第3話本物

「せんぱーい!」


 僕は楓先輩の名前をずっと叫んだ。先輩を乗せた黒のセダンが見えなくなるまで。

 後手に羽交い締めに合い、サングラスをかけた男二人に、腕を押さえつけられている僕は、惨めに檻から出た猿を取っ捕まえる様に地面に抑え付けられていた。


 いつもならその抑え付けられ方に歓びを露わにするはずだったが、今回はそういう感情は襲ってこなかった。


 窮地に立たされた僕は叫んだ。だが、その声は先輩に届くことはなかった。夜の繁華街から外れた港。誰もこの叫びで駆けつけてくれる人などいない。


 そして大好きな楓先輩はどこかへ連れて行かれた。僕は恐怖を感じ、泣き叫ぶ様に先輩の名を呼び続けていた。

 黒いスーツの男が、僕の後頭部に冷たい鉄の塊の様なものを当てた。


「静かにしないと、鉛が後頭部を撃ち抜くぞ」


 そう言われて、我を取り戻すと心を落ち着かせた。港には小型艇が停泊しており、それに無理やりに乗り込ませる。


 目隠しをされて、ボートは暗闇の海を滑り出した。潮風が鼻に付く。どこへ連れて行かれるのか。恐怖にチビリそうになりながらも我慢していると前から芳しい女性用の香水の匂いが潮の匂いに混じり近づいてくる。


「玉が縮み上がったか?」

 図太い女のしゃがれた声がして、僕の股間をぐっと握った。


「ヒッ!」


「仕方あるまいて……フフフフッ。これからがお楽しみの時間だ」

「どっどう言うことですか?」

「あはははははっ。我々に逆らった者への報いは受けてもらうぞよ」


 まるで香港マフィアの様な言い回しと少し辿々しい日本語に、僕は更に楓先輩のことが心配になった。そう思った瞬間だった。


 ヒュルッという音ともにボートの床を叩きつける何かの音。そしてパシンッ! と何度もボート床を鳴らす。その音を聞いていると、先程とは違う感情が沸き上り、思わず笑みがこぼれそうになったが、我を保っていると女が言う。


「無理に考えなくて良いぞよ? お前の事は良く知っている! あの偽物にせもの上司より、本物のドMのお前の方が絶対に気にいるぞ? もう直ぐ付く。楽しみにしておけ!」


 鞭女の言葉に、僕の動悸は何故か高鳴った。

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