楽しみはどこにでも転がっている

 2人が教室を出てから10分ほどが過ぎ、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響くと、多くの生徒が慌てた様子で教室に戻っていく。


 武流と一ノ瀬もその群れに紛れ教室に向かっていると、心なしかグッタリした様子の珠希が無事生還した。


「珠希さん、大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫だよー。みなちゃん先輩しつこくって困っちゃうよ」

 

 みなちゃん先輩とは、珠希が所属する女子水泳部の部長だ。どうやら昼休み中、ずっと追い回されていたらしい。

 珠希は学校中を走り回りなんとか逃げ切ったのだが、頭から水でもかぶったように汗だくになっていた。


 はた目から見れば困っているのは部長の方で、珠希はただの困ったちゃんなのだが、それでも武流はグッタリした珠希を心配していた。


「どうせ走るなら練習行きゃいいのに、本当に馬鹿だなぁ」


 対照的に、言葉通り珠希を馬鹿にしたように笑っていた一ノ瀬は、また武流に折檻されたのだった。


 午後の授業は武流が奇行を披露することもなく、平和な時間はあっという間に過ぎていった。

 そのまま何事もなく6時間目の授業が終わり、最後のショートホームルームを経て待望の放課後が訪れる。

 

 すぐに教室を飛び出す者や、友達とだらだら話をしている者など様々だ。

 そんななか、珠希は昼過ぎのグッタリ感が嘘のようなテンションで、ほぼ新品の教科書とノートを机にねじ込みスポーツバッグを肩にかける。


「おーし、泳ぐぞー!」

「珠希さん、元気になったようでよかったです」

「もっちろん、やっと泳げるからね!」


 珠希はブンブンと手を振りながら、鼻歌交じりにプールへと向かって行った。


 走りながら水着に着替えそうなテンションの珠希に、武流はギリギリで阻止できたストリップを再開しないかとハラハラしてしまう。


「そしたら俺も行くな」

「ああ、しっかりと労働に励むがいい」

「お前何様? それじゃな」


 2人で珠希を見送った後、一ノ瀬は1年の頃から続けている喫茶店のアルバイトへと、足早に向かって行った。

 武流はその後ろ姿を眺めながら、少し前に聞いた話を思い出す。


 一ノ瀬はあざといくらいに可愛い制服と、レベルの高い店員の女の子が目当てで今のバイトを始めたらしい。

 美味しくて可愛いスイーツが有名な店で、比較的女性客が多く、業務内容は別としてなかなか最高の労働環境だったそうだ。


 それなのに最近入った女の子が可愛い過ぎるせいで、彼女目当ての男性客が倍増してしまったらしい。

 そのおかげで一ノ瀬は、接客意欲が著しく低下していると嘆いていた。


 最近ではなにかと問題も増えてしまい、ついにその女の子に専属のボディーガードが付いたらしい。


 実に殺伐とした喫茶店だ。


 人の良い店長が、日に日にやつれて心配だとも言っていた。

 一ノ瀬が男の心配をするのも珍しいが、シフトなどで散々無理を聞いてもらっているらしい。やつれている原因はその辺りにもありそうだ。


 武流も近いうちに行きたいとは思っているのだが、そんな天国のような店に行き、正気を保てるか不安でなかなか行けずにいる。


 現在はその店の情報を集め、心の準備をしている最中だった。


 なにはともあれ、数少ない友人が持ち場に行ってしまったので、武流はいつものように1人で帰路に着くことにしたのだった。



     ※  ※  ※



 校舎をでて真っすぐ校門を抜けると、道幅の広い大きな道が目の前に横たわっている。

 道の両脇には背の高いケヤキの木が等間隔で並び、生い茂った葉が強い日差しを遮ってくれていた。


 この並木道は紅葉の季節になると、色鮮やかな自然のアーチへと姿を変える。

 去年、初めてその姿を目の当たりにした武流は、形容しがたい美しさに、思わず感嘆の声を漏らしていた。

 ただ、その後に行われた全校生徒総出の落ち葉拾いにも、思わずため息を漏らしたのだが。


 大きな道からは細い道が四方に伸びていき、校門から押しだされる生徒の列が、それぞれの帰り道へと吸い込まれていく。


 普段電車を利用している武流も、本来であればその列に紛れ最寄りの駅を目指すのだが、武流はいつも一駅分歩いてから電車に乗ることにしていた。


 別に健康を気遣ってや、電車代を節約するためというわけではない。

 

 この高校に入学して初めての下校で、武流は生徒の帰宅ラッシュに巻き込まれてしまった。

 その時、せまい車内で女子生徒にぴたりと密着してしまった武流は、色々と不味いことになりそうだったのだ。

 

 それからは女子生徒の安全と自身の精神衛生のため、一駅分歩いて時間を稼ぎ、生徒が少なくなってから電車に乗ることにしているのだ。


 ただそれも、嫌々というわけではなかった。


 季節によって、その様相をガラリと変える並木道を歩くのは気持ちが良いし、なにより毎日同じ道を歩いていても、日々新たな女性に出会えるのだ。


 並木道に差し込む木漏れ日を浴び、爽やかな風に黒髪をなびかせる純白ワンピース姿の女性や、タンクトップにスパッツ姿で、惜しみなく胸を揺らしながらジョギングをする女性などなど。


 そんな素敵な出会いがあった日には、禁止薬物レベルの栄養がダース単位で脳内にぶち込まれる。


 しかもその副産物として、じろじろ見て女性に不快感を与えてしまうことを懸念した武流は、顔を前に向けたまま、眼球の動きだけで周囲を観察する技術まで身に付けていた。

 今では両方の眼を、自分の意志でバラバラに動かせる。正面から見ると、進化に失敗したカメレオンみたいで気持ち悪い。


「ふむ、もう終わりか……。さて、これからどうしたものか」


 そうやっていつも心の底から満喫しているものだから、一駅分のウォーキングなんてすぐに終わってしまう。


 視線の先には、さらに道幅の広い幹線道路が広がっている。あの道路を渡らず左に曲がると、すぐ市街地に入っていく。

 そのまま真っすぐ歩き、右手に見えてくる小さな公園を通り過ぎれば、いつも武流が利用している駅が姿を現すのだが……。


 太陽はまだ、いくぶん高い位置にいる。

 空は青く晴れ渡り、陽射しは強いが爽やかな風が気持ちいい。もう2、3往復するのも悪くないかもしれない。


 武流がそう思い始めていた時、視界の端に写り込んで来る光景があった。

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