第7話 再会

 伝えられた通り都心の駅に行くと、モッズスーツの女性がふたりいた。

 わたしも入れて黒ずくめが三人。

 ミシェルはいなかった。


「クラリスさんですね」


 昨夜電話で聞いた声だった。


「あの、こちらは?」

「エレップ・ハントのマネージャーはふたりで担当しております」

「お乗りください」


 高級そうな外車に揺られること十数分。

 うわ、と思わず声が漏れた。

 広告でしか見たことのない超高級マンション、いや、億ション。

 ミシェルはその最上階を一フロア占有していた。


 電話で話したマネージャーAが車を停めている間、もうひとりのマネージャーBに部屋の先導を受けた。材質といい照明といい、ちょっとした宮殿だった。


「エレップ・ハントはこちらです」

「……はい」


 マネージャーBが扉を開けて、わたしは目を細めた。

 部屋の奥が一面ガラス張りになっていて、これでもかと日光が入ってくる。


 家主は逆光に隠れていた。

 ローテーブルを前に座っているのがかろうじてわかった。


「ひさしぶり、クラリス」


 ぎりぎり女性だとわかる低いハスキーボイス。

 ミシェルに間違いなかった。


「髪切ったんだ。ダイエットもしたんだね。スーツ、似合ってるよ」

「うん。大変だった」


 背後で扉が閉まる。

 わたしはそれ以上、部屋に踏み入ることができなかった。

 ミシェルに近づくと、魔法がもっと強くなってしまう気がした。


「教えて、ミシェル。昨日、何をしたの」

「わたしの歌、だめだった?」

「そういうことじゃない。歌は、よかった。とっても」


 悔しいくらいに。


「わたしには昨日のあなたの歌が、ただの歌だとは思えないの」

「わかった?」

「あなた、言ったでしょ。音楽は魔法だって。人の感情を揺り動かして、挙句の果てにはミュージシャンの生き方を真似てしまうような」

「覚えててくれたんだね」

「ミシェルは、何がやりたいの。何をしようとしているの」


 ミシェルの陰が形を変えた。

 液体を注ぐ音が聞こえて、紅茶の香りが届いた。


「全部、あなたが悪いんでしょ」


 影が窓のほうを向いて、手にしたカップを傾けた。


「お願い。教えて」

「教えたとして、クラリスはどうするの」


 今日の晩御飯はどうする、なんて言うようなぼんやりとした口調だった。


「昨日、友達といっしょにテレビを見てた。あなたのライブが終わって、その友達がおかしくなって、死んじゃった」

「あなたが殺したの」

「……ちがう」

「ならよかった」

「何もよくない!」


 背中を熱いものが駆け巡った。


「死んだんだよ。わたしの大切な友達が」

「それは申し訳ないと思ってる。でも、仕方ないことなんだ。音楽は、誰に届くかわからないから」

「本当にあなたがやったんだ」

「だったら、どうするの」

「止める」

「そのために来たんだね」


 窓からの日差しが落ち着いた。雲がかかっていた。

 ミシェルの顔が見えた。

 エレップ・ハントの代名詞であるマスクはつけていなかった。


 ぼさっとした黒い髪に、細い顔つき、突き刺すような雰囲気。

 半年間、ご飯もお風呂も寝る時もいっしょだった女性がそこにいた。


 自然と足が動いた。

 手を伸ばせば抱きしめられる距離で、わたしは立ち止まる。


「ミシェルは何がやりたいの」

「もうすぐ、ひとつの世界が終わる。わたしはそれが見たい」

「昨日の曲とどんな関係があるの」

「クラリスならわかってるんじゃない?」


 飲み干したカップをテーブルに置いて、彼女は笑った。


「どうやって止めるの? 音楽は止まらないよ。昨日の映像はずっと残る。わたしの音楽もずっと残る。わたしの歌を聞いた人は、わたしの歌をずっと忘れない。わたしの生き方を真似する人は永遠にいなくならない。わたしたちが、解散したバンドの服を真似てるみたいに」

「そんなの、簡単だよ」

「うん?」


 ミシェルを見下ろしながら、両手を差し伸べる。


「あなたがひとつの世界を終わらせたいのなら、その美しさをあなたに見せなければいい。そうすれば、あなたは止まる」


 彼女の喉に掴み掛る。昨夜、多くの人を魅了したとは思えないほど細かった。


「クラリスっ――」


 息だけの声。

 ミシェルの体が、カップをなぎ倒しながら床に転がった。

 陶器の破片が散ってもわたしは手を離さない。

 馬乗りになって体重をかける。


「お願い、ミシェル。わたしに殺されて。これ以上、あなたに間違いを起こさせたくない。あなたを愛してるから」


 一切の抵抗はなかった。

 それどころか、ミシェルは笑っていた。

 静かに、息も、声もなく。


「ありがとう、ミシェル。受け入れてくれて」


 親指の根元から手首にかけてが痛い。力がうまく入らない。

 それでも、必死でミシェルの首を絞めた。


 もうじき、ミシェルは死ぬ。

 ミシェルの世界が終わる。

 そうなったら寂しい。

 わたしは殺人犯になって人生もやり直せなくなる。


 それでもいいや、と思った。

 手の感触が、激しくなるミシェルの脈拍が、上がっていくわたしの体温が、耳に残るミシェルの歌声が、彼女といっしょにすごしたあの半年間が、幸せだ。

 ミシェルの表情は美しかった。


 わたしは、幸せだ。


 部屋の扉が乱暴に開かれた。

 マネージャーのひとりが走ってきた。

 手には光るものを握っていた。


 ――やられた。


 わたしは体当たりを受けてミシェルの上から弾き飛ばされた。


 幸せが遠のいた。

 全部、台無しだ。

 わたしの世界が終わってしまう。


 そう思ったのに、わたしの体には何もなかった。


 マネージャーはミシェルにまたがって、両手を高く掲げた。

 ニッパーだった。エレキギターの弦を交換するための。


「ミシェル――」


 わたしの声が届いたかどうか。


 ミシェルの喉が裂けた。

 ひとつ、低いうめき声。

 鼻を刺す鉄臭さ。

 反射的に、マネージャーを蹴り飛ばしていた。


「ミシェル! ミシェル! しっかりして!」


 こぽ。

 血の泡をひとつ吹いて、ミシェルはまだ笑っていた。


「クラリス、ギター始めたら? 全然握力なかったよ。それじゃ、わたしの喉も絞められない。痕も残ってないんじゃないかな」

「しゃべっちゃダメ! いま救急車呼ぶから――」

「大丈夫だよ、わたしが死んでも。だって――」


 ミシェルの瞼が閉じた。


「わたしが最初に魔法をかけたのは、クラリス、あなただから」

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