Case.07 マリーゴールド

〈Case.07 マリーゴールド 26歳男性 小説家志望〉


【マリーゴールドの花言葉…嫉妬、絶望、悲しみ】



……やあ、カクタス。まさか俺がここに来るとは思ってなかった顔だね。

それは、うん。そうだろう。俺が目指していたものは、感情が無きゃできない職業だ。多分な。君の理想を、唾棄すべきものだと吐き捨てたこともある。君の作る理想郷に、「人間」は一人もいない、君が作ろうとしているのはロボットによる社会だとね。そのことについては、この場を借りて謝罪しよう。すまなかった。


でも、君の目指す理想郷についての見解は当時と変わっていない。

君の目指す世界は、今までと全く違うものになるだろう。

そこに、意志や感情を持った「人間」はいない。その世界の構成員はただ生命を種を維持するためだけに食べ、呼吸し、セックスをし、眠るだろう。そこにあらゆる芸術家の割り込む隙はない。芸術は、ただ生命を維持するだけの生物には不必要だからな。


だが、俺はもう、「人間」であることに疲れた。俺はもう、「人間」をやめたいんだよ。

俺は文字で食っていくことを目指していた。実際、俺の文章を評価し、安くない金を払ってくれた奴はいくらかいたさ。でも、それをありがたいと思うと同時に、俺の中で別の黒い感情が膨れ上がっていくんだ。なんだと思う?……嫉妬と、絶望だよ。


この世界には、俺より文章が上手いやつなんてゴマンといる。それから、絵が上手いやつ、漫画が上手いやつ、動画を作るのが上手いやつ、音楽を作るのが上手いやつ。たくさん、たくさん、「天才」がいるんだ。そいつらに対しての、嫉妬。醜い嫉妬が、止められないんだ。

そいつらは、別に悪くない。これっぽっちも、悪くない。そいつらだって努力して今の技術を身に着けたんだろうから。でも、思っちゃうんだ。俺が何日もかけて書いた小説より、一時間で描いたとか言ってる絵や漫画のほうが評価されるたびに。音楽や動画の素材をインターネットで売って人気を得てるやつらを眺めながら、依頼の届かないメールボックスを眺めているたびに。俺は、どうして絵でも漫画でも音楽でも動画でもなく、文章しか作れないんだろうって。そういう醜い嫉妬が胸の奥から湧き出して、嫌になるんだ……。


(「マリーゴールド」の嗚咽、それを宥めるカクタス医師の声)


……ごめん。嫌なものを聞かせた。勿論、俺だって文章を書くのが嫌いなわけじゃない。好きだから、この道を志したんだから。想像の翼を羽ばたかせ、ストーリーを考え、美しい表現でそれを書き綴る。小説にしかできないことも、知っている。それから、そんな嫉妬に心を焦がしている暇があったら文章のスキルを磨くなり自分も絵や音楽を学んでみるなりすることがあるだろうって正論も、頭では分かっちゃいるんだ。所詮はそんなことをする気力がないだけの、怠惰な小説書きのへそ曲げだって。わかってる、わかってるんだよ。


でも、感情ってやつは理屈と一番相性が悪い。どんなにそんな理屈で自分を慰めたり、叱ったりしてみても、胸の奥から湧き出す黒い感情は止められなかった。こんなものをひいひい言いながら書いたって、誰も喜んじゃくれないし誰も褒めちゃくれない、俺の全部は骨折り損なんじゃないかって思考が、いつまでも俺の頭の中をぐるぐるとかき回すんだ。わかってる。分かってるんだ。俺の怠惰が妬みが全部悪い。そんなことを考えている暇があったら、俺は一文字でも多く自分の作品を書くなり、創作論の本を読むなりした方がいい。俺の抱いてる感情は、全く間違っているんだって。ああ、分かってるんだよ……。


……。わかっているからこそ、辛いんだ。俺はいつのまにか、かつて見下したような醜い創作者になっている。他人の目や評価ばっかり気にして、自分の手を止め、自分が成功しないのを他人や小説というジャンルのせいにしている。それを、痛いほど自覚して、俺は俺自身が嫌になった。絶望したんだ、俺自身に。殺したい。俺という醜い奴を、殺してやりたい。そうすれば、俺は楽になれる。楽になりたい。いっそ小説なんか、書くたびに苦しくなる小説なんか、やめてしまって……。………。そう、何度も思ったよ。でも、出来なかった。俺には小説しかない。小説を書くことこそが、俺のアイデンティティだったんだ。小説をやめることは、俺が俺でなくなることに近かった。それは、怖い。とんでもなく、怖い。自ら命を断つのと、同じようなものだ。俺はどうしても、自分でそれを手放せなかった。


……だから、ここに来たんだ。

この黒い感情、承認欲求、嫉妬、逆恨み、絶望。全部を葬ってもらうために。

感情を手放せば……小説を書けなくなる恐怖、個を消失する恐怖も、無くなる。

俺はもう、あのうつくしいものを作る人々を、妬みたくないんだ。

あの頃の……純粋に作品たちを楽しめていたころに、戻りたい。

俺の願いは、それだけだ。


(カクタス医師の、「あなたの小説、好きでしたよ」という静かな声)


……ありがとう。その言葉はいつも、俺を慰めてくれた。

けれど……それを埋め尽くしちまうくらい、俺の絶望は止めどなく溢れてくるんだ。

俺たちが好んで描いた、心なんて言う不良品の臓器から。



〈Case.xxx ■■■■へ続く〉

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