第48話 先にルールを破ったのはスケベ親父です
どことなく神聖な雰囲気を漂わせる、辺りを自然に囲まれた和風造りの高級旅館。
そこは昭叔玄神という宴の神の聖域であるらしく、その聖域内では、一切の争い事が禁じられているのだという。
江戸時代の頃より神々の宴を取り仕切ってきたその宴の神は、立場上は独自の独立派閥であり、神の段位としてはさほど高くはないらしいが、誰からも親しまれ、頼られ、己の地位を確立させているという。
表向きにはされていないが、主神に追放されてしまった眷族や、行き場を失った逸れ神や、住処を失った妖怪などの、駆け込み寺的な役割も果たす派閥なのらしい。
玄様、徳様、または玄徳様などと呼ばれる昭叔玄神の聖域では、如何なる神ももてなされ、癒しの時間を与えられる代わりに、一切の争い事を起こさないということは、神々の間での暗黙の了解だという。対立関係にある天照大御神と大国主命だろうと、この聖域内においては、ときには同じ席について酒を酌み交わすこともあったらしい。
どれだけの客が入るのかも把握できない、ただっ広い和室に、一定の間隔を空けて、豪華な膳がズラっと並んでいる。すでに数多の神々が集い、ガヤガヤと楽しげに騒ぎながら、寧静の酒が酌み交わされていた。
長方形の部屋の出入口は、四つ角に設置されていて、どこが上座だか下座だか、分からない。だが向かって奥の二面の壁は、くり抜かれるようにして段の高い、狭いステージのような席が左右に三つずつあり、それぞれに薄布の天幕が垂れ下がっていた。
よく見ると、それぞれの席に、誰かがいるみたいだ。薄い天幕越しに、何者かが盃を傾ける姿が見て取れる。右壁の中央の席はやたら明るく、中にはよっぽど強い照明でも使われているみたいだ。逆にその右隣の席は、照明をつけ忘れたのかのように真っ暗で、中の様子はほとんど伺えない。左の天幕の向こうからは、粗暴な印象の笑い声が、ガハハと響いていた。中にいる連中は、すでに相当に出来上がっているらしい。
「中の席が天照大御神様。右が月読尊様。左は素戔嗚尊様にございます」
と、ぼんやりと段位の高い席を眺めていた俺に、関野さんが耳打ちした。
関野さんの他にもその場には、ウィラルヴァとシズカ、セブラス、そしてタツネさんの姿がある。さすがに店長を連れてくるわけにはいかなかったし、湧音は宴にはジイちゃんも来るからと、ついて来たがらなかった。
てか、そのジイちゃんって……おそらく毘沙門天のことだよな? 日本を代表する武闘派派閥だとのことだけど……うん。湧音のことがあるため、そこだけにはちゃんと、挨拶しとかないとなぁ。せっかくこんな場所に来れたんだし。
ちなみに蛇貴妃は、白蛇の姿で俺の袖の中に潜んでいる。
案内役の艶やかな着物姿の女性に促され、自分達の席に着くと、早速セブラスが、膳に並ぶ豪華な料理に、なんの遠慮もなくかぶりついた。あちこちを忙しなく動き回る中居の一人を呼び止め、
「これのおかわりを頼む。あと、これと、これも!」隣の席のシズカにゴミを見るような目で見られつつ、豪快にごちそうを平らげてゆくセブラス。
「ありがとうございます。すぐにお持ち致します」
嫌な顔一つせず笑った中居さんが、スタスタと静かな足取りで、畳の上を滑るように移動していった。おそらく、何かしらの魔法のようなものが作動しているのだろう。結構速く動いているけれど、動作そのものは緩やかで、埃の一つも立っていない。
よく見ると所々に、客を接待する遊女のような和服姿の女性が目につく。
「遊郭ってわけじゃないだろうけど……舞妓さんみたいな感じかなー。こっちにも来てくんないかなー」
何気なく呟くと、いそいそと膳と座布団を俺の隣にくっつけて正座したウィラルヴァが、ギンっと鬼の視線で俺を睨んだ。
反対側の席にいた関野さんが、アハハと笑い、
「どちらも似たようなものです。あるいは、その両方、舞妓もいれば、遊女もおります。接待をする女性らの中には、元はどこぞの神の眷族であった者や、妖怪であった者、中には人間も含まれています。ですが皆、行き場を無くした自分を受け入れてくれた、宴の神である玄徳殿に恩義を感じ、自ら進んでやっていることです。決して玄徳殿が、無理強いをしているわけではありません」と、あくまで玄徳と呼ばれる神を、立てるような発言をした。
ふーん…………としか言いようがないが。
まぁでも、分からないではない。向こうの世界で俺が、創造主として助けた神族や人間達の中にも、それに恩を感じてアレコレと気を回してくれる者は、たくさんいたものだ。
しかし……玄徳とな? そういえば最近、どっかでその名前を聞いたことがあるような……などと、首を捻って考えていたら、
不意に鼻先に、覚えのある香りが漂ってきた。
それは、遥華の香水の匂い。
彼女の部屋にゆくたびに、同じ時間を共に過ごすたびに包まれていた、彼女の優しさそのものだ。
キョロキョロと辺りの見回す。同時に、玄徳という名をどこで聞いたのかも思い当たり、接待をする舞妓らの中に、彼女の姿がないかと視線を巡らした。
くっそー。ここのどこかには慎司もいるのだろうか。あるいはその玄徳とかいう聖域の主を探し出して、聞き出すという手もあるが……。
いや、そこまでする必要もないか。何より、ウィラルヴァが嫌がるだろう。思い直し、人知れず苦笑を漏らす。
「どうした? 誰か探しているのか? ……ああ、毘沙門天とかいう、湧音の祖父か。確かに、挨拶の一つもしておかねばならんな」
「ん…? ああ、そうだな」
勘違いをしたウィラルヴァに、少しだけホッとしながら、宴の賑やかな雰囲気を眺める。
一メートルほどの間隔を空け、どこまでも並ぶ膳の列。そのほとんどは、すでに席が埋まっている。神官のような格好をした神に、上半身が裸で、酔いの回った真っ赤な肌を晒す、ヒキガエルのような神。関野さんのようにスーツ姿の神もいれば、タツネさんのような着物姿の神もいる。
あ。向こうのスケベ面の鼻の長いおっさん、遊女の肩を抱いた手が、胸元にズッポリと潜り込んでいる。い〜けないんだぁいけないんだぁ〜。
でもまぁ遊女の方も、特に嫌がっているふうには見えない。あるいは会場のそこかしこにいる、遊女や舞妓さんらと違って、夫婦の神様なのかな? んー。どうでしょう。聞いてみなければ分からんが。
と、そんな俺の視線を見て察したのか、隣の席の関野さんが、
「気に入った者同士がいれば、別室を使うこともできますよ。これもまた、決して玄徳殿が無理強いをしたことではございません。あくまで個々の意思が尊重されています。中には神々同士で、個室にしけ込む者もおりますが、なにぶん酒の席ですからね」クイっとお猪口を傾ける。
「おお。それはいい。どれシュウイチ、私らもこの辺りで失敬して……」ウィラルヴァがのたまい、俺の腰に手を回し、抱きつくようにして立ち上がらせようとする。
「アホゥ! まだゲーム機の件が片付いてないじゃろがい!」
ウィラルヴァの白い頰が、ぷうっと膨れ上がった。
おのれブスくれた顔しやがって。本気だったんだか冗談だったんだか……。
はぁとため息を吐く。と、
「失礼します。こちらの席のお世話をさせていただきます、ハルと申します」
和服姿の華やかな女性が一人、寄せられて密集した俺達の席の前で、ちょこんと座った。畳の上、白く細い手を畳の上に添えて、丁寧に頭を下げる。シャラリと揺れる簪が、部屋の明かりをキラキラと反射させた。
おお! 俺らの席にも舞妓はんが! などとちょっぴり、心が浮ついたのも束の間、頭を上げた女性の顔を見た途端、思わず呼吸が止まった。
「遥華……?」
つぶやいた名前に、ウィラルヴァがピクリと反応して、膳の前の女性に視線を向ける。その目つきが、スッと小さく怪訝に細められた。
顔を上げた遥華が、俺の顔を数秒の間、不思議そうな表情で見つめた。儚げな黒い双眸に見つめられ、あの頃の想いが、胸の中でじわじわと滲んでくる。同時に、さっきも感じた懐かしい匂いが、ふわりと撫でるように、鼻先をすり抜けていった。
「シュウ……君? どうして貴方がこんなところに……」言ったあとで、何かに思い当たったように、ハッとした顔をする。
「そっか……ここにいるってことは、自分が何者なのか、気付いてるってことね。いつ、自分の世界から帰ってきたの?」言って、未だに見せつけるように俺に抱きついたままでいるウィラルヴァに、遠慮がちな視線を向けた。
「こちらにいらっしゃるのは……伴侶である創造神様、なのかな? 初めまして、シュウ君の創造神様。水瀬遥華と申します」
言って畳の上に手を添え、もう一度深々とお辞儀をした。
ウィラルヴァの顔つきが、一気に不機嫌になる。遥華の丁寧な挨拶にも一言も返さず、黙って半目で遥華の顔を見遣っていた。
「え、えっと……ごめんなさい。嫌ってますよね、私のこと。あんなに一方的に別れることになって、シュウ君を傷つけてしまったわけだし……」縮こまってうつむいてしまう遥華。
おっと。それはまた俺の知らない情報だが……知らないというか、思い出せてない部分だ。
「い、いや、何があったのかは、実は覚えていないんだ。気がついたら別れていたし、異世界から帰ってくるまで、不思議と遥華のことを思い出すことが出来なくて……おいウィラルヴァ、失礼だろ、せめて挨拶くらい」
言いかけた言葉を遮るように、
「失礼なのはどっちだ。そいつに挨拶などしても、何の意味もない」ピシャリと言い放ち、プイッとそっぽを向く。
完全に御立腹の御様子です。まずいねこりゃ。
と、ちょうどそのときだった。
「理道秀一殿は、こちらですかな?」
と、縮こまった正座をする遥華の隣に、向こうからゆったりとした歩調で歩いてきた、和装の着物姿のお爺ちゃんが、立ち止まって声をかけてきた。
「これはこれは、毘沙門天様。お久しゅう御座います」と、関野さんとタツネさんが、目を伏せて軽く会釈をする。
「おお、久しいのうマモル殿、タツネ殿」関野さんとタツネさんに向けて片手を上げると、人の良さそうな満面の笑みを浮かべた。
なんというか……一見しただけで、只者ではないことがありありと分かる、不思議な存在感を放つお爺ちゃんだった。無骨な骨格が浮き彫りにされた顔に、程よくついた肉付き。整えられた白い口髭に、同じくらい伸びた長い眉毛も白く、眉間にはいく筋もの深いシワが刻まれている。ガタイも良く、引き締まった身体付き。これで甲冑など着込んでいたら、百戦錬磨の老将軍と呼ぶに相応しい様相となるだろう。
しかし、なるほど。これが湧音の面倒を見ている、日本最大の武闘派閥の長、毘沙門天か。ものすごく納得だ。
「おや。取り込み中でしたかな? すまんなぁ、どうにも孫同様に、空気の読めぬふしがあるものでな」言って、ハハハと小気味良く笑う。そのような小さな仕草一つにも、不思議と惹きつけられるカリスマ性が感じられた。
「お気になさらず。えっと、湧音のことですが……すみません。勝手に、うちの派閥からの出場設定にしてしまって」
「ん? ああ、今日発表されるという、例のぬらりひょんの作ったゲームのことだな? なぁに、構わんさ。元々あやつは、孤高の戦士。何者にも縛られてはおらぬ存在だ」
と、そこでウィラルヴァがツンと俺の肘をつつき、
「まずは自己紹介でもしたらどうなんだ。相変わらずお前は、礼儀が全くなっておらぬ」ジトリとした目つきで咎める。
毘沙門天がハッハと爽快な笑い声を上げた。
「不要不要。無礼講の宴の席じゃ。堅苦しいことは抜きで良い。うちの湧音が世話になっておるでな。一言挨拶をと思っておったのだ。それに、あまり長く話しておると、余計な邪推を抱く者もおるじゃろう」チラリと横目で、辺りの様子をうかがう。
それぞれに膳の料理を口に運んだり、盃を傾けたり、楽しそうに雑談を交わす神々だが、確かに言われてみれば、その意識の一片が、こちらに向いているように思えなくもなかった。
んー。もしかしたら今までの会話も全て、近くにいる神々には筒抜けだったのかねー。まぁ、こういう席だ。それもありうる。口には十分に気をつけねばなるまい。
「いずれきちんと、湧音の処遇も話し合わねばなるまい。暇ができたら買い物がてら、店の方に伺わせてもらおうかな。湧音に、たまには顔を見せろと伝えてくだされ」言ってニコリと微笑み、立ち去ってゆく毘沙門天。
うん。後ろ姿にも、微塵の隙も見えない。常に目に見えない威圧感が、全身を包んでいるような感覚だ。こんなお爺ちゃんがそばにいるんじゃ、湧音があれだけ強いのも頷ける話だな。
加えて、よっぽど話の分かる神様なんだなと思う。終始笑顔だったのに、眉間に縦に刻まれたシワが消えることがなかったのは、ものすごい厳格さも併せ持ってるんだろうなとは、想像させられたけど。
「毘沙門天様とも関わりがあるのね。すごいなぁ。なんかもう、手の届かない雲の上の人になっちゃった、って感じ?」
言って、遥華がどこかちょっと寂しそうに微笑んだ。
「ふん。お前では初めから、手の届く相手ではない」ツーンとそっぽを向くウィラルヴァ。
ちょっと感じ悪過ぎだぞオイ。よっぽど気に入らないってのは分かるけど。
ハァーっと長くため息を吐き、遥華に目を向けた。明らかに不機嫌なウィラルヴァの態度に、少しビクついたように遠慮がちな目線が、俺の胸元の辺りに漂っている。
こないだ夢に見た大人っぽい遥華とは違い、あの頃のままの、儚気な印象の遥華が、そこにいた。着ている着物は、どちらかと言えば浴衣に近いもので、紫色の生地に赤と白の花の柄が浮かび、着込んだ彼女の身体つきを容易に想像させた。
化粧もほとんどしていないのは、いつかの夢の中の遥華と同様のものだったが、白く滑らかな美しい彼女の肌には、不要のものだっただろう。長く滑らかな薄茶色の髪は、お団子状に後ろ髪に結われ、刺された簪がシャラリと揺らめいた。
ええーっと………。うん、どうしよう。何を話せばいいのか分からない。
話したいこと、聞きたいことはたくさんあるはずなのに、いざこうして面と向かってみると、何一つとして浮かんではこなかった。
ええーっと……なんだったっけ。
ああ、そうそう。最も大事なのは、あのとき、なんで別れることになったのか。そして、あのときあの街で、何があったのか。
これだけは、ちゃんと聞いておかねばならないことだ。いきなりだけれど、まずはその話から入ってもいいんじゃね? 他に、適当な話題も思いつかないし……ああ、慎司のこともあるか。夢の中で言っていたことが、どういう意味なのかも気になるし。まずはその辺りのことから……
そう思いつき、話しかけようとしたとき、
「ハル。君の担当はその席ではないよ。指名したのはそっちの天狗神様だ」
不意に、聞き覚えのない中年の男の声がした。こちらに近づく足音が、畳の上に正座した遥華の背後で、ピタリと止まる。
テカテカの金の刺繍の入った豪勢な着物を着た、いかにも福の神の一種でありそうな中年の小太り男が、ニコニコと顔に笑顔を貼り付け、先ほど遊女の胸元に手を突っ込んでいた、鼻の長いスケべ面の神を指差した。
スケベ面の天狗顔が遥華に向き、片手で遊女の乳を揉みしだきながら、空いた片手でチョイチョイと手招きをする。
「え? でも、確かにこちらの席のお世話をと……」戸惑う遥華。どこか困ったように、チラリと俺に流し目を送った。
「これは玄徳殿。今日はまた、一段と派手な装いで」と、関野さんがニコリと笑顔を向ける。
「これはこれは関之護神殿。申し訳ありません、少し手違いがあったようでして」
「手違いですか。別に我々は、このままで構いませんよ」
「いやいや、あちらの天狗様が、若い人間の娘を御所望でして、それで……」どこかバツが悪そうに、不自然に口をモゴモゴとさせる。
ふむ……。なんか、思ってたのと違う。玄徳というからにはてっきり、例の三つの国の中国話のような、徳の高そうな誠実な人柄……神柄だと予想してたんだけど。
これじゃ、どこぞのお代官様か越後屋だ。本当に皆に慕われている神様なんだろうか、などと疑わずにはいられなかった。
「……玄徳殿。私は貴方に、失望せねばなりませんか?」ニコニコの狐顔を崩さないまま、関野さんの声音だけが、僅かに低くなった。
「な、何を仰いますか。失望されるようなことは、私は何もしておりませんぞ?」ハハハと額に玉汗を浮かべる。
うん。とことん不自然だねこいつ。口調も態度も大根役者感がすごい。明らかに何かを誤魔化している感じだ。
ていうかあっちの天狗神とやら、すでに一人遊女を侍らせているってのに、この上遥華まで侍らせるつもりか!? てか無理強いはしないって方針の派閥じゃなかったの? 向こうの遊女さんも、セクハラがエスカレートし始めているのか、さっきまでとは違って、どこか困ったような、嫌そうな表情を浮かべているんですが?
「玄徳殿……。貴方との付き合いも、考え直さねばならないようですね」冷たく関野さんが言い放った。
「な、何を仰いますかぁ。関野グループ様からの収入は、我々にとっても特に大きな割合を……ご、ごほん! と、とにかく。ハル、君の担当はあちら様だ。でも、決して無理強いはしないよ? もし君が嫌だと言うなら、このあと天狗様が取っている部屋の予約も、強引にキャンセルさせたっていい」言い聞かせるように、遥華の顔を覗き込む。
……んー。……うーーむ。
………うん。間違いない。
無理強いしとるやんけアンタ。
「分かりました……」
小さくつぶやいた遥華が、スッと静かに腰を上げた。うつむき気味のまま、ソロソロと天狗神の方へと歩み寄ってゆく。
遊女と反対側に天狗神を挟んで座った遥華の肩に、ごつい赤い指をした天狗神の手がポンと乗せられる。花の長い真っ赤なスケベ面が、さらにニンマリと歪められた。
「………………………」
関野さんもタツネさんが、軽蔑するような視線で玄徳を見上げる。玄徳は取り繕うように、額に脂汗を浮かべながらハハハと笑った。
「理道君。……取り返してきましょうか?」
「暴れてもいいならな。この聖域は争いは御法度だというが、我ら異世界の神には、治外法権だ」シズカとセブラスが、玄徳にもわざと聞こえる声で口々に言った。
「詮もない」フンとウィラルヴァが鼻を鳴らす。
しばらく黙ったままでいると、遊女と遥華を連れて立ち上がった天狗神が、二人の手を引きどこかへ連れていこうとしているようだった。
遥華の視線が、縋りつくようにして、俺の方に向けられる。
その瞬間、最初に見た夢で、遥華が最後に言った言葉が、不意に頭の中に蘇ってきた。
無言のまま腰を上げる。
「………………」ウィラルヴァが何かを言いたそうに、俺を見上げたが、やがて小さくため息を吐き、箸を手に取り膳の料理を口元に運び始めた。
いかにも、好きにしろと言わんばかりだ。
「なんじゃお主は?」
天狗神の前に立ち塞がると、天狗神が相当に酔っているらしい呂律の廻らない声で、ぼうぼうの眉毛を揺らして顔を顰めた。
天狗に肩を抱かれた遥華が、驚いた目をして俺を見ている。
どうやらことの経緯を、初めから観察していたであろう周りの神々が、それぞれの雑談を中止し、好奇な視線をこちらに注目させていた。
「同意の元でなければ、連れてゆくことはできないはずだ。その暗黙のルールが守られていないのならば、俺も守る義理はない」
「なんじゃ。それほど、このおなごが大事か?」遥華の首に腕を回し、抱き寄せるようにする。
その掌が、浴衣の生地の上から、遥華の片方の胸に当てがわれたことは、俺をイラつかせるに十分の行為だった。
ウィラルヴァが「踊らされおって」と、寿司のネタを引っぺがしてワサビを丁寧に取りながら、小さくぼやいた。
うん。すいませんね。貴女が思っている以上に、純なんですよわたくしめわ!
思うより先に身体が動く。次の瞬間には俺は、天狗の首に指を食い込ませ、高々と掴み上げていた。
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