第104話「山の神」

 ……♪


 ぁー───♪


 『山の神』……──────その呼び声が………




 バズゥは、崩れ落ちた体を遠くに感じた。

 キナの叫びも間遠くに聞こえ………

 キーファの耳障りな声も今は小さくなる──



 ズシャ、と頭から地面に伏せ、土の臭いだけが鼻腔をついた。


 ここで、

 死ぬのか………


 その死を身近に感じ、恐ろしいまでの喪失感と孤独感にさいなままれる。


 じわじわと体を多い尽くしていく死の影を色濃く感じながら……意識の底で、静かな歌声に耳を傾ける。



 ぁ……───♪



 と、

 ささやくような、

 嘆くような、

 うそぶくような、


 

 静かな歌は、徐々に脳を満たしていく。

 それは、


 汚染だ。


 死に行く者の挽歌とも、

 讃歌とも、

 讃美歌ともつかないそれ。


 ただ、死を感じた今だからこそ、バズゥはこの歌の根幹にあるものに気付いた。



 それは、生であり、であり、にして、無だ───

 『猟師』にとってそれは、


 すべて『山』にあった。

 


 ♪…ああ……───♪



 それは、自然との調和、

 それは、自然との融合、

 それは、自然との愛憎、


 それは、人としての乖離───

 山を越え、主となり、支配する。

 即此神也すなわちこれかみなり───ゆえに、人にとってそれは、まさに精神の汚染……

 


 そう、

 人として生きるためには余計な情報…


 山は求めない、

 山は憐れみない、

 山は愛さない、


 山は、

 ただそこにあるだけ───


 あるものを、ただあるがために、


 故に汚染。

 人を───バズゥ・ハイデマンであることをやめろ……と、


 山になれ、

 山になれ、

 ヤマニナレ──


 人は山にはなれない。


 人は、

 火を使い…

 山を切り開き人の住処すみかへと変える。


 なぜなら、

 人は山だけでは生きられない。

 人は山を切り開かねば生きられない。

 人は山が怖くて生きられない。


 山と人は相容あいいれぬもの……


 風も、

 水も、

 土も、


 山のもの……


 だが、

 人は───?



 人を殺すなら───



 あーあぁ♪

 ♪ぁあぁぁあー♪




 山になれ…




 山へ─────



 ♪……ぁあああ──


 ♪♪ぁああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!! ──♪♪



 あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛


 あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛


 ♪


 


 山………



 『山』よ……──


 

 俺を、


 ……


 飲み込め───



 バズゥが、意識を手放した瞬間。


 すぐ近くで息絶えたキングベアが、

 の王の声がバズゥに聞こえる。

 

 それは言葉ではない。

 歌………


 穏やかに…

 狂おうしく…

 揺蕩たゆたうように…


 謡う──


 その肉を腐らせ、

 山に、

 山に住むものに、

 山に生きとし生けるものに、



 捧げたい───



 ここには、

 最近、この土地で死んだ老人も地中にいる。

 彼もまた…山へと帰っていく。


 唄──


 人の記憶は薄れ……

 虫や、ネズミ……鳥の胃袋を通って、山へと帰る。



 あぁぁ、

 __だ。


 『山』は生も死もつかさどる───

 そして、なにものにも侵されない


 否、

 犯すな───



 だから、

 人よ───


 …───キングベアの死体から声のない声が上がり、

 うずくまるバズゥに潜り込んでいく。


 人の子よ───

 我を……


 山のたけりが脳内を満たす。

 ここに来て、バズゥの意識はもはや…───


 キングベアの叫びと同化していく、


 我を食うな───…

 我を切り裂くな───…

 我を持ち去るな───…


 

 我は山に帰る!!! 



 悲しいほどの怒りと、懇願があった。

 キングベアは知っていた。

 死した熊の行く末を───


 肉となり、

 服となり、

 飾りとなり、

 薬となり、

 玩具となり───


 人にもてあそばれると…

 自分の死体の一片も、山には帰ることができない。


 人の腹、体、首、店、家屋───…

 そこに陳列され……全ては人の世で回り続けるのだ。


 肉は糞尿に成り下がり…人の畑や家畜の餌として───

 毛皮は衣服や道具として長く愛用され───

 骨や牙は磨かれて男女の首や耳を飾り───

 肝は乾かされて珍重され───

 頭部は道楽者に眺められる───

 

 一生…終生…人が滅ぶまで、そこから出ることができないのだ。


 だから人よ───


 我を───


 我が子キングベアを連れてゆくな───




 あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛♪







 それは、


 それは歌声などではなかった───


 子を、

 家族を、

 愛するものを奪われた…


 山の叫び─────────





「ぁぁあああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」





 ヌラリとバズゥが立ち上がる。


 しかし、

 それはバズゥであって、バズゥではない。


 バズゥか? と思うのは、彼がついさっきまでそこに伏せていたからだ……

 その状況証拠を除いて……彼だと確信できるものは、何もない──


 今の彼を一言で言うなら、異形。


 その姿は、

 草、土、泥水、熊の血肉…地中の人骨と腐肉───…それらをまとったおぞましい姿…


『「人よ───…」』


 バズゥが話す。


『「…───ただ、死すべし」』


 バズゥたける。


 あ゛あ゛あ゛あ゛!! と───


 そして、うごめく、




 ズルリ……




 バズゥが動く…


 負傷など、

 重傷など、


 何もないかのごとく───


 重く、高く、深く、

 ───動く。


「な…なんだ…お前は───」

 キーファが初めて顔を青くしておののいている。

 キングベアに殺されそうなときであっても、決して見せたことのない…顔。



 それは───



『「畏怖せよ───…」』


 ぬぅぅ……と、

 バズゥが手を伸ばすと、ボタボタと得体のしれない黒く茶色い───けがれた山の一筋が零れ落ちる。


 明らかに異常。

 明らかに異形。

 明らかに異質。


 しかし、キーファは退かない!

「バケモノめぇぇl!!」

 パァァァンと一発。


 命中した弾に貫かれて、ブルリと震えるバズゥ

 しかし───


「あたっ、た………? な、なんだ……」


 しかし、動く。

 意に介さず───バズゥは動く。


「なんだ? なんなんだ!? この____めが!! …………死ねぇ!!」


 キーファは、動じない。

 ポイすと、打ち切ったピストルを投げ捨てると、腰のポーチから次々とピストルを取り出す───


 それは、かなりの数を隠し持っていたらしく………



 うらぁぁぉぁぁぁぉぁ!!!

 パパパパパパパパパパパパパパパパパパァァン!!!



 撃つ、捨てる───


 撃つ、捨てる───


 撃つ撃つ、捨てる捨てる───


 撃つ捨てる撃つ捨てる撃つ捨てる撃つ捨てる撃つ捨てる撃つ捨てる撃つ捨てる撃つ捨てる撃つ捨てる撃つ捨てる撃つ捨てる撃つ捨てる撃つ捨てる撃つ捨てる撃つ捨てる撃つ捨てる撃つ捨てる撃つ捨てる撃つ捨てる撃つ捨てる撃つ捨てる撃つ捨てる


 パパパパパッパパパパパパパパパァァァァァン!!!!


「死ね! 死ね! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!!」


 パンパンパンパンパン……



 パァン───


「…死ねよぉぉぉぉ!!」


 パァァァァン……



 撃って───…捨てる…


 ガチャン!


 ………


 …


 あ?


「嘘だろ…」


 全てのピストルを出し尽くしたのか、ポーチを逆さに振り、在庫を確認しているキーファ。

 しかし、

 出てくるものはなく。


『「人よ……」』


 何事もなく、バズゥが迫る。


 足元はすでに、苔むした木の根が張り…

 歩くというよりも、根が張って……這っていくかのように、体を前のめりに滑らせる。

 それは、人の動きには見えないもの。


 まるで、____がいるように見え、

 そこに人の面影は見えない。


『「…滅せよ───」』


 バズゥの動きにあわせて、手を伸ばした先が、

 ──ゴボゴボゴボゴボと、地面が泡立ち液状化していく。


「ほざけぇぇぇ!」

 別のポーチから、騎槍ランスのような大型の──輝く槍を抜き出すキーファ。


 それを片手で構え、

「田舎者は………『山』に帰れよぉぉぉぉ!!」


 クリスタルのような光沢を見せる丸盾バックラーを反対の手に持ち、軽装かつ──武器は重武装と言った出で立ちで飛び掛かる。


 その姿だけを見ればなるほど…聖なる騎士だ。


「うらぁぁぁ!!」

 ───突撃チャージ


 騎槍ランス由来の魔法効果が黄金色の光を放ち、

 キーファのスキルが赤い稲妻となってその光と融合する。

 それらを後押しするように、薄い青色をした水の膜の様なものが丸盾バックラーを中心にしてキーファをおおった。





「消えろぉぉぉぉ! バぁぁぁぁぁズゥぅぅぅ・ハイデマぁぁぁぁン!!」


 それはまるで、


 物語の主人公ファンタジーヒーローVS穢れた魔王パブリックヒールの構図───


 当然のことではあるが、

 輝く槍手と──ヘドロの王…


 傍から見れば、キーファが主人公に見えるだろう。




 だが、




 観客は最初から見ていた。

 知っていた。


 その確執と、

 家族に尽くす一人男の生き様を。


 キーファ・グデーリアンヌと、

 バズゥ・ハイデマンの戦いを───



 キナのため

 家族キナのため


 矜持金と命を賭け、

 欺瞞と真実のために戦う男たち、



 

 だから、誰もが望む───……




 勝てっっっ!



 バズゥ──


 ───ハイデマぁぁぁン!!




 化け物にしか見えないバズゥを、見守る観客たち。

 彼らの目をしても何が起こって、どうなっているのかわかってはいない。


 ただ、


 バズゥと、キーファが全てを出し切り戦っているのだけはわかる。

 そして、観客も、債務者も、キナも───

 誰もが望んでいるのは、唯一ただひとつ……


 そんな、思い等、知らぬとばかり戦いは続いていく。

 山と人、

 悪役と主人公、

 いや───

 漢と男。

 ……その激突だ。


 姿は変われど、根本はそこにあった。

 だからキーファは逃げないし、バズゥも形振りかまわず捨て身になる。


 ただ戦うべし、


『「万物は───…我のものだ」』

「ほざけ!!」

 ドッポォォンと、キーファの槍がバズゥを貫く。


 が───


「うぐっっ……!?」


 一瞬だけ、バズゥを覆っている、ヘドロの様なものが晴れるが───そこには、もはや人はおらず……

 木の根の集合体とでもいうのだろうか…乾いた泥のへばりついた細い茨の様なものがのたうち回り、

 それはまるで、ミミズのように這いまわる不気味な人型でしかなかった。


 そして、


 その塊がキーファの槍を捕らえて拘束する。


 粘つく腐肉の様な泥は、黄金色の輝きを受けて蒸発していくが、茨は尚生き生きとうごめき…

 茨は赤い稲妻を受けて焼け焦げ黒く燃え落ちていくが、ミミズは暴れまわり溶けて融合し…

 ミミズは、薄い水の膜で溺れるようにもがき苦しむが、腐肉の塊は瑞々しくも喜びに踊り…


 武器も防具も、キーファごと飲み込んでいく───


「ぬぁぁぁああにぃぃぃぃ!! うぉぉおおお゛お゛!!!」

 ズブズブとキーファがバズゥに飲み込まれていく。

 それはさながら、沼地に沈むが如し。


「ハぁぁぁぁぁイデマぁぁぁぁぁン!!」


 飲み込まれつつも、

 槍を振るい、盾を叩きつけるシールドバッシュ


 だが、バズゥは、ブシュウぅぅと沼地のガスが噴き出すような音を立てて意にも介さず、

 ただそこにあるのみ───


 むしろ、キーファがそのガスに、

 泥に、

 山に触れて、


 焼けただれるように皮膚が………


 ──────…───……


 !!!♪


 !!!♪♪


「なんだ、この歌はぁぁぁ……あああアアアアアア、ヤメロロロォォォォ!」


 それでも、キーファは戦意を失わない。

 強化薬の効果と、貴族の矜持と、男の意地で戦い続ける───


 その先に、

 キナの笑顔と、体と、家庭があると信じて───


「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 戦い、

 闘い、

 争い、


 その武器を───

 振る、う………


『「返せ──……全て還せ──」』


 グググとバズゥうごめき、武器と防具を包んでいく。

 その動きにあわせて、

 キーファ自慢の装備が震えて、声なき叫びを上げる。

 槍が黄金色の輝きを失い…ただの騎槍ランスに───

 丸盾バックラーが薄い水の膜を失い、錆び崩れ…ただの丸盾バックラーに───


 騎槍ランスは、鉄の塊に───

 丸盾バックラーは、木と鉄に───


 鉄は、色蒸し鉱物へ…

 木は、根を張り植物へ…



 山へ、

 もとの姿へ、

 もとの場所へと、



 帰る……

 返る……

 還っていく………




 ならば、




 キーファは……………


 どうなる?




 ……

 

 …



 結果は観るがごとし───



 キーファが消える。


 キーファが溶ける。


 キーファが還る。


 キーファが───



「ヤ゛メ゛ロ゛オ゛オ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォォ…───」



 聞くものを脅えさせ、凍り付かせるほどの絶叫…

 その声の主が誰であるのか分からないほどの声量と、声質。


 ましてや、キーファの出す声だと誰が知り得ようか……


 それはそれは恐ろしい声で、

 痛みや、

 恐れや、

 懇願がない交ぜになり───…誰もが耳を塞ぎ、目をそらす…ただ一人を除いて。



 あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ───



 ヘドロに飲み込まれていくキーファ。

 その中心にはバズゥがいるのだろうか…?

 だが、その姿はどこにもない。


 もはや叫ぶこともできなくなったキーファ。

 辛うじて出ていた手も…飲み込まれて消えていく…

 ヘドロに飲み込まれる瞬間、キーファの目が…見守る観客を流し見る。


 誰か………と、


 埋もれていくそれは、もはや片目だけしか見えなかったが、

 見た。

 見てしまったものは、思わず顔をそらす。

 

 そして、

 顔をそらす瞬間……それは目があったもの全てに伝わる感情。


 助けて───

 と、


 いや、

 違う。



 キーファは、どこまでいってもキーファだ。


 だから、目があったものは瞬時にその感情を読み取り、個々人の脳内にトレースできた。

 簡単にできてしまった。



 すなわち………



 ───ヘレナぁぁぁぁぁ! 助けろぉぉぉぉ!!


 ──ジーマ、ケント、ウル、シェイ!!!

 俺は支部長だぞ! 助けろぉぉぉぉ!!


 ──漁師のオッサン! 見てないで助けろぉぉ!!


 ………


 ……


 …


 ───キナさん………………助けて───





「───はい…」




 歴戦の勇士の如き、海の男───アジですら恐怖に目をそらし、

 ギルドメンバーなど、まるで歯が立たないと……

 ヘレナもあらゆる辛酸しんさんを舐め、苦労をしてきたとはいえ───


 誰もが、手を出せない…

 出さない、

 出したくない……

 そんな中で───


 皆が、

 恐れ、慄き、畏怖をする中で───





 キナが、


 足の不自由な少女が、


 動く───




 まっすぐに目を向け、

 バズゥに向かって───

 

 歩く……


 ヒョコヒョコと…

 腱の切れた肢で…

 決して速くもなく、力強くもないが───


 キナは、

 キナ・ハイデマンは、ここにいる誰よりも勇敢で、優しく、───人間だった。



『「…人よ───去ね」』



 バズゥの声は、すでにバズゥのものではない。

 それでも、キナを飲み込むことなく、去れという。



「行かないよ……バズゥ」


 ヒョコヒョコ……


『「去ね……ひと───キナ!」』


 ヒョコヒョコ……


「ごめんね、バズゥ………最後まで、どんな時でも…いつでも───」

『「離れろ! キナ───!!!」』

「苦労を掛けるね……」

『苦労なんかない! 「───去ね゛え゛ぇ゛ぇ」』


 ヒョコ……


「大好きだよ───バズゥぅぅ」


 ドポォォン……


 あのへドロに躊躇ちゅうちょなく飛び込むキナ。



『「キナァァァァァ!! 離れろぉぉぉぉぉ!!!」』 


 ……


「絶対───離れない」

『「キナァァアアアア!! あああああ」ぁぁあああ』

「このまま…バ…ゥ、と───」

『キィィィィ「ナァアアアアアア」あああああああああ』


 バリリ…


 ヘドロが、


「バズ……なら……緒に───」

『どぉぉ─────「っけぇぇぇぇぇ」─────ぇぇぇ』


 バリバリバリ……


 いばらが、 


「愛……………ゥ……」

「キナぁぁぁぁぁぁ!『──』」


 バリン……!!


 腐肉が、


「あああぁぁぁぁ!!『』」


 バンッッ──


 と、

 まるで殻が割れるように、ひび割れ、乾き、砕けて…細かく……………





 飛び散った───


 ……


「キナ!!!!!」


 衣服が溶け、上半身が裸となったバズゥがその場に現れる。

 半裸になったキナを包み───…その体を激しく掻き抱く。


「キナぁぁぁ!!!!!」


 ヘドロの影響か……バズゥは体全体からシュゥシュゥと湯気を吹いていた。

 散乱した生乾きのヘドロは、嫌なにおいを放っていたが……まるで、溶けるように──染み込むように消えていく。

 そのあとに立つバズゥは、負傷などなかったかのように無傷のままそこにいた。


 そして、


「キナ!!」

 …キナが───

「あ…」

「キナ!?」

「バズゥ…」

 目を覚ます。


 ──無茶しやがって……

 ギュゥゥゥゥとその小さな体を抱きしめるバズゥ。


「バカ野郎!! なんて無茶を───」

「無茶じゃ…ないよ」

「無茶だ! 俺なんかのために───」

「なんかじゃ…………なんか何か、じゃないよ!」

 ハッとするほど強い目線でバズゥをまっすぐに見つめ返す少女…


「バズゥのためなら───」

 キナ……?


 ───ためなら、


「……私は!」

 その美しい双眸そうぼうがバズゥを捉えて離さない。


「───命もいらない!!」


 命も、

 お金も、

 家も、

 お店も、

 ___も、


 ……何もいらない!


 バズゥが──……


「バズゥだけがいてくれれば……何もいらない!!!」


 何も!!


 ハッキリと──

 それは、いつわりなく、


 本心からの言葉で、

 この子キナの本音の発露。


「…馬鹿──野郎……バカ、や…」


 その覚悟、

 その決意、

 その思慕、


 それは、昨日今日のものではない………

 

 出会って十数年

 離れるまで十余年、

 離れて数年、

 

 幻影を何万、

 夢の中で何億と───


 それは那由多なゆたを超えて………

 足して永遠。


 キナの思いは、語るに尽くせず。

 語るないからこそ、積もるそれ……


 ただ、

 ただ、


 この男が──

 バズゥ・ハイデマンが………


 彼のことが、


 優しく、

 不器用で、

 口下手で、

 馬鹿で、

 間抜けで、

 気が利かなくて、

 巨乳好きで、

 臭くて、

 スケベで、

 ………

 どうしようもなく鈍感なこの男が………

















 ──死ぬほど好き。







 バズゥとなら、

 ………

 …


 __でもいい。

 一緒に__でもいい!!


 つか目を覚ましたキナは、すぐにまた目を閉ざす。

 ヘドロは見た目以上に深刻な影響を与えていたのかもしれない。

 強化したキーファですらあらがえなかったヘドロに、無力な少女が触れて無事なはずもなく……


 キナの柔肌がヘドロに触れ、

 触れたその箇所は、わずかにただれていた。


 あの美しい白磁はくじのような肌が──


 く………!


 俺は、

 なんてことを………


 腕の中のキナのを、強く強く抱きしめる。

 

 大事な、

 愛しい、

 家族───


 それを俺はぁ!

 家族になんてことを………


 誰かが家族を害するなら、万難を排してでも守って見せる!

 なのに、俺が傷付けてどうする!

 どうするってんだよ!!


 何も変わっていないじゃないか!

 エリンを置き去りにして、

 キナに慰められて、

 もう一度向き合おうと、決心したばかりじゃないか!


 後悔と、

 情けなさと、

 不甲斐なさで!!

 ………感情が張り裂けそうだ!


 俺は───!!!


 ジワリと浮かぶ、涙───…歪む視界…───


 くああああ!

 この期に及んで女々しく泣くとは!


 くそ!

 く、そ、

 く………


 死んでしまえ! 俺………


 俺は、



 俺は、

 あの日エリンを殺そうとした日から、

 エリンが連合軍に連れていかれた日から、

 エリンが! 

 エリンが俺に帰れと言ったあの日から!!!



 何も、

 何も変わっていない!!



 情けない、

 情けないオッサンのままだ。


 

 キナぁぁぁ………


 キナぁ…!



 ごめん、キナ───


 俺は、



 ………


 ……




 どさっ………──

 



 体の力が…


 抜け…る───


 都合良く

 ───もぅ……

 これが、……限界───か。


 『山』に飲み込まれるなんて、ありえないな………

 俺は人間。

 どうしようもなく、

 正真正銘の人間だ。


 拡散しつつある意識の中……

 バズゥは、キナとエリンを思い───


 人として生きることを望む。


 彼女らに嫌われ、

 うとまましく思われ、

 邪険にされようとも───


 家族と過ごしたい………

 家族を愛している………

 家族と日々を───


 だから、さ。

 山よ……


 山の神よ………


 俺は、『人間』だよ。

 


 また、都合の良いときに頼らせて貰う。

 お前から、家族を奪う狩りをする

 山を敬い、

 畏怖して、

 関わる。


 その関係に戻ろう───




 ぁぁ…♪♪


 ♪…ぁ──ょ…



 人よ……───ぁ゛──♪



 なぁ、

 いいよな……?


 ……


 ドサリと倒れるバズゥと…キナ。





 そして、足元には───





「勝負ありだろ?」

 アジが、ヘレナとジーマを見て、


 ───キーファの、

 ぼろぼろに溶けた衣服かられていた証文をまとめる。

「こいつが無事で良かったな………」

 アジは、ピッピッ──と、証文の水滴を払うように軽く振るう。


「気絶してるの?」

 ヘレナの指摘に、アジがキーファの首元に手を当て、脈を取った。

「あぁ、大したことはないだろう……頭以外は、な」

「あらら~…支部長…年寄りみたい」

 ジーマは冒険者ぼんくらを連れて取り巻くと、足でキーファをつつく。


 完全に気を失ったキーファは、バズゥの近くで伏せている。

 ピクリとも動かないその体。


 半ば服は溶け……皮膚も一部が焼けただれていた。

 おまけに、


「まだ若いのに可哀そうにな」


 見ちゃいられんとばかりに…アジがそっと───

 キーファの禿げ頭に手拭いをかぶせて、それを覆い隠した。


「……キーファ。もう終わりよ───」


 私も…あなたも……


 ヘレナは、意識のないキーファを見つつ、

 懐にあったフォートラグダ鉄剣章を、彼の胸にそっと置いた───


ほまれが欲しかったんでしょ? あげるわ…元々あなたに授与するはずのものよ」

 議会から預かってきた、その勲章。

 ヘレナに与えられた市議会議員としての最後の仕事でもあり…かせでもあった。


「アナタのおかげで議員の地位は失ったけど……町を守り、村も守って見せたわ」


 アジに抱えられて山を下っていくバズゥ。

 キナはバズゥにしっかりと抱きしめられ、アジに一緒くたにして担がれていた。


「皆に…誰に嫌われてもいい。私は、私の矜持を貫くわ───」


 チャリンと、くすぐるのは飾りのついた瀟洒しょうしゃな勲章。

 それは、ボロボロになったキーファの胸を寂しくいろどるのみ。

 それを弄りながらヘレナは一人ごちた。



「これがあなたのほまれ……望みはかなったでしょう?」

 と、

 キーファの胸元の勲章…鉄剣章をしっかりとピンで固定してやった。



「巨大な熊から村を守り…愛する少女もを守り…──最後に、山の魔物と対峙し、少女の助けを借りて魔物をはらって見せた」


 ───それでいいじゃない。


 キーファが頑なに欲した少女とほまれ

 バズゥは、その全てを手にしているというのに………

 バズゥとキーファは、その関りが全く違った。



 ───それがアナタとバズゥ・ハイデマンの違い。



 その男は矜持を胸に掲げて全てを欲して───

 その男は家族を胸に抱いて只あるがまま───


 バズゥ・ハイデマンは、誉でありの英雄の証を躊躇なく撃ち捨て、

 美しき少女たるキナには何一つ対価を求めない。


 ただ、

 ただ家族であれと……


「あれじゃ、勝てないわよ……何年やってもバズゥ・ハイデマンには──」

 いくら技を磨いて、装備を整えようとも…キーファがバズゥに勝てる日は来ないだろう。

 キーファの勝利条件は様々な紆余曲折うよきょくせつを経て、凝り固まり…


 もはや、バズゥを殺したところで彼は自分の矜持を取り戻すことはできない。


 少なくとも、キナ・ハイデマンは絶対に手に入らないだろう。


 だから、もう諦めなさい…

「哀れな男───」

 勲章をキィンと軽く弾くと、

 ヘレナは立ち上がり、

 大地を下りていく一団───アジに背負われているバズゥとキナ、それを見守る冒険者たちの背を追った。


 誰一人キーファになど見向きもしない。



 だから、忘れていた。



 ……


 ピクリと動くその指。

 その先には何もない。

 求める武器は、全て『山』に帰り───彼には何も残されていない。


 そう、彼には残されてはいなかったが……『バズゥ』のものはあった。


 戦いの後、誰もが忘れていた、それ。













 ───まだだ…








「まだだぞ、バズゥ・ハイデマンっっ!!」

 …そう、キーファ・グデーリアンヌという男のしぶとさと、


 ───覚悟を!





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