第36話「二人の家」

 キナをめ…


 俺たちをバカにし…


 家族を泣かせて、怯えさせたクソ野郎───



 いつか、

 いつの日か…必ず落とし前を付けさせる!!


 静かに決意すると、バズゥは漁労組合ごみ溜めを去ることにした。

 ハバナとはいくら話しても無駄だ。

 漁師達のタダ飲みについても同様。


 知らぬ存ぜぬ、関係ない…と。


 たしかに、何の証拠もないし、ハバナのやり口は完全に合法的なものだ。

 契約だって結ばれている…


 クソッ!!!

 何もできないなんてな───!


 ……


 だが、コケにされて黙っているほど、ハイデマン家は優しくないぞ…!

 せいぜい、首を洗って待っていろ。

 チャンスがあれば、その小汚い面をケチョンケチョンにしてやるからよ…


 そうと決まれば、こんな腐った人間の住み家は、さっさとオサラバするに限る。

 キナの精神衛生上、1秒たりともてたまるか!


 ガタっ、と勢いを付けて立ち上がると──ヒョイっと、キナを小脇に抱えて漁労組合ごみ溜めあとにする。



「キャ…バズゥ!?」



 キナは不意を突かれて驚いていたが、バズゥは構わず歩を進める。

 こいつらと話をしても無駄だ。時間の無駄。


 まだ、肥溜こえだめと語り合う方が建設的だ。


 早々ボロを出すような奴でもないし、何より筋は通っている・・・・・・・

 ──何も落ち度はないのだ…腹立たしいことに。


 奴の言う通り…一連の出来事は、キナの責任に起因する。

 金のことも、逃げたガキのことも───その後の顛末てんまつでさえも…


 クソッ!!


 開きっぱなしの扉を、今度は思いっっっきり叩きつけるように閉める。

 

 ゴァァアアアアンン!! と大きな音がしたことでほんの少し溜飲りゅういんを下げるが、とてもじゃないが胸の中のムカムカは収まりそうにない。


「い、いたい…バ、バズゥ──」

「ッ。ゴメン、すまん!」


 知らず知らずのうちに力がこもっていたようだ。

 脇に抱えたキナが悲鳴を上げる。


「お、降ろして…」


 キナの求めに応じて、降ろす。


「ゴメン…キナ。その、何だ…偉そうなことを言ったけど、何もできなかった」

 ハバナは強敵だ。

 正攻法ではどうにもならない。かと言って殺せばいいというものではない。そもそもそんなこと出来るはずもない。


 勇者の叔父だからと言って…お目こぼし・・・・・してもらえる程、世の中は甘くはない。


「いいの──。バズゥが、ああ言ってくれただけでも……私のために怒ってくれただけでも…」


 ──嬉しい。


 キナはそう続けたかったようだが、キナの性格からして…誰かに敵意をぶつけてくれて──ありがとう、なんていう子ではない。


 だから、嬉しい。──と、そう言いたいキナの気配だけを、バズゥは感じ取る。


「ん…まぁ、いつかぶち殺してやるさ」

「やめてって、もぅぅ」


 キナは微妙な笑顔を浮かべながら、バズゥを軽く非難ひなんして見せる。


 はっはっは。

 

 あぁ…世界中がキナみたいな人間だったらな…覇王も魔王もキナみたいな奴だったら、世界は平和で美しいんだろう。


 なぜ人はこうまでみにくいのか、人もじじいも俺も、──どうしようもなく醜い。


「帰ろ…?」

 キナが、バズゥを試す様に見上げる。

 

 もう…気にしないで、と。

 私たちの家・・・・・へ帰ろう、と。


「…そうだな。今日は色々動き回って疲れたし、とっとと帰るか!」

「うん!」


 輝かんばかりの笑顔とはこれを言うのだろう。

 まぶしい。

 本当にまぶしい。



 ──さあ、家へ帰ろう!



「行くぞ、キナ! 家までひとっ走りだ!」

 胸のうちのモヤモヤしたものを置き捨てるように、キナを抱き上げると軽快に走り出す。


 ──キャッ!


 キナは「おーろーしーてー」と、言っていたが…知らん!

 俺がキナを抱きしめたいんだ!


 ダッダッダ…と、坂道を一気に駆け上がる。


 いつもは歩きたがるキナ。

 抱き上げると、最初は嫌がっていたが──今は、もう…何も言わない。


 静かにバズゥの首に腕を回して身を任せている。


 帰る。

 帰る。

 家に帰る。


 帰る……


 まだ、何も解決していないし、これからやることもたくさんある。


 だけど、今はキナと一緒にいられる。

 家族と一緒に居られる。


 エリンの事や、戦争のことも気になる。

 本当は……物凄く気になっている。


 だけど、俺という人間はただ一人。

 出来ることは数少ない。


 そんな俺が必要だと、一緒に居て欲しいと願う人がいる。

 だから、エリン───ゴメン。

 きっと、すぐにでも話し合った方がいいと思うんだけど、今はキナといる。



 今だけは、キナと過ごさせてくれ…



 なぁエリン。

 俺の心の整理がついたら、さ。


 今度は叔父さん…頑張るよ。


 無様で、カッコ悪いかもしれないけど…

 やっぱりお前を一人にはできない。


 キナに会って分かったんだ。


 家族は一緒に居なきゃだめだ。

 お前は、俺に帰れと言ったけど────違う。


 違う。

 違う違う違う!


 叔父さんが居たいんだ。

 お前と一緒に居たいんだ。

 みんなと一緒に居たいんだ。


 だから、さ。

 少しだけ…時間をくれ。


 卑怯ひきょうな叔父さんだけど、

 どのつらげて会いに行けばいいのか…わからないけど、



 だけど、



 俺はお前の叔父さんだ。




 だから、また会いに行くよ。


 弱くて、

 助平で、

 臭いかもしれないけど…


 エリンに会いに行くよ!!!


 ココでのことを全部片付けたら、今度はきっと───



バズゥ叔父さん…」


 キナの顔とエリンの顔が一瞬交差する。

 似ていないし、血のつながりも一滴たりともない。

 が、…エリンはキナに似ている。


 そりゃそうだ。

 エリンは先代勇者と姉貴の子供で、俺とキナが育てた。


 4人分の人間の思いが詰まっている。


 先代1%、姉貴49%───俺とキナで50%。



 やっぱり家族だから。



「キナ…」

「何?」

「ただいま…」

「…うん、おかえりなさい」


 ギュッと───キナがバズゥに回した手に、力をめる。

 離れないで、とそう言っている気がした。


 大丈夫…

 もう、離れない。


「キナ」

「うん」

「今日はアレだ。久しぶりにキナの作ったパスタが食べたいな」

「ん…魚醤の?」

「そう、それ。…獲物をってないから、骨髄がないし難しいかな?」


 バズゥが仕留めた獲物の、肉や骨の一部は店のさかな用に提供していた。

 だが、今はまだ猟を行っていない。きっと食材にも事欠いているだろう。


「大丈夫だよ。アジさんがたまにお裾分すそわけをくれるの…山じゃなくて、海のものだけど大海獣のお肉なんかがあるわ」


 アジ…通称オヤッサンだ。


 なるほど、オヤッサンだけはキナの味方だったのかな。

 ま、ただのエロ親父の気もするが。

 今度来たら礼くらいは言うさ。──それに相談事もある。


「そっか、楽しみだ」

「うん。任せて」


 こんななんでもない会話が愛おしい。

 殺し、殺され──死んだ、死んでの戦場では…中々お目に掛かれないとうとい時間と会話。


 坂を駆け上るバズゥはうっすらと汗をかいているが、息は切れず、むしろ心はおだやかでわずかに高揚していた。


「あとは──」

「うん、うん…」


 風呂にも入りたい。

 キナとしでお酒を飲みたい。

 囲炉裏いろりはさんで語りたい。


「うん、うん、うん…」


 キナの香りが鼻腔いっぱいに広がっている。

 泣いてるのか、キナの声には震えが交じる。

 だけど嫌な感じじゃない。

 俺の胸も──なんでか熱くなる。


「うん…うん…うん…」


 キナと寝よう。

 キナと起きよう。

 キナと話そう。

 キナと笑おう。

 キナと─────




「おかえりなさい…バズゥぅぅ」




 あぁ…ただいま。キナ。



 ボロくて、汚くて、古くて、さびれた小さな酒場…異国情緒いこくじょうちょが、ちょっとだけあふれた…姉貴の趣味が交じったソレ。そして───


 俺たちの家。




 ただいま───




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