紳士はブラをさらしとは言わない

「まだはえーよ、ありがとな。ってかその拍手やめろ」

 

 イラっとしながらも一応お礼を言うあたり、意外と律儀な男だ。

 その律儀な男が、武流に目を向けて続ける。


「で? サクはなにを葛藤してたんだ? さっきのなんて、見えたところでこっちに非はないんだ。堂々と見ればいいだろ」

「堂々と見るな、せめてコソコソしろ。てかタマちゃん言うなっ」

 

 珠希は一ノ瀬にクレームを入れつつ、叩いていた手を止める。それを見届けてから武流も拍手を止めた。


 どうやら武流の拍手は、珠希が1人寂しく騒がなくてもいいようにとの配慮だったらしい。


「もちろん見たい。が、多くの女性はそれを嫌がる。女性の嫌がる事はしたくない」

「お~、タケちゃん紳士! かつみっちとは違うね、素晴らしい!」


 珠希は感心したように言うと、今度は武流に拍手を送る。

 さっきよりもいくらか感情のこもった拍手に、武流がペコリと頭を下げる。


 祝われる対象から、一瞬で非難の対象に持ち場を変えた一ノ瀬は、大袈裟な仕草でやれやれと首を振った。


「はっ、分かってねぇな。本当の紳士は見て見ぬ振りなんてしない、さり気なく指摘してやるんだよ。つまり俺な」


 一ノ瀬は誇らしげに胸を張ると、親指でその胸を差し示す。そして、お手本のようなドヤ顔を見せつけた。


 その不快感を形にしたような存在に、珠希は心のこもったジト目を向ける。


「さり気なくないし目がエロかった、こっち見んな変態。あとその顔ムカつく」

「おい、人のキメ顔に文句つけんな。つーか見てねーし、ブラも必要ないお子様に興味な――」

「目潰し!!」  

「こわいっ」


 珠希の指が一ノ瀬の眼球めがけて繰り出されると、おしゃれメガネが激しく跳ね上がる。


「あっぶねーなっ、マジで眼球狙うんじゃねーよ。鳥かお前は!」

「ふん、メガネに救われたな」


 珠希は悔しそうに吐き捨てると、顔を歪めて右手をぶらぶらさせる。どうやら突いた指が痛かったようだ。


 かなり本気で目を潰しにかかったらしい、この子もちょっとやばい。


「一ノ瀬よ。珠希さんの白魚のような美しい指で助かったな、俺ならそのメガネごとお前の眼球を貫いていた」


 武流の握る箸の先端がギラリと光り、一ノ瀬の眼球に狙いを定めていた。


 一ノ瀬は日本の食文化が生んだ凶器から逃げるように、身体をよじって両手で顔をガードする。

 さすがに冗談だろうと思ってはいたが、こいつなら本気でやりかねないという恐怖も感じていた。

 

「てかブラしてるし、めっちゃしてるし」


 女子としての教示か。武流の狂気でうやむやになりそうだったブラ談義を、珠希自身がわざわざ引き戻してしまった。


 一ノ瀬はその勇気に感服しつつ、悲しみの表情で首を振る。そして、いまだに眼球を狙う箸を警戒しながら口を開いた。


「どうせスポブラだろ? あれはブラとは言わないんだよ、さらしの進化系だな」


 割と本気で最低な発言だった。

 勇気に感服した結果、とどめを刺しに来た。


「スポブラじゃないし、フロントホックだし!」

「フロントって、おま、笑わせるなよ」

「ホントだからね、ホントのホントにフロントだから!!」

「分かった分かった、………ぷっ」


 我慢の隙間からあふれ出た笑いで、珠希の怒りが頂点に達した。八重歯をむき出しにし、ネコ科動物のような鋭い目で一ノ瀬を睨みつける。


 珠希は勢いよくイスから立ち上がると、一ノ瀬の鼻先、いや、メガネに守られた眼球の先に指を突き付けた。

 

「よし分かった見せてやる! 眼球が無事なうちに網膜に焼き付けろ!!」


 突然のストリップ宣言に、クラスの男子がにわかに色めき立つ。

 しかし、遠巻きに見ていた女子にもザワザワが広がっていた。


 このまま下手に興味を示してしまえば、変態の烙印を押され、今後の学園生活に影を落としかねない。

 だが、健全な男子高校生として、あのブラ様を拝謁できるかもしれないこの状況を、みすみす逃がすことができるだろうか。


 いや、できる訳がない。


 男子の多くが保身と欲望の狭間で揺れながら、珠希にひっそりと視線を送り、その視線に気づいている女子は、軽蔑と不安のこもった眼差しでこの状況を見守っていた。


 そしてついに、クラスの注目を一身に浴びる珠希が、自分の薄い胸もとに手を伸ばした。

 その瞬間、武流が流れるような動きで珠希に迫り、細い手首を右手でガシッとわしづかみにした。


「珠希さん、大丈夫です。珠希さんはフロントホックです」

「フシュー……、ホントにそう思う?」

「思います、大丈夫です。フロントホックです」

「ん、……分かった」


 なにが大丈夫なのか分からないが、珠希は納得してくれたらしい。

 大型のネコ科動物さながらだった目つきは落ち着きを取り戻し、ストンと椅子に座り直す。

 

 武流は男子からの突き刺さるような視線を感じていたが、それは本当に大丈夫だった。

 どれほど男に恨まれたところで、ペッパー君に「お前を殺す」と言われた程度にしか感じない。


 いや、かなり怖いとは思うが、傷付きはしないということだ。

 武流にとってそこら辺の男どもは、メカニカルボーイと同じ立ち位置だった。


「ぶしつけに腕を握ってしまい、申し訳ありません」 

「あ~、いいよいいよ、こっちこそごめんね。てかありがと」


 武流のおかげで我に返り自分の行いを客観視できたのか、珠希は顔を真っ赤にしてうつむいている。

 あのまま胸部を解放していたら、大変なことになっていただろう。もしかしたら、数日スクールエスケイパーになっていたかもしれない。


 そんな未来を想像していた武流は、珠希の暴走を止めることができ、ほっと胸をなで下ろしたのだった。


 実のところ、武流としてもあのまま拝謁したい気持ちで一杯だっだ。しかし、自分の信念に反することはできなかったのだ。


 もっとも、なんだかんだで女性の腕を合法的に握ることもできたので、武流としては大満足だった。 

 とはいえ、この男は折檻をしなければならない。武流はそう考え、一ノ瀬の顔面に左手を伸ばす。


「一ノ瀬、いい加減にしろよ。明日の朝日を拝めなくするぞ」

「そ、それは、俺の眼球を潰すってことか? それとも頭ごと潰すってことか?」

「どっちだと思う? 当ててみろ」


 言いながら、武流は一ノ瀬の頭蓋を全力で締め上げた。


「あーだだだだっ! どっちも勘弁してくださいごめんなさい!!」

「あっははー♪ いいぞタケちゃん、もっとやれー!」

「御意」

「ちょ、煽るな、こいつマジあれだから――あだだだだだだだだ!!」


 実のところ、さっきの騒動でもっとも焦っていたのは一ノ瀬だった。さすがに罪の意識もあり、武流のアイアンクローを素直に享受したのだ。


 この日、武流に対する女子からの好感度が5パーセントほど上昇し、男子からの好感度が20パーセントほど減少した。

 一方で、一ノ瀬に対する女子からの好感度が暴落し、さらにスポブラを愛用している数人の女子からは、討伐対象に認定されたのだった。

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