初めての訪問 2
麻宮は5分ほどして戻ってくると、お品書きの束を脇に寄せ、持っていたお盆を丸テーブルの上に置く。
お盆に載った2つのグラスには緑茶が注がれていて、浮いた氷がカラッと涼しげな音を発てた。緑に彩られたグラスに水滴が一筋流れ落ちる。
底の浅い木製の器には、お茶請けの煎餅と
「……高そうな器ですね」
普段は食器の違いなんて気づきもしない、それ以前に興味もない武流だったが、並べられたそれ等からは、なにか特別な存在感というかオーラのような物を感じていた。
グラスや器、お盆に至るまで高級感が漂っている。
オーラとか言いだしたらいよいよ末期な感じだし、100円のコップでも女性が用意してくれれば特別に感じてしまうだろう。
だが今回に関していえば、その直感は正しかった。
「ん? 大したことないわよ、どれも数万程度だし」
「す、数万………」
もちろん、数万程度は大したことがある。
麻宮は普段扱っている品物のせいか、その辺りの感覚が小市民とはかなりずれているようだ。
その金額に、さすがの武流も顔が強ばるのを感じていた。そんな武流の前に、麻宮はグラス(2万8千円)をずいっと寄越す。
「さあどうぞ、遠慮しないでね」
武流は戸惑いながらグラスを手にすると、慎重に口へと運ぶ。そしてそのままひと息で、冷えた緑茶を飲み干してしまった。
ゆっくりとグラスを机に預け、武流は「ふー」っと細い息を吐きだす。
「あら、そんなに喉が渇いてたの? すぐにお代わり持って来るわね」
「え? ……あ!? せ、折角お出し頂いたお茶を味わいもせず一息で、何という愚行。ま、誠に申し訳御座いません!」
「口調戻ってるわよ? ふふっ、気にしないでいいから、ちょっと待っててね」
武流が自分の失態に気づき声を上げると、麻宮はその慌て振りを嬉しそうに見ながら、いそいそとお茶のお代わりを取りに行く。
武流は喜びと申し訳なさが混在したマーブル模様な感情で「くぅ…」と声を漏らし、唇を噛み締めていた。
たった小一時間で、上がったり下がったり忙しい。
メリハリのある人生で何よりだ。
麻宮がお替りのお茶を持って戻ってくると、2人は煎餅と最中をつまみながら、他愛のない話しに花を咲かせる。
気がつけば木製の器(7万2千円)はほとんど空になり、底に彫られた浮彫があらわになっていた。
麻宮をお代わりの度に立たせるわけにはいかないと、武流の提案でお盆(5万5千円)には、お茶と氷の入った大きな容器(220円)が置かれている。
すでに容器の中身は残りわずかになっていて、小さくなった氷の粒が寂し気に浮かんでいた。
店内には時計がなく、武流自身も女性との会話中に時間を気にしたりしないので現在の時刻は判らない。
それでも、かなりの時間が経過しているのは確かだった。
「そろそろ失礼します」
武流はおもむろに立ち上がると、微笑みを浮かべ一礼する。とても自然な動きに見えるが、実のところ非常に渋々であった。
本音としては、あと1週間ほどこうしていたかった。だが、そうもいかない。
当たり前だ。人はそれを不法占拠と呼ぶ。
「あらそう? もうちょっとお話ししたかったけど……、でもずいぶん引き止めちゃったものね、ごめんなさい」
麻宮の言葉に、武流は軽い目眩を覚えていた。
これ以上は嬉し過ぎて本気で昏倒しかねない。武流はゆっくり深呼吸をしてから、深々と頭を下げる。
「いえ、とんでもありません。こちらこそ、夢のようなお時間をありがとうございます」
「夢のような時間って、大袈裟ね~、嬉しいけど。私も武流君のこと気にいっちゃったな、話していても楽しいし」
「そんな、もったいないお言葉……、光栄です」
麻宮は机に置いた両手にあごを乗せると、本当に楽し気な笑顔を見せる。
いつの間にか呼び方も変わっていて、はた目にも気を許しているのが伝わってくる雰囲気だった。
そんな麻宮に、武流は思わず涙ぐんでしまう。
心の中では号泣だった。
そうしていると、麻宮が少し難しい顔をしてから切り出した。
「ねぇ、やっぱりちゃんとお礼をさせて、このままじゃ気がすまないわ」
「え? は、いえ、そんな。これ以上は、そんな滅相も」
「断るの?」
武流が突然の申し出にパニクっていると、麻宮はあごを上げジトっとした目で睨みつける。
その表情に、武流は眩しそうに目を細めながら頭を下げた。
「ありがたき幸せ、謹んで頂戴いたします」
「うむ、宜しい」
麻宮はわざとらしく胸を張り、うむっとうなずく。この短時間で、武流の扱いにかなり慣れてきた感がある。
もっとも、この珍獣は生態さえ知っていれば、女性にとって非常に扱いやすい生き物ではあるが。
「ん~、それじゃあどうしようかな……、武流くんなにか欲しい物とかないの?」
麻宮はあごに手を当て、考える仕草をする。
お礼がしたいと言ったはいいが、特に候補はなかったらしい。
「欲しい物、ですか。この時間が続けばなによりですが……」
「おぉ、欲がないのか欲張りなのか。というか、よく本人に言えるわね。それじゃ、夢とかないかしら?」
麻宮は照れくさそうに曖昧に笑ってから、さらに尋ねた。
「夢、夢…………、夢ですか」
武流は夢の有無を問われ、腕を組み静かに瞑目する。
その胸中には確かな答えがあった。しかし、すぐにはそれを口にできず、苦しそうに胸を押さえる。
そんな様子に持病の発作でも起こしたのかと、麻宮がオロオロとうろたえていた。
確かに持病ではあったが、心配の必要はない類のものだ。
武流は数回大きな深呼吸をすると、ためらいがちに口を開いた。
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