窓の外に広がる景色は
「ぐふふふぅぅ、ぐはぁ、ぅふふふ、ふひっ」
武流は頭蓋を締め上げられる痛みに耐えながら、気味の悪い声を漏らしていた。
楽しそうにしている麻宮の姿に思わずあふれた笑いなのだが、2人にはなにが面白いのか意味不明だったので、とにかくひたすら気持ちが悪い。
武流なら、たとえ本格的な拷問をされたとしても、その執行者が女性であれば心躍るアトラクションになってしまうだろう。
「それじゃあ、取りあえず信じて貰わなくちゃね。え~っと……」
「ん? あぁ、一ノ瀬です。ども」
麻宮に尋ねるような視線を向けられ、一ノ瀬が答える。
「一ノ瀬君ね、私は麻宮よ。知ってたかしら? それじゃ、そろそろ武流君を解放してあげて、2人共こっちに来てくれるかしら」
「え? あ、はぁ」
麻宮は優し気に微笑みながらカウンターの奥から出てくると、カーテンで閉ざされた窓へゆっくりと歩み寄る。
一ノ瀬は意味が分からず眉を寄せるが、取り合えず麻宮に従いカーテンの前に歩を進めた。
ようやく人間万力から解放された武流も、頭を抱えフラフラしながら一ノ瀬の横に並び立つ。
なんとか動けてはいるが、まだ小さな呻き声を漏らしていた。地味だが強烈な攻撃だ。
それでも武流がどうにか顔をあげると、そこに細かな刺繍の入った2枚のカーテンが広がっていた。
白熱灯の灯りで赤黒く塗られたカーテンは、異界への扉のような不気味さを醸しだしている。
麻宮は二人が揃うのを見計らい、ゆっくりとその前に位置づける。
気だるげなその佇まいには、先程までの朗らかな印象は成りを潜めていた。
カーテンを背に目を伏せる麻宮の顔は、色濃い影が差し判然としない。小刻みに震える小さな肩を、両の手で押さえ付けている。
戸惑う2人にあごを向けると、口元だけが妖艶に歪み戦慄いていた。
見開かれた瞳の奥が真紅に彩られ、揺れる。
肌を刺す静寂。
永遠を纏う刹那。
呼吸をすることすら憚られる張り詰めた空気の中、武流の喉が音を立てる。
背中を伝う汗に一ノ瀬が身を震わせると、真紅の瞳が水平に流れた。
2人に背を向け、麻宮はカーテン中央の継ぎ目へ手を伸ばす。焦らすようにたっぷりの間を置いてから、大きく腕を広げ一気に開いた。
「ぇ、ぁ………………」
目のまえに広がる光景に、武流は言葉を失う。
「ちょ、なんだこれ………」
一ノ瀬はなんとか言葉を絞りだしたが、やはり後が続かない。
先程まで自転車を走らせてきた街並みも、2人には十分に物珍しい物だった。
だが、いま目の当たりにしているこの景色に比べれば、あれも当たり前の物に思えてしまう。
そこにあって当たり前の世界、なんの疑問も異論もない。
暗く静かな月灯りの下、それは2人の驚きなど素知らぬ顔で悠然と広がっていた。
海だった。
暗く、穏やかな夜の海。
川でも池でも湖でもない、文句の付けようがないほどの完璧な海が、我が物顔でそこにいる。
「どうどうどう、びっくりした? びっくりしたでしょ? 笑い堪えるのに必死だっただけど、なかなか良い雰囲気だったでしょ?」
「だから震えてたんすね。そりゃ、びっくりはしましたけど……、えぇ、海? なんだこれ? ………あ、トリックアートとかそういうやつか?」
麻宮が悪戯に成功した少女のように、愉しげに尋ねてくる。
一ノ瀬は混乱する頭でなんとか答えをだそうとするが、武流は口を開けたまま完全に処理落ちしていた。意外と逆境に弱い。
「い~え、違うわよ。本物の海。窓、開けてあげましょうか?」
麻宮は窓の下に付いている棒状の鍵を横にずらすと、両手で窓を押し開けた。
すると、ガラスに隔たれていた景色がより鮮明になる、その存在感は到底作り物には思えなかった。
髪を揺らす潮の香りが、確かに鼻腔を刺激する。海から吹き付ける穏やかな風に乗り、波の音が心地よいリズムで運ばれてくる。
「マジかよ……、やっぱさっきの匂いはそうだったのか」
「ん? さっきの匂いって?」
納得したようにうなずく一ノ瀬に、麻宮が首をかしげる。
「いや、さっきこの店に入った時、潮の香りがして……。気のせいだと思ったのに、なんなんですか、これ?」
「へぇ、よく気づいたわね」
「え? いや、あー……、俺、サーフィンしてるんで、結構海に行くんですよ」
「サーフィン? へぇ、サーフィンね。ふふ、なんだか似合うわね」
「それ、褒め言葉じゃないですよね? サーファー・イズ・チャラい。みたいなことでしょ」
にやにやする麻宮に一ノ瀬は不服そうにする。
納得のいかなそうな様子だが、この風貌でサーフィンとか言われると、量産型のチャラ男にしか見えない。
「大体みんなそういう反応するから、あんま言いたくないんですよ」
「ちっ、小賢しい」
一ノ瀬のチャラさに対する反抗心から、武流の処理能力が復旧した。
取り敢えずの悪態に一ノ瀬が反論を試みる。
「ふざけんな、ガチでやってる人はチャラくねーんだよ、チャラい奴は大体続かねーし。俺はチャラいけど、ちょっとはガチだし」
試みは失敗した。
それでも麻宮は、申し訳なさそうに眉を下げる。
「そうよね、先入観で判断しちゃ駄目よね。ごめんなさい」
「麻宮さんは悪くありません、一ノ瀬のチャラさが全ての元凶ですので。一ノ瀬、まずは謝れ」
「知るか。それより、今はこの状況が問題だろ」
一ノ瀬は睨みを利かせる武流を無視して、現状の把握に努めようとする。
しかし、武流はそれを許さない。
「ふざけるな、うやむやに出来ると思うなよ。お前の謝罪が済むまでこの状況を進展させはしない。さぁ謝れ、額を床に打ち付けろ」
「うるせーなっ、話が進まねぇんだよ、ちょっと黙ってろ!」
一ノ瀬は仕切りに謝罪を要求する武流の頭部を、ふたたび人間万力で締め上げた。さっき以上の強烈な圧をかけられ、武流は声も上げられずに白目を向く。
「ちょっと、あまり手荒な事はしないでね?」
麻宮は心配そうに声をかける。が、すでにそこそこ手荒い。
「あーはいはい、分かりました」
一ノ瀬は適当に返事をしながら、締め上げていた頭を乱暴に放り投げた。
頭の所有者である武流は、軽くバウンドしてから地面に転がりビクビクしている。非常に手荒い。
「それで、これはどういう事なんですか?」
「あ、説明がまだだったわね。ん~、なんていうか深夜0時に一瞬だけ、そこの扉がここに繋がるのよ」
麻宮は心配そうに武流を見ていたのだが、何度目かの質問を受け一ノ瀬へと向き直る。
その単純明快な回答に、一ノ瀬は先程自分が入って来た扉に目を向けた。
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