3:訪問者

『保護、ですか?』

 無線からサイネリア・ファニーの訝しげな声があがれば、澪利は感情のこもらない声で冷静に返す。

「秘密結社の幹部とはいえ、作戦に従事していなければ中学生ですから」

 自分自身が納得しかねている説明。

 ではあるが、受けた魔法少女は、

『確かに、そうですね。わかりました』

 素直な肯定を返してくれた。

 良くも悪くも真面目な子なのだと微笑ましく思い、ならば己も肯定の材料を得ようと、背後に立つ責任者へ、肩越しに視線を投げやった。

「前例がありません。状況と、理由を教えてもらえますか? 組合長」

 腕を組む初老へ、厳しい視線で問いかける。

 組合長は雰囲気に波一つたてない穏やかな仕草で、腕組みを解くと、

「中学生が、繁華街をぶらついているんだ。保護した方がいいだろう?」

「……サイネリア・ファニーなら誤魔化せましたが、ササキさんは難しいのでは」

 たったあれだけの短文の中に、疑問がいくつも埋め込まれているのだから。

 ……保護の依頼は、誰からのものなのか。

 ……警察ではなく、なぜ『魔法少女組合』への依頼になるのか。

 ……どうして『確保』ではなく『保護』なのか。

 実情は共生関係にあるとはいえ、秘密結社は我々の『敵』であるはず。

 依頼主は、おそらく『テイルケイプ』。『保護』というならば、MEGUを手元に置いたあと何事もなく送還するということだ。

 だから、元エースとして問う。

「何故、です?」

「ジェントル・ササキなら、きっと察するさ」

 事態の全てを握っている老人は、鋭い声音にしかし眉ひとつ動かさず『ササキを誤魔化すのは難しいだろう』という問いにだけ答えてきた。

 誤魔化しであるが、答えを待たずに問いを重ねた自分の落ち度だ。そして、その言葉は確かにそうかも知れないとも思わせる。 

 数秒、視線をやりとりすると、通信機がそのササキの声を伝える。

『保護ですか?』

 思っていた通りの、引っかかった様子。

 澪利は、組合長へのあてつけも兼ねて、サイネリア・ファニーへ告げた言葉をそのまま伝えようと、マイクに口元を近づければ、

「私だ、ジェントル・ササキ」

『……組合長?』

 空いている隣席のマイクが占拠された。

「こちらの指示は、保護だ」

『……なるほど』

 強調された『保護』の言葉に、わずかな沈黙を経て了解が返る。

 自分のように疑問を抱かないものなのか、少し不満を覚えるが、

「彼はわざと直情的な選択を取るからね。ある程度の疑問は呑み込んでしまうさ」

 代表から直接に不明な指示がなされたなら『察する』のだろう。ではあろうが、

「ですが、それでは彼に疑問を残す、ということでは? 私と、同様の」

 疑問は、疑惑とも置き換えられる。

 つまり『組合』と『テイルケイプ』の繋がり。

 組合長は微笑み、重々しく頷くと、

「いずれ、彼には説明をする。我々と、そして秘密結社たちの存在意義についてね」

「ササキさんに?」

「ああ。彼は判断ができる魔法使いだ。多くの情報に接していたほうがいい。

 無論、君も希望すれば教えるよ。実績も十分、推すことは可能だ」

「それはつまり、上層部は事情を把握して……通信?」

 スピーカーがホワイトノイズを吐き出しはじめた。

 おそらく、現場の通信機が何かにぶつかってオンになってしまったのだろう。

 がさりがさりと、

「風切り音?」

 と思った直後、

『なになにダーリン!? どうしたの!? 目の前が真っ白なんだけど! ああ、けどダーリンとから揚げの匂いが混じって頭も真っ白になっちゃう!』

 遠く聞こえる、頭のおかしい嬌声はひとまず置いておいて、

「……ジェントル・ササキの予備マスクが、MEGUさんに被されたみたいですね」

 すると、肉と肉がぶつかる音と、少女の悲鳴があがり、

『ダーリン! 衆人環視で押し倒されるとか、想像もしていなかったわ! なにこれ、ドキドキしちゃう! ドキドキしすぎて、頭がズキズキしちゃうううっ!』

 おそらく胴タックルからテイクダウンされ、その際に頭を打ったようだ。

『サイネリア・ファニー! 騒がれると困る! 口を塞ぐんだ!』

『ちょちょちょ! ササキさん、何事です!?』

『組合からの指示だ!』

 騒がれると困る魔法使いは、むやみやたらに元気な声で叫んだ。

 ふむ、と組合長を見やれば、キメ顔のまま白目を剥いている。

 ……つまり『想定の一回り手前で直情が発動した』と。

 もしくは『敵=倒す』のセメントルールが発動したか。

 いずれ、現場は混乱、責任者は気絶。

 無口クールな一事務員は、クールに状況の放棄を決断したところで、

「……?」

 組合長の胸ポケットから、携帯電話が着信を告げた。

 緊急であればと思い、抜き取ったディスプレイを確かめると、

「県組合本部ですか? こんな時間に?」

 時刻は十時を回っている。普通であれば、翌日に先延ばしするべきだ。

 胸騒ぎを覚えつつ、ひとまず電話の持ち主の気付けが必要である。

「……ワンカップの底って、結構厚いんですよね」


      ※

 ひとまず『保護』という単語における誤解が解けたところで、

「それで、ダーリンってなんですか?」

 相棒の腕にべったりと絡みついて離れない、悪の魔法少女が連射している単語の意味を問うた。

「ダーリンはダーリンよ! 私のカレシになるの!」

 さすが、ジェントル・ササキと互して引かない相手。まるで、意味が分からない。

 助けを求めて魔法使いに視線をやると、

「言ったはずだろ。俺は十四歳に『充血』できない」

 期待はしていなかったが予想はできていた『飛び』具合に、

「大丈夫! 恋って『結合』だけじゃないんだから!」

 追いついていく美少女アイドルの言動へ、めまいが。

「こ、公衆の面前でなにを口走ってるんですか、二人とも! ササキさんはしょうがないとしても、MEGUさんはアイドルでしょう!?」

「アイドルの前に一人の女よ!」

「サイネリア・ファニー。俺はしょうがないのか?」

 なんとも力強い返答に、サイネリア・ファニーは言葉を呑んでしまう。驚きと呆れが混じったこのもやもやは、なんて言えばいいのだろう。あと、ササキさんはしょうがないです。

 味方はいないものかと辺りを見渡せば、『殺意に満ちた野次馬』と『ICレコーダーを回す野次馬』と『ICレコーダーを回すクズを吊るす野次馬』しかいない。

 大きくため息をこぼすと、

「それで、MEGUさん」

「なに? いま、ダーリンを欲情させるので手いっぱいなんだけど」

 彼の腕を胸元に押し付けているのが『それ』なのだろうけど、彼はびくともしていない。

 ……私と一緒にいると、すぐに『前屈み』になるのに。

 くだらないながらも優越感にひたれるものだから、胸がドキドキしてしまって。

 ただ、このドキドキは、本当に自分の想いなのだろうか。

 彼の『ギフト』は、どれほど自分の鼓動を早めているというのだろうか。

 ……MEGUさんも、魔法少女であるなら影響を受けているはずですよね。

 確かめるために、

「どうして、ササキさんなんです? 夕方……ついさっき、顔を合わせただけですよね?」

「こんなに胸がドキドキして止まらないんだから、恋に違いないじゃない」

「いや、そのドキドキするきっかけが、あるんじゃないですか?」

「きっかけ? うーん……出鼻で『ごうかんせんげん』されて」

 はい、そこは見てました。

「飛び込み喉輪落としをお見舞いされて」

 はい、そこも見ています。

「馬乗りのまま首を絞められて」

 はあ?

「そこまでしといて『子供相手はやりずらい』とか言われたから、かな?」

 ……え? 終わり?

「そのあと、胸がドキドキしてきて、最初は怖くてだと思ってたんだけど、三時間も経って治まんないんだから、恋しちゃったに決まってるわ」

 完全に『処女殺し』の被害者じゃないですか! 今のどこに『恋』の要素がありました!?

「MEGUさん。そのドキドキは……」

「待って、サイネリア・ファニー。俺が話すべきだ」

 ポリ袋が横に振られる擦過音は、心なしか力強い。

 相棒の魔法使いは自身の『ギフト』についてネガティブに捉えていたはずなのに。

 ……私の言葉で、少しでも前向きになってくれたのなら、嬉しいです。

 はにかみ、

 ……だけど。

 憂鬱を得る。

 この胸の、ジェントル・ササキへの想いについては、まだ整理がついていないから。


      ※

 しかし、その整理のつかない想いは、

「ドキドキはダーリンのギフトのせい? そんなの関係ないわ!」

 MEGUの、事もない乱暴な一言で吹っ飛ばされた。

 静かに、諭すよう自分の能力について説明を続けていたササキも、さすがに肩を落とし、

「俺のギフトのせいで、君は自分のドキドキを勘違いしているんだよ?」

「それはわかった。だけど、関係ないでしょ?

 好きになってドキドキするのと、ドキドキしてから好きになるのになにが違うの?」

 結構な違いだと思うんだけれども、結果が『好き』に収束するなら一緒、かな?

「勘違いじゃダメなの? 後で『間違えました、バイバイ』でもいいじゃない。

 私は、いまこの瞬間の自分に嘘なんかつきたくないの!」

 魔法使いの胸に飛び込んだ魔法少女は、放すまいと細い腕に目いっぱい力を込めている。

「しかしな……サイネリア・ファニー、なんとか言ってくれないか?」

 助けを呼ばれ、しかし彼女は応えることができなかった。

 ……そんなの関係ない、ですか。

 自分がくよくよと考え込んでしまっていたことを、ばっさりと切り捨てられた。

 目の前の女の子は『原因ではなく、結果が大切』なのだと訴えている。

 ……今度、彼女が詞を書いた曲を聴いてみないといけませんね。

 心を軽くして、一歩だけ前に出て、

「あの、ササキさん! 私……!」

「そうだダーリン!」

 ……う。

 アイドルが弾かれたようにキラキラした声をあげれば、元より引っ込み思案な一般人の声量なんか呑みこまれてしまう。

 躓かされてしまって士気は著しく落ちたが、とにかく少女の言葉が終わるのを待とう。

「ギフトのせいで、私が正常な判断ができていない、ってのが嫌なんでしょ? なら良いアイデアがあるの!」

 ……それは聞いてみたいですね。

 もしかしたら、自分のもやもやも一緒に晴らしてくれるかも。

 期待して見守っていると、彼女は繁華街の向こうを指さし、

「あそこ!」

 見えるのは『毒々しいネオンが眩しいいかがわしいお城』の姿。

「あそこで『一発』すればすぐわかるじゃない!」

「なに言ってるんですか!」

 魔法使いにとって童貞とギフトは一蓮托生な関係にある。

「ササキさん、なんとか言ってください! ササキさ……ササキさん?」

 それは、魔法少女も一緒なのだ。

「グローリー・トパーズと互角な敵性存在を無力化できるのか。ありだな」

「そうよ、ダーリン! これぞWINWINな取引よ!」

「ちょちょちょっと待ってください!」

 まずい。

 腕ひしぎ十字固めの時点でうすうす感じていたが、この二人、相性がバツグンだ。

 ……二人並ぶと、空間の頭がすごく悪くなるんですよね。

 先ほど勇気を貰えたことは棚に上げて、バカヤロウ扱いしてしまうほど、二人の空気は尖っている。色はピンクだ。

 野次馬たちも、

「おまわりさあああああああああああん! あいつでえええええええええええええす!」

「おまわりさあああああああああああん! あいつでえええええええええええええす!」

「おまわりさあああああああああああん! あいつでえええええええええええええす!」

 バリエーションを作る余裕が無いほど鋭利だ。

 どうしようか、と頬を掻いたところで、

「え?」

 自分たちの左手にあたるアスファルトが、突然に煌々と輝きはじめた。


      ※

 時間の経過とともに、光は強くなり、目を細めなければならないほど。

「これは? テイルケイプの仕業ですか?」

「ち、違うはず。今晩は、幹部会議で作戦行動はないはずだから……」

 あてが外れてしまい、サイネリア・ファニーには見当もつかない。相棒を見れば、辺りに目配せをしながら、転がっていた鉄パイプを拾い上げている。MEGUも真似して鉄パイプを拾っているが、あなたのスタイルはそういうのじゃないと思うんですけれど。

 頼もしさと同時に恐ろしさに身を震わせながら、自分にもできることを探し、

「し、静ヶ原さん! 聞こえますか!?」

 とにかく、指令室への連絡を試みた。

 しばしの沈黙。普段なら即応してくれるのに。

 理解できない状況に、焦りが膨らんでしまう。

「静ヶ原さん!?」

『すいません、サイネリア・ファニー。手が放せなかったもので。もう大丈夫です。組合長のこめかみをワンカップの底で殴りつける作業は終了しました』

「え?」

『もう大丈夫ということです。いま、組合長が県組合の方との確認をしています』

「静ヶ原さん。組合はこの光の正体を把握しているんですか?」

『組合としては把握しています、ササキさん』

 それは、いったいどういうこと?

「ダーリン! 光が!」

 見れば、アスファルトを濡らしていた光が起き上がり、宙空で楕円を維持していた。

『組合長から指示です。その光から何が現れても、警戒を維持、即応できるように、と』

「何か、出てくるんですか? それに警戒って……」

「了解した」

 こちらの疑問、焦り、恐れを遮るように、ササキが会話を断った。

「ササキさん?」

「わからないものに先入観を持つと、対応が遅れるから……来るよ」

 アイドルを背中に庇いながら、相棒は鉄パイプの切っ先を光へ。

 楕円は縦に亀裂を走らせ、亀裂は少しずつ広がっていく。裂けた向こうは、見たこともないほどに黒い夜の空。

 漆黒の夜空にふちどられ『それ』は門を這い出てきた。

 ツギハギだらけの『鉄の人』が。

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