第72話「それは小さな一歩でも…」
──それを白紙にすることはできません。絶対に…
ヘレナの宣言が場の空気を凍りつかせる。
当然…──
「てめぇ…」
低い声を出すバズゥ。
正直、この宣言は喧嘩を売っているのと同義だ。
どこまで金にがめついんだこのアマは!?
「──ですが」
一度言葉を切り、ヘレナは顔をあげると泣きそうな顔でバズゥを見ていた。
「利息を白紙にすることはできます…」
……
…
なんだと?
「詳しく教えろ」
ビクビクと震えるキナの頭を撫でながら、バズゥは先を
「そうですね…まず、最初に分かっていただきたいのは、」
ヘレナは語る。
フォート・ラグダ冒険者ギルドの経営の母体について。
フォート・ラグダの冒険者ギルドは民間の企業ではあるが、一部官公庁が絡んだ特殊な組織でもある。
ギルドの経営に一部とはいえ出資金を出し、いざという時は冒険者を予備軍として活用するため、
これは、各国の各都市でバラバラに経営しているギルドが、それぞれ希望した場合に出資するものだが、フォート・ラグダも例に漏れず出資を受けていた。
経営状態に関わらず、一定の融資をうけることができるうえ、世界的な組織である
それは
そのうえ、
経営難に陥ったギルドには、
もちろん、フォート・ラグダ冒険者ギルドは経営難でもなければ、役人を受け入れるつもりもない。
それとは別に、ヘレナの立場というのが──単なる一経営者でしかない、と。
それが重要だった…
それは、ギルド全てを自由にできるわけではないという事であり──
親族や、職員、出資者などの意向をを聞かねばならないし、無視など当然できないということ。
それゆえ、マスターでありながらヘレナの権限はかなり制限されていた。
それは使える金銭にしても同じことで。
マスターだからと言って、湯水のごとく使えるわけではない。
むしろ、場合によっては赤字を出すこともあり、その際は給金を貰っている職員より困窮した生活を強いられることもあるという。
ヘレナはそこまでの経営悪化を経験したことがないので、実感としては
『キナの店』とて、実質は経営破綻状態。
とはいえ、『キナの店』の場合は、逆のルート──つまり、酒場の経営が悪化したためギルドにテコ入れをされたという特殊ケースではあるが……
ともあれ、ヘレナにはヘレナの事情があり、バズゥ達に過度の肩入れをすることができないらしい…
本来なら、借金の帳消しなどで報いたいと考えてはいたが、当然、キナの借金はギルドの物。
しかも、元々は各地に散らばっていた債務を整理して一本化したものであり、各地の債務者には既にギルド経由で金を支払っている。
これを帳消しにすることはギルドの金銭を無断で使用したと判断されるため、ヘレナにはどうしても手が出せなかったらしい。
ただ…
元々の債務整理時点での金はともかく、利息は……言ってみれば架空のお金だ。
書類上に発生する信用通貨。
誰かの労働や、売買の対価というわけではない。
決まり事から派生したもので、金を出している側が何か損をしているかというと…実はさほどの損ではない。
債務整理の
田畑を耕したり、鉱山で働いたり、商品を売買したりして得た金とは違う。
ただの
ある意味、無から有を生み出した……錬金術の産物だ。
だから、ヘレナが錬金術の発動を控えて…
──金を生む前に、素材のまま還元すれば誰も損はしないと…
そう言う。
「───キナさんの初期の借金の総額は金貨約2500枚。これは必ず返していただきます…」
キっとした視線をキナに向けるヘレナ。
ビクリとして縮こまるキナを抱き上げて、胸に埋めるようにして
キナは軽いはずだが、バズゥの体力は思ったより消耗しているらしく、腕にはズシリとした重みを感じた。
甘やかすつもりはないが、キナとて十分に怯えて生きて来た。
これ以上は辛い目に会わせたくないと──
俺がいる以上、キナをとことんまで守ってやるさ。
「で…残りはなんだよ?」
ヘレナは
つまり───
「えぇ…借金総額金貨3000枚相当のうち…500枚の利息…」
ギルドによる債務整理により、一本化された借金。
彼等が肩代わりした金貨2500枚……これは、現状ギルドの金で、実際に動いた金貨の山だ。
それに対して、利息は未だ実を見ない金貨の山。
契約書の文字から派生している、幻の金だ。
ヘレナは言う、
「この利息を白紙とします───」
……
…
り、利息の白紙?
…
……
ってことは…?
…え?
マジか?
き、
金貨500枚だぞ?
金貨500枚…キングベア10頭分だ。
「マ、マジか?」
「マジよ」
「冗談じゃないよな!?」
……
「冗談がいいの?」
「い、いや!」「う、ううん!!」
プルプルプルプルと息を合わせて首を振る、バズゥとキナの両ハイデマン。
ニコッと寂しげに笑うヘレナ。
「宛が外れたとでも言いましょうか…元勇者小隊のバズゥ・ハイデマンなら、即日返してくれるかとも思ったけど──」
あ?
「勇者の叔父…貴方はタダの人間だったと知ったわ」
ヘレナはバズゥを馬鹿にしているわけではなく、
そこには、失望と言った感情もない。
それはわかる。
彼女の目の奥にあるのは、揺らぎつつある信頼感と──
人という種に対する嫌悪と
「当然だろう…俺はタダの『猟師』だ。勇者じゃねぇっつの…」
どこかでやったようなやり取り…
皆、勇者エリンしか見ていないかった。
いや、正確にはエリンのことは誰も見ていない。
『勇者』しか見ていない…
だから、少女を最前線に張り付かせて平気でいられる。
姪を見捨てて一人おめおめと帰って来れる。
勇者に頼り切って安心仕切ることができる…
「皆、自分勝手なんだよ…俺も…アンタもな」
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