は『まずい』。
「ササキさん、手を!」
ただでさえ『まずい』のに、手すりに胸を食い込ませながら、前のめりで手を伸ばしてくるから、なお『まずい』。
ササキは中空で不可避な『前屈み』に襲われ、つまるところ、
「え? ササキさん……?」
その分だけ『射程』が縮み、伸ばした手は宙を掻くことに。
結果、魔法使いの体は奈落の底へ呑まれることとなってしまったのだった。
※
「間違いなく、あなたのせいですね、サイネリア・ファニー」
「うぅ……すみません……」
「まあまあ、静ヶ原くん。不可抗力みたいなものだから、ね」
クールに事実を指摘されてうなだれる少女に、龍号は助け舟を出しながらも嘆息を漏らす。
気持ちはわかるが、さほど難度の高い状況ではなかったのだから、魔法使いを信じて待てば良かったはずなのだ。結果だけ見れば『少女の不可抗力』と『魔法使いの純粋な本能』が掛け合わさった『頭おかしい』事故であるが、彼女が持ち場を離れなければ回避できたはずなのだ。
とはいえ、待合室の長椅子に猫背を丸めてうなだれる姿へ、追い打ちをかける気にはなれなくて、事情を確かめるに留める。
「どうして屋上に?」
「爆発で突入口が塞がってしまって……最初に予定していたはしご車も、避難の方しか乗せていなかったし……私がどうにかしないと、と思ったら……」
「相棒として間違いのない判断だね。胸を張りなさい」
「……はい、ありがとうございます」
澪利が持ち前の無表情を『何か言いたげな無表情』にしているが、視線で制してこの場を収める。
先走りからくる誤判断だ。
幾度の大きな事件を解決し、己自信に偽らざる実績を手に入れた自信が、彼女の足を軽くして。
その実績の傍らへ、常にあった魔法使いに抱く『複雑で単純』な思いが、彼女の胸を逸らせて。
相棒を慮る心は『魔法少女としては正しい』が、その心が奔りすぎて、相棒の仕事に干渉してしまっているのは『組合員としては正しくない』のだ。
急激な評価上昇の渦中にあり、いわば有るはずのなかった成長の最中において、うつむく少女は、明らかに心の平衡を崩している。
はてどうしたものか、と顎を撫でて思案すれば、
「なんだあ? まるで葬式みたいな顔して……ササキさん、あんた、死んだことにされているみたいだよ?」
「皆さんに心配かけて、申し訳ないですね」
「さ、ササキさん……! 私……! 私が……!」
医療室方向から魔法使いを連れて現れた、白衣の医務室長。そして相棒の無事を喜び、胴タックルをぶちかます魔法少女によって、遮られてしまったのだった。
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