第15話ーースライム

「走れ走れ走れっ!」


 栄ダンジョン3階、奥行100メートル、幅50メートルの広場を走る。


 ここのモンスターは厚さ3センチ、30センチ四方の不定形で、触れた石油製品を溶かす性質を持つスライムと呼ばれるものだ。

 授業で実験映像を見たが、たった100ccの原油を垂らしただけで、一瞬にして五体に増えるほどだ。30年ほど前に、中東のある国の油田にスライムが1匹敵対国によって持ち込まれた結果……その油田は瞬く間にスライムだらけになり、死んだという事件があった。そのため原油産出国では、特に嫌われていて、空港や海港などではスライムが持ち込まれないか、紛れていないかかなり細かくチェックされるらしい。

 そんな特性を持つために、エッチな本やDVDでは、女子の身体にスライムを這わせて……なんて物が沢山あったりする。

 ……よくお世話になっています。


 攻撃性がないために、襲いくる事がないのは救いだが、とにかく数が多く、増えやすい。その上、体内の核を潰すなり壊さないと倒す事が出来ない。核を潰すと、モンスターが消えた時のドロップも魔晶石を落とさないために、お金にならない……つまり数は多く倒しにくいのに、一銭の得にもならないという、極めて厄介なモンスターという事だ。

 それが床一面、天井、壁にまで所狭しと蠢いている。


 石油製品を溶かすという特性状から、俺たちは草鞋わらじを渡され履き替えている。

 アマとキムが、縁から天井や壁のスライムを突き床へ落としてから、俺は整地ローラーを独りで曳き、潰しながら走っているというわけだ。


 なぜ俺一人だけが、こんな重労働を強いられているか、それは数時間前まで遡る。




「次はないからね〜あと、後ろ見た方がいいよ」


 金山さんの言葉に振り向いた俺の目に映ったのは、にこやかに微笑む教官と親友2人だった。


「話は終わったか?勉強に戻るぞ」


 職業差別野郎の事などすっかり忘れていた事に気づいた俺は焦った、焦ったけれど教官は怒ることもなく、普通に戻ることを促してきた。


 まぁ、あの場に俺があのまま居ても仕方なかったもんね。何の問題もない、うん問題ない。

 アマとキムにしたって、俺が2人の代わりに、2人の分までしっかりと謝罪をした事を理解しているんだろう。

 んっ?2人をエロガキだと言って、公式おっぱい星人にしようとしただって?……何のことかわからない。いや、男ってみんなそうじゃないかな?あのマシュマロパイは反則だと思うしさ。だから……何を言いたいかよくわからなくなってきたけれど、大丈夫だって事だ。


 戻ったのは小部屋ではなく、1階の広間の突き当たり、2階への階段横にいつの間にか設置された机と俺たちの勉強道具だった。


 どうやらあの場所だと、勉強に身が入らないからここでやれという事らしい。


 俺たちは静かに、教官の見守る中宿題を進める事となった。

 午前中では、全体の十分の一も宿題は進んでいなかったが、夕方になる頃には約3分の1まで終わらせる事が出来た。

 ……魅惑のマシュマロパイと先輩の魅力恐るべし。あれは多分魅了スキルか何かが仕込まれていたに違いない。


 夕方になり、小部屋の人たちがどんどんと帰る中、俺たちはキリのいい所までやれと言われ、終わったのは俺たち3人と教官以外誰も居なくなった頃だった。


「よし、とりあえず横川は正座しろ」

「えっ?」

「正座しろ、正座だ」


 あとは帰るだけと、長時間の勉強で固まった身体を伸ばしていたら、教官が仁王立ちで言い放った。


「俺だけ……ですか?」

「心当たりはないか?」


 あると言えばある……

 だが、あれはもう終わった話では……

 アマとキムよ、助けてくれてもいいんだぞ?……あれっ、なんか目が冷たい。


 うん、とりあえず正座しよう。


 めちゃくちゃ怒られた、3人に。


 あの後、当事者たる俺が走り去った事により、アホ3人組と冷たい南支部の担当者曰く「底辺職はこれだから……」と勢いを増したらしい。

 そして話は決着のつかぬままに、物別れに終わったとの事だが、「底辺職で、女に媚びを売る事でしか生きれないヘタレ野郎」と捨て台詞を言って帰ったらしい。


 アマとキムは、俺が走り去った事よりも、先輩たちに2人を売ったとお怒りでした。


「エロガキとはよく言ったものだな……自分を棚に上げて」

「まぁバレていたけどな、浅はか」

「いやいや、謝罪をしただけですよ」

「そんな言い訳が通るとでも?」

「バレバレだ」

「横川はブレイバーズが好きか」


 ここで俺は更にやらかした。

 ブレイバーズとは協会が呼ぶ如月先輩たちのパーティー名の通称であって、パーティー名はまだないって事を忘れていた。

 そして、アマとキムの冷たい眼差しから逃げるために、思わず乗ってしまったのだ。


「そうなんですよっ!」

「誰がいいんだ?」

「如月先輩ですよ」

「ほう、よく知ってるな……その名を」

「えっ?だって先輩はうちの学校では有名ですし、俺も告白しましたしねっ」

「そうか、で、なんでブレイバーズという名を知っているんだ?」


 そう、先輩が勇者という事はトップシークレットだ。俺が知っていてはいけない事項なのだ。


 そこから始まる尋問……

 俺は守ったよ兄ちゃんっ!

 兄ちゃんが度々孤児院に戻って来た際に、兄ちゃんが好きな女子の情報と引き換えに引き出していた事はっ!


 まぁ孤児院名とか聞かれたりしたから、もしかしたら教官は気付いているかもしれないけど、俺は言ってないから大丈夫だ。

 風の噂で聞いたとしかね……「施設内では凄い風が吹いているんだな」とか言ってたけど……兄ちゃん、強く生きてくれっ!


 まぁ、そんなこんなで謝り倒し、その禊として独りで整地ローラーを曳く事となったわけである。


「走れっ、だらだら歩くなっ」

「53足す68は!?」

「……1……21!」

「小学生の問題も時間が掛かるのか!?」


 ダッシュしている間も、走れという叱咤の声と算数問題が襲いくる。


 足元のスライムを踏んだ感触は気持ち悪いし、ローラーは重たいし、ダッシュはしんどいのに、算数問題にまで頭が回るわけがない。


「97引く69は!?」

「2……6」

「間違いっ!5往復追加!」


 地獄のシゴキだ……

 このままでは、死んでしまう。

 アマとキムよ、助けを……クソッ、昼飯の残りを食ってやがる。


「もう無理ですって」

「走れっ!」

「……」


 いや、本当にもう無理……既に60往復くらいしているし。

 約12キロメートルだよ?それをローラー曳いてダッシュだよ?


「ふむ、もう無理か……まぁそれにしても田中の胸は大きかったな」

「はぁはぁはぁ……はい」

「ありゃ、推定Eくらいか?」

「はぁはぁはぁ……Fはあると思います」

「まだまだ余裕そうだな、あと10往復だ」


 余裕じゃねぇよ!

 そんなん聞かれたら、健全な男の子だったら答えちゃうだろ!?

 クソッ!マシュマロパイが俺を更に苦しめる。


 結局、計100往復した位で解放された。


 足はガクガクして、身体中から汗が吹き出し……まるで先程まで床を覆い尽くしていたスライムの代わりに、べチャリと床に崩れ落ち這い蹲る事となった。

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