Case.xx サボテン

〈Case.xx カクタス・ガブリエラ ??歳?? 感情治療医〉


【サボテンの花言葉…偉大、情熱、美しい眺め】


(以下は後に、政府エージェント「リコリス」の放棄され半壊した自動録音装置から回収された音源データである。カクタス・ガブリエラ医師の医院及び自宅に取り付けた録音装置はハッキングされ、ダミーの音声データが送信され続けていたことが「天使革命」後に判明した)



はあ、取材はもういい、と。分かりました、これ以上あなたに録音データをお聞かせするのはよしましょう。……顔が青いですよ。どうしましたか?はい、『マリーゴールド』はあなたのご友人でもあった。そうですね、あなたは『マリーゴールド』の紹介でここを訪れたことになっているのですから。彼とは本当に親友だった、それなのに全然気づけなかったと。それはそうです、彼は自分の黒い感情が決して外に漏れぬようにと必死に努力していた。必死に、感情を抑え込んで、あなたや私と友人として接していた。裏に隠した黒い感情を切除したとて、それが演技でなく本物になったというだけで、何ら変わりはないでしょうよ。私が行うのはあくまで感情の切除であり、人間を意志のない物言わぬ人形にすることではありません。


それで……ええ。取材はもういいということは、覚悟は決まったのですか?

私はもう、知っていますよ。兄さんが、あなたの素性を突き止めてくれたんです。


(お前の兄は、グナーデ・ガブリエラは死んだはずだ、という「リコリス」の声)


はい、「世間的には」死んでいます。十五年前、著名な名医を殺めた罪を苦に弟あるいは妹である私と無理心中を図り、私だけが生き残った。そういうことになっていますね。でも、奇跡的に兄は生きていました。肩から下が、ほとんど動かせなくなった状態で。兄が生きていると都合が悪い方々が、病院に金を握らせ兄を死んだことにしたようです。殺害された某医師を、若い研修医に執拗な嫌がらせや性的関係を迫るようなクソ野郎にしたくなかった奴らに。私はまだ子供でしたし、兄さえ死んだことにすれば、永久に奴らが兄にしたことは闇に葬られます。私たちは最低限の治療を施され、死人のいない葬儀をしてから、夜逃げするように退院しました。そして私たちは兄の家で、日々マスコミがうろつく兄の家に籠りました。……実家?あんなところ、帰れませんよ。私が性別を失い、兄が私と逃げるために医師を志した原因となった家、と言えば、分かりますか?分かりますか。それはよかった、あまり話したくありませんからね、私も。


兄は、暗い家の中で完全に正気と、生きる希望を失いました。以前の……快活で優しかった兄の影はなく、常に自分の体を傷つけ、毎日自死を試みました。赤子同然で、生活すらままなりませんでした。私は、死んだ方がましだと思いました。でも、私は、兄さんに、死んでほしくなかった。故に精神科医を志し、毎日睡眠と食事以外の全てを兄さんの介護と勉強に充て、数年後私はなんとかカウンセラーの仕事にありつきました。社会は既に深く病み、心の治療を必要としていない場所などありませんでしたから。


 ……私はそこで、いくつもの苦しみ、いくつもの悲しみ、いくつもの絶望を聞き、受け止めました。治療、のようなこともしましたが、何も役には立ちませんでした。一度は心が晴れたと言って出て行った彼らも、すぐにまた戻ってきてしまうのです。患者の数は、増える一方でした。治療のための対話も、穏やかな時間も、投薬ですら、心には打ち勝てなかった。その末に、私は今の結論にたどり着いたのです。

今の人間に、感情は不要だと。心は、人を苦しめるものでしかないのだと。


そんな私に丁度神の助けがありました。ええ本当に都合のいい、……ふふ、まさしく「神の助け」としか言いようのないものです。

マリーツィア、という女性に聞き覚えはありませんか?ええ、亜麻色の髪の。はい、そうです。あなたなら知っているはずですね。そう、政府の高官である彼女が、ある夜私の家を訪れた。そして、一人の少女の脳を見せてくれたのです。H.Aという少女の脳。数十年前に亡くなったのだという彼女の脳は、本当に奇跡的な状態に置かれていた。ちょうど……「医学の神がロボトミー手術を行ったらこうなるだろう」といった状態に。彼女は父親によって突き飛ばされ脳を深く損傷した状態で病院に運び込まれ、全く無名の外科医が死に物狂いで執刀した結果、こうなったのだと。

彼女には、映像も見せていただきました。かつて反社会的な思想を抱き、濁った目をして、大人たちを社会を恨んでいた彼女が、穏やかで博愛的な人格を持つ「天使」へと羽化した。

悪意を持たず、攻撃性を持たず、苦しみを、悲しみを、絶望を持たない。人類の永劫の責め苦から解放された少女が、そこにいたのです。


……私は確信しました。彼女こそ、「人類のあるべき姿」だと。

人類はもう、十分苦しみました。十分嘆きました。十分怒りました。十分憎みました。

十分生き、十分死んだのです。心は私たちを苦しませ、嘆かせ、死へと追いやる毒でしかなかった。……翼を持たない我々が、羽の病気に罹りますか?罹らないでしょう。心も、同じことです。そこが病巣であるならば、切除してしまえばいい。そうすれば、人類はあらゆる苦しみから解放される。かの少女……「天使」のように、人類の業から解き放たれるのです。


あとは、ええ、ご想像の通りです。私は患者として訪れる彼らの脳を、「天使」と同じ状態に「施術」しました。施術第一号は、兄でした。正気を失った兄は施術後久しぶりに、ええ、本当に久しぶりに……笑顔を見せてくれました。知能や身体能力についても、影響はありませんでした。彼は脳波で操作する人体拡張デバイスの訓練を行い、見事自分の手足のように動かせるようになりました。もともと、兄は器用なたちでしたからね。今では、電子機器操作なんか私より上手いですよ。……兄は狂う心を失い、兄の意識は恍惚と平穏の中にあります。記憶が、抜け落ちることはありませんでした。無理心中をはかるまでの、私達きょうだいの凄惨な記憶も。しかし彼はその事実をはっきりと自分に起こったことだと自覚した上で、何も感じなかったのです。ただ私の頭を撫でて、「俺たち、頑張ったんだな」と。


 ……。「感情治療手術」は問題ありませんでした。万に一つの死亡例や失敗例はなく、患者さんはみんな幸せになりました。煩わしい心を捨て、日々笑顔で生きています。ですが……元を断たねば、キリがありません。社会で人間が暮らしていく限り、人間は病んでいく。家庭で、学校で、会社で、人間は心に蝕まれていく。 私も、人間ですからいずれ死にます。政府の人間が私の暗殺計画を立てていることも、知っていました。いずれ私がこの技術を以て、国民すべてを「洗脳」するつもりだとでも思ったのでしょう。ええ、ですから、私はお望み通り、彼らの“脳を洗って”やることにしたのです。古い道徳、古い倫理に生贄を捧げ続ける彼らを、私の施術で「羽化」させます。そうしてこの技術を大きく広め、完全に普遍的なひとつの「医療」として組み込む。そうすればほぼ永久に、より多くの人を救うことができる。

人類はもう、これまでの規範や倫理ではやっていけなくなりました。今こそ人類は「羽化」し、新しい一歩を踏み出すべきなのです。


さて、作家さん。いいえ、政府エージェント「リコリス」さん。あなたは今懐の銃で、私の撃ち殺すことができます。そのつもりだったのでしょう。あなたが受けた命令は、私の暗殺ただひとつ。あなたは、あなたを作家だと信じ込んでいる私を銃で撃ち殺すだけで良かった。それでも、まずは私のことを知ろうとした。そんな非合理的なことをしたその理由は……今回の仕事に疑問を持ったから。そうではありませんか?


(答えに窮する、「リコリス」のどもる声)


無理に答えなくても構いませんよ。私はそう解釈しますし、あなたの肉体で記録される音声データを聴いた方も各々好き勝手に解釈するでしょう。


あなたは仕事に、疑問を抱いた。患者はみんな幸せそうだった。

あなたは社会に、疑問を抱いた。それに比べて、ほかの人間の苦しそうなこと。

あなたは心に、疑問を抱いた。自分もまた、この葛藤が苦しいのだと。

私は、あなたに提案をします。医師として、ひとりの人間として。

あなたも、「感情切除手術」を行いませんか。私はたとえ自分を殺そうとした人間だとて、見捨てるようなことは致しません。憎悪のすべて、怨恨の全ては非合理的で、何の益ももたらしません。ただ、不幸の数が増えるだけです。私はあなたを操ったりなどしません。ただ、あなたを心という苦しみから解放したいだけ。勿論、断っても構いませんよ。大丈夫、この医院の盗聴器は既に全て無力化されていますし、あなたがその胸の自動録音装置を提出しなければあなたが何と答えようと誰にも知られません。


(「リコリス」の、「感情を失った俺がお前を殺したらどうするのか」という問い)


想定済みです。その場合は、仕方ありません。完璧な意思が、私の排除を正解として選択したのですから。ですがその場合、私の仕事は兄が引き継いでくれるようになっています。ご心配なく。……あの日、兄と死に損ねた日から、私は世界を良くすることだけを考えて生きてきた。その夢が、もうすぐ叶うのです。今更、死など何の障害になりましょうか。


さあ、お返事をお聞かせください。

あなたは、羽化を望みますか?それとも──────


(破壊音)

(ノイズ)

(カクタス医師の静かに笑う声)

(ノイズ)

(ノイズ)

(ノイズ)


-記録終了-



〈最終話 リコリスの陳述に続く〉

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