第52話 決断の要求
翌日、慎司に連絡し、例の湖畔の街に来るよう呼び出した。遥華がいることは、伝えてはいない。
遥華がいることで慎司がどんな反応をするのか、確認したかったからだ。
店長の運転する車で、湖畔沿いの道を西へと走る。平日のため国道を走る車も少ない。あの頃から代わり映えのしない山道を進み、少しだけ新しい建物も増えて風変わりした街中を進むと、見慣れたいつもの道の駅に辿り着き、駐車場へと入る。
車の中には運転手の店長と、助手席の俺と、後部座席の遥華。三人だけだ。
ウィラルヴァは来たがらなかった。気を利かせたのか、あるいは単に遥華と一緒にいたくなかったのかは分からないが。蛇貴妃と二人で開ける予定もなかった店を開け、二人で店番をしている。
車のエンジンを止めるなり店長は、飲み物を買ってくると言って、土産物売り場の中に入っていってしまった。遥華と二人で無言で車を降りると、何とは無しに、展望台の東屋へと歩いてゆく。
この場所へ最初に訪れたときに、遥華と出会った場所。付き合い始めてからも、待ち合わせの場所として使っていた場所だ。
ここからの景色は変わらない。あの頃のままに。まるで過去にタイムスリップしてきたかのように、妙な懐かしさを感じさせられた。
それでも、陽に焼けて当時より随分と色褪せてしまった木製の東屋が、無情な時の流れを実感させ、現実に引き留めてくれる。
遥華は自分が今どんな状態なのかは、店に来る前に迎えに来たシズカと真樹さんから、聞かされているという。
「全く実感はないんだけれど……。だけど、本物の私が、この世界のどこかにいるのよね? ……変な感じ」言って、クスッと自嘲気味に笑う。
分霊体というのは、本体の魂の一部を所有する人間のことだ。その身体はおそらく、俺が向こうの世界で作ったことのある、竜人形と同じもの。クローン体であると言える。
そもそもが普通の人間であろうと、魂の量というのは一定ではなく、人によって個人差があるものだ。その意味では今の遥華の中にある魂の量と、俺や店長らの中にある魂の量は、ほぼ変わりのないものなのかも知れない。……まぁ、実際に調べてないから、本当のところは分からないが。
人間のクローン技術も確立されていないこの世界では、短期間で遥華の身体を作ることは、相当に苦労すると思うのだが……可能ではあるだろう。現に俺なら、材料さえ揃えば、数日足らずで生成することも可能だ。もっとも、この世界のクローンとは、少し違ったものなのだが……とにかく、俺に可能なのだから、この世界でもできる奴は必ず存在するはずだ。
それを作ったのが遥華本人なのか、あるいは関連する上位の神なのかは分からないが……まぁ、それは大した問題じゃない。
「多分ね……やり直したかったんだと思うな」
日差しを避けて東屋のベンチに並んで腰を下ろし、遥華が言った。
「やり直したかった?」
「うん。……私の覚えている記憶通りのことが、あのとき起こっていたんだとしたら、シュウ君のことを嫌いになって、別れたわけじゃないもの」
「そのためにお前が作られたって?」
そういえばウィラルヴァは、同じ女として気持ちは分かるとか言っていたけれど……。
ウィラルヴァとは昨夜、遥華のことで話し合ってはみた。
遥華の寿命を延ばす方法も、全く手段がないわけではない。
しかしその方法は、この世界の神々のルールでは……いや、俺が異世界の創造主だからこそ、重罪に当たる行為だった。
結局ウィラルヴァには、お前のことだからお前が決めろと、突き放されてふて寝されてしまったのだが……。
「分からないけど……少なくとも私は、シュウ君を騙して、傷つけたりなんかしたくない。本物の私が、今の私と同じ気持ちでいる保証はできないけれど……少なくとも私は、たとえどんなことがあったって、それだけはずっと、変わらない自信がある」
言って照れ臭そうに微笑む遥華を見て、それ以上は何も言えなくなる。
本当に、俺が知っている通りの遥華なんだと思う。優しくて、気遣いができて、純粋で、長屋に住む子供達の面倒見も良くて、怒ったとこなど一度も見たことなくて、ちょっと悪戯っ子で、拗ねるとめんどくさくて、意外にドジっ子で、若干メンヘラで、虫も殺さぬ顔をしてながら、蚊が飛んできたら執拗に追い回して……あれ? 後半悪口になってないかこれ?
と、とにかく……目の前にいる遥華と、夢の中で出会った遥華。どこに、どんな違いがあるというのだろう。
……いや、変わりはないんだと思う。なぜかと問われれば、直感としか言いようがないけれど。
少なくとも今、目の前にいる遥華と、夢の中の遥華の印象は、全く変わらないものに思えた。
これでも一応、人を見る目はあるつもりだ。
………あるったらあるの!
「そっか……」
「……うん」
そう言葉を交わしたのち、会話は途切れ、長い沈黙が続いた。
だけど不思議と、気まずさはなかった。こうして何も話さずとも、ただ二人で居ることには慣れていたし、特に気を遣わずとも、自然なままの時間が過ごせる関係だったからだ。
しばらくすると駐車場に、けたたましい車のマフラー音が進入してきた。やかましいなと思いつつ見遣ると、赤いスポーツカーの運転席に、慎司の顔が。
ちきしょう、いい車乗ってやがる。稼いでるのね慎司君てば。
ちなみに店長は、未だ土産物売り場から戻っていない。気を利かせて時間を使ってるんだと思うけど。
ベンチから立ち上がって手を上げると、エンジンを止めて車から出てきた慎司が、辺りの景色を眺めながら展望台へと歩いてきた。
どうやら一緒にいるのが遥華だと、階段を登り終えるまで気づかなかったらしく、遥華の顔を見た途端に、ギョッとして目を見開いた。
遥華の顔と俺の顔を交互に見比べたのちに、眉間をつまんで、ふぅっと重いため息を吐くと、
「またこんな、勝手なことを……」恨みがましくつぶやいた。
ふむ……見た感じ、演技とは思えない。どうやら慎司も、何も聞かされてはいなかったようだ。
「シンちゃん! 良かった、生きてたのね。元気にしてた?」遥華が駆け寄り、笑顔で慎司の顔を見上げる。
「生きてた? ……なるほど。多少の記憶の改竄はあるようですね」
「記憶の改竄? やっぱり私の覚えていることって……間違ってるの?」遥華が不安気に顔を曇らせた。
慎司はチラリと俺を見たあとで、小さくため息を吐いた。
「秀一さんに知られたくないことは、都合良く改竄されているはずです。覚えていることを教えてください」
「えっと……昨日話したことを、そのまま教えればいいのかな?」遥華が困ったような顔を俺に向けた。
まぁ、覚えていることを話せと言われても、聞き方がザックリしすぎてるわな。
遥華に代わって、別れることになった経緯など、慎司に話して聞かせた。
父親に俺が異世界の創造主であることがバレ、傀儡にしようとしたこと。弾みで父親を死なせてしまった慎司が、その後行方知れずになったこと。そしてその後遥華は、昭叔玄神のところに駆け込み、匿ってもらったこと。
加えて先の神々の宴で、余興の報酬代わりに遥華を引き取ることになったと告げたら、慎司はやけに怪訝そうに、眉を潜め難しい顔つきをしていた。
「玄徳様まで関わっているのですか。面倒なことにならなければいいのですが」
「どういう意味だ? 玄徳って奴、裏がありそうな感じはしなかったぞ?」
「ええ。玄徳様は、誰かを騙して利を得ようとする方ではないです。そうではなく、玄徳様は神々の社会において、完全に中立を貫くことを定められた神です。駆け込み寺として機能する彼の聖域も、それがあるから成り立っている。そこに庇護を求めた姉さんの分霊体が、余興の報酬として、秀一さんに与えられたということは、玄徳様が姉さんの側に寄ったと、見做す神もいるでしょう。
姉さんは……俺もですが、父親殺しによりかつての派閥から追放され、命を狙われています。本当はここにも、来たくはなかったのですがね」言って山頂の杉林の向こうにチラつく、赤い鳥居を見上げた。
「あそこにいる神の派閥に、ってことか?」
「……かつては。今はもう、ここの神社に神はいません。空っぽですよ。精々が眷族の誰かが、神社を守っているくらいでしょう」
「どういうことだ? それも、昔あったことが関係しているのか?」
慎司はしばし神社の方を見上げ黙っていたが、俯くように視線を東屋のベンチに向けると、静かな落ち着いた物腰で、そこに腰を下ろした。
「とりあえず肯定しておきます。
それにしても、まさか姉さんがいるなんて、思いもしませんでしたよ。てっきり秀一さんの気が変わって、神力を売り渡し、過去の真相を聞きたがっているのだとばかり思っていたのですが」
強引に話題を変えたのだということが、ありありと分かった。
「ということは、お前は何も聞かされていないわけか」
「はい。完全に意表をつかれました。おそらくは、それも狙いだったのでしょうが」
「どういうことだ?」
「悪戯、ですよ。覚えがあるでしょう。姉さんはそういう人です」クックと喉を鳴らす。
ああ、なるほど。一万%納得だわ。
遥華に目を向けると、心外そうに唇を尖らせていた。
「しかし、これでハッキリとしました。……姉さんは今でも、秀一さんを諦め切れていないのでしょうね。
俺としては、キッパリと割り切って欲しいところですが。こんな薄情な男なんか」
ジト目の慎司の視線にイラッとして、
「このやろう。そりゃどういう意味だ?」笑顔でこめかみに怒マークを浮かべてみせる。
遥華がクスクスと笑い声を上げた。
「変わってないねー、二人とも。なんかホッとしちゃった」
そう言ってどこか達観した笑顔で、俺と慎司を見つめる遥華に、妙な懐かしさを感じる。
おそらく慎司も、似たような感情を抱いただろうことが、無表情を装う慎司の顔から、なんとなく伝わってきた。
前に何度も、こんな場面があった気がする。かつてはこれが、ありふれたいつもの日常だった。もしも俺が異世界の創造主なんかではなく、普通の人間だったなら、あるいは今でもずっと、それが続いていたのだろうか。
……考えるだけナンセンスだな。失ったものと、得たものとを天秤にかけてみたって、何が変わるわけでもない。
「聞かせてもらえますか、秀一さん。姉さんをどうしたいのです。
いいえ……どうするつもりなのですか?」
しばらくののち、不意に慎司がそんなことを聞いた。
「どうするって……なんでそんなことを聞く? 何を期待しているんだ?」
「別に。ただ覚悟を知りたいだけです。このままだと、ここにいる姉さんは……長くは生きられないのでしょう? 分霊体は、本体からの神力の供給がなければ、寿命が尽きてしまうのですから。そのくらいのこと、異世界で創造主をやっていた貴方ならば、とうに知っているでしょう」
「……まぁな」
東屋の手摺に肘をつき、湖畔の風景を眺める。遥華がそっと俺の隣に並び、無言のまま同じ景色に目を向けた。
「……姉さんを、貴方の眷族下に迎えますか? 分霊体の姉さんの魂を、貴方とウィラルヴァさんの樹木に迎えれば、姉さんは貴方達から神力の供給を受けることができます。そうなれば寿命を全うすることもできますし、あるいはあなた方の世界に、生まれ変わることもできるかも知れません」
「……方法があることは知っている。ついでにそれが、神々の世界で禁忌とされている邪法だということもな。昨夜ウィラルヴァが教えてくれた」
「ですから、その覚悟を問いたいのです。禁忌を犯してまで、貴方には姉さんを受け入れる覚悟があるのですか。
おそらく姉さんは……それを知りたかったのだと思います。
ハッキリ言いましょうか。もし姉さんを受け入れないのであれば……姉さんとも、俺との関係も、ここでスッパリと途切れさせることができます。俺としては…どっちでもいいのですが、ここで完全に切れることができれば、お互いに余計なしがらみを抱え込むこともなく、純粋に自分らの問題とだけ、向き合うことができるでしょう。
それは、賢い選択だと言えます。ええ……実に賢い選択です」
慎司が遥華の隣に並び、俺と遥華と同じように、昔から代わり映えのしない、あの頃と同じ見慣れた風景を眺めた。
「ですが貴方が、神々の……いえ、おそらくは、貴方の創造神を含めた神々の顰蹙を買ってまで、姉さんを受け入れるというのならば……俺も、貴方を無視することはできなくなります。分霊体とはいえ、姉さんであることには、姉さんの一部であることには、変わりありません。
秀一さん。これは、姉さんからの問いかけなのです。
決断してください。期限は……ここにいる姉さんの寿命が、尽きるまでです」
言った慎司の気配が背後に流れてゆく。階段を下りる足音が小さくなってゆき、やがて背中から慎司の車のエンジンがかかる音が聞こえ、派手なマフラー音が、徐々に遠くへ離れていった。
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