2人でお出掛け

 一ノ瀬が11時半丁度に待ち合わせの横断歩道に到着すると、すでに武流が準備万端で待ち構えていた。

 自転車を路肩に停めストレッチをしている武流に声をかけると、俺のエンジンは暖まっているといった感じの、面倒くさいテンションで出迎えてくる。

 

 武流の第一声が「よく来たな、友よ」だったことで、一ノ瀬はさっそく帰りたくなってしまったが、同行を申し出たのが自分だったことを思い出し覚悟を決める。武流がどれだけ待っていたのかを訪ねたかったが、なんか怖くて止めておいた。


 武流はすぐさま自転車に跨ると、俺に付いて来いと走りだす。当然、卵はしっかりと握りしめたままだ。

 一ノ瀬はどんどん先にいってしまう武流を必死で追いかけると、脇腹に蹴りを入れ、落ち着かせてから横並びになる。


 しだいに周囲の景色が変りはじめた頃、今日という日も残り15分というところにまで迫っていた。

 ほどなく明日が今日になり、今日が昨日になる。武流はその瞬間に思いを馳せながら、夜風を頬に受けていた。


 日が沈み昼間の暑さは成りを潜めている、半袖では少し肌寒い。

 単純に気温が下がったということだけではなく、外灯が少ないこの町の寂しさが肌寒さを助長していた。


 並木近くの大通りにはまだ道行く人の姿が見られたが、走り出してから15分で人影が完全に消えていた。

 不自然なほど静まり返ったこの町は、外界からの来訪者を拒むようですらある。


「はー、なんか凄いな。ここは本当に同じ県内か? 江戸村みたいだな」


 江戸村という表現が適切かは微妙なところだが、言いたいことはなんとなく伝わる。

 一ノ瀬は昨日の武流と同じように、物珍しそうに周囲を見渡していた。


「そうだな、夜はまた一段と重厚な雰囲気がある」

「重厚っていうか、ただ怖いだけだろ。ってか、一回しか来てないのによく道が分かるな、見た感じも違うだろ?」


 一ノ瀬は少し眉を寄せ、怯えのような感情を覗かせながら尋ねた。


「俺が女性と歩いた道を忘れるわけがないだろう。目隠で連れ回されても、歩いた道を正確に辿って帰ってこられる自信がある」

「なんだそのスキル、捨てても捨てても帰ってくるノラ犬か。心が痛むからやめてくれ」


 そういう犬は、結局拾った方が根負けして飼い続けることになる。

 そのまま寿命をまっとうする頃には笑い話になるが、よく考えると笑えないエピソードだ。


 武流のそのスキルが本当かどうか、一ノ瀬には判断がつかない。が、取りあえずこの捨て犬――もとい、武流を信じて付いていくしかなかった。とはいえ、それほど心配はしていない。


 事実、武流は少しの迷いも見せることなく、確実に幻灯堂へと自転車を走らせていた。

 脳内にGPSでも仕込んでいるかのような正確さだ、武流は優秀なストーカーになれるだろう。


 そこからさらにいくつかの角を曲がり、少し細い路地を抜けると目的の建物が姿を現した。


 月明かりでぼんやりと照らしだされるその風貌は、近付くことすらためらわせる迫力があった。

 二人は道の脇に自転車を停め店の前へ歩を進めると、対面したその姿に目を奪われてしまう。


「うお……、これはまたすげーな。予想以上だわ」

「そうだな。この荘厳な佇まいには、思わず背筋が伸びてしまう。参拝したいな」

「なんの御利益があんだよ? 予想以上に怪しいって言ってんの、用がなきゃ近づかねーよ」 

 

 そう言いながらも、一ノ瀬はおもむろにドアノブへと手を伸ばす。

 そのまま無造作にひねってみても、肝心の扉はびくともしない。静まり返った町にガチャガチャという、乾いた音が響くだけだった。


 予想通りの状況に直面し、一ノ瀬は武流に目を向ける。


「ま、閉まってるよな、どうすんだ?」

「それはそうだろう。麻宮さんは今日と明日の境に、ここから入って来いと仰っていたんだ。今はまだその時ではない」


 武流は当然のように答えると、一ノ瀬に替わり扉の前に陣取る。

 そしてポケットからスマホを取りだすと、片手でのろのろと操作し117へ電話をかけた。


 一拍間を置き、電話口からは淀みないリズムで、女性の声が現時刻を読み上げはじめる。

 正確な時刻を知りたい時に天気予報が流れるとイラっとするが、武流は一発で時報を引き当てたらしい。


 117、ピッピと鳴るのが電話時報。

 177、天気になれなれ天気予報と覚えよう。別に覚えなくてもいい。


 武流はスピーカーにしたスマホを一ノ瀬に渡すと、真剣な面持ちで時報に耳をかたむけながらドアノブを握り締める。


 そんな武流に、一ノ瀬は怪訝な顔で声をかけた。


「お前、なにしてんだ。12時になったら開くのか?」

「一ノ瀬よ、少し黙れ。中村さんの美声にノイズを混ぜたくない」

「誰だよ!?」

「東京俳優生活協同組合所属、現NTT時報担当の中村啓子さんだ。現代標準語の基準となっている素晴らしいお方だ、必ず覚えておけ」

「知らねーよ! むしろなんで知ってんだお前!?」

「いいから黙れ」


 そう一喝すると、武流はうっとりとした顔で時報に聞き入っている。

 117は、武流にとって女性の声を何時でも聞ける魔法の番号だった。幸せはわりとその辺に転がっている。好きにしたらいい。


 一ノ瀬は呆れた様子でため息を吐くと、その光景を黙って見守る。

 左手に卵を握り扉に張り付く武流は、控えめに見ても不審者でしかない。こんな姿を第三者に見られたら一発アウトだろう。


『午前零時丁度をお知らせします』


 身動ぎひとつせず待っていた2人に、待望の時が訪れる。


 渡されたスマホの画面を見ていた一ノ瀬は、ようやくこの犯罪者予備軍とのツーショットから解放されると安堵の表情を浮かべた。


『ピッピッピッ』という機械音を聞きながら、武流の表情には期待と僅かな緊張が滲む。そして『ポーン』という合図と共に目を見開くと、0時丁度にドアノブをひねった。


 お店の扉は「ガチャ」っという音をたて、意外なほどあっさりと開く。

 緊張と驚きの表情を浮かべる2人の前に、白熱灯の灯りでオレンジ色に照らさた店内が広がる。


 入り口正面に位置するカウンターの奥には、麻宮が1人で座っていた。

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