第51話 あの頃のままです。…そのままなのです。


 宴が終わって、店長らが待っている店に帰り着いたのは、深夜になってからのことだった。


 店には店長と奈々枝さん、真樹さんと、タマちゃんハナちゃんが待機中。しかしタマちゃんは眠気に勝てなかったらしく、ソファーでハナちゃんに寄りかかってウトウトと眠っていた。ちなみに蛇貴妃もまた、俺の服の袖の中で、右腕に巻き付くようにして眠っているようだ。


 湧音君も途中までは待っていたらしいのだが、退屈だったのか、ちょっと遊びに行ってくると言って出て行ったっきり、帰ってきていないらしい。


 またどっかで野良犬のように野宿してるんじゃないですかね、あの不良息子わ!?


「初めまして、水瀬遥華です」と、ここに来るまでに私服姿に着替えた遥華が、店長らにペコリとお辞儀をする。


 驚き固まってしまった店長らに事情を説明し、それぞれに応接室のソファーに腰を下ろすと、例によって台所から運んできた椅子に、俺の隣で腰掛けていた店長が、気を利かせてくれたのか、


「よかったら遥華ちゃん、うちの店で働くかい? 僕らは常に店にいることができないだろうから、バイトを募集する予定なんだけど」と、奥の席に一人で座る遥華に微笑みかけた。


 と、間髪を入れずにウィラルヴァが、


「却下」


 冷たく端的にあしらってしまう。


 数秒間、無言でウィラルヴァを見つめた店長が、「ああ…なるほど」と全てを察したように、俺に目を向け苦笑いした。


 あっはっは、理解が早くて助かります。


「とりあえず今日は、うちに泊まりなさい。……関野さん、連絡先を交換しておきましょう」


「そうですね、お願いします」


 隣り合って座っていたシズカと関野さんがスマホを取り出し、連絡先を交換しているのを眺めつつ、どうしたものかと軽く息を吐く。


 ウィラルヴァのことだ。ここは一度、強く言っといた方がいいのか……うーむ。それで変にヘソを曲げられても困るしなぁ。


 と、再び店長が気を利かせてくれたのか、何気ない口調で遥華に、


「そういえば遥華ちゃん。理道君は、君と別れたときのことを、何も覚えていないんだ。おそらく、口にするのも憚られるような、相当の出来事があったんだと思うけれど……よかったら、教えてくれないかな?」


「え? ……そうなの?」と、遥華があの頃のままに無垢な瞳を、パチクリと瞬かせる。


「あ…ああ。誰の仕業なのかは、ハッキリとは分かっていないけれど……」


 いや、違うか。なんで思い出せないのか、理由は判明したんだった。


 と、夢の中での遥華との会話を思い出していると……違和感に気がついた。


 確か夢の中で遥華は、自分の欠片が俺の中にあるとか言っていたけれど……それに、俺が当時のことを思い出せないのは、当然みたいな言い方をしていたと思うが……。


「どこかの神様か誰かが、シュウ君の記憶を封印しているってこと?」


「ん? ああ…多分」


 続けて真っ直ぐ俺の顔を見ながら問いかけた遥華に、反射的に曖昧な返事を返す。


 しばらく無言のまま、こちらを見つめる遥華と、真っ直ぐに視線を合わせる。遥華は俺の目をジッと見つめたまま、戸惑ったような表情を浮かべていた。


 あれ? なんかおかしいぞ。


 夢との食い違いに気がついて、先ほど感じた違和感が、どんどんと大きくなっていった。


 記憶の封印って、遥華がかけたものなんだよな? いや、その他にも封印を施した神様か誰かはいるようだが、今現在も解かれていない強力な封印は、遥華の欠片が、俺の中に残っているから…だったと思うんだけど。


 あるいは、とぼけているだけなのだろうか。しかし……俺だから分かる。遥華のあの顔は、何かを隠している顔ではない。そもそもが、隠し事などできない、不器用な女だ。


「ふん。ようやく気づきはじめたか」と、ウィラルヴァが白けたような顔をしている。


「お前……」


 ………まぁたこの御方は、何やら自分だけ分かっている御様子ですよ。


 はいはい始まった始まった!


 半目でウィラルヴァを睨みつつ、


「どうせ教えてはくれないんだろ?」


「ふん。少しは自分で考えろ。色恋に溺れて、腐り切ったその頭でな」ツーンとそっぽを向いてしまう。


 ちっ。ヒステリー女め。


 ため息まじりに遥華に向き直った。


「遥華……夢の中で会ったときに言ったこと、覚えてるか?」


 試しに問いかけてみると、遥華は困惑したように、僅かに視線を泳がせ、


「夢? 夢って……夢に私が出てきたの? それは嬉しいけれど、私に覚えてるかって聞かれても……」真っ直ぐこっちを見て、困ったように微笑を浮かべた。


 うん。嘘を言ってる顔じゃない。遥華は嘘をつくときには、必ず視線を逸らす癖がある。


 困ったな。それを覚えていないとなると、何を聞けばいいやら……


 いや、覚えていないってのが、そもそもおかしい。あれは俺にとって夢でも、遥華にとっては現実だったはずだし。


「……じゃあ、何か覚えていることは? 俺とのことで」


 言って、僅かな表情の変化も見逃さないように、ジッと遥華の顔を見つめた。


「えっと……」


 問われた遥華がやや頭上を見上げ、考え込んだ仕草を見せる。


 ……と、その顔が不意に、耳の先までボッと真っ赤に染まった。


 待ていおまえ。


「何を思い出しとんじゃい!? そういうんじゃなくって!」


「ご、ごめんなさい! えっと、あのとき何があったのか、ってことよね。私達が別れることになってしまった理由、ね」


 隣でウィラルヴァが「ちっ!」と鋭い舌打ちをするのを聞きながら、遥華の話を聞く。


 遥華の記憶では、付き合ってたことが、あの湖畔の神社の神主であった父にバレてしまったことが、事の発端であったのだという。


 父は断罪者ディサイダー側の人間であり、派閥のうちでも高い立場にあった。遥華と慎司も、幼いうちから英才教育を受けていて、そちら側の事情にも詳しかったそうだ。


 なので俺と出会い、付き合うようになってからすぐに、俺が異世界の創造主であることも感付いたのだという。


 ふーむ。覚醒状態にもない普通の人間だったんだけども、分かる人には分かっちゃうんだねー。


 まぁとにかく、遥華が学校にもあんまり来てなかったのは、その辺りの事情があってのことだったんだな。


 まぁとにかく、


 俺が異世界の創造主であることを知った父は、遥華に言いつけ、どうにかして俺の星から、神力を引き出させようとした。遥華はそれを拒んだが、父は配下の断罪者らを使って、俺を拐って監禁しようと目論んでいたらしい。


 そうして洗脳し、傀儡にしようとしたというのだ。


「ふん。そこまでは真実であろうな。全てではなかろうが……」ウィラルヴァが偉そうに足と腕を組み、口を挟む。


「洗脳され神力を引き出すだけの苗床にされておる創造主は、この世界にごまんとおる」


「そ、そんなことできちゃうんだ?」店長が苦虫を噛み潰したように顔を顰めさせた。


「ああ。創造主を人質にして、創造神を脅迫したり、単純に創造主から致死量の神力を抜き取り、星から緊急補充されるのを促したり、方法はいくらでもある」


「こ、怖い話だね」と店長が脂汗ながらに空笑いした。


 怖いというかまぁ、タチの悪い話だなぁそれ。


 この世界にいる創造主……特に、傀儡にできるような創造主ならば、覚醒状態にもなく、自分が異世界の創造主だなんて、知らない連中がほとんどだろう。


 それで傀儡にされて神力を奪い取り続けられれば、星の成長も、それだけ遅延するってことになる。


 ……星には、寿命がある。もし定められた期間内に、星のレベルを成熟期にまで持っていけなかったら、星は、世界は消滅する。


 そこで生きていた者達も皆、無かったことになってしまうのだ。


 ……まぁ世界ってのは、いつかは終わるものだけどね。だけど終わる前に、俺みたいに別の世界に魂が移住し、その星から新たに誕生した創造主が、また別の世界へと移住してくれれば、永遠に世界は紡がれてゆくことになる。そうやって、この宇宙は成り立っているんだそうだ。


 ……と、そんなのは今はどうだっていいか。とにかく、遥華のことだ。


「それで、そのあとはどうなったんだ?」


「うん……普段からお父さんと仲が悪かったシンちゃん……弟の慎司と、お父さんが喧嘩になっちゃって……。

 シンちゃんあれでいて、すごくシュウ君のことを慕ってたから。…意外でしょ?」クスッと笑って、からかうような目つきを見せた。


 うん、それはまぁ、夢でなんか言ってた気がするな。飲めないコーヒーがどうとか。


「俺もなんだかんだ当時から、慎司のことは好きだったよ。今はまぁ……敵なのか味方なのか、今一つ判別できてないけど。少なくとも、あいつに何かあれば助けると思う」


 あっはっは。あいつの前では絶対、言ってやんねぇ。


 あれ? そういえば慎司は、自分の主神は姉さんだけとか言ってなかったっけ。


 ああー、夢の記憶って、なんでこんなに曖昧なんだろう。……まぁとにかく、あれは何かしらの比喩だったんだろうな。


 遥華は人間だ。いくら断罪者であろうと、人間は神とはなり得ない。死んだ後に神格化されることはあっても、生きてるうちは……って、日本ではあり得るのか。そういえばそういう特殊な国だったわここ。


 ……うん。あとで慎司に電話しよ。


 まともに教えてくれるとは思えんが。


 と、


「どういうこと? シュウ君、シンちゃんと会ったの?」遥華がポカンとした顔で俺を見ていた。


 ん? おやおや? どういうことでしょうか?


「お願い! 居場所を知っているのなら教えて! シンちゃんは今、どこにいるの? 元気にしてるの?」テーブルに身を乗り出すようにして、必死な顔で懇願する。


「どこにいるって……え? 知らないの?」


 夢の中の様子だと、定期的に遥華のところに、経過報告に訪れているようだったが……。


「シンちゃんはあのとき、お父さんと喧嘩になって、はずみでその……お父さんを死なせてしまって……それからずっと、音信不通のままなの」


「それホント? ……理道君、随分と話が食い違ってるね」店長が訝しげに首を傾げ、ズレた眼鏡を直しながら苦笑した。


 ふむ、確かに。……だがしかし、おかげでなんとなく見えてきた。


 チラリとウィラルヴァを見やると、俺の視線に気づいたウィラルヴァに、フンと一つ鼻を鳴らされた。


 うん。やっぱり分かってたのねこいつ。


 教えろよ、こういう大事なことは。マジでさぁ……。ハァっと深くため息が漏れる。


 まぁいい。おそらくは、あえて黙っていたんだろうと思うし。……そもそも言い辛いことだもんなぁ。


「ええーっと、どういうことだい? 遥華ちゃんは、慎司君と会ってないの? でも理道君の夢の中だと、二人で話をしてたんだよね?」


 一応店長には、夢で見た内容は全て話してある。細かなところは話しそびれていることもあるだろうが、少なくとも、大まかな内容は。


 店長ならば、俺には思いつけないようなことも、汲み取ってくれる気がしたし。……違うな。こういうことを相談できるのは、やっぱり店長しかいないからだ。なんだかんだ、大人の男だもんねー。


 昔馴染みのユウちゃんならば、もちろん込み入った相談もできるけれど、ユウちゃんはまだ、状況をよく理解できてないもんなぁ。


 あとは、セブラスや湧音も信用できる相手………だが論外だね。ないわー、この二人に相談なんて。適当に聞き流されるか、明後日を向いた回答が返ってきそうな気がする。


「私がシンちゃんと? いいえ。あれ以来、一度も会ってません」


 そう言った遥華と、真っ直ぐ視線を合わせてみる。


 逸らさない。嘘は言ってない。


「どう思う、理道君? 理道君が見た夢は、現実じゃなかったのかな?」


「いや……現実だと思います」


 ふむ。まぁ普通に考えれば、ただの夢だったと考えるのが当然だけど。


 腕組みして目を伏せて、夢の中での遥華の姿を思い浮かべる。


 ──今の私は、昔とは違う──


 ──思い出させてしまうと、貴方と私の繋がりが、完全に断たれてしまう──


 ──貴方の中に私の欠片がある限り、ずっと一緒にいられる──


 いくつかの場面の遥華の言葉が、断片的に頭の中に浮かんできた。


 鈍ってしまう決意とは、一体なんだったのか。


 今の私は強いと言った。涙に頰を濡らしながら。


 しかし今ここにいる遥華は……あのときのままの、俺の記憶の中にある、思い出の中の遥華のままだ。


 まるで当時の遥華を、そのまま現代に連れてきてしまったかのように……。


「ズルいやり方だ。私は絶対に認めぬ。

 だが……同じ女としては、気持ちは分からんでもない」


 ウィラルヴァがつぶやき、腕と足を組んで微動だにせぬ姿勢のまま、睨みつけるかのような強い眼差しで、遥華の顔をジッと見つめていた。


「ちょっとごめんなさいね」


 シズカが立ち上がり、戸惑う遥華の額に、そっと手をかざした。手の平が薄く発光し、遥華が真っ直ぐ前を向いたまま、動かなくなる。


 やがて発光が収まり、シズカがふうっと重いため息を吐き出すと、我に返った遥華が、ハッとしたように目を瞬かせた。


「そういうことか……。

 ごめんなさい遥華さん。今日はちょっと、うちに泊めてあげることはできそうにないわ。

 関野さん? 申し訳ないけれど、遥華さんを連れて、先に帰っておいてもらえないかしら?

 ……人を見る目があるって言ってたってことは、全て分かってらっしゃるのよね?」


 関野さんが口元だけを僅かに上げて苦笑し、


「ええ。では……遥華さん。今日のところは、これでお暇しましょう。具体的な話は、明日改めて」ソファーから立ち上がり、真樹さんに目配せをすると、遥華の肩にポンと手を置いた。


 真樹さんが立ち上がり、一礼をして店を出てゆく。俺の背後を通ったときに耳元で「また連絡するよ。聖域戦争の編成で、相談しておきたいことがある」小声で耳打ちした。


「真樹が車を回してくれます。今日は最寄りのホテルに泊まってください。明日の朝、迎えにきますので」


「え? は…はい。でも……シュウ君?」


 関野さんに促されて立ち上がった遥華が、幼気な目元を不安そうに細める。


「……うん。今日はもう遅いし、話は今度にしよう。明日、また会えるかな?」頑張って笑ってみせた。


 遥華はホッとしたように、小さく息を吐いた。


「うん。また明日ね」


 微笑んだ遥華の言葉と姿が、高校生の頃の、別れ際に原付に跨った俺を見送る遥華の姿と、重なって見えた。



 関野さんと遥華が店を出て行ったあとで、シズカがおもむろに、その重い口を開いた。

 

 

「結論を言えば……あれは、遥華さんではないわ。いいえ、事実、遥華さんではあるのだけれど……。分霊された、遥華さんのコピーよ。しかも秀一君の心の中にいる、あの頃のままの遥華さんのね。

 そして、もう一つ、大事な問題があるの。

 このままだとあの遥華さんは……持って半月ほどしか、生きることはできないわ」

 

 

 

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