第6話「ポート・ナナン」

 ヨーイショ、ヨーイショ!

 ヨーイショ、ヨーイショ!


 男たちの威勢のいい掛け声に従って、力強く進む輸送船の備え付けのボート──内火艇がスルスル進み、漁港の桟橋に近づく。


 チャプチャプと波が桟橋を叩く音が聞こえるまでに近づくと、接舷する少し手前で、まだ距離があるにもかかわらずバズゥは立ち上がった。

 そして、如才なく艇を指揮する年かさの将校に礼を言う。


「世話になった!」


 船長を少し小さくしたような、人好きのする笑みをした将校はニっと笑うとおどけて敬礼して見せる。

 それを受けた バズゥも苦笑しつつ、ササッと敬礼を返し──ピョンと桟橋に乗り移った。


「じゃぁな!」


 軽い跳躍で内火艇を離れた バズゥは、今にも崩れそうなボロボロの桟橋に立っていた。


 船員に手を振り別分かれを告げると、波に揺られてフラフラと漂う頼りない桟橋を抜けて、漁港から村へと続く道を歩いていく。


 懐かしい道のりでは、潮風と干した魚の匂いが鼻腔をくすぐった。その景色は寂れた雰囲気まで記憶のままだ。


「俺とエリンの金が届いているはずなんだが…… 湿気た雰囲気も昔のまま、か──変わらないな……」


 村へと続く粗末な道を歩きながら首をかしげる。


 勇者とその従者を出した村として、このさびれた漁港の村「ポート・ナナン」も当時は随分と持てはやされたのだから、もっと栄えてそうなものだが……


 まぁ、勇者と従者を排出したとは言っても、元々バズゥの家族は流れ者一家だった。姉貴が存命の頃から村から諸手を挙げて歓迎されていたわけではない。


 殊更ことさら、差別するわけでもないが親切でもない。

 ……どこにでもある、田舎特有の閉鎖的な雰囲気があった。


 とは言え、ついでに言えば、両親が根なし草だったものだから──病を得てこの村で身動きできなくなって、仕方なく住み着いただけのこと。

 純粋な故郷とは少々事情が異なる。

 だから、勇者の故郷としての地位は少々弱かったのかもしれない。せっかく知名度を上げるチャンスだったのに村としては残念だろう。


 もっとも、ここ以外に故郷があったのかは覚えていない。

 どうせ、ガキの頃の話だ。それに、あれだ。二人ともあっけなくおっちんじまった・・・・・・・・ものだから、最後まで聞けず仕舞いだった。


 ──そもそも俺自身、ガキの頃の記憶なんでよく覚えてない。


 とにかく、その後は──酷く苦労した思い出しかない。

 両親が残したのは、ちょっとした銭とまだ小さな俺と姉貴の二人だけ。本来なら、王国の救児院に引き取られるか……人攫ひとさらいに売り払われるかのどっちかだったろう。


 だが、そこはここ。

 たくましきバズゥの姉貴は、僅かな蓄えを食いつぶすマネはしなかった。

 その僅かばかりの蓄えでボロボロの酒場を買い取り、商売を始めた。


 娯楽のない村の隙間産業に目を付けたということだ。


 閉鎖的な村社会とはいえ、一見善良な村人はいい顔をしなかったものの、多少の同情もあったのだろう。

 格安で廃屋を譲ってくれた。


 事故物件だとかいっていたが──まぁボロボロの元酒場というだけでお察しだな。


 ともかく、それなりにちゃんとした店舗を手に入れた俺たちは、ガキなりに頭を使い、酒場を経営──姉貴と二人で切り盛りしていた……。


 器量良しの姉貴のことだ。


 幼いながらもどこか色気のある雰囲気で、看板娘として活躍。村のエロ爺どもがよく来ていたっけな。

 ……そのおかげで、ソコソコに食えるだけの金を得ることができたのだから、エロ爺どものことは、今のところ良しとしよう。


 とは言え、貧乏も貧乏。

 いつもギリギリの生活だった。

 それゆえ、故郷と呼ぶにはあまりにも苦い思い出ばかりだが──俺はここ以外に帰寄るべき土地を知らない。


 いつか……戦争が終わった日に帰ってくるだろうエリンのためにも、ここにいることは必要だと思うし、思いたい。──世界を救ったあいつが帰る場所を残しておくのも務めだろう。

 ……俺は一緒についていくことはできなかった。


 色々努力したが、結局は仲間にうとまれてギブアップした負け犬だ。

 だから、今できることはエリンの故郷を守るくらい。


 そう言い訳じみたことを考えながらも、歩くたびに触れる故郷の空気を感じ、懐かしさとともに思い出して、苦くみる思い出に耽りながら、バズゥは歩を進める。


 一歩一歩と、寂れた村の道を行けば、数年とは言え染み入るように思い出が溢れた。


 嗅覚をくすぐる、強烈な魚臭さと獣臭が漂う道は慣れ親しんだものだ。

 よそから来た人間なら間違いなく顔をしかめるだろう匂い、だが……懐かしい。


 エリンの旅に同行してから、数年ぶりの帰郷ききょうだ。


 寂れた村を道から見上げる。耕作面積は僅か。海岸まで張り出した山に押し出されるようにして残った土地にかろうじて家屋が張り付いている。そんな感じ……。


 段々畑の様に家々が階段状に連続している特徴的な風景。


 地層の僅かな風化痕を掘り下げ家々をへばり付かせているものだから、薄っぺらい村の割に、家々の標高差はかなりある。


 海岸に近い家と上層の家は三十m以上の高低差があった。


 そして、バズゥの家……兼酒場は村の上層。

 わかるだろうが……まぁ、あまり土地のお値段が高くない場所だ。

 とはいえ、こんな土地だとそう変わらないんだけどね。空きがなかっただけとも言える。


 そして、バズゥは階段とも、踏み後ともつかない道を家に向かって歩く。

 その途中途中の家で、村人が大荷物のバズゥを見て驚いた顔をしている。──知らん。


 そんなことよりも……一歩一歩近づく俺の家。

 バズゥはわき目も降らずにそこを目指しているが、当然村人の目に触れる。


 その度に、すれ違い──置き去りにした背後でヒソヒソと話し声が聞こえる……無視。


 ──少しづつ大きくなる家の影。


 だが、まだまだ遠い。

 その前に、縁側で猫を撫でていた御婆さんがバズゥに気付き、片目だけパチリとあけてバズゥの姿を追っている──無視。



 ……上層から微かに香る。風が生家の匂いを運んでくるようだ。



 威勢のいい声で魚を売り歩いていた男がバズゥに気付いてひっくり返る──無視。



 ……家の壁の染みまで数えれるほど近づく。



 年若いチンピラ風の男達が、ニチャっと粘ついたとした笑みでバズゥの荷物に目を光らせている──無視。



 ……開いた家の戸から薄暗い店内が見える。そして人影も。



 村を守る……いや、たかりに来ている村の衛士がバズゥの出で立ちに口を開こうとする──無視。



 ……あぁ、帰ってきた。生きて帰ってきた。おめおめ・・・・と一人で帰ってきた。



 ザッザッザッと、荒く舗装された道を踏みしめる。……そして、少しだけ浮いた汗を軽く拭う──。

 昔は、こんな大荷物で漁港から歩いて帰れば汗だくになったものだが……勇者軍での生活は多少なりとも……(『猟師』レベルはMAXだが)バズゥを鍛えていたようだ。


 その健脚のもとたどり着いたのは、建付たてつけの悪いドアの先──その家は開放状態だった。


 見れば、そこには死んだ姉さんのこだわりなのか異国風の文字が掛かれた暖簾のれんという布がかかり、そして見た目を引く赤い紙造りのランプがあった。さらに、鼻腔をくすぐるのは漂うさかなの匂い……。


 そうだ、ここだ。この店だ。

 この地方は資源に乏しく、貧しくてあまり料理のレパートリーは増やせないので、一日一品の日替わりメニューに力を入れているという……その他はありふれた物ばかりの小さな酒場。




 一品メニューと、その他諸々もろもろ……寂れた村のうらぶれた酒場────。




 エリンを置いてきた後ろめたさもさることながら……懐かしさがこみ上げてきた。


 後ろから、さっき無視してきた何人かがあとをつけてきているが……知らん。そんなことより、と──ゆっくり歩いて、暖簾をくぐる……。


「いらっしゃぃ……ま……」


 鈴が転がるような透き通った声は、最後まで続かず……。




 味見をしていたらしいスープの入ったそれ。木のオタマを持ったまま硬直する──少女。







 ───バズゥ……?






「ただいま……キナ」

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