情熱は小出しに 2
ゴミをまとめたビニール袋を縛っていた一ノ瀬は、ふと気になることがあり珠希の横顔に声をかける。
「そういや、珠希はもう飯喰ったのか?」
「あ、うん、もう食べたよ。今は食休み、これから昼練あるからね」
「朝、昼、放課後と練習ですか。大変ですね」
武流が感心したように言うと、珠希は嬉しそうにニヒヒと笑う。
「そんなことないよ~、泳ぐの好きだし。特に今日みたいな暑い日なんて絶対気持ちいいでしょ? 昼は泳げないけどね」
「あぁ、だからサボってるのか」
「は、はぁ? サボってないしっ、食休みだって言ってるでしょ!」
「いやいや、どう見てもサボりだろ」
瞬時に真実を見抜いた一ノ瀬は、ジトっとした目を珠希に向ける。すると珠希は視線を逸らし、分かりやすい動揺を見せた。
珠希はこの変態どもとは違い、世間に誇れる水泳での全国区選手だ。
昨年のインターハイでは、1年生ながら200メートル平泳ぎで5位、100メートル平泳ぎでは3位の好成績を収めていた。
これまでたいした実績のなかった青葉高校水泳部において、珠希は一躍期待の新星扱いをされている。
顧問も突然やる気を出し、急に練習メニューをきつくしたあげく、朝と昼も練習を開始したのだ。
しかし、そんな状況をいまいち自覚していないように見える珠希に、周りは随分とやきもきさせられている。
そのことを珠希も気づいてはいるのだが、きつい練習を乗り越えさらに上を目指すより、のんびり自由に泳ぎたいと思っていた。
そんな訳で泳げもしない昼練は好きじゃなく、今も一ノ瀬の指摘通り、食休みと言いながらサボっているだけだったりするのだ。
「そ、そもそもさ、サボってるかどうかなんてどこで分かるの? サボりって判定できる基準なんてあるのかな?」
「おい、やめとけって。難しい話で誤魔化そうとするな、バカが露呈するぞ」
「はぁ? ロテーってなに?」
「まさに今現在の状況だよ、これ以上傷口を広げる前に練習行けって」
「なに言ってるの? わたしケガなんてしてないけど」
一ノ瀬は淡々と、それでいて着実に珠希を追いつめていた。
それにすら気づけていない珠希は、着々とバカを露呈し続ける。
武流ならこんな状況を看過できず、すぐさま一ノ瀬を折檻しそうなものだが、実際のところ武流はその場から動けずにいた。
男である自分が女性を心配し助けるなど、それ自体おこがましい行いなのではないのか? 常々そんな疑念を抱いていた武流は、この状況における自身の身の振り方を決めかねていたのだ。
武流はすぐにでも割って入れる準備をしながらも、ぐっと堪え、2人のやり取りを見守っていた。
しかし、珠希が明らかな劣勢に立たされたことで、武流の我慢は限界を迎える。
「一ノ瀬よ、時には休養も必要なんだ。そんなに責めるような事じゃない」
武流としては、100%珠希を擁護したつもりだった。
客観的に見てもそれは変わらないのだが、当の珠希だけは、その言葉に違った意味合いを見つけていた。
「どういうこと? タケちゃんまでわたしがさぼってるって言うの!? ひどいよタケちゃん!!」
味方だと信じていた者に裏切られ、被害者づらで悲痛な叫び声を上げる――という珠希の演技に、武流はハッとして表情をこわばらせた。
「あ、いや、そういうつもりではないのですが。も、申し訳ありません」
確かに武流の発言は、暗に珠希がサボっていたことを認めるものになっていた。それに気づいてしまった武流は、自身の失態に愕然とする。
珠希はただサボっているだけなので、無駄に責められ心に深手を負った武流こそ真の被害者なのだが、そんなことは関係ない。
結果として珠希を責めるような形になっていたことが、武流の精神に多大なる負荷を与えていたのだ。
「はぁ……、いいから早く行けよ、練習時間なくなるぞ」
「やだ、まだごはん消化できてない」
「いやお前、消化待ってたら昼休み終わっちゃうだろ」
そう言って一ノ瀬が呆れ顔を向けても、珠希はガシッと椅子にしがみつき、ぐすんぐすんと泣き真似をしながら動こうとしない。
一ノ瀬は世界の終りのような表情を見せる武流と、小学生レベルの泣き真似を披露する珠希に挟まれ、なんかもうどうでもよくなっていた。
そんな一ノ瀬がクラスの女子を眺めながら、キャミソールって単体で着てたら最高だけど、ブラウスの下に着られると邪魔だよな――などと考えていると、どこからともなく女性の大声が聞こえてくる。
「タマーーー!! どこ行ったーーー!!」
「はっ!?」
珠希はその声にびくんと身体を震わせてると、驚いた猫のように椅子から跳ね上がり、そのまま教室から飛び出していった。
一瞬の出来事に2人が呆然としていると、遠くからまた大きな声が聞こえてくる。
「あっ、タマ発見!! 待てこらー!!」
「ぎゃーーー!!」
さっきとは違い真に迫った珠希の叫びが、どんどん遠く離れていく。
すると、腕を組みなにやら真剣な表情をしていた武流が、小さくうなずき感心した様子で口を開いた。
「素晴らしい反応だったな、さすが珠希さんだ」
「え、そういう感想?」
一ノ瀬はなぜか満足そうな顔をしている武流に首をかしげたが、こいつの思考は常人には計り知れないと考えるの止めた。
それよりも他に気になっていたことがあり、何の気なしに武流に尋ねた。
「そういや、サクはなんで俺の誕生日知ってたんだ?」
「ん? 友達だからな」
「え、あ? ……そうか」
当然のように答える武流に、一ノ瀬は複雑な表情で言葉を詰まらせる。
深く考えず質問してしまった自分の浅はかさに、一ノ瀬は激しく後悔をしていた。ちょっと嬉しかったことが、後悔の念をよりいっそう駆り立てる。
そうやって1人悶える一ノ瀬に、武流は「ふむ」っとうなずいてから尋ねた。
「俺の誕生日は?」
「え? …………8月、……3日?」
「その通り」
見事に正解した一ノ瀬が、あからさまに嫌そうな顔を見せる。暗にこの話はこれで終わりだと訴えていた。
しかし、その訴えに気がつきながら、武流は構わず話を続ける。
「なぜ、俺の誕生日を知っている?」
「いや、まぁ……、友達だから?」
「そういう事だ」
聞くんじゃねぇよ馬鹿野郎といった顔で武流を睨みつけてから、一ノ瀬は渋々答えた。
誤魔化すとかすればいいのに、やはり意外と律儀な男だ。
「あー……、便所、行ってくるかな」
「そうだな、俺も行こう」
「え、お前も来るの? まぁ、いいけど」
微妙な空気が流れるなか、一ノ瀬が耐えかねたように席を立つ。すると、武流も当たり前のようにそれに続いた。
一ノ瀬は一瞬嫌そうな顔を見せたが、強い拒否は示さず、そのまま2人で教室を出て行ったのだった。
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