初めての訪問
「は~~~、やっと着いた」
麻宮は足を止めると、額の汗を拭いながら長く息を吐きだした。
その店は古めかしい町並みの中でも、一段と歴史を感じさせる風格があった。
木造平屋の小柄な建物の中心には、四分割に仕切られた大きな窓があり、カーテンで閉ざされ店内は見えなくなっている。
右手に備え付けられた扉には美しい装飾が施されており、訪れた者の目を引くだろう。
そのドアの上には大きく分厚い一枚板に、黒墨で「幻燈堂」と書かれた看板が掲げられていた。
武流はそれを見上げ首をひねる。
「幻燈堂、ですか。字が違うんですね」
「うん? あ~、昔はこっちを使っていたらしいのよね」
答えながら、麻宮はガチャリと鍵を開けドアノブを回す。
「さあさあ入って、今日は定休日だから誰もいないのよ」
「はい、お邪魔します」
武流は麻宮に促されるまま、薄暗い店内に足を踏み入れる。
麻宮は店の奥へ歩を進め、電灯のスイッチに手を伸ばした。天井から吊るされた白熱灯が、薄暗い店内をオレンジの灯りで照らしだす。
「おぉ………」
武流は思わず声をもらしていた。
外から見ていたよりも広く感じる店内には、ところ狭しと骨董品や美術品が陳列されている。
こういった物に疎い武流にも、その壮観な眺めは圧倒されるものがあった。
「これは凄い」
「節操のないラインナップでしょ? ま、品数だけはなかなかの物だと思うけどね。荷物はこの辺に置いて、本当に助かったわ」
麻宮はやれやれといった感じで木製のカウンターに寄り掛かりながら、近くのテーブルの横を指で差し示す。
「いえ、とんでもないです」
武流は麻宮の指示に従い荷物を下ろすと、改めて店内を見渡した。
陶器に漆器、西洋食器などの数が一番多い。
ほかにもガラス細工にアンティークドール、古い玩具なども飾られていた。確かに脈略のない品揃えだが、どこか同じ空気を感じる。
それらだけで店内は埋め尽くされているのだが、店の隅に置かれた丸テーブルの上には分厚い紙の束があり、そのテーブルを挟むようにシンプルなデザインのイスが2脚置かれていた。
武流はそれを不思議そうに眺めながら尋ねる。
「あの紙の束は一体何ですか?」
「あぁ、お品書きよ。絵画とか掛け軸とか広げるにも場所がないし、劣化もしやすいから。あとは調度品の類も載ってるわね」
「なるほど、やはりそういった商品も扱っているんですね」
武流はうなずきながらふたたび店内を見渡すと、小さく首をかしげる。
「にしては……」
「どうかした?」
「いえ、素人考えなのかもしれませんが、絵画などを扱っていてこの明かりは適切なのかと」
白熱灯によって照らされる店内は、柔らかなオレンジ色に染まっている。
これでは絵画や掛け軸を広げても、本来の色彩を見ることはできないだろう。武流の疑問は至極真っ当なものだった。
その問いに、麻宮はバツが悪そうな苦笑いを浮かべる。
「でしょ? 私も蛍光灯の方がいいって言ってるんだけど、店主が譲らなくて」
「そうなんですね、店内の雰囲気などを考慮しての事ですか?」
「違うわよ、昔からこうだからって。お店の漢字は変えちゃうくせに変な所で頑固なんだから」
麻宮はまるで目の前に当人が居るかのように呆れ顔を浮かべると、口を尖らせ文句を言う。
その表情は近しい相手を想定しているからか、どこか拗ねた少女のように可愛らしい。
この表情を普段から楽しむことができる店主に軽い嫉妬を覚えながら、武流は店内をあらためて見渡した。
「こちらはもう長く営業されてるのですか?」
「そうね、確か四十年位だったかしら、建物自体はもっと全然古いんだけど。時代が変わったら、こっちも合わせていかないといけないのにね」
麻宮は腕を組み眉根を寄せると、自分の言葉にヒートアップしてきたのか、次から次へと文句を並べ立てる。
「絵画なんかを見せるときには、わざわざカーテン開けたり、お店の外に出たりするんだから。あれは絶対意地になってるのよ。そのくせほかの備品は新しいものにしちゃうし。昔は携帯電話なんていらないとか言ってたくせに、最近じゃ私よりスマホ使いこなしてるんだから」
ヒートアップしすぎて、もはやお店には関係ない文句になっていた。
麻宮本人は怒っているつもりなのだが、コロコロと変わる表情と仕草が可愛らしい。そんな姿に武流は微笑みながらうなずいていた。
まるで孫を愛でる好々爺のようだ、精神年齢が計り知れない。
「あっ、ごめんなさい。そこの椅子、好きに座って」
自分が余計なことを言っているのに気づき、麻宮は不意に恥ずかしそうにする。
「いえ、楽しいです。失礼します」
そう答えた武流は、本気で心から楽しんでいる顔だった。 そんな様子に、麻宮は取りつくろうような咳払いをする。
「お茶持って来るわね、少し待ってて貰える?」
「いえ、そんな。お気遣いなく」
「なに、私のお茶が飲めないって言うの?」
麻宮は遠慮する武流を睨みつけると、絵に描いたような迷惑上司的発言をする。
悪戯っ子のような麻宮の顔から察するに、本気で言っているわけではなく、ただ言いたかっただけらしい。
確かに、一度は口にしたい台詞である。
「ふはっ……、では、いただきます」
女性とのこういうやり取りをいつも夢にみていた武流は、麻宮の台詞に内心悶絶していた。
しかし、さっき我を失ったばかりということもあり、その感情と緩みそうな表情筋を無理やり押さえ平静を装って見せた。
だが、あふれ出る笑みは制御しきれず、むしろ怪しさが増している。
普段の武流を知らなければ、秒で通報しそうな顔だ。
麻宮はそのやばい視線を背中に感じながら、そそくさと店の奥へ消えていったのだった。
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