第40話 知らないお爺ちゃんが居たのです


「その昔、湧音の一族である、日本狼を祖とする真神まかみ一族は、北陸を拠点とする一大派閥を築いていました。真神の一族は、特に戦闘能力に優れた一族であり、神々同士の争いが認められていた時代には、各地の派閥に傭兵として真神の戦士を派遣し、莫大な収入を得ることで、確固とした勢力を築き上げていたのです」


「ふむ。それはつまり、各地の戦乱に傭兵を派遣する、そのさじ加減一つで、任意の派閥に勝利を収めさせることもできたというわけか。より多くの、そしてより強い真神の戦士を有する派閥が、戦いに勝利する。数多の派閥が、挙って真神の傭兵を雇いたがったであろうな」


「そのとおりです。当時の真神一族は、この国の覇権を、裏から牛耳っていたと言って、過言ではありませんでした。

 しかし、どれだけ強力な戦士を擁しようとも、どれだけの兵力を抱えようとも、どれだけの財力を蓄えようとも、それら全ての努力を嘲笑うかのように、一蹴してしまえる存在が、この世にはあるのです。

 それが貴方がた、異世界の絶対神です」


「俺の祖先はかつて、この国に降り立った異世界の創造主と争い、敗北したらしい。もう、何百年も昔の話だけどな」


 慎司とウィラルヴァの会話に割って入った湧音が、缶ジュースの残りをグイと飲み干し、背後にポーンと放り投げた。


 クルクルと回転しながら飛んでいった空き缶が、見事な弧を描きつつ、自販機脇のゴミ箱にスポンと収まる。


「これ。行儀が悪いぞ。簡易式とはいえ、ここは一応、よそ様の聖域じゃ。もっと行儀良くせんか」と、店長の隣に座った着物服姿の老人が、軽く湧音をたしなめた。


「……若輩者のやったことゆえ、ご容赦を。タマ殿」慎司がタマちゃんに向かって、軽く頭を下げる。


 タマちゃんは未だ飲み切らない苺ミルクを、チビチビと口に含みながら、


「構いませんよ。…外してたらキッチリ拾い直させるところですが」特に気にしてはいないそぶりだった。


 ええーっと……うん。まぁいいや。とりあえず話を聞こう。


「私とシュウイチが、この世界の神々と比べ、桁違いの実力を備えていることは、当然のことだ。我等はこの地球に存在する神力ほどではないが、それに近い量の神力を、自分達の星から引き出すことができるのだからな。無論、それをやってしまうと、自分達の星を滅ぼしかねないが」


「それは勿論、理解しています。俺達も星の維持に支障を来すほどの神力を、報酬として要求するつもりはありません。それは他の神々も弁えていることにございます」


 そう言ってウィラルヴァに向けて軽くお辞儀をする慎司の態度は、ごく誠実なものだ。


 まぁ、らしいと言っちゃらしい態度だが。とりあえず今のところは、変に争うつもりはないらしい。


「それもどうだかなぁ。僕が思うに、理道君とウィラルヴァちゃんの星がどうなろうが、知ったこっちゃないと考える神様も、いると思うけどね。異世界の星がどうなろうと、地球の神々にとっちゃ、それこそ対岸の火事だ。気にせず神力を搾り取ろうと考えて、おかしくないと思うけど?」


「確かに、そう考える者もいるでしょう。ですが今のこの世界には、神々の間にも、絶対的な決まり事として守られている掟があります。それを破れば、自分が罰せられることになる。異世界の星から、必要以上の神力を搾取してはならないというのも、神々の掟の中に含まれているのです」


「要は、人の世の法律と同じものじゃな。その法を守らせる番人というのが、断罪者というわけじゃ」再び、店長の隣に座った着物服姿のお爺ちゃんが口を挟んだ。


「補足ありがとうございます。

 とにかく、先ほどウィラルヴァ殿が仰ったとおりに、異世界の創造主・創造神というのは、この世界の神々がいくら力を蓄えようと、叩き潰してしまえるだけの力を持っているのです。栄華を誇った真神の一族が一夜にして壊滅してしまったことは、それをこの国の神々に深く印象付けさせました。

 その後、生き残った数少ない真神一族は、一族に次ぐ戦闘集団だった毘沙門天の派閥に身を寄せ、再起を図ることとなったのです。

 そして数百年の歳月を経て、ようやく一族の中に、狼の神の最高峰の段位である、真神しんじんを名乗るに恥じぬ実力を備えた若者を、誕生させることができました。

 それがこの湧音。湧牙真神というわけです」


「俺は一族の代表として、祖先を滅ぼした異世界の創造主を、叩き潰す義務があるんだ。そのための修行の一環として、こうして各地の派閥に、用心棒として雇われている。

 まぁ俺は、そんな小難しいことより、純粋に強い奴と戦うことの方が、興味があるけどな。…アンタみたいなさ」


 太々しくソファーの上に胡座をかいて腕組みしながら、ニカッと犬歯を見せて笑う湧音。


「なるほどなるほど。俺なんかで良ければ、いつだって手合わせしてあげるさー。健康的でイイねー、湧音君は。どっかの誰かさんと違って」


「悪かったですね陰湿で」慎司が涼しい顔でジロリと俺を睨みつけた。


「アッハハ! 慎司はインキャだもんなー。…あ、これ余ってるなら、貰っていいか?」


 テーブルの上に置かれた数本の缶ジュースを指差し、買ってきた店長を見やる湧音。店長はニコリと微笑み返して、


「ご自由にどうぞ。理道君と慎司君はいらないかい? もう飲み終わってるみたいだけど」と、俺と慎司の手前に置かれた、空の缶コーヒーを指差した。


「お構いなく」


「俺もいらないかなー。隣の爺さんにもあげなよ。一本も貰ってないみたいだし」


「ああ、これはこれは、気がつきませんで」と店長が恐縮しながら、コーヒーの一本を、隣に座る爺さんに差し出した。


 爺さんは一瞬、驚いた顔で俺を見たが、ややあってツルリと禿げ上がった、丸い頭をボリボリと掻きながら、ニヤリと意味有りげに笑みを浮かべた。


「ありがたく頂きましょうかな」言って、プシュッとコーヒーのプルタブを開ける。


 ……ふむ。どうして誰も……まぁいいか。とりあえず様子を見よう。


「話を聞く限り、湧音君の敵である創造主ってのが、どうにも気になるところだね。だってその創造主がいたのは、数百年も昔の話なんでしょ? ってことは今頃はもう、自分の星に生まれ変わってるはずだよね。そうなると……一族の仇を討つには、異世界にまで追っかけてかなきゃいけなくなる。可能なの? 僕らのような地球の住人が、異世界に転移することって?」


「できませんよ。異世界に転移、または転生することができるのは、その世界の住人だけです。……ですよね、ウィラルヴァ殿?」


 ウィラルヴァは深々と頷き、


「シュウイチは我らの世界の創造主であると同時に、この世界の住人でもあるからな。来世からは、完全に我らの世界だけの住人になってしまうため、この地球に戻ることはできなくなってしまうが」


「と、いうことです。つまりは、敵である創造主が、この地球に居ない限りは、湧音は一族の仇を討つことはできないわけです」


 店長が訝しげに眉間にシワを寄せた。


「どういうこと? え? 創造主って、創造神とは違って、人間なんだよね? 人間がこの世界に何百年も生き続けるって……不可能だよね?」


 言いながら店長の顔が、何かを察したように、じんわりと歪んでいった。


「できるんだ? もしかして、不老不死、だとか?」


 ウィラルヴァがフッと嘲るように笑った。


「そうだとしたなら、その創造主の相方である創造神は、狂っておるな。私には理解できない。創造神であれば、自分の分身である星を、何百年も留守にするなど、恐ろしくてできないはずだ。私とシュウイチの世界のように、信頼できる眷族が多数いるならば、せめて今生を全うするくらいの間ならば、留守にすることも吝かではないが」言って、隣に座る俺の膝の上に、華奢な白い手をスッと乗せた。


 ──このまま泳がせておけ。目的が分からん以上、迂闊に手出しできん── 頭の中に、直にウィラルヴァの声が響いてくる。


 ああ……流石に気づいてたようですね。まぁ当然か。


 それにしても……簡易型とはいえ、ここはタマちゃんの聖域の中だ。慎司らのように正面突破してきたならともかく、普通なら、入り込むことすらできないはずなのだが。


 タマちゃんもハナちゃんも、爺さんがそこにいることに、何ら不思議がってもいないようだし。


 なぁんか、聞いたことあるような気がするなぁ、そういう話。何だったか……


 と思っていたら、


「ぬらりひょん……という妖怪を、ご存知ですか?」と、慎司が不意にそんな話を振ってきた。


 ……ああ。なるほどね。そういうことか。


「日本妖怪の、総大将といわれている妖怪だよね。超有名どころじゃん。知らない方がおかしいでしょ」と、店長が急にイキイキしだす。


 いやいや、あんたの基準で考えちゃあかんて。知らない奴は知らないでしょうに。


「でも実際のところは、日本妖怪の総大将というのも、後付けされた創作だとも言われているんだ。その容姿は、ナマズのようにヌペっとした禿げ頭で、気づかない間に家の中に侵入して、飲み物や食べ物を漁っていくっていうよね。実はこれ持論なんだけど、僕はそれには少し語弊があると思っていて、勝手に食べ物を漁っていくのは……」と、火のついた店長が止まらなくなる。


 口を挟むことができないほどに、矢継ぎ早に繰り出される店長のマシンガントークに、しばらく全員で付き合うことになってしまった。


 数分後、


「……というわけで、それだけでも、おもてなしの精神というのが、どれだけ大事なことなのかってのが、よく分かるでしょ。そもそも日本人というのは……」


「あの……店長。そろそろ話を戻してもいいですか?」


 額に汗しながら、ようやく店長の長話に、終止符を打たせることに成功する。


 よくやった俺! 本日最高の大手柄に、心の中で自画自賛した。


 あ、湧音君寝てるし。おーい、起きろー。


「中々に興味深い話じゃったなぁ」と、例の老人だけがパチパチと拍手を送る。 


「いやー、どうもどうも。妖怪については、個人的に色々と研究しているもので。例えば河童なんかは、その昔、付近に造船所や大きな港などが……」


「店長。その辺で」ゴホンと咳払いして店長を嗜めた。


 ちょっと油断すると、何十分も余計な時間を取られてしまいそうだ。これは今後も気をつけねばなるまい。


「あ、アハハ。ごめんごめん。ええーっと、なんの話だったっけ。

 ああ、そうそう。ぬらりひょんね。

 で、そのぬらりひょんの話が、何でこのタイミングで? 湧音君の祖先を滅ぼした創造主と、何か関わりがあるんですか?」気を取り直して、店長が会話を再開する。


 慎司は店長の勢いに呆れたように、無言で真顔の視線を店長に向けていたが、問われてコクリと頷き、


「日本妖怪の伝承にもある、ぬらりひょんというのが、湧音の祖先を滅ぼした創造主、その人であるのです」腕組みしたままカクカクと舟を漕ぐ湧音を、更に呆れたような目つきで見やった。


 戦闘以外のことには、よっぽど興味のない子なんですね湧音君。自分の祖先のことも、あまり詳しくないみたいなこと、言ってたくらいだもんなぁ。


 まぁ俺は、自他共に認める、アホの子至上主義者ですからね。湧音君のそういう部分は、むしろ好ましくあるが。


「ぬらりひょんが!? 妖怪じゃなかったの、ぬらりひょんって!?」


「ぬらりひょんほど、伝承が曖昧な妖怪も珍しいでしょう? 日本妖怪の総大将とされていたり、ナマズやタコの妖怪だとか言われていたり、無害な人間のお爺ちゃんのような描き方をされていたり。実力の方も、強いんだか弱いんだか、今一つハッキリとしない。

 それも皆、理由があってのことなんです。

 とりあえず見た目については、彼がこの世界に、異世界の創造主として帰還したときと、ずっと同じ風貌のままといわれています。かなりの歳がいってから、星レベル五百以上に達した創造主であるようでしてね。こっちの世界での余生は、僅かなものと思われていました。

 ですが実際は、何百年もずっとこの地球に居座り、この国の数多の派閥を、裏から牛耳っています。誰にも気づかれることなく、数々の聖域にも自由に出入りでき、気がつけば大事な会議の情報が筒抜けだったということも、数え切れません。

 妖怪の総大将だといわれているのも、そうでないことも、どちらも当て嵌まっているのです。彼自身は、自分の勢力を持たず、常に陰に潜み、神々の動向を裏から操っています。ある意味では、この国の派閥の全てが、彼の勢力と呼べるものであり、その意味では、日本妖怪の総大将だというのも、あながち間違った見方ではないのです」


「ホッホッホ。その気になれば、天照の派閥だろうが大国主の派閥だろうが、儂の意のままじゃからのう。この国の大部分は、すでに儂の手中にあると言っても良いのじゃ」


「その通りです。彼自身は常に、単独で行動していますが、ときおり公の場に姿を現しては、アレコレと厄介な方向に、世の中を乱していきます。

 そうして傍観を決め込み、楽しんでいるのです。彼にとっては、自分が楽しむことさえできれば、あとはどうなっても構わないのですよ。自分では何も背負っていない、誰よりも気楽な身分であるのですからね」


「ホッホッホ。それ以外に、何を楽しめと言うのだね? 全ての娯楽は、すでに遊び尽くした。その中で神々のゲームだけは、いくら遊んでも楽しみ尽くせぬわ。

 今回もまた、飛び切りに面白いゲームを考えてやったのだぞ?」


 残っていた最後の一本のジュースに手を伸ばし、プシュッと自然な仕草でプルタブを開ける。


 ……未だに、俺とウィラルヴァ以外の者は、老人がそこにいて会話に加わっていることにも、なんの疑問も感じてはいないようだ。


 が、その中でもタマちゃんと蛇貴妃だけは、何かの違和感を感じ始めているように思える。タマちゃんは苺ミルクを飲んでいた手を止めて、不思議そうに首を傾げながら、老人のいる場所をジッと見つめているし、慎司と湧音を警戒して、彼らの後方でロビーの壁に背を持たれた蛇貴妃は、異臭でも感じるのか、クンクンとやたらと辺りの匂いを嗅ぐ仕草を繰り返していた。


「……で? 飛び切りに面白いゲームというのは、どんなゲームなんだ?」


 問いかけると老人は、途端に人の良さそうだった好々爺の顔を陰らせ、ニヤリと笑うと、笑顔の中に陰湿で悪いことを企らむ、悪人の色を滲ませていった。


 狂人の顔というのは、こういう顔だろうか。狼は一匹確定しているし、盤面を把握している俺とウィラルヴァは、強いて言うなら占いと霊能……いやいや、ふざけたこと考えている場合ではないな。


「最高に面白い、神々のゲームだ! このゲームならば、国乃樹魅富と抱えておる問題も、簡単に解決することができるぞ。

 儂はな、理道秀一。お主をスカウトしにきたのじゃよ。儂と対等の立場に立てるお主ならば、きっと心から、このゲームを楽しむことができるじゃろうて!」


 言って老人は、ゲヒャヒャヒャと気色の悪い笑い声を上げた。

 

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