第5話「旅の支度は万全に(前編)」
チュン、チュン……。
チュン……。
「おらッ! いつまで寝てんだ!」
ゲシッ。────いでッ!
「いづづづづづ……んだよ!」
悪態をつきつつ目を覚ましたバズゥを見下ろしているのはザラ。
眉間にしわを寄せつつ、
「おめぇら人ン家で何やってんだ?」
あん?
……ってうわッ。
「キナ! お前、ちょっとどこに顔突っ込んでんのよ」
なーんか、オヘソがくすぐったいと思ったら!
キナちゃん、バズゥさんのシャツの中に顔を全部突っ込んでらっしゃる。
シャツがパッツンパッツンになってまんがな!? どういう構図だよ!
「イチャつくならそういう宿を借りろや……ったく」
「イチャついて、ねぇっつの!」「いひゃふいてないれす」
おっふ。キナちゃんどこで喋ってるの!
オヘソに息があたる──くすぐったいです。
っていうか、起きてるなら出て来なさい!
「ば、バズー……ひっははってる……」
おうふ……キナちゃんの耳とか顎とか鼻とか、いっぱいひっかかってる。……よく入れたね。
バズゥが立ち上がり、キナの頭をがっちりホールドしたまま服を上下にバッサバサ。
「きゃ!」
ドシ~ンと尻から布団に落っこちるキナを助け起こすと、
「ひどい!」
プリプリ起こったキナは、さっさと体を起こすとタオル片手に水場へ行ってしまった。
「ホント何やってんだか──って、酒くさッ!」
バズゥを諫めようとしたザラが仰け反る……──って、ええ!?
ザラに酒臭いとか言われたら、どうすればいいのよ!?
「さっき通り過ぎた時、嬢ちゃんも相当臭ったぞ……。なんかフラフラ歩いてったし」
ヤバイ。
完全に酔いつぶれてた。
「あ、さては
ゴンと、ザラが空瓶を蹴飛ばす。
なんか知らんが3本もワインの空瓶が転がってるぞ?
「あー……まー……」
「バカたれ。こりゃ時間差で気持ち悪くなるからな……今のうちに水飲んどけ。ここの安物は混ぜ物が多いんだよ」
げ。
「ったく……、言えばいい酒分けてやったのによ。交易所のは買うもんじゃねぇぞ」
マジかよ。
「ま、高い買い物と思ってウチのと交換していきな。ここらじゃ、皆自分で作るんだよ」
「ウチも酒を造ってたけど、果実酒はやってなかったからな」
ポート・ナナンでは、穀物から作る濁酒を作っていた。
穀物なら日持ちするし、酒以外にも用途がある。
ブドウやリンゴはほとんど採れないので、必然的に原料を輸入することになる。
それくらいならワインそのものを輸入した方が安いのでそうするのだが、ポート・ナナンは貧乏な村で、俺たちの家は貧乏酒場。
少しでも経費を抑えるため穀物を仕入れて、それを加工していたというわけだ。
「あーやべぇ、頭ぐらんぐらんして来たぞ」
「ほれ見ろ……水飲んで来い。……午前中は多分動けねぇだろうな」
おえ……こりゃキツイ。
「ほれ……嬢ちゃんも待ってるから行ってやんな。効くか分からんが、薬を準備しといてやる」
「ず、ずまん……」
うぷっ。青い顔をしたバズゥは慌てて水場に駆け出していく。
排水溝のある井戸の傍に駆け込むのだ。
その傍では、桶から水を掬って口に含んでいたキナが、クチュクチュと頬を揺らして口の中をゆすいでいる。
顔面は蒼白。耳まで真っ青だ。
「あ、バズゥ──────うっぷ、」
そして、排水溝に流れていく色付きの何か……オロロロロロロロロロロロ。
「ひぇ……!? き、キナ────オロロロロロロロロロロロロ。」
バズゥ・ハイデマン、貰いゲロする。
オロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロロ!!
…………。
しばらく、仲良くグッタリと動けないオッサンとちっさい嬢ちゃんがいたとか、いなかったとか……。
※ ※
「おう、どうだ調子は────って臭ッ」
様子を見に来たザラがあまりの惨状に仰け反っている。
いや、まぁ普通の反応だろう。
井戸付近に作られている側溝には色とりどりの吐瀉物がトロー……っと流れており、グッタリした男女が折り重なっている。
辛うじて、バズゥが真っ青な顔で手を挙げて応えた。
「こ────」
「こ?」
訝しげなザラ。
「殺してくれ…………」
バズゥ・ハイデマン────享年……何歳だっけ? 地獄最前線シナイ島から生還し、隣村で果てる。
「って、人ん家で死ぬな、アホ垂れ!」
ゴンッと、拳骨を脳天に叩き込まれる。
ォエエ……。やめて、揺らさないで!
オロロロロロロロロ──。
「うわッ! テメッ、この野郎!」
ザラの目の前で、べちゃべちゃべちゃ! と、酸っぱい臭いの吐瀉物が撒き散らされる。
「うわ、マジでくせぇ!?」
酷い災難だ。
そして、ザラからすればもっと酷い。
自分の家の水回りでゲーゲーとやられたあげく、少しズボンに掛かった…………。
「勘弁してくれ……」
プーンと臭うなか、ザラは寒空をあーあーあー……、と嘆きつつ仰ぎ見た。
ザラの目には真っ青なを通り越して、土気色をしたエルフのような少女もいる。
キナというその女性もバズゥにもたれ掛かって酷い面をしている。
そして、例外なく酸っぱい臭いが…………。
「お前らは二度と泊めんからな!」
うう……。
そんなザラの声さえキツイとばかりに唸る二人。その様子にザラも怒り心頭で、ポイっと薬らしきものをバズゥに放り投げてノッシノッシと工房の方へ去っていってしまった。
「それ飲んで、シャキっとしてからこい! 薬は──お前がアホみたいに狩ってきたおかげで、無茶苦茶安いから気にすんな」
それより、
「ちゃんと掃除しとけよ!!」
ったく、
それだけ言うと、二人を見捨ててザラは工房に引っ込んでしまった。
「がー……うるせい。頭に響くっつの!」
ヨロヨロと、キナを抱き起こすように立ち上がるバズゥ。
「うう、バズゥぅぅ……私もうダメ。死ぬ、死んじゃう──」
「おう、一緒に死ぬか……」
「うん──────あと、」
「あと?」
…………。
「お酒は二度と飲まない──」
「…………」
うん、二日酔いになる度に皆そう言うんだ。
俺もまさにその心境……。
でも、キナちゃんや。アナタ酒場の女将さんやで。
酒とは切っても切り離せないからね?
「ほら、これ飲め」
「ぁ。ぅん、ありが──────苦いッ!?」
チョコと開けたキナの口に、唇を押し開けるように指ごと捩じ込んで、薬を舌先にのせる。
チュプっと、抜きだした指を食いちぎられそうになるほどキナの反応は劇的だった。
はっぷ、はっぷ! と空気と水を求めるキナがやたらと可愛かった。
「わはははは! 苦いだろ─────どれ、……ぶは!」
に、苦いッ!
「バジュー。み、みじゅー」
口を閉じることも、吐き出すことも出来ずに半開きのキナに、桶に酌んだ水を差し出すと、顔ごと口をつけてゴクゴク飲み出す。
「こりゃ、苦い──、キナ? キナ!?」
ブクブクと泡を桶のなかで吹いているキナ。
お行儀悪い───じゃない! やばい?!
「ぷはぁ!」
バズゥが焦った直後、キナが桶から顔を出す。
「酷いッ! バズゥの意地悪!」
「ビックリしたー、だ、大丈夫か?」
「大丈夫じゃないよ! 凄く苦い! まだ、口に味が残ってる──」
うー……。とキナが膨れっ面。
でも、顔色は多少よくなっている気がする。
さすがは、
「
え?
キナが目をぱちくり。あら可愛い。
「俺が無茶苦茶に狩った奴だろうな。フォート・ラグダから流れた品もあるだろうさ」
暗に、キナを襲った奴じゃないとバズゥは言いたかった。
「そ、そうなんだ……」
「おうよ、何にでも効く万能薬さ。あとでザラに分けてもらおう」
バズゥも昔は持っていたが、シナイ島で使い尽くしていた。
軍では、呪いまがいの品としてあまり信用していないらしく、シナイ島では滅多に手にはいる物ではなかったのだ。
「う、うん……」
でも、これ────飲んだら、それだけで吐きそうだね?
…………それを言うなや。
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