自慢と相談
武流が自宅に着くと、すでに夜の10時を回っていた。
部活もアルバイトもしておらず、普段あまり寄り道もしない武流にとっては、かなり遅い帰宅になってしまった。
連絡もせず帰りが遅れてしまったことを母の
夕食を温め直しながら事情を訪ねてきた加奈美に、武流は今日の出来事を一から説明した。
まるで武勇伝でも語るように誇らしげな武流の様子に、加奈美は少し考え込んでからなにか言いたげな表情を見せた。
息子から困っている女性を助け、その女性と長時間談笑したあげく謎の卵を貰ってきたと聞かされれば、母として思うところがあるのかもしれない。
挙句の果てに、その卵が自分の夢を叶えてくれるだとか言いだせば、母でなくても心配になるだろう。
だが、結局は黙って食事を並べてくれたのだった。
ソファーに寝転がり、テレビを観ながら武流の武勇伝を聞いていた父親は。
「その歳で婆さんまでいけるのか、さすがは俺の息子だ。結婚する前にやれるだけやっとけよ、後悔してからじゃ遅いからな」
などとほざいていた。
武流はそんな父親をぶん殴ってやりたくなったが、武流が殴るよりも先に、加奈美の拳が父の腹部に深々とめり込んでいた。
悶絶する父親を無視して食事をはじめた武流は、箸を口に運びながら隣りの椅子に目を向ける。
そして、その誰も座っていない椅子に少し悲しそうな表情を浮かべると、夫に追撃を加えようと拳を握りしめる加奈美に声をかけた。
「あの、
「ん? そうよ、もう戻っちゃった」
夫に止めを刺しながら加奈美が答えると、武流はガクッと肩を落とす。
武流が愛して止まない、愛し過ぎて若干病んでいる妹の沁香は、すでに自室に引きこもってしまっているらしい。
朝食時と夕食時の、貴重な遭遇機会を逃してしまった。今日はもう、顔を見ることはできそうにない
数年前からあまり会話をしてくれなくなっていた妹だったが、最近はその傾向がさらに顕著になっていた。
当然といえば当然だ。
こんな男を兄に持つ女子中学生の悲哀は、推し量るに余りある。現状、武流にとって早急に解決したい悩みの1つだった。
食事を終えた武流は、夕食に使った食器と空の弁当箱を洗うと、すぐ2階の自室に向かって行った。
途中、武流は沁香の部屋の前で足を止めると、息を殺し耳を澄ませてみた。だが、部屋の中からは物音ひとつ聞こえてこない。
武流は寂しそうに背中を丸め、そのまま自室へと入っていったのだった。
念のため補足をするが、病んでいるのは当然武流である。
自室に戻ると、制服も着替えずそそくさと勉強机に向かう。
小学校の時から使っている机だが、見た目にはそうとは思えない。物持ちの良い武流らしい机だ。
武流は鞄の中から桐の箱を取りだしその机にそっと置くと、中から一枚の紙を取りだし広げる。
その紙には、こう書かれていた。
所有者は卵を肌身離さずに持ち歩いて下さい。
所有者の前に現れた夢の欠片を、逃さずその手で掴み取って下さい。
所有者の夢を糧にこの卵は成長します。
所有者の夢の欠片が揃った時、卵は孵りその夢が叶います。
紙は麻宮の言っていた説明書らしい。
武流は書かれた文面を2度読み返すと、裏面には何も書かれていないことを確認してから首をひねる。
麻宮は詳しい説明が書かれていると言っていたが、そこに書かれていた説明はたった四行の簡素なものだった。
内容も麻宮の言っていたことと大差がなく、いまいち要領を得ない。
武流は卵を指でつまみ、電灯の明りにかざしてみた。しかし、光に透ける卵の中にはなにも確認できなかった。
「ふむ、どうしたものかな……」
などと呟いてみても答えはでない。
武流としては、今すぐにでも麻宮の話を聞きに行きたいところだった。というか、卵とか関係なしに話をしに行きたい。
麻宮自身、いつでも来てとは言っていた。とはいえ、昨日の今日で訪問するというのは、さすがに迷惑ではないのかという懸念がある。
とはいえ、この問題も考えたところで答えが出せそうになかった。
武流は悶々としたまま日課の筋トレを終えると、そのまま風呂に入り歯を磨く。普段なら1日の汚れを落としサッパリしている頃合いだが、まだ心の中にモヤモヤが残っていた。
その段階で、武流はようやく1人で悩んでいても仕方がないと結論付け、普段よりも大分早い時間に布団へ潜り込んだのだった。
※ ※ ※
翌日も澄み渡る青空が広がっていた。
天気予報では来週にも梅雨入りが予想されていたが、この空の下ではいまいち実感が湧かない。
正午を回り今年の最高気温を記録する教室で、武流はいつものように一ノ瀬と机を挟み弁当箱を広げていた。
珠希は昼食のおにぎりを頬張りながら、水泳部の練習へ足早に向かって行った。どうやら昨日、昼練をサボった罰としてかなりしごかれたらしい。
校庭へ全力ダッシュする後ろ姿には悲壮感が漂っていた。そんな珠希に、武流は心の中で力一杯のエールを送ったのだった。
そんなわけで、今日も男2人だけの寂しい昼食なのだが。
「んで、その助けた女の人から変な卵を渡されたと。いくら取られたんだ?」
武流がなんの前置きもなく、当然のように昨日の出来事を語り始めてから2分後、一ノ瀬からの第一声がこれだった。
感情のない表情で、こちらも当然のように尋ねてくる。
「馬鹿なことを言うな、麻宮さんはそんな方じゃない」
「知らねーよ。なんだ、ついに詐欺られたのかと思ったよ」
普段の武流をよく知る一ノ瀬は、常々『この男はいつか必ず女に金を騙し取られるだろう』と、思っていた。
その可能性の度合いとしては、予感というより予定に近い。
一ノ瀬的にとってはすでに決定事項だ。
そんな武流が謎の卵を握り締めながら「これが俺の夢を叶えてくれる」などと言いだせば、遂にやられたかと思うのも当然だった。
あるいは女性が教祖を務める、ヤバイ宗教に入信したんじゃないかという可能性も考えていた。
幸せになれるツボとか、気の流れを正常に保つ水みたいなアイテムが、一ノ瀬の脳裏に次々と浮かんでは消えていく。
「んで、俺はどうすればいいんだ?」
「どう、とは?」
パンを頬張りながら尋ねる一ノ瀬に、武流も短い質問で返す。
質問の意図を理解していない武流の様子に、一ノ瀬は面倒くさそうにしながら質問を繰り返したのだった。
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