7:戦場は残酷で、悲しい

 皮に、肉に、骨に、臓腑に。

 距離減衰すら考慮から外した『最接近で高質量を叩きつける』という異常思想そのものが、ジェントル・ササキの体を抉る。

 一度は圧された一撃。

 だが、今は覚悟を結い直してあるから、

「ルシファー……」

「無様だな、ジェントル・ササキ! 立っているのもやっとな様で、何ができる!」

「御託はいい……残弾は、十分なんだろうな?」

「っ!」

 二発目も、三発目だって、笑って耐えられるのだ。

 体は傾ぐが、太ももを張り、爛々と輝く目線は下げず。

「ダーリン!」

 迫る四発目は、MEGUが生み出した水の膜で減衰を大きくし、

「ササキくん!」

 続く五発目と六発目は、ウェル・ラースによって弾頭が持ち上げられ、やはり減衰。

 立て続けに必殺である一撃を捌かれたルシファーは、豪奢なサングラス越しにもわかるほど顔色を悪くしていた。引き絞るべきトリガーに、指をかけることも躊躇う素振りを見せるから、

「それが、最後の一発だな?」

 死地の戦士が勝機を見逃すはずない。

 狼狽える銃口は、狙いが定まらないのか右に左に踊っている。

「どうした? こないのなら、こっちのターンだぞ」

 一度、戦場たるオープンテラスからぐるりと、辺りに視線を巡らす。

 普段の繁華街にたむろしている酔っ払いとは違って、今日の野次馬は老若男女、様々な顔ぶれが取り囲んでいる。どれも、日曜の昼間に繰り広げられる凄惨な情景に、困惑し、眉をしかめ、不安を露わに。

 許せない、と魔法使いは憤る。

 己が望む『街の平和』とは、まるで真逆の様相に。

「……貴様の敗因は、戦場を知らず、己を知ろうとしなかったことだ、ルシファー」

「なんだと?」

「細々と要因はあるが、最大の物は」

 ジャケットの懐に手を差し込むと、

「そのふざけた服装だ」

「ふ、世界が奈落を覗きはじめた折から定められた、この煉獄の縄縛が、か?」

「愚かな、ここは本所市の商店街だぞ? タイトな革パンなんか、自殺行為だと知れ」

 己の携帯電話を握りこんで、重い腕を振り上げる。

 ありったけだ。この『一手』で力尽きても構わない。

 覚悟を絞り、肺の潰れんほどに声をがならせ、

「サイネリ・ファニー! 今すぐ『肌色多めの自撮り写真』を送ってよこすんだ!」

「き……貴様……!」

 僅かに腰を『沈めた』悪魔の王を名乗る青年と、野次馬の皆さんの、微妙に色合いの異なる絶望に染まる瞳を確かめるのだった。

 ついでに、瞳孔の星を輝かせるアイドルも。


      ※


 ……こっちの足を折る勢いのスルーパスですね……

「任せて、ダーリン! 『撮れたて』を準備できるわ!」

 ……なんか不審な小さい方が、こぼれ球をハイエナしに来ましたよ……

「ほら早く、トイレかどっかで撮ってきたら?」

 ……あぁ、味方はいないんですね……

「サイネリア・ファニー、聞こえているんだろ⁉ これ以上、街を恐怖に底に強いておくわけにはいかないんだ!」

 ……多分ですね、ポリ袋に吐血を溜めながら、元気に不穏なことを叫んでいるササキさんの姿に怯えているんだと思うんですよ……

「サイネリア・ファニー! どうした! どうして、応えてくれないんだ!」

 ……どうして、でしょうねぇ……


      ※


 限界だった。

 着信は告げられず、腕は落ち、喉は動かない。足も、もう。

 再起の一手は不発に終わってしまった。

「ど、どうした、ジェントル・ササキ! これまでか!」

 そう、これまでだ。

 己の裁量で動かせる状況は。

 だから、掠れる弱々しい声で、

「逃げろ、ルシファー……!」

「なんだと?」

「ここから先は、地獄だぞ……」

 巻き起こる凄惨な情景を、察することのできていない敵へ戒めるが、

「もう、いいんだね」

 遮るよう『最強』が一歩を踏み出した。

 遅かった。彼が動き出してしまっては、もはや戦場は火の海。

「君の弱点はササキくんの言ったとおりだ、ルシファー。そもそも、高校時代の同級生の弟の友達に似ていること自体、君の敗因でもあるぞ! よくも自転車を盗んでくれたな!」

 抱えた『魔導書』を開き、己の傷を開くことで、人智を越えた力を形にする。

 効果は、覿面であった。

「ぐあああああああああああああっ!」

 ルシファーの体が、これ以上になく『くの字』に折れ曲がったのだ。

 囲う人々は、断末の悲鳴と奇怪な格好に言葉を失い、あまりの凄惨さに開いた口を閉じられずにいる。

 そして、誰もが彼の魂から絞り出した命乞いを耳にする。

「あんまりだ……! せめて、サイネリア・ファニーを……! 彼女の画像を……!」

 屹立の手段を問う余裕のない中年と違い、彼はまだ二十代半ば。オッサンに『俯角』を深めさせられるという現実は、『失う物』が相対的に大きいのだ。

 恐ろしい、これが『最強』か、とササキは息を呑むしかできない。

「くそ、こうなったら……!」

 やけにでもなったのか、声を荒げると、銃の装填音を響かせた。

「MEGUもいない! ウェル・ラースはこちらに注力している! 貴様だけでも地獄に道行の供としてやるぞ、ジェントル・ササキ!」

 なるほど。

 躱すことも、助力を望むこともできない。

 威力は、間違いなく急所を狙うだろうし、

 ……もはや、限界だな。

 重い瞼が長い瞬きをもたらし、けれども、口端は不敵な笑いに釣りあげて。

 全弾をこの身で受け切れたのなら、それこそがジェントル・ササキの『勝利』なのだから。

 炸音が、高く響く。

 あとは、衝撃が体を撃つのを待つばかりであるが、

「……?」

 待てど、辿り着く気配がない。

 薄く目を開けば、

「見てられるか、バカ野郎」

 己を庇うように立ちふさがる女刑事の背中があり、

「警察が人質にされてなんて、認めてたまるかってんだ!」

 伸ばされた、血煙を挙げる彼女の手には、

「手の皮がなんだってんだ!」

 ジェントル・ササキを撃つはずだった弾丸が『捕らえ』られていたのだった。


      ※


『多勢に無勢か……! 決着は終末の刻まで預けておいてやるぞ!』

 悪魔の王は、不敵な笑みでごつごつしいサングラスのブリッジを中指で持ち上げると、太ももに胸を付けたまま膝下だけで歩行するという『悪魔』のような様相で、モニターの外へとフレームアウトしていった。

 ひとまずの脅威が去ったことに、指令室のテイルケイプ首脳陣は一つ大きく息をつくのだったが、

「試金石、思った以上の純金でしたね」

 最高幹部の沈痛な視線の通りで、頭領はこめかみを揉みほぐすことに。

「あまりの輝きに、目が潰れる思いだなあ」

 削れ、明らかになったのは『何者か』の既存組織への敵対意思と、

「けれども状況が、一歩前に出たには違いない」

 そして、大まかには三つの、新たな疑問。

 ルシファーの、所属を秘匿するなどの不可解な言動。

 明確に『悪の秘密結社』の所属である彼に対する、警察の出動。

 間違いなく存在するであろう、自治体の頭を越して事を成せる後ろ盾。

「どうします? 正直、私はお手上げなんですが」

「まあ、じっくり煮詰めようじゃないか。いまはとりあえず」

 なんせ組合とテイルケイプ両陣営の戦力不在を囮にした『隠し矢』も、完全に突き刺さっている。

 思案を捻るべき事柄は数が多く、そのうえ、

「ウェル・ラースが、警察に胸倉を掴まれている現状をどうにかしないとな」

 モニターの中で繰り広げられる『かつての名コンビ』の喧騒に、眉間のしわを深くするのだった。


      ※


 白装束を血で汚すことを厭わないのは、掴みかかる側もかかられた側も同じようだった。

「言いたいことがあるなら、全て聞くよ。私には、その責任があると思っている」

「っざけんな! そんな責任、もうあんたにあるわけないだろ!」

 ならどうして、皮のずる剥けた手の平の痛みすら忘れて、襟口を締めあげているのか。

 負った傷が限界に至って倒れ伏したササキは、見上げるように、荒れる男女の様相を不思議に思いながら眺めていた。

 痛みと、失血から、頭がはっきりと巡っていないことは自覚する。

「ダーリン! しっかりして、ダーリン! スカートの中の『撮れたて』よ!」

 こちらの重い体を助け起こす少女が突き付けてくる携帯電話のディスプレイも、目が霞んで良く見えない。けど、ぼんやりとした視界でも黒の色合いが強いのがわかるから、MEGU、これ君の『撮れたて』じゃあないかな?

「大丈夫! あとで送っておくから! 安心して!」

 ……それは法的に、俺の体面が大丈夫じゃないから。サイネリア・ファニーだったとしても、大丈夫じゃないから。

 こんなにも曖昧な状態で、けれど使命感から明確にわかっていることもある。

 一つは、自分たちを取り巻く不可解な現況を成り立たせている、数々のパーツが姿を現したこと。

 いま一つは、

「くそっ! なんでもねぇような顔で、魔法使い続けやがって!」

「意味もなく謝るのは不誠実だろうから、頭は下げない。ちゃんと、話し合おう」

「だから、もう話し合うことなんかねぇよ!」

 己の苦境を解き明かす雲の糸が、眼前に垂れ下がっていること。

 とはいえ、警察との関係摩擦などという問題は、今や一顧だにされるものか疑わしいことではあるが。

 魔法使いの晴れぬ疑念に賛するように、薄雲が雫をこぼす。

 荒れていく空模様を、誰の目にも届かせるかのように。

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