第8話【LOVERS ONLY】



私の恋人。環心也さんは美大生。

彼は他の人より幾分か変わってる。

道に落ちてる変なものを拾いたがる。


まるで妖怪アンテナみたい。


およそ人が関心を持たないような、変な物にだけ彼は敏感に反応する。


独自のセンサーみたいな装置が、頭のどこかに備わっているようだ。


私たち凡人の目には、がらくたにしか見えない。そんな代物ばかり愛でたがる。


どうやら彼の目には、それらはすべて美術的価値がある原石に映るらしい。


そしてもうひとつ。


彼には隠れたスキルがあるようだ。

拾い癖には普段無自覚な彼だけど。

そちらには自覚はあるらしい。


「人だね」


そうなんだ。人?


「とにかく僕は、これまで出会う人、人、人に…とても恵まれていた気がするんだ」


心也さんは私を見て言った。


「多分、すごく運がよかったんだね」


ちょっと心也さん!照れることを言わないで。私…恥ずかしくなるじゃない。

心也さんはきょとんとしている。


あれ…私はその中に含まれない?


運も実力のうちと言うけれど。

それは彼の人柄にもよるだろう。

人間嫌な人には笑顔になれない。

為になる言葉だって聞く耳が必要だ。


心也さんはどこまでも謙虚な人だ。


高校時代。彼は美術部に在籍していた。

今の彼を見ればしごく当然の成行だ。


美術部の顧問だった田崎という先生は、彼の直のクラス担任ではなかった。


田崎先生は、彼の高校に3名在籍していた美術教師の一人だった。

美術の先生3名は多いかも。


今は少子化で生徒の数も少ないし。


「母校ということもありコネで入った」


「まあ…他の美術の先生方の一人は、学年主任をしていて多忙。一人は、じい様で定年待ちで腰痛持ち。だから誉れも実績もない、わが美術部の顧問なんて、そんな面倒な時間外労働、まあ皆『マジかんべん!』てわけさ」


そんなことを、生徒の前で明け透けに、屈託なく話す先生だった。


心也さんにとっては、今も昔も、ただの教師や部活の顧問以上の存在らしい。


田崎先生は、今まで出会った誰よりも、彼の描く絵のよき理解者だった。


心也さんは、早くから美大に進学して、絵の道に進むことを考えていた。


それは心也さんが、田崎先生の指導に触れて、美術に関する考えやアプローチにも、少なからず影響を受けたからに他ならない。


そんな彼に具体的なアドバイスをして、いつも惜しまずに支援してくれた。


文字通り彼の本当の恩師であり、兄弟姉妹がいない心也さんにとって、優しく頼れる兄のような存在だった。


「美大に進学したい」


そんな彼の希望を渋る、彼の両親を説得してくれたのも田崎先生だった。


3年生の時には、自分の母校である芸大のキャンパスも案内してくれた。


心也さんはそこで、のびのびと創作にいそしむ学生たちの姿や、自由な校風のキャンパス内の空気に触れた。


憧れはさらに強くなった。


そんな経緯もあって、彼は尊敬する恩師と同じ大学で学ぶことを強く願った。


けれど芸大というのは、一般の大学に比べ卒業後の将来の先行きが見えない。

彼の両親もそれを危惧していた。


「両親が賛成してくれなくて」


そんな風に悩んだ時期。

彼の恩師はこう言った。


「では、君の御両親に贈り物でもしたらどうだろうか?ブレスレットでも、腕時計のベルトでも…なんでもかまわないさ」


「親に…ご機嫌取りのワイロですか?」


その頃の心也さんは、それまでつきあっていた彼女と別れたばかりだった。

それに進路や家庭の悩みやらが重なり、ちょっとした自棄にもなっていた。


心身ともに疲弊していた。


「その時は、いちいち先生に返す言葉もめんどくさいって言うか…ささくれていて…随分と刺もあったかもしれない」


心也さんでも、やさぐれる時期があったのだ。高校時代の彼女の話が気になる。

心也さんをふるなんてどんな子なの。

でも、別れたのなら問題ないか。



「そう…君が脛をかじれるパトロンは、今のところ御両親だけだからね」


かじれるうちの脛は大いにかじれ。

田崎先生は朗らかに笑って言った。


「これから環は、芸術という壮大なビックバンをやらかすんだろ?ならパトロンは大切だぜ。今のこの御時世に『天才過ぎる君に私は援助を惜しまないよ』な~んて酔狂な貴族様なんていやしないぜ!」


「いや…別にそんなのいらないです」


「大昔から、金のない芸術家たちは皆、そうやってお手製のワイロを金持ちや、その連れ合いの御婦人たちに贈って、援助してくれるパトロンを見つけたんだ」


田崎先生は得意気にそう言った。


「本当ですか?その話」


中世ヨーロッパの美術史を紐解いてもそんな話は聞いたことがない。


彼は疑わしそうな目で、田崎先生を見た。先生はお構いなしだ。


「まあ僕なら、抜目なくそうするね」


やはり眉唾だ。

彼はそう思った。


「肖像画は…少し大げさかな。既製品ではなく、君が今手に入る物、君がこれ迄に見つけた、部屋の隅で埃を被ってる素材なんかで作るのが望ましいと思うね」


「なぜそんなことを?」


「すごく喜ぶからさ」


日常にあるありふれた物が、芸術家や職人の技で加工され姿を変える。

生まれるのは畏怖や感動だ。

田崎先生は知っていた。


「普段は『飯』いう他には、上にのびるしか能がないと思ってたうちの愚息がまあ素敵…親ならば感動もひとしきりだろうねえ」


「先生は…普段はあまり喋らないけど、本当はすごく口が悪い人ですよね」


部員が描いてる絵を覗いては、たまにひやりとするような、辛辣な言葉も呟く。本人は意識してないかもしれないが。


「女子部員にもこれ以上嫌われてはねえ」


彼の恩師は悪戯っぽく笑った。

時折そんな笑顔を見せる人だった。


「御両親だって、本当は君のことを力いっぱい応援したかったんだと思うよ」


絵の具の匂いが染み着いた美術室の壁に凭れて白衣のその人は言った。


「私も見てみたいな」


「先生もワイロを要求ですか?」


「期待してるよ」


彼が少し笑うのを見て。


「ふっきれたかな」


不意にそう訊ねた。


「暫くは…絵に没頭してましたから」


心也さんはそう答えた。


「ありがたいことにです」


「絵描きが、どうにか一人前になるためには…いいパトロン、それからミューズの存在は欠かせない。歴史が証明済みだ」


恋愛の相手をミューズに例えるのが実に先生らしい。彼はそう思った。


「先生もですか」


「侘しい追憶と妄想だけが俺の女神さ」


田崎先生だけには打ち明けた。

二人にしかわからない会話だ。

それが却ってうれしく思えた。


田崎先生が自分を励ましてくれている。

それだけは強く心也さんに伝わった。


高校時代の心也さんは、どうやらいい恩師に恵まれたようだ。


ちょっと変わった人みたいだけど。


「最初の頃は両親も、随分反対してたんだ。でも、今はすごく応援してくれてる。先生のおかげだと思う」


田崎先生は担任でもないのに、わざわざ心也さんの御両親を説得してくれた。


「その時の様子が今でも忘れられない」


心也さんは私に言う。


普段は寡黙な人だった。

部活中も必要な指示しか出さない。

けれど先生の指導はとても的確だった。

部の生徒たちにも信頼されていた。


それ以外の時には、椅子に座って画集や専門書のぺージを捲っている。


大概は職員室を探してもいない。

美術準備室にいつも先生はいた。


イーゼルの前で、白紙のキャンバスを睨んでいる青年。そんな肖像画のような記憶。


ヘビースモーカーらしく、絵筆の代わりに煙草を手にしている時もあった。


手にした煙草には、いつも火が点いていなかった。やっぱり変わった先生だった。


ところが、心也さんの家を訪れた先生はまるで別人で…心也さんを唖然とさせた。


それは、滅多にない太客を迎え入れた、老獪な画廊の主のようだった。


立て板に水とはまさにこのことで、心也さんがこれ迄に描いた絵画や、御両親のために作ったささやかな調度品を手に、宝石を扱うように大いに褒め称えた。


「僕はその時だけは、まるで自分が偽のマチスにでも仕立て上げられたような…そんな気分にさせられたんだ」


先生の口上はそればかりではない。

溢れる出る絵画への深い知識と礼賛。


心也さんでなくても、美術にまるで興味がない御両親さえも、たちまち虜にした。


週末になると、心也さんの御両親は揃って美術館にデートに出かけたほどだ。


「よろしければ…私がご案内しますよ」


まさに、人たらしならぬ美術ジゴロだ。

心也さんは、感心するよりも、ただ呆れ果てるばかりだった。


いったい…この人のどこに、こんな隠れたスイッチがひそんでいたのか。



「先生がもし画廊の主なら、どんな絵だろうが忽ち騙されて、みんなが買ってしまうんじゃないかと思います」


自宅から駅まで送る帰り道。

心也さんは言った。

一応褒めたつもり。


実際感謝もしていた。


両親と心也さんの間で、凍結していた進学への夢がようやく溶け始めたのだ。

あとは春を目指して頑張るだけだ。

彼の心にも希望の陽が射し始めた。


「それにしても」


あんな…スタンダップコメディアンというか、ボードビル調というか、楽しげに美術を語る人を今まで見たことがない。


「僕の親なんて、先生の話にすっかり感化されて『今度の結婚記念日は、美の都ウィーンに旅行したいわあ』『ああ素敵だね』なんて話してましたよ。あのがらっぱちな二人が…気持ち悪い…信じられない!」


先生は底が知れない人だ。

心也さんは思った。


「画廊の主か…それも悪くないね!今のうちに君にはせいぜい恩でも売って、作品のひとつも青田買いしておこうかな」


そう言って、足を止めた自販機で買った炭酸飲料を心也さんに手渡した。


「実際、大学の教授も顔負けの美術講義でしたよ!いったいどこで…そんなすごいスキルを?やはり大学で?それとも…先生は、大学院まで進まれたと聞きました…そこで学んだ?」


心也さんは先生を質問責めにしたかった。


田崎先生は自分の話をあまりしない。

聞いた話では美大の院まで進んだが中退して世界中を放浪してたとか。

心也さんには田崎先生にこの際だから聞いておきたいことが山ほどあった。


「僕の最終学歴は」


「僕が今度受験する、美大の大学院ですよね!大学は、この間先生に連れてってもらったから…美大の大学院てどんな感じかな。僕、すごく興味があります!」


「さてと…前途ある若者にどこまで話したものかな…あの伏魔殿の話を…」


すぐに田崎先生は話題を変えてしまった。

どうやらあまりいい思い出はないらしい。


「僕の最終学歴は大学院ではないよ」


「違うんですか?」


「僕が最後に絵を学んだのは…屋根がある場所なら…そう!ロンドン ナショナル ギャラリー!…そこが最後だったかな」


「はあ…先生の最終学歴って、ロンドン ナショナル ギャラリー卒業ですか…」


なにを言ってるんだろうこの人。


「いかにもそうだよ」


また変なことを言い始めた。

そもそもそこは学校じゃない。

心也さんは恐る恐る訊ねた。


「そこって…学校じゃなくて、ロンドンにある美術館ですよね?確か絵画専門の…」


普段から聡明で、とても素直な心也さんの脳が、そこから一番常識的な解答を導き出した。


「なるほど!わかりましたよ!先生はロンドン美術館の学芸員とか、職員をされてたんですね!あのロンドン美術の殿堂で!?それはすごい話だ!その若さで?あの…もっと詳しくお話を聞かせて…」


「掃除人」


「は?」


「あと、お茶くみとか…資料のコピーとか雑用もなんでもだね!早い話が雑用…お掃除がメインのバイト君だな!」


「バイトですか?」


「そう!美の殿堂に導かれ、美の女神にこよなく愛された掃除人だった。懐かしいなあ」


先生は目を細めた。その眼差しの先にある、懐かしい思い出とやらを、一向に手繰り寄せ共有することが心也さんには出来なかった。


「見当もつきません」


「君も機会があれば行くといい」


田崎先生はまた悪戯っぽく笑う。


実際絵筆を持って、キャンバスに絵を描く姿は人に見せたことがない。


白衣は謎のベールだ。


絵を描く時の先生は、こんな顔をしているのかも知れないな。心也さんは思った。



「美術館へ」


「実際まだ行けてないけどね」


心也さんは楽しそうに私に話す。


「もし行けたら…もしその時は、繭も一緒だといいな」


彼の言葉に私も首肯く。心也さんと二人で、異国の美術館巡りなんて出来たら。

素敵だろうな。


外国でなくても構わない。

東京にだって素敵な美術館は沢山ある。


「田崎先生だけじゃなくて、出会う人達が、素敵な気づきや発見を僕にくれたんだ」


「みんないい人ばかりさ」


みんな?

まだいるの?

オペラおばさん?

田崎先生の他にも?

変な人が知りあいに?


「心也さんて…もしかしたら」


私はおずおずと彼にきりだした。


「変な人ばかりを引き寄せる磁石君?」


マグネットもしくは、変人ほいほい体質ではないのだろうか。だってそうだもの。


彼の話を聞いてると、彼の話には次から次へと変な人が現れる。変人掃除機だ。


拾うだけじゃ飽きたらずに集まって来る。


いや…ちょっと待って!

ここは…いいように解釈するとしよう。


私の彼は絵の才能に恵まれた王子様。

彼は私にとって王子様。それ間違いなし。


私が生まれる少し前。心也さんという、お絵描き王子様もこの世に生まれた。


東方の三博士?

三賢人だったっけ?


イエス様が生まれた時。


賢人それぞれが、祝福のための叡智や、僥倖や預言を携えて現れた。


心也さんの前に、これまで現れた人達、彼の人生の節目に現れて、お金では手に入らない幸運を置いて行くという話。


聞けば、ネットで彼の作品を発見した若い作家さんも、その仲間に入るらしい。

その人も…きっと変な人に違いない。

私にはそんな予感がする。


オペラおばさんも?

彼女が心也さんの人生のなんの役に?


心也さんに訊ねた。

彼女はどうやら、三賢人らしきことは、なにひとつも、もたらしていないようだ。


「心也さんはマグネット」


私は彼の顔にライトを当てる。


「お化けの次は王子…マグネット?」


「そうよ!貴方これまでも…その恐るべき力で、変な人ばかりを惹き付けて来たんだわ!」


さあ大人しく白状なさい!


「それは…否定出来ないな」


彼は悪びれることなく言った。

その言葉に私は顔を上げる。


彼の細く白い指先が私を指していた。


「君も僕に惹き寄せられた?」


彼の目が、探るように私の瞳を覗き込む。

私は頬のあたりや首すじが、熱く火照るのを感じた。恥ずかしいくらいに。


「ち・違います」


なぜ敬語?

私は、ますますもって恥ずかしい。


「私は変な人じゃ…あ」


不意に私は心也さんに抱きしめられた。

華奢な彼の腕や体からは想像出来ない、強い力で抱きすくめられて。

彼のシャツに顔を埋めた。


彼の言葉が耳もとで私に囁く。

文字だけを拾い集めて紙に綴れば。

それは甘い言葉に聞こえたはずだ。


「ずっと離れないで」


でもそれは違って聞こえた。


「君だけは…僕のそばに…」


彼の声は少しだけ震えていた。

まるでなにかに怯えるように。


私は彼の胸の鼓動を聞きながら思った。


かなしい恋でも思い出したの?


彼のシャツの胸が少しだけ冷たいのは、私の唇から漏れた熱い吐息のせいだ。


心也さんは、嬉々として過去の出会いを私に話すけど。恋の話はあまりしない。


辛い別れを何度も経験したから。

彼は今こんなにも優しい人なのかな。


「急にごめん」


心也さんは私から体を離して詫びた。


「心也さん、私お願いがあるの」


私は彼の顔を見上げて言った。


「なにかな」


今の彼ならば、なんでも私の望みを叶えてくれそうだ。


私は少し悪い女の顔をして彼に言った。


「私を美術館に連れていって」


「ああ…美術館?そうだね!ぜひ行こう!今都内でやってる有名な画家の展覧会は…」


彼は現役の美大生の顔に戻る。

そして、あれこれと検索を始める。


「私、ロンドンの美術館に行きたいな!そこを心也さんに案内してほしい!心也さんの先生がお話してた…あのロンドンの美術館に、私を連れていってほしい!」


「ロンドン ナショナル ギャラリー?」


私は頷いた。確かに異国の美術館に赴き、彼に古い時代の名画のことを詳しく聞くのは、さぞかし素敵なことだろう。


「いいね!僕も、いつかは彼処の美術館には行ってみたいと思ってるんだ!」


「約束して」


「ああ約束するよ」


心也さんは笑顔で、私にそう言ってくれた。私の好きな彼の笑顔だった。


「必ず一緒に行こうね」


その時私は、古い絵画や海外旅行などに然程興味や強い憧れがあったわけではない。


「ウィーンもいいな」


飛行機に乗って機内アナウンスを聞いて。

シートベルトを締めたら。


海外なんて眠ってる間に着いてしまう。

世界は今はそんなに広くない。

そんな時代だ。


だけど私たちは、そんなにお金のゆとりがあるわけではない。貧乏学生だ。


手持のお金をかき集めても足りない。

だから今は行けなくても全然平気。

心也さんと一緒にいれたら幸せだ。


ただ私は、明日行ける映画館や、都内の美術館やプールよりも、少しだけ遠い日の約束がしたくなった。


少しでも彼と長くいたいから。


私を抱きしめた時に、彼の声や指先は、確かに微かに震えていた。

震えが私の体をにも伝わった。


それが私を不安にさせる。

それは、彼が心の何処かで感じた不安。

おそらくは同じものだと思う。


それは夏を待たずに訪れる二人の別離。

そんな予感に苛まれ私を不安にさせた。


私たち二人は、そうして、お互いの体をけして離すまいと抱き合っていた。





【Intermission】~次回予告~




ロンドン ピカデリー サーカス駅からほど近い。 トラファルガー広場にて。



「これが…噂の英国王立美術館かよ!?長らく待たせな!ようやく来てやったぜ~」


「田崎君…ちなみにここは、王立じゃなくて国立な…王立は隣にある建物!アカデミーの方だぜ!まったく…すばるよ…お前も、一応画学生の端くれなら、ガイドブックくらいは読んどけって!」


同じ大学院に通う、同期の榎本謙が、この俺様にえらそうに忠告する。


こいつ俺様と同学年のくせに生意気だ。

とは言え榎本は俺よりにこ年上。


美大には、浪人して入学するのはわりと普通だ。なので、同級生でも年齢はけっこうまちまちだったりする。


てことは生意気なのは俺の方か?

まあいいや!


アートの世界にあるのは優劣のみ!

年功序列なんて無意味なのだ!


ましてやここは、日本から遠く離れた、ロンドンのど真ん中なのだ!


「なあ榎本君よ!」


俺は榎本の肩を叩いた。


「お前…ほんとえらそうで、失礼なやつだなよ!」


「天才だからな!」


俺はそう言うと、榎本に向かって親指を立て、爽やかに白い歯を見せて笑った。


俺の名前は藤崎彗。


彗星の彗と書いてすばると読む。


おぎゃあと生まれ、物心ついた時から、絵筆を持てば天才、神童と呼ばれた男!


学校に行くようになってからも、画狼、お絵描きクレイジーなどの、輝かしい異名を欲しいままにして来た男なのだ。


田崎彗22歳違いがわかる男。

ペンはドイツ製のPITTしか使わない!


「ミリペン言うたらネオピコだべ!」


「ふ・・田舎もんだべ!そんな君には、ネオピコがお似合いだべさ!」


「んだとォ!?田崎ィ~お前だって地元は神奈川だべ!」


「厚木あたりのくそ田舎と、この俺様の故郷の鎌倉市を一緒にしないでもらえるかな?」


「ちょっとばっか古くて、海があるからってえばんなや!大仏コラ!」


「厚木駅あたりでたむろってたヤンキーが、美術の先生に拾われてアートに目覚めてんじゃねえぞコラ!元ヤンコラ!」


「あ?コラ!」


「お?コラ!」


「おい!そこの二人!岩倉先生をお待たせするんじゃないぞ!!」


二人で額をつき合わせ、コラコラ言ってたら先輩の厳しい一喝が飛んで来た。


「御意!」

「直ちに!」


「いくべさ!」


「おう!」


俺と連れの榎本は、ゼミの岩倉教授と先輩たちが待つ、美術館入り口前の石段を駆け足で登った。英国の中心にある、トラファルガー広場を占有する建築物。

英国 ナショナル ギャラリー。


ロンドンにある歴史的な建築群。

それに比べたら少し異彩を放つ。

ポストモダニズムってやつ?


現代建築と古典的様式が混在する。


「あれ…脱肛建築っていうんだよな?」


確か講義で、教授がそんな話してたぞ。


「トラファルガーって…なんかラスボスっぽくね?厨二っぽいっていうかさあ」


「田崎!お前もうロンドンで一言も言葉を口にするなや!もう台無しだ!」


近年、確かこの美術館のセインズベリー棟の増築を手掛けたのは、ロバート・ヴェンチューリっていう建築家だ。


その人物に関する講義を大学で聞いた。

記憶が確かならまだ存命のはずだ。


【建築の多様性と対立性について】


Less is more・・少ないほど豊かである。ミースの標語であります!それを彼は Less is bore・・少ないほど、退屈であると皮肉ったのであります!


Less is more・・LeLss is bore・・


それはまるで、魔法の言葉みたいで…俺は講義中にいつしか眠っていた。


「それ講義の序盤だ!ほんのおさわり!お前…よく入試通ったな!?うちの大学は実技80筆記は40%以上取らないと合格無理だべ!あれは嘘なのか!?」


まあ、他所の美大だと入試は実技重視で学科は2割くらい。実技のみの所もあるらしい。


「俺様は天才だからな!」


ふと、俺の前を走っていた榎本が、急に目の前で足を止めた。おかげで俺様は、やつの背中におでこをぶつけた。


「なんだよ!榎本ぉ~急に止まんなよ!


「成田空港から、飛行機に乗る時から、ずっと思ってたんだが」


「おう…なんだよ早く言えよ!」


「田崎…お前のその髪型と着てる服…ロンドンだからパンクス風なわけ?」


「その通りだ!」


「だっさいし!今時そんなパンクいねえべ」


「なんだって!?」


俺は榎本の言葉にショックを受けた。

せっかく髪まで染めて二時間かけて立てたのに…なんてことだ!


「そしてそのインナーはお手製か?」


俺がロンドン渡航に合わせて、自らデザインしたティシャツだ。


【倫敦上等】四文字にピサの斜塔風に傾いたビックベンにサンダーのシルエット。

気合いを入れて描いたのだが?


「だめか?」


「聞くだけ野暮だ」


榎本は唇を噛むと言った。


「でも正解だ」


セインズベリー棟を睨みながら俺に言った。


「それ多分ポストモダンってやつだ」


なに!?よくわかんが本当か!?


「くそ…負けねえ!」


榎本は俺に背を向けて走り出す。


「やるべ」


俺もつられて走り出していた。


目指すはロンドン美術館…だべ!


『次回は番外編【ロンドン美術館へようこそ!】若き日の心也の恩師、田崎先生がロンドン美術館を駆け足でご案内致します!』

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