第73話「御礼」


 皆自分勝手──



 フフフ…そうね。と、ヘレナは笑う。


「あーあ…いいもうけ話だと思ったんだけどなー…金貨500枚の儲け…残念だわ」

 慣れないウインクをしてみせ、ペロッと舌をだすヘレナ。


 精一杯虚勢きょせいを張っているのだろう。

 似合わない仕草しぐさは、どこかチグハグだった。


 金貨500枚の儲け。

 そう、

 キナの債務を整理したのはヘレナの手腕。


 もちろん職員の手も借りているわけだが、儲け話としてまとめ──実際に債務計画まで作ったのだ。

 この債務に対して、外野が口をはさむことはできない。


 出資者や職員らにしても、ギルドの資金である金貨2500枚相当以外はとやかく言う権利はない。

 この儲け話を引っ張ってきたのがヘレナなら、なおの事。


 取れれば儲けもの──くらいに考えていたのだから、なおさらだ。


 だが、それはバズゥ達にとっては僥倖ぎょうこう

 びた一文稼げないと腹を立てていた最中さなかのことだ。


 ヘレナのポケットマネーのようなものだが…実質金貨500枚の儲けが出たのと同義だ。


 これを喜ばずして何を喜ぶ!


 ウリウリウリウリィィと、

 喜び、キナを撫で繰り回すバズゥ。

 キナも──「やーめーてー!」とか言いながらも笑顔。


 それを、どこか寂し気に──そして、達観したような表情で眺めていたヘレナが、

「バズゥ・ハイデマン…それが、今の私にできる精一杯の誠意…! とても返し切れるものではないけれど、」


 言わせて──


 ヘレナは一度言葉を区切り、


「ありがとう…バズゥ…。バズゥ・ハイデマン!」



 フォート・ラグダを救ってくれてありがとう。

 

 ───私を…救ってくれて…




 ありがとう……




「あぁ…、もう十分礼は貰った。ヘレナ・ラグダ…───」


 バズゥは布団から出ると、キナを降ろし、スッと正座になりヘレナに向かい合う。


「こちらこそ礼を言う…ありがとう、ございます」


 ググゥ…と頭を下げて、精一杯の謝意を示す。


「命を救ってくれて…恩に報いてくれて…俺を───バズゥ・ハイデマンとして扱ってくれて、」


 言わせてくれ──


 バズゥは言葉を切ると、


「そしてキナを…、彼女の尊厳を守ってくれて──」

 その言葉にキナがハッと顔をあげる。


 ……

 …


「「ありがとう!!」」



 本心からの言葉。

 それらが、…ヘレナの心を打つ。


 不意に、ポロっとこぼれた涙に、ヘレナをして気付かない…


 だが、バズゥもキナも──言わずにはいられない。


 キナの借金のことも、そう。

 バズゥの報酬のことも、そう。

 

 ヘレナがいなければ、消えて忘れられ、ここではないどこかで無為に消化されていただろう。


 大量の金貨も、キナの体も……──


 それが、曲がりなりにもここにあるのは、ヘレナという誇り高き人物がいたからに他ならない。


 だから、


 言う。

 言わねばならない。

 言う必要がある。


 ありがとう──と。


 ジワリと染み込むようなこと──

 そらは、春の雨のように滋味深く、心をうるおした。


 ヘレナは、火照ほてる顔を隠すようにうつむくと、小さく嗚咽おえつをもらす。


 女傑といわれ、街の英雄といわれ、

 ………清き心のために、うとまれ、遠ざけられた彼女の漏らした、──小さな小さな、心の動き…その発露。



 顔をあげたヘレナには、もうその片鱗はどこにもない。



 ヘレナはヘレナで、手放しにバズゥから礼を言われるわけにはいかない事情が山程ある。


 もちろん、バズゥとて理解している。

 バズゥが死にかけた原因は、ヘレナにあるのかもしれない、と。

 

 だが、それも不可抗力だと思う。


 戦場で、射線上にいれば誤射だって当然あり得るだろう。

 シナイ島戦線でも、広域魔法攻撃で味方ごと吹き飛ばされるなんてのは──日常茶飯事だった。


 恨み言の一つがないわけではないが…

 ヘレナは命を救ってくれただけでなく、バズゥの目立たぬ戦果さえ正当に評価してくれた。

 あまつさえ、世間が──公式に・・・ない・・」と言い切るバズゥの戦果を、自腹を切ってまでむくいてくれたのだ。


 金貨500枚という大金の権利を、ポン…と。


 なにより、ヘレナはバズゥを勇者の叔父としてだけではなく、キチンと一個人として扱ってくれた。


 それが、何よりもありがたい。


 『勇者』とは──────


 無償で人類に尽くす存在、

 人類を助けるのが当然の存在、

 ただただ、希望であれとする存在、


 そんな記号と表号の塊のような存在が『勇者エリン』だ。

 そして俺はそのえ物。


 ──勇者の叔父というだけの……足手まといだ。


 それを、

 正当に評価してくれたのは後にも先にも…ヘレナだけ。



 だから、

 俺は礼を言う。

 何度だって言う──


「ありがとう、フォート・ラグダのヘレナ……ヘレナ・ラグダ殿」

「ありがとう、ヘレナさん…バズゥを助けてくれて…親切にしてくださって…」

 

 ポロポロと涙をこぼしながら、キナも礼を言う。


 今のヘレナは、くすぐったそうにしているだけ。

 冒険者ギルドなんていうヤクザな商売をしているくらいだ。

 普段は、お礼なんてものは聞いたことがないのかもしれない。




 それだけに、

 次のヘレナ言葉は二人をして冷や水をぶっかけられた思いだった。




「盛り上がっている所を悪いんだけど、金貨2500枚相当…」



 は?



「これは支払っていただきますから、そのつもりでいてくださいね」



 えー…?


 マジで…?


「マジです」


 そう、ヘレナ・ラグダは金にはシビアだ。

 だが、それ故に信用できる。


 いいさ、借金の一部でも返済できただけでもおん

 まだまだ、残りはとてつもない額だが…

 やってやれないことはない!


 男、バズゥ・ハイデマン!

 たかが金貨2500枚。


 

 あ、払って見せようか!?



 キリリと、表情を引き締めるバズゥを見つめる面々は種々様々しゅしゅさまざま


 キナはちょっとばかしうるんだ目でウットリ。

 ジーマはやや冷たい目をしつつも、頬は赤い。

 カメはポカンとした顔。

 ヘレナは無表情と思いきや、僅かに苦笑い。


 皆、今後に思いをせると、それぞれに様々な懸念けねんがあるのだから当然だ。


 キナは、まだまだ借金地獄が続くものの、バズゥにヘレナという頼もしい人物に囲まれている。


 ジーマは未だ借金返済中。

 一応、仕事は順調らしい…仲良しメンバーはともかくね。


 カメはバイトに張り切っているとか? いいね、働く若者は偉大だよ。


 ヘレナはしばらくポート・ナナンでほとぼりを覚ましつつ、本格的に『キナの店』の経営指導に乗り出すという。

 ──ついでに言えば、借金踏み倒し軍団を取っちめてくれるそうだ。頼もしいねー。



 うん、

 じゃあ!


「とりあえず、仕事再開だな」


 …


「寝てて!」「寝てなよー」「寝てくださいっス」「寝てなさい」





 あれー?





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