第47話「夜に沁みる」



 ホー…

 ホー…


 と、夜行性の鳥がさびしげに鳴き、生涯の伴侶はんりょを求めて闇夜に声を震わせている。

 不意に近くでカサカサと腐葉土を踏む足音が響く。

 目を向ければ、ランランと輝く二つの光。夜行性の動物の目だ。


 この闇に恐怖する者なら、チビッてしまいそうになるだろうな…


 夜の山は、静かで───賑やかだ。


 慣れない者からすれば心細く、恐ろしく感じるに違いない。


 しかし、バズゥからすればここは職場で、昔から慣れ親しんだ環境だ。

 恐れはあるものの、それは山の危険性を知っているから来るもの。闇だとか、夜間に活発に動く小動物に対する恐怖ではない。

 増してや、居もしない化け物だとか、得体のしれないものに感じる恐怖はない。


 闇に潜むものに害意があるか、ないかだけを判断すればよい。


 猟師スキル『山の主』はこんな時に随分ずいぶんと役立つ。

 周囲の気配を感知できるのだから、そこに害意の有無などが、有り有りと確認できるのだ。

 ただ、当然ながら──そう言った気配を遮断しゃだんできるものもいるため、スキルに頼るのは危険だ。


 そのため、猟師として──しっかりと自らの五感で周囲を探ることを止めない。


 毛布に身を沈ませながらも、浅い眠りを取る。

 意識の深層は緩い眠りについているが、表層はしっかりと起きていた。


 何かあればすぐに動き出せる自信がある。

 疲れはあまりとれないが、体を横にしているだけでも随分と違うものだ。


 エリンがいれば、ぐっすりと熟睡できたかもしれないが、ここには俺一人。

 今は熟睡よりも、夜が過ぎるのを待つだけの時間と割り切ればそれほど苦にもならない。


 弱くなった焚火が時々思い出したように、乾いた音を立てるのを聞きながら夜を感じるのも悪くはない。


 シナイ島だと、こんな闇は恐ろしくて仕方がなかった。

 それでも、闇に身を溶け込ませなければならない矛盾…

 あの時に比べれば、この山の闇のなんと心地よい事か。


 少なくとも闇に潜む覇王軍の特殊部隊コマンドと、ゼロ距離で鉢合はちあわせするなんてことはあり得ないからな。


 ……


 夜明けは近い。

 ふもとなら黎明れいめいの明かりがし、夜は薄青うすあおに染まりぼんやりとした物陰が、輪郭りんかくを帯び始めているだろう。


 バズゥは、まだ起きるには早いなと思いつつ、弱くなった焚火に薪を数本投入する。

 火が起これば、闇に慣れた視野が順応を失うため、立ち昇る火を直視しないようにするため背を向けた。


 周囲の寒々とした様子に比べて、意外にもバズゥの寝床は暖かい。


 昨夜寝る前に、地面を浅く掘り、消し炭となりくすぶる炭火を穴に投入し、その上に軽く土を被せて置いたからだ。

 その上に寝れば、不完全燃焼を起こした炭火が熱を発し続け、結構暖かい。

 そこに毛皮を敷き、毛布を体に巻き付ける。


 地面からの炭火の熱が土を通して伝わり周囲も暖めるため、毛皮を温めると同時に、そこを通じて体全体をジンワリと暖めてくれる。


 寒い時期の夜を過ごす知恵だ。


 まだまだ、周囲は暗い。

 森の奥の深い夜を理由に、惰眠をむさぼろうとするバズゥ。


 もっとも、屋外故、家屋にいるほどに暖かいかと言われればそうでもない。

 あくまでも、何もないよりマシ程度だ。 


 慣れない人間なら、寒さに震えて一睡もできないだろう。


 バズゥとて、寒くないわけではない。風が吹けば、この窪地にもわずかに空気が対流し、表面を覆う暖かい空気を散らしてしまう。

 その度に、暖かい寝床が恋しくなり──キナと寝た家の小さな布団を思い出し、思わず苦笑する。


 焚火の火が落ち着くと、寒気を吹き飛ばしてくれる。

 樹脂の多い薪を使っているため、そう長時間燃えてくれるわけではないが、火付きだけは良い。

 耳に心地よい焚火の弾ける音に、意識を溶かしていく。


 熟睡はできないが、こうした意識の狭間を漂う様な微睡まどろみも決して嫌いではなかった。


 バズゥにとって故郷の山での孤独など、恐怖の対象でもなんでもない。

 ただのキャンプみたいなものだ。

 シナイ島戦線のごとく、仲間の死体に紛れて眠る必要もない。


 あぁ、懐かしき戦場よ…

 地獄のシナイ島戦線。

 あれに比べれば、ここは天国とすら思える。



 一際大きく、焚火がはじける。

 パチンと起こった火の粉を直視しないように、素早く目を閉じる。



 闇の中で火の粉なんて直視できない。



 スキル『夜目キャッツアイ』があれば、さほど暗順応あんじゅんのうこだわる必要はないのだが、バズゥはあまりスキルに頼るのを良しとしない。


 それは、スキルや魔法が万能ではないことを知っているからだ。


 魔法なら魔力、スキルなら気力というか体力というか…目には見えない残量のようなものがあり、当然ながら行使すれば目減りする。


 スキルの体力気力というのはまだまだ不明箇所が多く、枯渇という話はあまり聞かないが、やはり、疲労を感じるので何らかの力が失われているようだ。


 気力と体力は密接に関係しているのかもしれない。


 実際バズゥも、『山の主』を発動すると肩に重さやダルさを感じている。

 狩場に入って以来ほぼ発動しっぱなしだったので、疲労は重く濃い。

 今も睡眠をとりつつ、時々発動し気配を探る。

 

 危険圏内に地羆グランドベアなどの大型獣が入り込まないとも限らないからだ。

 地羆グランドベアごときに負けるはずもないが、寝込みを襲われてもつまらない。

 故に、時々ではあるが周囲の安全確認は行う。


 常時発動を止めたおかげか、多少なりとも睡眠をとったおかげか、少しはマシになったが…疲労は残る。

 体調は完全とは言い難い。


 やはり、スキルに頼らず、地道に目と鼻と耳で探すべきかもしれない。

 キングベアはおろか、地羆グランドベアの気配もない。


 周囲の安全にとどめてスキルの発動範囲を狭めているのも影響しているだろう。


 直に完全に夜が明けるなと、薄く目を開き樹幹の先の空を透かし見る。

 まだそれは、暗く沈んでいるがどことなく色付いているようにも見えた。


 あと少しだけひと眠り──そう思い。


 その、眠りに落ちる前に、一度気配を探る。

 睡眠時に切っていたスキルを発動。


 少し強めに、と。最後のひと眠りのために安全距離を多く取るべく、昼間並みの気配探知を行おうと──山に漂う気配を探っていく。


 

 山の主になったかのごとく、俯瞰視座ふかんしざを得て気配を脳裏に投影していく。



 地猪グランドボアが比較的近くに1、周辺には大型鳥類や、小動物がたくさん…近隣に潜むこれらの気配を一時ノイズとして遮断しゃだん

 探知距離を深く遠く───


 別の気配に意識を特化…



 ……


 …


 ん?



 ここで違和感が──

 気配自体は多数。

 場所は王国軍の哨所…その場所。

 小さな気配が不特定多数。

 読み切れないほどに濃密に漂っている。


 それらをノイズとして排除していけば、当然、小さな気配以外の、別の反応があるはずなのだが…

 特に、王国の兵士が詰める小さな哨所、そこでのあるべき当然の反応が、と。


 

 なのに、

 なのに、


 

 そこに気配を感じない。



 まるで、何もいないかのごとくく…

 ノイズをして遮断した小動物らの気配しか感じ取れない。


 そこに在るべき気配・・・・・・がない。



「王国の兵は…?」



 ゾワリと…鳥肌が立つ。

 山に入るときに起点としていた王国の哨所は、なぜか今無人だ。


 ───正確に言えば、人の気配が感じられない。


 眠ってる間に、異変が起きたとしか……


 少なくとも、王国兵が夜間に移動するとは考えられなかった。



 嫌な予感がする。


 戦場で嗅いだような、粘つく違和感と肌に突き刺さる死の気配。



「チ…」



 こんな時は、気のせいと片付けてはダメだ。

 あとで手痛いしっぺ返しを喰らう───


 戦場での「教義ドグマ」だ。

 それを逃せば、待っているのは自分か味方の「死」のみ。


 色々寝床に留まる言い訳が頭を占める。

 そう、気のせいだと。

 放って置け、と───


 だが、

 行く。

 行かねばならぬ。


 闇の中の行動は、避けるべきだろうが放置していても良い問題ではない。

 暖かい寝床を出るのは鋼鉄の意志を必要としたが、えてバズゥはそこを抜け出す。


 寒さも、暗さも、───労をいとうう言い訳に過ぎない。


 勢いよく毛布をはぎ取ると、晩秋の夜明け前の寒気が体を叩く。

 ブルリと一震いすると、頬を叩き気合を入れ直した。


「しっ! 行くか…」


 手早く道具を片付けていく。とは言っても精々毛布を畳むくらい。

 敷物代わりの毛皮と一緒に丸めると紐で縛って肩に下げる。


 装具を手早く装着していき、最後に猟銃をになう。


 野営地を見回し、忘れ物の有無を確認すると、火を消してここをった。






 行く先は、無人の哨所───





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