勇者を取り巻く裏事情2(前編)
キナ・ハイデマン
先代勇者の従者としてポート・ナナンに
勇者の目的は誰も知らなかったが、それなりの期間…彼らはこの村と周辺で過ごしていたという。
それから
村の
ある日…フラリと姿を消し二度と戻ることは無かった。
……
村には日常が戻るかに見えたが…
その場には、人並み外れた容姿をした美しい従者が一人残されていたという。
容姿はエルフを思わせるもので、
年恰好は少女そのものだが…
透き通るような白いきめ細かな肌、
純粋無垢そのものの金色の美しい瞳、
銀糸のような輝く白とプラチナ交じりの髪、
スラリとした体躯は少女そのものであるが、
どこか
そして、不自由な脚。
片足の健が切れているらしく、動きは遅く…ヒョコヒョコと歩く様を見て───彼女の立場を
すなわち先代勇者との関係だ。
…この田舎の村でさえ、先代の噂はポツポツと入る程度には有名で、
そして噂通り…
各地で
強く、
そして、…女好きだという。
実際に、酒場の看板娘に手を出したという噂すらある。
噂が、ね。
───まさに英雄、色を好む…を
その先代の従者で、
足が不自由とくれば──まぁ…そう、下種な考えに基づくのも
ただ、彼女の名誉のために言うならば、
……一度として彼女は、自らの境遇を語ることは無かった。
理由も知らず、告げず…彼女は残された。
捨てられたのか、
解放されたのか、
何か理由があったのか───
彼女は何も知らず、何も語らず、一人…ポート・ナナンの酒場で
居場所も、
故郷も、
待ち人もなく…残された少女。
先代勇者が迎えに来る宛てもなく…
───彼女には何もない。
あるのは、キナ───その名前のみ。
教会の関係者も
普通であれば、先代の関係者ないし───勇者を支援する教会等の組織に預けられるのが普通なのだが…
奇妙なことにキナという人物は、教会すら把握していないもので、
その人物証明は先代勇者にしかできないものらしい。
通常の
それが、より一層──キナという存在を
放っておけば、腐肉を喰らう獣のように…どこからともなく奴隷商人なり
ここポート・ナナンの酒場には、ハイデマンがいた。
先代勇者が気に入ったとされる、
若く美しく快活で明るい看板娘───バズゥ・ハイデマンの姉がいた。
元々、流れ者の係累である彼女とその弟だけの一家は、さしたる抵抗もなく、一人残されたキナを酒場に一員に迎え入れる。
黙して語らない彼女を…それはもう自然な流れで、普通かつ当然のように、だ。
…あり得ないほどの適用力と包容力。
そして、優しさ…
気付けば、キナは当たり前の様にポート・ナナンの酒場で看板娘の一人として働いていたという。
それが、キナという人物。
ただそれだけの少女。
怪しむ人もいれば、
その容姿を羨む者もいる。
キナを金袋に見立てるものもいた。
けれども、ハイデマン家は気にしない。
渡さない。
見捨てない。
美しく、
若く、
快活な女将…
──勇者に愛された、バズゥの姉は気になどしない。
ただあるがまま、
キナは、
ただの「キナ」として受け入れられた。
しかし…当然ながら全員が無条件で───、というわけにもいかない。
全てが穏便に受け入れられるはずもなく、
一部の人はキナを警戒する。
教会関係者、
村の有力者、
バズゥ・ハイデマン…
勇者の
───自らは何も動かない割に、余計な口だけを
金の匂いがする、美しき従者を独り占めする酒場に対する
───分け前を……キナそのものを差し出せと言わんばかりの、金の亡者のごとき村の最大の有力者。
そして…
密室的な、濃い関係を築いていた家族の間に割り込んできた、得体のしれない少女を怪しむ、バズゥ──
───両親も他界し、ただ唯一の肉親であった姉を心配し、独占したい…
3者ともに、自らの価値観を狂わせるキナを
だが、強権を発動するにも根拠はなく、法もない。
厳密にいえばキナは存在しないも同然なのだから。
酒場に住み着いた得体のしれない流れ者。
それがキナの立ち位置。
キナは…
キナの自由意志で酒場にいるだけ。
先代勇者を除けば、それをとやかく言うことは…
むろん、その酒場の関係者を除いてだが。
だからこそ…バズゥ・ハイデマンは
キナを
……
…
こうまで、バズゥが頑なになるには相応の理由があった。
キナが捨てられる前のこと、
ある日、
異物が入り込んでいたのだ。
それは、かの有名な『勇者』その人。
強者である先代勇者が酒場に入り浸り、
最愛の家族である姉に色目を使っている。
──あまつさえ、手を出したことを匂わせる
しかし、一介の猟師に確たる証拠もなければ…糾弾できるはずもなく、
ましてや、バズゥは姉にとって弟でしかなく、色恋に口を出せるはずもない。
なんとかしないと、
なんとかしないと、
なんとかしないと、
焦るバズゥを
なんの前触れもなく、
───
容姿などどうでもいい。
勇者の従者、
勇者の関係者、
勇者の仲間、
勇者の
勇者の
勇者の
……
俺の空間に異物がいる、とバズゥは判断し───
それを──────
邪険にする。
排除しようとする。
それが彼にとっての、
バズゥの世界にとっての普通だ。
だが、姉が認め家族として扱う以上、バズゥには強制することはできない。
……姉は、彼にとってたった一人の肉親だ。
そうして、
それがキナの日常で、
流れ着いた先での、───最初で最後の人生だ。
キナにとって、
足の不自由な少女にとって、
勇者に置き去りにされた者にとって、
ここ以外に行く場所などない、と。
……
…
それが、ポート・ナナンにいるキナという少女…
バズゥと、
エリンと、
キナが家族になるずっと前の話───
潮騒の村で、
海鳥の声が響く
さざめく磯と、
寂れた港───
まだ、二人。
たったの二人。
そこで生きていた二人の
キナが家族になるずっと前のこと…
勇者に置き去りにされ、
途方に暮れた少女の悲嘆と、
場末の寂れた酒場の、ありふれたただの苦労話───
ただそれだけ…
それは、どこにでもある話。
女好きの勇者が去り、
女は置き去りにされ──
やがて、
月日が流れ…シコリを残しつつも、変わらぬ3人の酒場。
貧しくも、訪れた日常。
勇者のいない日常…
いつもの日常。
日常の───
……
…
そこに変化が訪れたのは先代が去って数か月後のこと───
キナの目に映る日常は、
辛く、
怖く、
緊張を強いられる日々だった。
……
バズゥ・ハイデマン。
無学で浅慮、、
心根が
視野は
いつも、
いつもいつも、
いつもいつもいつもいつもいつも、
何かに…
私に怒っていたと───
そのバズゥが、
ある日、物凄く怒り狂っていた。
何を?
誰を?
また、私を??
暗く辛く恐ろしい日常だったが、
救いもあった。
バズゥの姉は優しく、美しく、親切だった…
その人に変化が、
そうだ。
明確な…
明確な変化が訪れる。
一家の大黒柱で、中核で、全て──…だった姉が妊娠していた。
誰の目にも明らかな、膨らんだお腹は、紛れもなく妊娠の兆候…
時期的にも、
対象も、
勇者しかありえない───と、
それに気付いたバズゥが叫ぶ。
怒鳴る。
当たり散らす。
怖い…
怖い…
怖い…!
彼の声が、
彼の心が、
彼の目が、
明確に語るのだ───
クソ野郎!
クソ野郎!
クソ野郎───と、
聞こえる、
耳を塞いでも、
目を閉じても、
心を押し殺しても、
…
聞こえる…
彼の怒りと、やるせない…声が───
……
ッ!
クソ野郎…
……あのクソ野郎の子供だ。
子供だ…
コ、ドモ…
子供だ、と?
……
…
そう語る目…──
彼の──バズゥ・ハイデマンの、あの目。
あんな恐ろしい目は…今まで見たことがない。
彼の最愛の姉が、妊婦と知れたあの日から…
何かが変わった。
バズゥ・ハイデマンの心も──…
人との
お店の経営も、
この場所も───
それまでは、貧しいながらもなんとか遣り繰りしていた酒場。
看板娘たるバズゥの姉の献身的な努力のおかげで、一家が不自由なく暮らせていた生活も───立ち行かなくなる。
猟師としては、まだまだ半人前のバズゥの稼ぎで食えるはずもなく…
足の不自由なキナに、一家の生活が支えられるはずもなく…
いつの間にか、追い詰められていたハイデマン家。
……村人は冷酷だった。
ただでさえ、田舎で閉鎖的な村。
流れ者のハイデマン家は
村に住み着くことができたのも、本当にタイミングが合えばこその奇跡だったのかもしれない。
そんな、元よそ者が…
あとは語るのもおぞましい…貧困の日々。
どうしても、今までのように働けないバズゥの姉では、酒場の経営など上手くいくはずもなく…料理の味は落ち…
サービスは低下し、
清掃すら
そして、
拍車をかける様に、負の連鎖が店の雰囲気を落としていく。
暗く、
汚く、
サービスの悪い店…
当然、
客足は遠のく。
年若く、美しいバズゥの姉を目当てにしていた客も、
代わりにキナを目当てにした、ガラの悪い連中が集まり始める。
キナは、バズゥの姉の様に…酔客を上手くあしらうことができない。
それがさらに、ガラの悪い客を寄せ…通常の常連は減っていった。
とは言え、
ハイデマン家には男手がある。
猟師として外に出ることが多いバズゥとて、立派な青年。貴重な男手だ。
その彼をして、手をこまねいていたわけではないが…
不愛想な男の
むしろ、
コミュニケーション能力は低いのか、口下手で…すぐに手が出るため、ガラの悪い客すらいなくなる始末。
バズゥはバズゥとて、それが悪いと気づかず、
原因となるキナに冷たく当たるものだから、それを
もう…
本当に、どうにもならない状況にまでハイデマン家は追い込まれていた。
常に漂う倦怠感と、
ピリピリした空気…
オドオドしたキナと、
イライラするバズゥ、
無理がたたり体調を崩しがちのバズゥの姉、
ハイデマン家は当時…崩壊寸前であった。
たった一人、
キナが家に来て…、
バズゥの姉が
それでも、
それでも、バズゥの姉は気丈に振る舞い、店を何とか継続させていく───
キナも懸命に働き、脚が不自由ななりに努力し…必死で料理を覚え──接客に
それでも、
それでも、好転しない事態。
減り続ける蓄え…
崩壊の時は、刻一刻と近づいていたが───
転機は、唐突に訪れた。
……
子を
当然だ。
そして、例にもれずバズゥの姉も…
子供を産んだ。
誰とも知れぬ子を──
いや、
誰かなんて…言うべきところではない。
この村のものなら、誰しも知っている。
それしか考えられない…
女好きで、
状況も、
時期も、
環境も、
彼以外にあり得ない。
バズゥ・ハイデマンの姉の子供…
それは、
勇者の子だ。
その事実を知った時のバズゥの顔。
その目、
その心───
姪は勇者の子だ───と、
なんてこった……
子供…
子供…
子供だと?
誰の?
誰?
決まってる!
知ってるだろうが、俺はよぉぉぉ!!
……
勇者だ。
勇者だ!
勇者勇者勇者勇者勇者
勇者ゆうしゃ、ユウシャ、ユウシャ───
あ、
あの、
勇者の、
あのクソ野郎の…
おあああああああああ!!
ふ、
ふざけんじゃない!
ふざけんじゃねぇ!!
大事な、
大事な俺の姉貴だ。
姉さんだぞ!!
たった一人の肉親だぞ!!??
それを……
遊びだか、
何だか知らねぇが…
てめぇの性欲を満たすためだけにぃぃぃ!!
遊びのためにぃぃ!!
があああああ!
あ、
あの野郎、
オマケに
俺の姉貴が
俺の姉さんが
あああああああああああああああ!!!
あのクソ野郎ぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!
バズゥは
……
そうだ。
もはや疑いようもない。
産婆すら手伝いに来ない、田舎の潰れ掛けの場末の酒場。
その住居の片隅で、
助産で疲れ果てたキナが、お湯を入れたタライを準備する───
そう、
準備する……
その横で…
姉の腕に抱かれ…すやすやと気持ちよさげに眠る赤子。
生きている。
眠っている赤子。
それは、
それは、
まだまだ赤子だというのに、
ああ、感じる。
…やはり、あの勇者の子だからだろうか。
身体的特徴に類似点はところどころある。
目、
肌、
耳、
鼻、
毛
───雰囲気。
間違いない。
勇者の子だ…
…先代勇者と、
姉貴によく似た
どこかで、
心のどこかで間違いであってくれと願っていた。
分かってはいたが…
生まれるまでは確信は持てず…姉貴の体から離れて──はじめて自律的に生きている勇者の因子を見て、
バズゥ・ハイデマンは抱く。
怒りを。
そして、
同時に、薄れ始めていた
まるで俺を
聞こえる。
バズゥの静かな怒気を感じたのか、赤ん坊が目を覚まし、その澄んだ目でバズゥを見上げた。
その目は綺麗で、
とても綺麗で、
それはそれは、
とぉぉぉっっても綺麗で、
綺麗で、
キレイで、
とても、
とっても綺麗───
ああ、
あは、
ははははは───
……
あああああああああああああああ!!!!
あの
俺を笑う
……
…
……
…
黙れ!
黙れ!
黙れ黙れ黙れ!!
うるさいうるさいうるさい!!
死ね死ね死ね!!!
あぁ!
あぁ!
そうだよ!
そうだとも!
殺す、
殺してやる、
ぶっ殺してやらぁぁっぁぁぁっぁ!!!!!
ああああああああああああああああ!!!!!
があああああああああああああああ!!!!!
───バァァァァン…
……
いって…
体のどこかが切れた様子で、茫然とした愚かな弟…
バズゥの姉は、様々な感情を乗せて…最愛の家族を
産後の衰えた体力で、
産婆の手伝いもなく、キナ一人の手を借りて子供を生む───危険な行為の果てに…
鬼と化した…
殺人鬼未満の弟を討った。
彼の猟銃で、
弟を、撃った……
……
…
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