勇者を取り巻く裏事情2(後編)



 バズゥ・ハイデマン。



 彼は、

 孤独で、無口で、無愛想で、


 とても可哀想な人───


 家族を守り、

 家を守り、

 姉を守っているつもりでいた人。


 彼と、彼等は、

 流れ流れてこの地に来たという。

 バズゥ──そして、その一家のことだ……


 彼らの両親はこの地の墓地で眠るというが、決して土地の者ではなく。

 どこか距離を置いて村の人は接しているのが見てとれた。


 その彼らに棲み処すみかに身を寄せる私は、さらに肩身が狭く…

 ───寂しい。

 …唯一ゆいいつ優しくしてくれたのは、バズゥの姉──その人のみ。

 彼女は勇者の子を身籠みごもり…そして、出産した。


 それが契機となり、

 決定的に壊れたバズゥの心は──人を…

 ……子供を殺す一歩手前まで行きつき。


 子をかばった姉に撃たれるという、最悪の事態になった。

 ──なってしまった…


 ドクドクとあふれる血は…止まらず、

 内臓すら傷ついていている可能性がある。


 彼はしばらく平気そうにしていたが…撃たれた傷は思ったよりも深く──今はピクリとも動かず、部屋の隅でうずくまっていた。


 濃密な血の匂いが立ち込めている。


 そこに混じる様々な臭いせいで、室内はせかえるような、異様な空気となっていた。


 産後の独特に血液臭に混じり…

 新鮮な血と、胆汁の混じったような匂い。


 生と、

 死の、

 二つの匂いだ───


 ……


 …


 そして、生と死がまさに混じりあっている。


 喉がつぶれたかもしれない赤子は、青い顔でぐったりとして動かない。

 撃たれた男は、ピクリともしない。


 借り物の猟銃からはいまだ硝煙が立ち昇り、その出来事がほんの数秒前のことだと分かるが…

 まるで何年も経ったかのように、

 時間の経過を感じさせない気疲きづかれがある。


 部屋の空気は凍り付き、誰も動かない。


 バズゥの腹からこぼれる血がジワジワと床に広がる、ドロリとした動きと、

 くう棚引たなびく硝煙の、ゆっくりとした動きだけが、時間が変わらず経過していることを示していた。


 それでも、居間の空間は時間が止まったかのようだ…


 私には何もできない。


 無力で、

 邪魔で、

 愚かな私には…




 ……


 …




 …キナ、バズゥをここへ連れてきて──


 バズゥの姉が発した言葉に、解呪の魔法でもかかっていたかのように、時間が動きだした。


 彼女が動く…

 産後の衰えた体力で、

 弟を撃ってしまい、苦悩に歪むその顔で、

 ──疲れはてた精神のまま……


 ゴトンと、床に転がした猟銃に目を向けることもなく、彼女は動く。


 重い、

 濁った粘性の高い溶液にいるかのように、動くのも億劫おっくうな時間と、空気の中で──


 彼女は動く。懸命に、


 ゴロンゴロン、ゴ……

 ユラユラと揺れる猟銃は、機関部を下にしてズッシリと鎮座ちんざ

 

 その音で決定的に時間が動き出した。


 ようやく追い付いた思考に、ハッとする。

 キナは不自由な脚を引きって、バズゥを一生懸命に運んだ。

 ズルズルと引っ張るものだから、血がしみ込み床に引きずった痕跡をまざまざと残している。

 …構うものか。


 バズゥの姉はキナに頼んでバズゥを運ばせたあと、意を決して目を見開いた。

 その腕に抱かれる赤子は動かない。

 ピクリとも…


 口からはタラーっとよだれが零れているが、それは決して睡眠中による唾液の流出などではない。

 それは分かる───


 首に力は入らず、ダラリと垂れる………ソレ。 

 生きているのだろうか、と。

 

 キナがオドオドとしている間にも、バズゥの姉は寝床を這い出すと、

 キナに赤子を預けた。



 どうするのか見守っているキナを差し置き、

 彼女は血の気を失った顔で、赤子には目もくれず…弟を抱き寄せた。



 キナは思う。

 何をするの…? 


 子供はどうするの?


 ねぇ?


 どう、するの?



 ……


 …


 呆然と眺めるしかできないキナ。

 その視線の先では、彼女がバズゥの頭を掻き抱いていた。


 ううぅ、と零れる嗚咽に混じり、

 ───ねぇ、バズゥ……どうしてこうなったんだろう。

 ……そう、ポツリと彼女の悲鳴を聞いた気がした。

 

 それは、バズゥの姉のあきらめではない。

 キナは知っている。

 それを知っている。

 彼女を知っている。


 バズゥの姉の強さを…彼女の心根こころねの芯の太さを。



 癒せ!

 癒せ!


 ああ、

 ああ、ああああぁぁぁ!!

 

 血を流し、意識のないバズゥの傷を癒すため、…バズゥの姉は衰えた体力で『スキル』を使って癒す。


 回復系としては下級も下級…両親譲りの『治療士』。

 そのスキルでもって、バズゥの姉は使い慣れないスキルを使って弟を癒す。

 傷の程度は分からない。

 生きているかも死んでいるかもわからないが、救わねばならないと…

 愚かで愛おしい弟を救いたいと───彼女は癒す。



 この時点で、バズゥの姉は残酷なトリアージを行っていた。


 弟か、

 子供か、 


 そのどちらかを───


 救おうとする。

 

 救わんとする。


 無駄だとか、

 残酷だとか、

 偽善だとか、


 そんなんじゃない!

 ただの必死。

 助けたいその一心。


 壊れた何かを直す──その、考え一色だけだ。


 癒す。

 彼女は癒す。


 それが、できるからやる。


 キナは、できないからやらない。

 やれない。

 やりようがない。

 やりたくてもできない!!


 ……

 

 …


 どれくらいの時間が経過したのか。


 いつのまにか、

 濃密に漂っていた血の匂いが薄れていた。

 血が床にみこみ、

 液体から固形に…そして染みになる頃には、

 スキルに効果によるものかバズゥの息が穏やかになる。


 傷は塞がったとて、助かるかは別。


 内臓は無事だったのか…


 なにもかわからない。

 わかるはずがない。

 誰も、この場の愚かな者たちにはわからない。


 …実際の怪我の程度は、本人にしか分からない。


 ただ、間違いなく大量の血を失っていたことは認められる。

 それだけでも命の危機にあったはずだ。


 失った血は…元には戻らない。


 あとは神のみぞ知る。

 

 やるべきはやった。

 彼女はした。

 救おうとした。


 ──下級スキルを行使こうしして、救命に努めるバズゥの姉。


 撃たれたバズゥ。

 意識のない赤子。

 大量の発汗で顔面蒼白の姉。


 ボウっと、そんな3人を眺めるしかできないキナ。


 ……


 …


 そんな血なまぐさい一日がエリンの生まれた日だった。


 …おめでとう───エリン。エリン・ハイデマン。

 おめでとう。

 オメデトウ。


 生まれてきておめでとう。







 エリン、お・め・で・と・う───







 ……


 …



 奇跡と

 陳腐ちんぷ


 それとも勇者の加護か?

 神様の思し召しおぼしめしか?



 くっだらない……



 だが、


 バズゥ・ハイデマンは生きていた。

 おめおめと生き残っていた。


 まぁ、

 理由は色々あったのだろう。


 比較的、小口径の銃であったこと。

 狙いが不正確で、急所を外していたこと。

 治療が早く、止血が間に合ったこと。


 ───彼が生きることを望んでいたこと。


 ……


 衝動的に姪を殺そうとしただけに、バズゥという男は激情に支配されやすいのだろう。

 その衝動が向かったのは他者への攻撃性で、自分への自傷でなかった。

 そのことからも、簡単に生きるのを諦めるような人物ではない。それだけはわかる。

 

 多分、

 どんな環境であっても、

 どんな地獄であっても、

 ……生き残りをかけて、

 這いつくばって、

 泥をすすってでも生きる。

 恐ろしいまでの生き汚い精神を持ち合わせているはず…


 失血のため、顔色は悪いが最低限の栄養は与えていた…


 その、

 私が。

 口で、ね。


 ゴニョゴニョ……


 うん、

 彼は……

 バズゥ・ハイデマンは──

 とても怖い人だけど、

 彼女・・の大事な肉親だ。

 

 ないがしろにはできない。

 

 ……


 額に浮いた汗を、タオルをしぼってぬぐい取ってあげると、


「…キナ」

 いつの間にか目を覚ましていたバズゥが言葉を発した。

 数日振りの覚醒。

 深い、海の底のような目がキナを見据える。

「は、はい…」

 途端に、体がキュウゥゥと縮こまる気がした。

 だって、バズゥは恐い…

「子供、は…?」

 ジッと目を真正面から見られるとますます怖い。

 怖い。

 怖い。

 怒られる…

 怒鳴どなられ、る…?


 あれ?


 ──子供?


 …え?


「姉さんの子は…無事か?」


 …こ、

 この人は何を言っている?

 自分で殺そうとして、

 無事、か? だなんて───


「あ、当たり前です!」

 

 あ、

 反射的に乱暴な言葉を言ってしまった

 絶対怒られる。


「そうか…………」


 ふぅぅぅ…と深い息をつくバズゥを見て、呆気に取られると同時にフツフツと怒りが沸き起こる。


「あの…!」

「ん?」

 虚空こくうを見つめ、ボーとした表情のバズゥが、キナを視線で射抜く。


 う…

 キナの口がパクバクと──


「…なんだよ?」


 い、言わないと…

 何かを言わないと──


「なんであんなことを…!?」


 …あぁ、違う、

 もっとこう…キッツイ言葉でののしればよかったんだ。

 彼女とは違う、

 バズゥ・ハイデマンは意地が悪く、私に優しくない人なんだ!

 こんな時くらい、……一言ひとこと言ってもいいのに!


「…勇者クソ野郎の子だからだ」


 …クソ野郎、かー…───


「だ、だから、殺すんですか!?」


 …


「子供でも殺すんですか!?」


 ジっと、目を見るバズゥ。


「関係ない」

「か、関係ないっって…」

「子供だろうが、大人だろうが、老人だろうが関係ない」


 ピシャリと言い放つバズゥに、二の句が告げられなくなるキナ。

 

 …わかる。

 わかっている。

 このひとの、価値観というものを───


「でも、子供なんですよ!」

「……何歳ならいい?」

 小バカにするような空気を感じ取り、キナも反射的に反論を口にしようとして───


「家族を害するものは許さない。たとえそれが『勇者』とやらでもな…」

 そして、同時に…

「それが自分でも、だ」


 スー…と、

 布団から手を出し虚空に伸ばすと、グーパーグーパーと手を閉じて開くを繰り返す。

「自分でも、な……」


 手を開き、ジッと眺めるバズゥ。

 一体なにを考えているのか。


「馬鹿だったよ…俺はバカだ」


 …?


「姉貴が姉さんが認めた時点であの子は『家族』だったんだ」


 家族?

 それが、なんだっていうの?


「『勇者』は確かに家族じゃない。野郎は姉貴を捨てて、どこかに行っちまった───」

 ───お前も置いて、な。


 そう目で言われた気がして、心臓がドクリと跳ね上がる。


「だけど、子供は違うよなぁぁ…違うさ。あの子は姉貴の子なんだから………家族さ」


 バズゥは言う。

 家族だと。

 自分の感情はさておき、姉の子供である以上…家族なんだと───


 首を絞めて、

 目を見て、

 その奥にあるものを覗き込んだ時に…

 たしかに、自分と同じ係累だと──……

 姉と同じ血が流れていると気づいたという。


 自分の血でもある、と──


 ……


 ……勝手だ。

 勝手すぎる!


 そんなのは、生まれる前から分かっていたじゃないか!!


 妊娠していた次点であの子は血縁者だって…

 馬鹿でもわかることじゃないか!!


「勝手だよ…」


 キナは思わずこぼす。

「あ?」

 言いたいことも言えない割に、意図しない言葉は口をついて出る。


「勝手だよ! 勝手すぎるよ!」

 一度口をつけば、もう止まらない。

「バズゥ、…さんは、いつも、いつだって、今日も明日も明後日も昨日も一昨日も、勝手だよ!!」


 はぁはぁ…


「勝手だよ勝手だ勝手だ! 勝手すぎるよ! 家族が大事! 家族だけが大事! 家族だけ家族だけ家族かぞくかぞくカゾクガダイジ!!」


 カゾクガダイジ───


 カゾク


 かぞく


 家族


 家族って何よ…


「そんなものはどこにもない!」

 ない!

 ない!

 ない!

「私にはない!!」

 何もない!

 何もない!

 何もない!

「家族もない!」

 だって、ないんだもん!

 だって、ないんだもん!

 だって、ないんだもん!


「ない! ない! ない!」


 ずっと我慢していた。

 ずっと耐えていた。

 ずっと言いたかった。


 この場所にいるしかなくて…

 この場所以外に知らなくて…

 この場所しか存在できなくて…


 バズゥの姉に甘えた。

 彼女が、ここにいてもいいよと言ってくれた。

 彼女だけは優しくしてくれた。


 でも、

 それでも、

 どうやっても、


 血の繋がりはない。

 家族じゃない。

 ハイデマン家の一員にはなれない…


 なれない、

 なれない。

 なれない!


「───私には何もない!!!」


 ハァハァと肩で息をするキナ。


 今ここで言うような言葉じゃない。

 今は、バズゥの看病をする場面で、

 子供の無事を伝える場面で、

 みんな、無事だったよ…と喜ぶ場面で───


 私の、ねたそねみ恨みを言う場面じゃない…


 でも、

 でも、

 でも、


 どうして、あの子だけは家族だって言ってもらえるの?


 この偏屈で

 浅慮で、

 スケベで、

 無学で、

 不愛想で意地の悪い笑顔のない体の臭い鉄砲万歳のアンポンタンの猟師のバズゥから!!!


 ずるい!

 ずるい!

 ずるい!


 悔しくて、羨ましくて、眩しくて…

 生まれたばかりの子供に嫉妬して──ポロポロと涙を零すキナ。


「…うぅー…──」


 そっと、開いていた手をキナの頬にわせるバズゥ。


「…キナ。言っただろ───」


 と、バズゥの言葉をさえぎるように、

 バサっ! と、ばかりに酒場を住居を繋ぐ部分の垂れ幕が乱暴に持ち上がる。


 ニュっと顔を見せたのは、子供を抱いたバズゥの姉。

 その彼女が驚いた表情で顔を見せている。


 キナが叫んだのが、よほど珍しいのだろう。

 そして、気が付いたバズゥを見てほっとすると同時に般若はんにゃの如き顔で詰め寄る。


 子供に乱暴するな!

 起きたら手伝え!

 …キナをいじめるな!


 と、まぁ──

 次から次へとポンポン、ポンポンと口からいろんな事をまくし立てる。

 とても、弟を銃で撃った人には見えない。

 この辺の大雑把さというか、大らかさというか…抱擁感? がこの人の魅力なのだ。

 私もこの人の様になりたいと思う。


 ───バズゥがしたうのも分かる。


 彼女には……悪意がないのだろう。

 全てを許し、

 全てを癒し…

 全てを愛している。


 だから私もなりたい…

 この人に、

 この人の様に、この人の家族に、この家の家族に───


 涙を流すキナを片手で抱きしめ、バズゥの姉はヨシヨシと慰めてくれる。

 そして、バズゥを詰問きつもんし、キナを泣かせるなという。


 キナは心の内を吐露とろしたくて、たまらなくなる。

 それがこたえる。


 だって、

 だって、

 だって…!


 言えば、

 言ってしまえば……きっと止まらなくなる。


 それが余計に涙をあふれさせる。


 それを見て、

 ますます彼女がバズゥを問い詰める。


 何を言ったのか! と。


 何を言っていない。

 何も!

 バズゥは何も…


「何も言ってねぇし、何もしてねぇよ! ただ…」


 ただ、


「あの子が………姉さんの子供も家族だって…気付いたんだ───そして、姉さんが認めた時点で…」

 当たり前の事を言うなと、彼女は呆れている。──いるが…私は知りたい。

 聞きたい。

 家族だと認めたバズゥの心根こころねを。


 言って、

 話して?


 聞きたい……!


「───キナも家族だって、ただそれだけを…」





 家族…


 家族、と…?



 今、


 今、バズゥ・ハイデマンの口から───



 ……


 一瞬、涙が止まり──

 嫉妬しっとあふれていた、悔し涙が…

 熱い熱い、その涙が…


 その温度が変わる。


 ポタリポタリとこぼれる。

 再び、あふれる涙。


 同じようにしょっぱいだけの水分は──

 なぜだろう。

 なぜだろう?


 なぜ、か…

 暖かく温かく──


 とても、温かいソレはもう止まらない…


「うぅぅぅぅ……」


 ええ? と疑問顔のバズゥとその姉。


 キナが泣いている理由が分からない。

 ただ声と、

 そして顔が変わり、

 涙の理由が変化したことだけは、察することができたようだ。


 オロオロする彼女と、その弟。

 バズゥに至ってはポリポリと頭を掻いて、明後日を向いている。

 完全に我関せずにしたいようだが…狭い部屋の中でバズゥを囲んでいる以上そうもいかない。

 

 釣られて、腕の中の赤子も大声で鳴き始める。

 キナの泣き声とシンクロする、その声。


 うーうー、

 わんわん、


 うえええええんん!

 ふみゃーおぎゃー!


「やっかましいわ!」

 ズピシ! と、バズゥはキナの頭にチョップをかますとともに、

 その姉は、腕の中の赤子をあやす。


「あ、ありがとう…バズゥぅぅぅ」

 チョップをかまされながらも、キナは鼻水と涙でグチャグチャの顔をバズゥの体に押し付ける。

「だー…離れろ! 何だよいきなり? きちゃない! そして、照れるわ!!」

 赤い顔でキナを引っぺがそうと、グイグイと頭を遠慮なしに押す。

 それでも、キナは離さないとばかりにグリグリと擦り付ける。


 ついさっきまで、怖いだとか、臭いとか、アンポンタンとか思っていたとは絶対に言えない…


 だって、

 口には出さないけど───


 バズゥは、

 バズゥ・ハイデマンは優しい。

 とても、

 とぉぉっても優しい──


 …とても家族に優しい人だと知っている。

 キナを邪険じゃけんにしていたのだって、家族を守るためだと知っている。


 キナは…知っている。


 もう、バズゥはキナに冷たくしないし、怖くもない。

 にらまないし、邪険じゃけんにしない。


 だって、

 だって……

 家族だって言ってくれたもん。

 バズゥの家族だって言ってくれたもん。


 この人の家族だと言われたのは、これが初めてだけど…

 今後も言ってはくれないだろうけど…

 二度と聞くことは出来ないかもしれないけど…

 だけど、

 言ってくれた。

 言ってくれた、

 言ってくれた!

 もう、認めてもらった! そうだと思う!


 きっと、きっかけは『勇者の子』だ。

 いや、違う。

 今はハイデマン家の子…


 バズゥにとって、『勇者の子』というカテゴリーが崩れたためだろう。


 浅慮せんりょな彼のこと…

 『勇者』に対する恨みとも、対抗心とも言えない───言葉にしがたい怒りの感情が思考を硬直化し、『勇者の』──と付くものは、全て憎悪の対象だったのだろう。


 姉は…ともかくとしても、

 『勇者の』──『子』…は彼にとっては『勇者』に繋がる怨嗟えんさの係累でしかない、と。

 そして、キナも同様『勇者の』───だったのかもしれない。


 彼がキナのことをどう評価していたのかは知れないが…


 先日、

 激情に任せて『勇者の子』を殺そうとして、

 姉に撃たれたことで───何かが変わった。


 最愛の姉に撃たれて、

 また、その場で救われて…


 子供と自分の命を天秤にかけて───選ばれ、て。


 冷静になれたのか、

 それとも、ただ考え直したのかは知れない。


 いや、そもそも…彼に子供を殺す気があったのだろうか?


 キナは思う。

 撃たれなくとも…彼は子供を殺すことができたのだろうか? と───


 少なくとも、バズゥ・ハイデマンという人物が、喜んで人を殺すような狂った人種ではないことは知っている。

 どこにでもいる、偏屈な青年だ。

 少々家族に対する愛情が飛び抜けている気もするが…世間の家族というものがどういうものか詳細に知らないため、比較できない。


 ただ、バズゥはあの日…子供を殺すその一瞬前に何かが変わった。


 『勇者の』──ではなく…子供の目を見ていた。

 見たのだ。

 純粋で無垢で美しいその目を…


 たったそれだけで、彼のかたくなに凝り固まった『勇者の』──のカテゴリーは崩れ去った。

 とはいえ、きっと『勇者の』──の憎悪はもっと別の形で残っているに違いない。『勇者の仲間』だとか、『勇者の親』なんかを前にすると、きっとまた噴出ふんしゅつするはずだ。

 それほどにあやうい…あやふやな感情。

 それがバズゥ・ハイデマンの中にある『勇者』に対する感情の折り合いなのだろう。


 姉の子供と、姉が庇う少女…

 無害で、『勇者』との縁が浅く、今は繋がりがないからこそ───

 子供と、………キナは彼にとって家族足りえたのだろう。



 気になるのは、バズゥにとってキナの立ち位置だが…



 ま、まさか…



 まさか、


 え、

 えぇぇ?


 う…、ついさっきまで嫌いだったはずなのに、

 胸がドキドキする───


 血の繋がりのない家族ってことは、

 その…

 やっぱり、そのぉ…


 チラっとバズゥを見上げると、

 困った顔でキナを見下ろすバズゥと目があった。


 ベッチャベチャの顔をしていたので、少し恥ずかしい…

 バズゥと対照的に、姉の方はと言えば…ニヤニヤして揶揄からかいたい雰囲気をかもし出している。


「あの…か、家族に、なっていいの?」

 それでも勇気を出して聞く、

 今聞かねば一生聞けそうにない…───


「もう、家族だろ? 何言ってんだよ?」

 そっけなく言うバズゥ。赤い顔をして鼻をいている。

 なんだろう、この反応。


 …すごく、愛おしい。


「その…私が、バ、バズゥの家族ってことは、その…お、お…」


 くふぅ…

 恥ずかしい。


 いぶかしむバズゥ。

「はあ? お? お…って? なんだよ? つか、まぁ──」


 恥ずかしくて聞けない…

 お嫁…


 言えない。

 でも、聞かないと…!


 だって、

 だって、


 だって、それしか考えられないから!


「お、およ──」

「──居候いそうろうだな」



 ……


 …


「およ、むぇ…? む、あ、え? えと、え……あ…居候いそうろう───…です…はい。居候いそうろう、でっす…」


 うん…

 そうだね。

 

 うん、

 そうだよ。


 うん──

 そうとも言う。


 うん、

 うんうんうんうんうん───


 居候いそうろうでっす…



 ……


 …


 

 …居候いそうろうかぁぁぁ……



 ガックシと項垂うなだれるキナは、バズゥの手によってベリベリと引き離され、布団の横にちょこんと正座。

 だって居候いそうろうだもん。

 行儀良くしちゃうもん。


 グシグシと、バズゥによって顔を拭かれるが…キナはされるがまま。

 ポワァァと、口から魂が抜けそうになっている。


 そんなキナとバズゥの様子を面白そうに見ている彼の姉は、バズゥの頭に軽くチョップ──ヘタレとか言ってます。


 どういう意味だろう。


 ただ、彼女の子供がキャッキャと笑っているのが…ちょっと傷付いた。


 うん。ちょとだけ。

 居候いそうろうですから、贅沢は言いません。


 うんーーー、居候いそうろうかー…

 居候いそうろうって、家族なんだ…よ、ね?


 うん、

 居候いそうろうでっす…


 ……


 そんな何でもない一日が、

 激しく、

 命の天秤が揺れた、数日のうちの一日が…



 キナがハイデマン家の一員になった日───……




 ……日でした。




 ……




 あー…

 居候いそうろうかーーー……







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