第91話「暖かい寝床」
「よいしょっと…」
グググっと、力を込めて
切断面から
現在地、
真夜中のメスタム・ロックの兵舎外縁部……のやや内側──
バズゥはその真下でロープを引き、都合5体目の
血抜きをする適当な場所を探していて、ここが目についた。ただそれだけ。
周囲に漂う濃密な血の臭いに
臭いに咳き込みつつ、
獣臭と血の臭いが染み付いた手を、作業を終えたと同時に大雑把に払う。
『
血抜き作業は、言ってみれば──タダの単純作業の連続。
作業というほどでもない。
大雑把に言えば、首を切り落として逆さに釣り上げるだけだ。
その作業に合わせて、
なにより、肉質が柔らかく作業しやすい。
熊の解体に比べれば
難点と言えば脂身の多さだが、
それもやり
切り口さえ分かっていれば
スキル『解体』も有効に作用している。
レバーと心臓だけ取り除くと、他の部位は捨てる。
熊なら、肝が売り物になるが、
故に、食うものはこの場で食い。
棄てるものは棄てる。
……小腸なんかは洗えば食えるのだが、脂身が多く下処理が大変だ。
無理して食べるほどのものではない。
一応売り物になる部位ではあるので持ち帰ってもいいのだが、値段はそこまで高くない。
5匹も仕留めたことを考えると、手間の方が大きいだろう。
故に、明日の朝飯用と、お土産以外の部位はいらない。
キナへの土産は、やはり背骨部分の肉と骨髄…───それに胃袋に
あとは皮下に山ほどついていた背油だ。
これをバズゥの
臭いが酷いが、一晩放置すればこの気温のこと…冷えて
内臓の山から手早くそれらをより分けると、残りは地面に埋めてしまう。
別に放置していても問題ないのだが、ただでさえ臭いのきつい血抜き作業だ。
これに臓物臭が加われば作業効率は落ちるし、なにより他の雑食性やら肉食の中型獣を誘い込んでしまう。
今更と言えば今更…
血をぶちまけている以上、同じことだが、
食える部位を放置して、鳥獣を寄せるくらいなら埋めて少しでも臭いが拡散するのを防いだほうがいい。
これが、肉なしの──討伐任務だけなら放置してもよかったのだが…
なんたって、山程の食用肉。五匹の巨大な猪だ。
これを
鳥獣などの中型獣が脅威というより、
せっかくの
…
念のため、周囲に獣除けの薬を撒くとは言え、直接肉にかけるわけではないので獣避けの効果は半減する。
そのため、少しでも獣に荒らされるリスクを避けるため、使わない部位は埋める方が良い。
大型獣だけあってかなりの量の内臓だが、幸いにも哨所の器材庫には大型エンピも格納されていたため、穴を掘るのはそれほど苦にはならなかった。
力は常人よりもかなり強いと自負している。
天職レベルMAXだということを実感できる瞬間でもあり、苦も無く堀り進めていく。
こうした力仕事に精を出してみると、戦争前の自分では考えられないほどの
大型エンピ一つで、驚くほど短時間に大型獣5匹分の内臓を埋める穴が完成する。
そうして、大型獣の内臓を始末すると、
残った頭部を
その回りに、兵舎にあったベッドから
さて、
その周囲に別の上位個体がいるとは考えられない。
仮に、モリの死体を保存した土饅頭を作った熊がいたとしても、近くにはいないだろう。
──これほどまでに縄張りが荒らされても奪い返しに来ないのだ。
理由は定かではないが、近くにはいないと考えられる。
…熊には熊の事情があるのだろうか。
可能性としては、
その個体が死ぬか重傷を負って動けなくなった、
あるいは、保存食よりも魅力的な餌を見つけてその追跡に終始している、
はたまた、別の縄張りで保存食を見張っている──等だろうか。
絶対ではないが、経験上……近くにいないような気がする。
とはいえ、
それだけでは
──できないが、それでも睡眠をとるくらいの余裕はあるだろう。
さっき眠りこけていた…──
さて、今度こそ熊の接近を教えてくれよ、と願いを込めんばかりに、再度
予備のロープを連結し、しっかりと余長をとって鳴子を張りなおすと、バズゥは兵舎に引き返した。
やれやれ、
二度寝ならぬ、二度酒……再
たいして苦戦もしていないが、銃を何発も撃っているだけに神経が
そのため、酒の力を借りることにする。
さっきは、仮眠で押さえるつもりだったが、今からは酒の力も借りて寝付く予定だ。
もちろん、山中の事──ベロンベロンに酔うつもりはない。
そうと決まれば、簡単にツマミを準備する。
使うものは軽易で──かつ、手間いらずのものがいい。
──ならば、おのずと決まってくるというもの。
手元には新鮮なレバーと、心臓がある。
流石に5匹分、全部というわけにはいかないが、一つ二つ調理する分には、腹を満たす程でもないだろう。
というわけで、レバーと心臓を持って、王国軍兵舎に併設されている簡易な厨房へ移動する。
この厨房で借りた鍋に、レバー2つと心臓1つを入れると、薪式のコンロの前に立つ。
傍には調理台もあるため、使い勝手は良さそうだ。
そこに鍋をコトリと置き、
これだけ新鮮なら調理は手間いらずだ。
寄生虫がいるから気を付けろと言われているが、バズゥは当たったことがない。
昔から、レバーは新鮮な内なら生で食べる事ができることを経験上知っていた。
そのため、丸々一つをスライスし、まるで果実のごとく器に盛り付けていく。
新鮮そのもののレバーは弾力があり、刃の通りが
それを、厨房にあったナプキンを敷いた器に盛り付けた。
その上から、夕飯の残りであるニンニクの摺り下ろしをトロリとかけ、さらにオリーブオイルを回しかけ最後に塩で整えると──
簡単極まりないが、これで一品…生レバースライスだ。
最後はもっと手早く行う。
スキル『点火』で点けたコンロに、フライパンを乗せ、スライスしたレバーと心臓を乗せて炒めていく。
ある程度火が通ったのを見計らい、
ニンニクを切らずに、皮だけ
レバーもそうだが、特に心臓からは血がドバドバと
すると、ジュワワワワーと盛大に水蒸気を噴き出し、ブラウンソースを作りながら昇華していった。
心臓は特に弾力があるため、シッカリと火を通した方が良い。
そのため、フライパンを揺すりつつ全体に
良く熱を通した後、器にフライパンから器に移して、
塩でおざっぱに味付けし、メスタムハーブのざく切りを
最後は、余熱でしっかりと
これでラスト一品、
レバーと
臭みをニンニクと香草で消し去り、
夜食ともツマミとも言えない微妙に手の込んだそれは、バズゥの手によって極めて短時間で仕上がる。
さて…
本日二度目のメスタム・ロック産の肉だ。
誰もいない兵舎の食堂兼リビングのような空間に運ぶと、床にドカっと座り暖炉の前に陣取る。
もう、待ち伏せの意味はない。
これだけ濃密な血の匂いをさせて潜伏も何もないだろう。
室内に積み上げてあった薪を暖炉に放り込むと『点火』スキルで着火。たちまち赤い火が燃え広がり、暖炉の中を灼熱地獄に変えると──その前に座る者には、温かな空間を提供した。
火に浮かび上がった床には、ところどころ血痕が見て取れる。
当然そこを避けて座ったバズゥは、皿を床に置き── 一礼。
手を合わせて、
命を───頂きます。
……
…
さて、実食。
厨房から
シャクッとした歯ごたえに、表面の皮を破る感触。スライスの中心部分は柔らかくグニグニと噛み切れる。
プンと血の風味を鼻に感じたが、強いというほどでもなく一種の癖として楽しめるほど。
ニンニクのピリリとした味わいに、オリーブオイルの甘味が加わり、レバー本来の癖と肉々しい味が口内でミックスされ…
旨っ!
まさに酒に合う一品だ。
多分、好みの別れる味だろう。
それにしても、生でこの味───新鮮なことは偉大である。
モグモグ、ぐびぐび……
プハー。
……
それではお次、
このレバーと
香りからして実に食欲を刺激するのだが、やはり血合いの独特の臭いが鼻を衝く。
生や血の風味が苦手な者にはこの時点で敬遠されそうだが、好きな者にはわかる味。
ニンニクとハツ、レバーと──フォークにまとめて突き刺し口に入れる。
まず鼻を衝くのはレバーに匂いと、あとからくる臭み消しのニンニクと香草の香り。
それらが、強烈な臭みを消し去り口内で中和する。
残ったのは新鮮な肉にある旨味と甘さだ。
甘味の源泉は、脂だろうか。
比較的脂の付着の少ない臓器だが、
故にうまいのだが、それ味はやはりレバーとハツにもしっかりと滲みていた。
それだけにとどまらない、レバーの癖と風味、ハツの弾力と肉の力強い味。
どちらからも感じられる血の癖のある味わいと、血由来のクリーミーな後味。
むぅ…酒飲みをして、
これだけで何倍も酒を飲めそうな一品だ。
……
実に、うまい!
真夜中に食べるにしては、贅沢に過ぎる逸品だが、
バズゥは
背後に馬の気配を感じたので、まるでソファーにでも座るかのように背中を預けると、リラックスした姿勢でメスタム・ロックの夜を過ごす。
あとは───
小物の始末だ。
彼らには申し訳ないが、
俺がありがたく
スッと細めた目で見通す視線の先、
兵舎の外の広場に並べておいたのは
その現場を遠くから眺める。
まるで、儀式のように並べられた五つの首は、ガラスのような瞳で闇を写すのみ。
あれは、
罠だ。
狙いは一つ。
熊でもなく、
人でもなく、
彼等の
スキル『山の主』は、はっきりと気配を捉えている。
だが、逃がすのも惜しいし、
これ以上夜間に山中を駆けずりまわりたくない、という思いもある。
俺ぁは、若くない。
それなりの歳なんだよ。
……
大人しく、日が登るのを待つべきだろうな。
そう結論
一度、深く眠ったおかげか、さほど眠気は感じないが疲労感はある。
その疲労感に、身を任せて目をつぶる。
馬の体温を背に感じながら、暖炉の発する暖気を受けていると、まるで快適な宿にでもいる気分だ。
我が家の居間に比べれば、
窓もドアも開け放っているというのに、贅沢な使い方のお陰で寒いどころか、汗ばむほど。
まったく、我が家と来たら暖房器具といえば
あとは、布団をひっ
昔は、火鉢だとか湯タンポがあったはずだか……
キナの借金の肩に持っていかれたらしい。
暖炉の灯りを
粗末な
囲炉裏と、一組の布団───
殺風景な居間には、キナが一人……
バズゥが帰るまで──彼女はあの空間に一人、か。
キッツいなぁ……
キツ過ぎるよな。
帰ってきてから数回、キナと床を供にした。
寒い室内、
乏しい囲炉裏の火では暖を取ることができずに、互いに身を寄せあった。
──二人であの寒さ。
一人でいた時には、キナはどれ程の寒さと、寂しさと、悲しさを感じていたのだろう。
思えば、今も彼女は一人。
あの殺風景な部屋でバズゥを待っているのだろうか。
彼女がキーファや、他の男に
ある意味、
周りの人間が、あまりにもクソ野郎に過ぎたのかもしれない。
キナはあの性格だ。
ちょっとでも甘い言葉と優しい仕草で
だが、
それらの腹芸を使う奴すらなく、金と性欲と独占欲にまみれたクソ野郎しかいないお陰で、彼女は自分をギリギリで護ることかできた。
感謝するようなことではないが、
──クソ野郎に花束を。
キナに今度はない。
現状を知った以上、護ってみせるさ。
……
バチバチと、樹脂が弾ける音を聞きながら、暖炉の火を感じ…
──同時に、昨夜のキナの温もりを、暖炉との温度差として──
そして、遠い空の下で一人…暖を採っているであろう姪……エリンのことも、ジワリと
二人は温かくしているだろうか、と。
同じ布団で温もりを共有したい欲を
お前たちは、俺の全てだ。
離れて、
危機を感じて、
必要とされて、
会いたくなって……
初めてわかった。
だから、
キナに
エリンに帰れ、と…拒絶されても──戦場で
何が敵であろうと……
──俺は戦おう。
一度は逃げた身。
もう、
散々バカにされ、
延々と後悔し、
女々しく涙した。
残ったのは、家族だけだ。
俺には、
…俺達には優しくなかった。
だから、
土地じゃない、
隣人じゃない、
世界じゃない、
……
俺は
そして、
そのためには、
がめつく、
……
…
夜の闇と、
そして、戦闘の興奮が
バズゥは、少しずつ世界を拒絶し、内に
ヘレナやアジ、カメやジーマらとの関わりがあっても、それはキナやエリンに比べれば、
所詮、金や店ありきの付き合いであって、無償の愛情ではない。
家族とは違う。
バズゥはキナに金銭的な見返りは求めないし、
キナも同様だと思う。
エリンなら言わずもがな。
あの日の拒絶は…………何かの間違いであったと思う。
……思いたい。
──今なら、多少の根拠もある。
キナと話してわかった
……
それは、昨夜のこと……
※
狭く寒い部屋で、一組の布団をキナと一緒に使い眠った夜。
彼女の小さな体が、妙に硬直するものだから、バズゥも
もちろんそれだけではなく、
夕方近くまで寝ていたというのもあるだろう。
だが、ゼロ距離で体温を感じるキナは、思ったよりも
元より、身内の
その少女が、
吐息を感じるほどの距離。
そこにいるのだ。
互いの心音まで聞こえそうで、それが余計に心臓をざわつかせた。
──ったく、なんで家族相手にドキドキせにゃならん。
プイすとソッポを向いたバズゥ。
その背中にコツンと、頭を預けたキナの感触を感じて、自然と腕を曲げて頭を抱き締めてやった。
顔は見えなかったが、フルフルと震えて泣き出しそうな気配を感じたからだ。
キナは先日から泣いてばかりだ。
ったく、しょうがねぇな…と、
髪を
「どうした?」
泣きたい理由が多過ぎる気がして、バズゥには判断がつかない。
借金のこと、
バズゥのケガのこと、
家族と過ごす夜のこと、
自分の不甲斐なさを嘆くこと、
今までの苦労を思い出したこと、
……
その全てかもしれないし、
全く予期せぬ理由かもしれない。
「キナ…どうしたんだ?」
だから、
「うぅ……バ、バズゥぅぅ」
ジュルリと…シャクリあげるキナ。
せっかくの美人さんが台無しだ。
ほぼゼロ距離だが、思わす苦笑が浮かんでしまう。
そこには、バズゥにとって男女のそれはない。
ヒクヒクと喉を震わせ、
「鼻水すげぇぞ? ……で、どうした? 暑いか?」
暑いはずがないのだが、自ら答えを聞くのはなんとなく
キナはプルプルと首を振る。
フワリと石鹸の香りと、キナのよい香りが鼻をついて、少しドキリとする。
「わ、私……バ、バズゥを大変な目に合わせてる」
語尾が
キナは蚊が鳴くようにポツポツと
「バ、ズゥが…帰っできで、嬉じがっだ。でも、恥ずかじくもあっだの…」
「……お前が気にすることじゃない」
──俺の、俺達家族全部の問題だ。
「うん……、!? ううん! ……そ、そうだげど、そうじゃないの!」
「ん?」
肯定し、否定し、
また肯定するキナ。
言わんとすることはなんとなくわかる。
自分の問題が、家族に降りかかったことは認識している。
だけど、気にするなというバズゥの言葉を
自分の愚かさと迷惑をかけていることは、しっかり心に刻んでいる。
だけど、今言いたいのはそれじゃない。
キナはそう言いたいようだ。
───わかってるよ。
バズゥは頭をポンポンと、優しく撫でた。
「う、うん……」
キナは不安そうにバズゥの目を覗き込むと、
「
ズズズと鼻をすすり…
スゥと暗い顔で、視線を落としたキナ。
ん?
「エリンのこと、ね? …………バズゥの話を聞いて、私……」
キナは、
ハイデマン家の一員として、エリンを見てきた。
そんな彼女の視点から感じた、バズゥをして気付かなかったことを話す……
それは、バズゥ帰郷の日。
その日に聞いたエリンとの話から感じた──違和感について…
彼女の話は、
バズゥからすれば救いであり、
キナにとっては…───
キナは、それをすぐに伝えなかった自分を恥じるとともに、
自らの身の内に救うヘドロのような感情に嫌悪感抱いた。
だが、それと同時に、
どうしようもなく、
ヒトで、
女で、
キナという人格だった。
それを、涙ながらにバズゥに
途中でバズゥの顔色を伺いつつ……
キナは、
知りうる全てを
いつの間にか夜が明けるほどに、
時間を忘れるほどに、
涙のほどに、
そうして、
明るい朝日に払われて……酷く晴れていた。
※
今日のメスタム・ロックも同様、
抜けるような空のもと、白む天の先。
まだまだ薄暗くとも、十二分に行動できる時間帯。
仮眠と思考の狭間にいるバズゥは目を覚ます。
「__っ……」
ポツリと女の名を
彼は今日も
バズゥ・ハイデマンの朝が来た─────
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