第11話「黄昏時」

 冷たい海の彼方に太陽が沈んでいく…

 徐々に薄暗くなる店内に、バズゥとキナの静かな息遣いだけが響いていた。


 遠くで鳴る潮騒の音に交じり、静かな店内にはキナが料理していた鍋が弱火で泡立ちコトコトと小気味よい音を立てている。


 そこに交じり、トクントクンと互いの鼓動が耳に優しく響いていた。



 この空間、この空気、この空の元で───バズゥのすさんだ心がほぐれていく。

 完全ないやしはないが、キナはとても優しい。




 ありがとう──




 ザスザスっと、無遠慮な足音。

 そして、

「キーナちゃん、やってるか~い!?」

 ガラの悪そうな、真っ黒に日焼けした中年が暖簾のれんをくぐって入ってくる。


「あ、いらっしゃい」

 

 パッと身を離したキナ。

 そのまま、キナが営業用の声で返すと、男が目ざとくバズゥに目を付ける。


「およ? おめぇ…バズゥか?」


「……あ、オヤッサン?」


 懐かしい顔だ。

 漁師の網元で、この辺一帯の漁師を束ねるリーダーってやつだ。

 この店の常連でもあり、昔は流れ者のバズゥ一家にそれなりに良くしてくれた。ま、それなり……だけどね。


 一応、村の顔役の一人だ。


「どうしたんだよ? エリンちゃんとシナイ島にいるんじゃなかったのか?」

 実際、「いる」なんていう、そんな軽い言葉で存在を証明できるような場所じゃないのだが、間違ってはいない。


「あ、あぁ、ちょっと里帰り中だ」


 ほうほうと、物知り顔で相槌あいづちを打つ。

 当然、エリンの素性やバズゥのことも承知している。


 数年前にここを旅立って以来の久方ぶりだが──たまに、キナに便りも出していた。

 その辺からバズゥ達のことも多少は知っているだろうに───オヤッサンは戦争とは言わない。


「はッは~…あれか、…お前、いとまを貰ったんだろう?」


 ドッキン!


「お、図星?」


 このオヤッサンという人物は歯に衣を着せぬ言い方をする。昔からこういう人だから別にいいのだが、正直──バズゥは苦手だった。


 『漁師』と『猟師』という、立ち位置の違いもある。

 まぁその辺は追々おいおい話そうじゃないか。


「まぁ…そんなとこだ」

 ボソボソっと零すバズゥを見て、ニヤっと笑うと背中をバシバシと叩き、

「ダーハッハッハ! そりゃそうだ! 連合軍の精鋭に『猟師』だもんな!!」


「うるせぇよ…」


 言い返すのも面倒くさくなってきた。


ねんなよ~…で、いじけて帰って────キナちゃん~! ナデナデして~ってか? さっき乳繰ちちくり合ってただろ」

 下種げす顔でウリウリと突き回してきやがる。


 くっそー


 キナとくっ付いている所を見られたのが、バツが悪くて思わずそっぽを向いた…

 やっぱ一目で気付かれていたようだ。



 キナはキナで顔を赤くすんなよ…誤解招くだろ!



「ん~、で。エリンちゃんは?」


 キョロキョロと店内を見回すオヤッサン───


「いねぇよ…」

「あぁん?」


 ジロっと睨まれる。


「いねぇっえ、つってんの!!」


 ヤケクソになって叫ぶ俺に、

「おめぇ…そりゃどういう意味だ?」


 あぁ、くそ…

 なんで他人に話さにゃならんのだ。


 第一アンタ関係ないだろ!


「エリンはシナイ島で立派に勇者やってるよ!」

 半ばヤケクソに、叩きつけるようにオヤッサンに言葉をぶつける。


 言いたいことがあるなら言ってみろや──

 ────ゴンっと、頬に衝撃…



 ってぇ……アンだ此奴コイツ!!



「イって!!! 手イってぇぇ!!」

 

 思いっきり殴ったのか、真っ赤に晴れた手をブンブン振って痺れを取ろうとしている。


 殴ったのはバズゥの頬なのだろう。

 ──殴られたのは当然バズゥで、殴ったのはオヤッサン。


 頬には多少なりとも痛痒つうようを感じたが…


「おうコラおっさん、何の真似だ?」

 

 伊達に勇者小隊にいたわけじゃない。

 最弱で、足手まといだったかもしれないが──


 少なくとも、地獄のシナイ島戦線を生き抜いてきた。

 

 訓練と戦場の苦労は、天職のレベルを最大まで引き上げた。

 ランクアップや、転職の機会もなくもなかった。

 その費用は、なんたって勇者小隊。出せるだけのものは、下っ端のバズゥにも出してもらえた。

 少なくとも、給与面では勇者小隊はべら棒に高い。


 勇者軍や連合軍の比ではない…


 だが、少しでも戦力に───エリンの助けになるためには、ランクアップや転職をして、再度訓練をしている暇などなかった。


 中級職でもMAXなら、なんとか生き残る・・・・程度には戦うことができた。

 戦力になりえたかは───また、別の話だが…


 だから、何年も海で鍛えた『漁師』とは言え、軍で専門の訓練を積み、戦場で命のやり取りをしていた人間に勝てる道理はない。


 その拳はバズゥに大きな痛痒を与える事さえ困難だろう。


 舐めるなよ…中級職とは言えレベルはMAX…そんじょそこらのチンピラなんて目でもない。

 多分、りたての上級職より強いはずだ。


「いって~…!! 何だ、テメェ鉄板みたいに堅いじゃねぇか!!」


 人をいきなり殴っておいて何て言い草だよ!


「舐めんなよ。腐っても勇者小隊の斥候スカウトだ、こらぁ!」


 一応斥候スカウトとしての仕事を日常的にこなしてきた。

 ほとんどが暗殺者ミーナの下位互換という扱いだったが、戦闘もこなせるミーナを早期に酷使しないため、戦闘外ではバズゥがそういった役割を果たしていた。

 

「アンだぁぁ? ガキがチョコっと硬くなったからってエバってんじゃねえぞ!」


 オヤッサンはオヤッサンで一歩も引かない。

 ブットイ腕をこれ見よがしにまくり上げる。


「ちょっと…二人とも」


 そこに割って入るのはいやしの天使───キナ様。


「ち…」

 不機嫌そうに、ドカと座るオヤッサン。


 ──俺殴られ損ですがな。


「キナちゃんは知ってんのか?」

「え? えぇまぁ…」

 困った顔で頷くキナに、オヤッサンはまた不機嫌そうに舌打ちする。


「っかぁぁ~~! どうせ、キナちゃんに慰めてもらって満足してんだろ、おめぇはよ~」


 ック…


 言いたい放題言いやがって──


「オラぁ! 言い訳してみろや…エリンちゃん置いて、一人逃げ帰ってきたんだろうが!」


 田舎の事…集落全体で子供の世話を見るような風潮があったから、オヤッサンもエリンのことは当然知っている。

 元は流れ者の子供とは言え、──子供は可愛い。

 子供にまで差別を押し付ける様な意地の悪い人間も、まぁ早々いない田舎の村。


 酒飲みとくれば、それはまぁ子供を可愛いがるものだろう。───ロリコンじゃないよな?


 ちなみに酒飲みのオヤッサンは独身で子供はいない。

 そんなやつだから度々たびたび店で酒をかっ食らっている時に、チマチマと手伝いをしていたエリンの事は。特に可愛がっていた気がするが…



 だが、他人は他人だ。



「うるせぇな…アンタに話すことなんかない」 


 それだけ言い捨てると、店の奥へ退散する。

 店舗兼住居。

 奥は、俺たちの家だ。


「おう待てこら! 逃げんじゃねぇ腰抜けがぁ!」


 ったく…まだ飲んでねぇのに、もう酔っ払いみたいなおっさんだぜ!

 相手にしてられるか…


 店から続く土間を抜け、靴を脱いでから一室しかないリビング兼寝室兼キッチン…まぁ1LDKってやつ? にドカドカと上がると、旅荷物を隅っこに放り出し床に寝転がる。


 懐かしい家の匂いが鼻腔をくすぐった。

 狭い間取りも、妙にしっくりと来る。


 ランプくらいしか明かりもないような薄暗い空間だが、まだまだ夕方の乏しい明りが部屋を照らしている。


 少々寒いが、採光用の窓は開け放ってあった。


 部屋の中央を占める囲炉裏いろりには、燃えさしがあるだけで火の類は入っていない。

 うっすらと灰の匂いが漂うだけで、かえって寒々さむざむとして見える。



 店の方でまだ、オヤッサンが騒いでいるが、キナが上手く取りなしてくれてるようだ。



 それにしても……


 痛いことを言われた───


「一人逃げ帰った…か、エリンを置いて、ね」


 まさにその通りだ。

 戦場の恐ろしさ、この世の地獄──最前線…逃げたかったと言えば嘘になる。


 ある意味きっかけが欲しかったのかもしれない──とは言え、やはり心には重い…重いシコリとなって残っている。


 地獄のシナイ島戦線


 確かに、あそこから逃げ出したかった…

 できればエリンと一緒・・・・・・・・・・に。


 でもエリンは人類の希望───俺とは違う。


 絶対に、単独じゃ太刀打ちできない魔族の長。

 おまけに覇王の軍勢は残虐で、凄惨を極める──戦場の常…


 『猟師』でしかない俺は、何度死のふちを潜ったか知れない。


 エリンに助けられ、情けなくて、逃げて、隠れるのが日常になり…そのうち支援と称して正面から戦うのを避けるようになった…


 隠れて、隙を見て銃を撃つ。


 戦闘外ではなんとか皆の役に立とうと、料理もしたし、斥候もしたし、時には囮にもなった。

 それさえできれば、あとは勇者小隊が何とかしてくれる…


 

 エリンが戦う。

 エリンが救う。


 エリンが何とかしてくれる…


 エリンが

 エリンが

 エリンが


 誰も彼も俺も彼女を、エリンを頼った───



 ハハハ…そりゃ帰った方がいいわな…



 でも…まさか、エリンに直接言われるとは思わなかった。

 戦闘外じゃ、叔父さん叔父さんって――可愛かったのにな~…

 あの戦闘の前だって、そんな素振りはなかった。

 違和感を感じこそすれ、確かめる事すら今更できない。

 結局は自分に起因すること。


 要は、

 見限られた──


 いつの間にか随分と嫌われていたらしい…


 そりゃそうだ…


 逃げて隠れて邪魔をしてたんじゃあな…


 守るつもりが守られて…



 ハァァァ……嫌になるぜ自分がよぉぉ!



 ぼーーっと低い天井を見つめ、徐々に暗くなりつつある部屋の明度に合わせてゆっくりと意識のとばりを降ろしていく。






 シナイ島も、今は夕方かな…







 エリン…元気でやってるかな…?

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