昏がりのロマンチストども
昔涼太
一章
第1話 空想の録画
照明を消し、ドアを閉じ、部屋から光と音を可能な限り排除して、僕はベッドに横たわった。瞼をゆっくりと閉じ、両手をお腹の上に乗せて、深呼吸。思考は次第に、無へとかすんでいく。無の一歩手間で、「よし」と小さく呟く。まずは、予行練習。
頭の中に、広大な青を思い描いていく。その青を、無限の彼方へと塗り広げていき、そこで再び、深呼吸する。僕の好きな青に近い。今日は調子が良いかもしれない。その青は空間である。上下左右の座標がある。下地はひとまずオーケー。
僕は、青のどこかに僕自身が立っているのを想像する。眼下に、茫漠とした白をぶちまける。大雑把ながらも、慎重に。細部には深入りせずに、全体のダイナミックを強調した激しい白の塊を描く。それで雲ができた。悪くない出来に、少し笑みがこぼれるが、邪念は無用、意識を青に集中させる。
上方から、激しい白の太陽光線が降り注ぐところまで想像して、僕は勢いよく瞼を持ち上げた。景色は一変して、暗黒に飲まれた。舞台はこんなものでいいだろう。
僕は、ベッドから立ち上がり、一旦、照明をオンにした。そして、PCデスクの上においてある、マインドスキャナーを持ち上げた。それは、数年前に大流行した、VRゴーグルと見た目は似ているけれど、用途は全く異なる。これから僕がするのは、VR体験や、VRゲームではない。妄想の録画である。
マインドスキャナーは、当初は、医療のフィールドで活用されていたが、開発が進み、三年前に、H社が一般向けに改良して、世に出回ることになった。それは、「脳内の映像をスキャンし、電子化できる」という画期的なデバイスとして、一躍話題になったが、その高価さゆえに、一部の層――新しいもの好きや、ガジェットオタク、新しい金鉱を求める金持ち――を除いて、世間はすぐに関心を失っていった。僕もその例外ではなかった。あまりにも高価だし、用途が限定的すぎると思った。それを使って遊ぶこともできないし、僕の能では金儲けの道具にもなりそうになかった。といいつつも、わけあって、バイト代をすべて溶かして、先月購入してしまったのだが。
僕は、かつては自分が入手するとは思いもしなかった、そのデバイスを、頭部に装着した。目だけではなく、耳も覆うようなかたちで、ヘルメットに、ゴーグルとヘッドホンをスタイリッシュに統合したような姿。その側頭部には種種の精密機器を埋め込むために、耳の部分と一緒にでっぱていて、頭部を覆うようなキャップ型のスキャナーを保護するためのカバーが多面体をなしていて、さながらロボットにでもなったかのようである。
マインドスキャナーは、とても重い。VRゴーグルの比ではない(ちなみに、僕は三年前に親から、VRゴーグルを買ってもらった)。肩が凝ってしまうと、これからやる作業に支障をきたすので、照明を消してさっさとベッドに横たわった。すこし滑稽な話だけど、マインドスキャナーを購入した時に専用のヘッドレストが同梱されていた。当時は苦笑したけれど、それが今ではとても役に立っている。
僕は録画に取りかかる。デバイスの電源を入れ、いくつかのコマンド入力を行えば後は、音声認識に切り替わるので、目を閉じて指示を待つ。すると、
『マインドスキャナーは正常に動作を開始しました。……ようこそ、ソラさん。スキャンを開始しますか?』
という女性の機械音声が聞こえてきた。あらかじめ、起動後にスキャン実行の諾否を問う、イージーモードに設定してあるので、スムーズに録画に移ることができる。僕は「イエス」と答え、深呼吸をして、集中力を高めていく。今日こそは傑作を……。
『準備が完了したら、側頭部にあるボタンを高速で二回押してスキャンを開始してください』
ほとんど無の境地に達した僕は、ボタンをリズミカルに二度おした。わずかな機械の異音が、耳を撫でた。スキャンが開始されたのだ。
スキャンする映像は、さっき予行練習で思い描いた、空の風景が下地となる。これだけでは、ただの静止画でしかないので、動きを加えることになる。僕は、あらかじめ録画する映像のプランを決めておくタイプなので、これから何を思い描くかを、考える必要はない。
戦闘機。高速で大空を疾駆する戦闘機を想像するのだ。これは、言うほど簡単なことではない。むしろ、そうとう難儀なのだ。僕は、戦闘機の正確なディティールを思い描く必要がある。小学生が絵に描いたような飛行機はもってのほか、細部の描写を欠いた、戦闘機のような何か、ではいけないのである。前もって、戦闘機の画像や動画をインターネットで研究しておいた。
悪戦苦闘しつつも、満足のいく戦闘機を描くことに成功する。そして、その戦闘機が超高速で、彼方の空から、こちら側へ急接近してきて、ドップラー効果をもたらしながら、遠のいていく様子を、できるだけダイナミックに、スピーディに、パワフルに表現しなければならない。それは、わずか数秒のできごとでしかないけれど、この一連の録画作業は、非常に繊細かつ高度な技術と、尋常ならざる集中力を要する。僕のような素人にとって、この短い映像を録画するのに、脳をフルパワーで働かせなければならない。
僕は、汗が頭部全体ににじむのを感じた。暑くても、暑いというイメージをもってはいけない。ここは、上空数千メートルの雲の上である。暑さのイメージ、暖色のイメージを加えてはならない。録画可能な上限時間は、三十分であるが、とりあえず僕は、十分間を録画作業の限界に決めているので、何度も何度も、戦闘機が高速で通過する様子を思い描く。
何度も同じ光景を思い描くのには理由がある。簡単にいうと、録画したものは電子化して、実際に自分の目で見るまで、どの「戦闘機の通過」が最も優れているかの判断できないので、何パターンもサンプルを創っておき、最も優れた映像を決定版にするからだ。これは僕のオリジナルの作業工程なので、効率だとか、生産性だとかの観点から見れば、非効率かもしれない。でも、素人で、経験の浅い僕にとって、とりあえずは理にかなっているのだ。
作業も佳境に入り、集中の度合いも頂点に達し、主観的にだが、最高のクオリティに近づいているという興奮を、なんとか抑えているときだった。最大の難敵に出くわしてしまった。
「コウヘイ! そろそろお風呂入りなさーい!」という大声が階下から、デバイスの厚い壁を貫通して響いてきた。
たちまちにして、空想世界は崩壊してしまった。お風呂のイメージが、戦闘機に取って代わったのだ。高速で移動する浴槽。大空は消失し、あたりは無数の母で埋め尽くされた。
僕は軽く舌打ちをして、マインドスキャナーのボタンを乱暴に二度おした。録画停止。本日の作業は終了である。集中力は使い果たしてしまった。
良い映像が撮れているといいけれど、と思いながら、デバイスを停止させて、頭部からがばっと取り外す、と同時に、大量の汗がはじけとんだ。肩が凝ったので、首をまわすと、ごきごきと痛快な音が鳴った。
そう、この作業の最大の敵は、邪念だ。余計なことを考えた途端に、今まで組み上げて来た世界が崩れ去ってしまうのだ。あらかじめ母さんに通達しておくべきだった。マイバッドだ。
デバイスをPCデスクに戻して、僕は風呂に向かった。
昏がりのロマンチストども 昔涼太 @seki_ryota0879
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