第206話ーー空気を読んでください

 深海旅行から帰ってきて3ヶ月が経った。

 もう英語は師匠たちにお墨付きを貰えた……分身総動員して頑張ったからね。分厚い英英辞書とかも毎日読みまくったし、古今東西のドラマや映画を見まくったりもした。

 現在はスペイン語に手をつけている。これは香織さんもほとんどわからないって事で、一緒に机並べての勉強だ。

 ただという曖昧な言葉に隠された地力と、元々備わっている知能レベルの差もあって、どんどんと修学率に差が付き始めている気もするけど……なので寝る必要のない分身に夜中にガッツリと勉強させて必死に追いかけているって感じでもある。


 そうそう、2ヶ月ほど前にようやく迅雷の面々がダンジョンから戻ってきた。

 ナル森とゴリ柴田が一全本部へとやって来た事で久しぶりに会ったので、新人に全員なったのかと聞いてみたら、未だに全員が人間のままのようだ。戻ってきたのはただ単純に食糧不足で、2ヶ月ほど休養兼準備を整えたらまた北ダンジョンに籠ってステータスを上げる事に力を注ぐらしい。

 約半年も潜っていて未だに誰一人として目標を達成出来ないなんて……どんだけ元が悪いのか?それともぬるいキャンプ気分なのかと疑ってしまう所だ。

 そんなわけで、あくまでも彼らは各流派の広告塔で、表に出ずにずっとダンジョンに籠っていられては役に立っていないという事で、再来週から一緒に潜ってスパルタ指導をするらしい……


 彼らは約半年近く地上の情報を得る事が出来ていなかったので、中国や朝鮮半島の今について知ってめちゃくちゃ驚いたようだ。その為にニュースサイトやまとめサイトなどでの情報収集にもかなり時間を取られているみたいだ。いつもならそんなに変わる事もないけど、今回は国が無くなったりしているからね……大変だ。しかもメディアに出てコメントを求められたりする立場だからね、更に大変だろうな〜って思う。


 その中国と朝鮮半島の情勢は変わっていない。ただロシアやアメリカ、インドが実験体を捕まえて自国で研究を盛んにしているらしいという話ぐらいだろうか。先日の中国での力を見て、己たちも力を得る事を考えるのは致し方ない事だと思う。そうなる予想があったから俺たちも資料などをことごとく破壊消去したわけだしね。

 結局クーデターが起きたりして国という形さえなくなってしまったのを見て、何故に手を出せるのかとは不思議に思うけれど、自分たちだけは大丈夫だときっと思うんだろうね……愚かにも。

 そんな場所にまた駆り出される事がない事を祈るばかりだ。


 まぁそんなうんざりするような事は置いておいて、今日は修行も勉強もお休みだ。

 そしてそんな休日に俺は何をするかというと、遥か昔に香織さんと約束した東山動植物園でのデートです!!

 召喚獣たちは鬼畜治療師とばあちゃんと一緒に宝石店へお出掛けしている。先日の海中ダンジョンで宝箱から出た物や、未だ時折水晶の小鳥が産み出す宝石を加工して貰うらしい。彼女たちは宝箱の中から出た宝石を自分用に確保しているにも拘わらず、俺やハゲヤクザの全て提出した成果を突き放した金額だったんだよね……納得がいかない、悔しすぎる。

 ついでに香織さんが持つドベのハゲヤクザへの命令権だけど、まだ使用されていない。ちなみにうどんの提案はハゲヤクザの頭へマジックペンでの自由なラクガキだったらしいが、さすがに……と香織さんに却下されたとうどんが文句を言っているのを聞いた。俺もなんか提案しようと思って考えているんだけど、何も思い付かないんだよね。何か面白いのないかな〜


 動植物園は俺の運転での車で移動。

 そう!遂に師匠から車とバイクを買って貰ったのです!!

 車は最近開発されたばかりの魔晶石をエネルギーとして使用するSUVだ。値段を調べたら800万円程もする高級車だった。バイクは国産の400CCの物。こちらは従来と同じくガソリンタイプだ。

 魔晶石使用のエンジンは、最近ようやく車に積み込むレベルの大きさに出来たけれど、まだバイクに搭載するほどには出来ていないらしい。まぁそう遠くない未来には、世の中のほとんどの車やバイクは魔晶石使用になるんだろう。


 久しぶりの運転なのに車体が大きいって事もあり、慎重にというか恐る恐る運転しながら東山動植物園に向かう。俺たちが日々暮らす本部から目的地はそこまで距離が離れているわけではないんだけど、怖いものは怖い。それに隣には大事な人が乗っているわけだし……まぁよっぽどの大事故じゃない限り死ぬ事はないだろうし、万が一の時も蘇生薬があるから大丈夫だとは思うんだけどね。それよりも事故で楽しい予定のデートが台無しになるのも嫌だしさ。


 車内のBGMは最近勉強がてら聞かされ続けたビートルズやカーペンターズ。会話はどうしても修行関連や勉強の話になってしまうのは仕方ないと思う。

 ちなみに会話は英語でだ。まだ『みんなで英語で話そう期間』は続いている。理由は1つ、話していないと俺が直ぐに忘れてしまいそうだかららしい。うん……悲しいけれど忘れるだろうという自信がある。


 駐車場に車を停めたら、券売所でチケットを買って入場。デート費用は俺が出すつもりだったんだけど、香織さんから強く割り勘でと主張されたので、別々でのお会計だ。

 今日は平日という事もあって人はまばらなので、2人で並んでゆっくりと見て回る。

 香織さんはやっぱりモフモフの動物たちが特に好きみたいで、ゾウなどの毛が無い生き物よりも観覧時間が長くなっていた。

 どちらにしろ、目を輝かせて動物たちをガラス越しに、檻の前で楽しそうに見つめたり、注意を引こうと話しかけていて、俺はそんな香織さんの横顔ばっかりを見ている……幸せだ。


 お昼ご飯はこちらも約束通りに香織さんお手製のお弁当だ。

 ばあちゃんに厳しく料理指導された事もあって、約束した当時とは違って四角形の重箱に詰められた料理の数々は色彩鮮やかで、素材の形もしっかりと生きている。そして肝心の味もとても美味しかった。まぁこれを作った朝も、隣でばあちゃんがずっと監視していたらしいけどね……「未だに目を離すととんでもないアレンジをしようとする」とは疲れた顔のばあちゃん談だ。


 楽しいし幸せだ……

 こんな日が来るなんて思ってもいなかったな。

 あとはあわよくば……


「香織さん手を握ってもいいですか?」

「うん……」


 食後に植物園に行こうと歩き始めた時に、ダメ元で声を掛けてみたら、まさかのOK。

 しかも香織さんから俺の左手を握ってくれるとは!!

 きょ、今日は最高の日です!!

 ヤ、ヤバイ顔がニヤけてしまう……

 めちゃくちゃ心臓がドキドキしているし……

 香織さんの顔をチラリと横目に見たら、顔が心做しか赤いような気がするし。

 ここ最近の修行や勉強の疲れが一瞬で吹っ飛んだ気もするよ。


 手を繋いだままゆっくりと見て回る。

 初夏の日差しのせいなのか、それとも緊張からなのか尋常じゃなく手汗をかいている気がするけれど、手を拭くためにもし離したら再度握る事が叶わないんじゃないかと思えて、離せないんだよね……どうしよう、不快じゃないかな?


 そんな事ばっかり考えている間に、いつの間にか全てを見終わって出口に到着していた。


「楽しかったね」

「また来ましょうね」

「うん」


 こんなたわいもない会話をしながら、俺は幸せを噛み締めないかながら駐車場へと向かうと、俺の車の前に見知らぬスーツを着た白人男性が5人立ってこちらを見ていた。


 どうやら幸せは長くは続かないらしい……

 明らかに俺たちを見ているし、指を差している人もいる。更にスーツの内側が不自然に膨らんでいるのを見ると、多分銃などを所持しているんだろうと思われる。


「横川一太と如月香織だな。少し話がしたい」


 こんな日くらい空気を読んでくれよ!!

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