第39話 慎司君がコーラまみれになりました


 葬祭場のロビーの休憩所で、一人掛けのソファーにゆったりと腰を下ろした慎司が、まるでこの状況を楽しんでいるかのような微笑を、色白の賢そうな顔に貼り付けながら、テーブルを挟んで横長のソファーに腰掛ける、俺とウィラルヴァを見やる。


 慎司の隣に並ぶもう一つのソファーには、ブレザーをラフに着崩した人間の姿で、湧音が座っていたが、こちらは落ち着いた姿勢の慎司とは違い、ソワソワしたように建物内の風景を、キョロキョロと見回していた。


「これどうぞー」


 ロビーの自販機でジュースや缶コーヒーを買ってきた店長が、慎司と湧音を含めた全員に配って回る。どうもと丁寧に頭を下げた慎司が、コーヒーを受け取り、プシュッとプルタブを開けた。


 俺が選んだものと同じ、やや苦めのビターコーヒーだ。そういえば学生時代の頃から、慎司と同じものを飲んでいた記憶がある。一度遥華から、仲良いねとからかわれたこともあったっけ。


 会話という会話はあまりなかったけれど、遥華の家に行った際に、ゲームをしたり、慎司の買った漫画を読ませてもらったり、何かと同じ部屋にいる率が高かったものだ。


「まずは、交渉の場を提供していただけたことに感謝しましょうか。野播邏乃玉殿」と慎司が、ここの主であるタマちゃんに顔を向け、慇懃に頭を下げた。


 タマちゃんは幼女の姿で、ソファーには着くことなく少し離れた場所で、同じく人型のアッキーとハナちゃんを背後に従え、さっきまでは油断なく慎司と湧音に警戒した視線を向けていたが……今は店長に買ってもらった苺ミルクを、コクコクと幸せそうに飲んでいる。


「んくんく……苦しゅう…ないぞ。んくんく……」


 こっちのことにはまるで興味なさげに、苺ミルクに夢中なご様子です。背後に控えたハナちゃんが、はぁと小さくため息を吐くのが見えた。


 テーブルを挟んでコの字に並べられたソファーに、俺とウィラルヴァ、そして慎司と湧音が向かい合わせて腰を下ろし、右手の窓際の長ソファーには店長が一人で座っていたが、ユウちゃんと奈々枝さんは遠慮がちに、話はギリギリ耳に入るであろうロビーの入口付近で、遠巻きにこちらの様子を伺っている。


 うん。あんまり堅苦しい話をするつもりはないんだけど……まぁいいか。


「さて。前置きに、昔話にでも花を咲かせることとしましょうか、秀一さん?」前のめりに膝の上に片肘をつきながら、コーヒーを片手に意味有りげな笑みを浮かべる。


「そんな実の無い話より、近況でも語らないか。彼女はいるのか慎司。結婚はしているのか?」


 コーヒーを啜りながら、腹いせにやり返すと、慎司はクックと僅かに喉を鳴らし、


「彼女もいなければ、結婚もしていませんよ。…愛人なら何人かいますがね」嘘とも真実とも取れないような、返答が返ってきた。


 くそぅ。なんて羨ま……じゃなくて、


 この調子だと、いくら無駄話をしたところで、まるっきり無駄にしかならなそうだ。やはりこいつと話すときは、余計なことは語らず、要件だけを端的に述べるのが無難だろう。


 昔からそうだったもんなぁ。まぁ昔は、今とは違って、余計な話には、返答すら返ってこなかったんだけど。


 軽くため息を吐きつつ、


「まず確認しておくが、渡す神力というのは、魔導石……ええーっと、神力の込められた宝石や鉱石で構わないか? あるいはお前や湧音に、直接神力を注ぐことも、できなくはないが……湧音はともかく慎司だと、大した量の神力は溜め込めそうにないけどな」これは嫌味でもなんでもなく、ただの事実だ。


 慎司もそれは察したようで、涼しい顔でコクリと頷き、


「すでに神力の込められた宝石類をお持ちなら、それでも構いません。もしくは神力を保存できる、神具が一つ、ここにあるのですが……これに貯めて頂いても構いませんよ。最大で、五十万ほどの霊力を溜め込むことができます」言って懐から、銀色の筒状の物体を取り出し、テーブルの上に置いた。


 おや。準備のよろしいことで。


「え? それって、普通に水筒なんじゃないの? なんか横に、製造元のシールが貼ってあるんだけど」黒縁メガネをクイっと上げて、店長がマジマジとテーブルの上の筒状の物体を見つめる。


 うん。俺にもどう見ても、魔法瓶の水筒にしか見えない。開けた蓋をそのままコップに使用できる、どこにでも売ってそうな、普通の水筒だ。


「器に使用したのは、確かに一般に市販されている、ただの水筒です。心配なさらずとも、ちゃんとした術式が組み込まれてありますよ。お茶のようにして飲むことで、神力を補充することもできる優れ物です。……欲しければお売りしますよ。お代は神力で支払って頂きますが」


「とんだ商魂ヤロウだな。物作りのプロである創造主に、物を売りつけようなんざ」


「勿論、この程度の代物、秀一さんなら、もっと性能が良い物を作ることもできるでしょう。ですが、手間が省けますよ。一家に一台置いておいて、損はないと思いますが」わざとらしく肩を竦めてみせる。


「まさかとは思うけど、発信機や盗聴器みたいな機能が付いてたりはしないよね?」店長が眼鏡をキラリと光らせ、その奥から用心深い目つきで慎司を見やった。


「そんなものが付いていても、秀一さんならすぐに気づくでしょう」小馬鹿にしたように鼻で笑う慎司。


 まぁ、そういった機能が付いていたとして、俺はともかくウィラルヴァは、一目見ただけで見抜いてしまうだろうが。


 とにかく。


 神力を補充できる装備があることは、確かに色々と都合がいい。


 そういう魔導具を自前で作り上げることも、実際に可能であるが、材料を探すことをはじめ、結構な手間がかかるものだ。


 購入に必要な費用も、リアルマネーではなく、神力で構わないというのも、何気に有り難い。


 何しろ、リアルなお金は、いつも素寒貧だからねー。あはははー。神々の世界では、人間の世界のお金よりも、神力や聖魂の方がモノを言うというのは、俺やウィラルヴァにとっては、かなり都合のいいことだ。


 まぁ、出来るだけ無駄な出費は抑えたいところだが。とりあえずこの水筒が二つほどあれば、店長と、ついでにユウちゃんに、シィルスティングの簡易魔法や、低級魔法を配布することも、かなり現実的なことになる。


 店長にも未だに、簡易魔法の一枚も渡してはいないけれど、それは単に忘れていただけでなく、店長の保有する神力というものが、魔法の一発にギリギリ耐えれるか耐えれないかぐらいの、ごく微量なものだったからだ。


 これがまだ肉体も精神も成長途中の、幼少期であったならば、繰り返しシィルスティングを使用することで、神力を鍛えることもできただろうが……大人になってしまってからでは、神力というのは、鍛えるのは容易なことではない。


 特にこの世界では、そういった超能力的な分野は、驚くほどに発達していない。扱うことができるのはほんの一握りの人間だけで、普通に生きている者は、低級魔法の一発を使っただけで、簡単に失神してしまうほどの、些細な神力しか持ち合わせていないのだ。


 と言っても、それはそれで幸福なことではあるけれど。他の異世界と比べれば、圧倒的に平和な世界であることの証なのだし。


「二つほどもらおうかな。ちなみに、一個いくらだ?」


「断罪者の霊力基準値で、五千、と言ったところでしょうか。郵送先は、ご自宅で?」


「いや……店長、あの店に送ってもらっても?」


「構わないよ。住所は……」と店長と慎司がスマホを取り出し、連絡先を交換し始める。


 その間にテーブルの上の水筒を手に取って、シィルスティングの感知能力を使って、軽く分析を入れた。


 ふむふむ。蓋を開けて中に神力を流し込むことで、神力を含んだ水として保存する機能であるようだ。それを蓋に注いで飲むことで、簡単に神力を補充することができると。


 お値段が、この世界の霊力値計算で、五千というのは……正直あまりピンとこないけれど。


 確か真樹さんが、神器であるスマホに溜め込んでいた霊力値が、六千ほどだったか。それでA級断罪者相当の霊力値であり、S級で一万、とか言ってたっけ。


 そう考えると、一個五千というのは、かなりの高額のように思えそうだが……それもあくまで、人間基準でしかない数値だ。仮に一晩寝れば、神力が最大まで回復するS級断罪者がいたとして、一日で捻出できる霊力は一万、十日で十万、一年だと、三百六十五万になるわけだ。あくまで単純計算だが。


 無限タンクのウィラルヴァはともかく、俺個人だけで捻出できる霊力ってのは、どれくらいになるのだろう。その基準が分かるだけでも、一霊力がどれくらいの神力になるのか、大まかに把握できそうだけれど。


 こいつに溜め込むことができる霊力が、五十万ほどだと言っていたか。……どれ。ちょっと試してみようか。


「時間帯は、夜に指定してもらえますか? 今月一杯は、昼間はコンビニの方に勤務していますんで、店に足を運べるのは夜間だけになるので」


「分かりました。来月からは、本格的に始動するというわけですね。オカルトショップ『RIDOH』でしたか」


「いやいや、まだ届いていない商品が多数ありますんで、試験的な営業しかできませんよ。断罪者としての業務は、すぐにでも開始する予定……というか、今まさに仕事中なわけですが」


「……断罪者の本部と連携の取れる、通信機器などの機材を導入することを、お勧めしますよ。貴方がたの所属している探偵所に相談すれば、無料で貸し出してくれるはずです」


「そうなんですか! わざわざお教え頂き、ありがとうございます」


 なんか知らんがいい感じに会話する店長と慎司の姿を横目で捉えつつ、蓋を開けた水筒にポンと手のひらを当てて、シィルスティングに神力を注ぎ込むときの要領で、筒の中に神力を流し込んでいった。


 ウィラルヴァが興味深げに、そんな俺の手元をマジマジと覗き込んでいる。ついでに慎司の隣に座る湧音もまた、俺が魔法瓶に神力を溜める様子を、店長に貰った炭酸飲料を飲みながら、興味深そうに眺めていた。


 ふむ。一つ星程度のシィルスティングを発動させるくらいの神力だと、大して溜まり込んだ気配はないな。


 五十万……てことは、五つ星くらいが目安になるだろうか。まぁとりあえず試してみるか。


「本物の呪いのアイテムだとか、曰く付きの物品だとかも、店に置こうと思っているんですよ」


「あまりお勧めはしませんね。仮に悪霊が取り憑いた品だとしても、店に置いてある間は、秀一さんらを怖がって鳴りを潜めているでしょうが……購入した誰かに、途端に悪さをするでしょう」


「あはは。でも僕らマニアにとっては、それこそ思う壺なんですよ。本物であることに、意義があるんです」 


「怖いもの見たさですか。まぁそれで楽しめるというのなら、否定はしませんが」


 コーヒーを片手に、店長と慎司の談笑が続く。


 気が合ってるなぁこの二人。まぁ店長なら、たとえ地獄の閻魔様とだって、和気藹々と笑い合ってそうだけれど。


 と、


 パァァン!!!


「うおビックリしたぁ!?」


「ぶふっ!!」


 いきなり手元の魔法瓶が粉々に破裂し、それを見ていた湧音が、飲んでいた炭酸飲料を盛大に吹き出した。


「ば、ばかシュウイチ! 何をしておる!」


 テーブルに散らばった水筒の欠片を、アタフタと拾い集めるウィラルヴァ。


 え…ええ〜!? マジこれ、こんな簡単に壊れんの!?


「ゲホゲホ…! ま、マジかよアンタ、それそんなふうにぶっ壊す奴なんて初めて見たわ!」腹を抑えた湧音が両足をバタつかせながら、ゲラゲラと笑い声を上げた。


 いや〜。楽しんでもらえて何よりです。


 ……神力込めすぎたか。思ってたより大した量じゃないのね、五十万ぽいんと。


 と、


「……弁償ですね」


 湧音に顔にぶっかけられた炭酸飲料を、ハンカチで拭きつつ、慎司のジトリとした視線が俺に向いた。


「シュウお兄ちゃん……神力勿体ない。まぁ私の聖域内だから、私がある程度回収できるけど」いつの間にか隣にいたタマちゃんが、ポツリとつぶやいた。


 う、うん。回収しといてね。そういや湧音との手合わせで、聖域あちこち壊しちゃったから、それの修繕に回してくれればいいさ!


「ご…ゴホン! それではそろそろ、交渉に入ろうではないか。こ、こちらの知りたい情報を教えてくれれば、内容に応じて、相応の神力を渡す。そういう手筈だったな?」


 若干、視線を泳がせつつ、ウィラルヴァが場を仕切り直した。


 が、慎司は前髪の先から、湧音のぶちまけた炭酸飲料を滴らせつつ、


「……弁償ですよ」ジトリとした視線を崩すことはない。


「な、何を仰るやら〜? そ、そもそもが、こんな壊れやすい容器を、考えなしにシュウイチに渡したのが……」


 思いっきり視線を外しながら、額に汗を浮かべて抗議するウィラルヴァを見て、


「……はぁ」と、慎司が深々とため息を吐いた。


「まぁいいでしょう。それは俺の私物です。昔のよしみで、今回だけは見逃してあげます」言って、ゴシゴシとハンカチで顔を擦る。


「い、いや〜。中々男前なとこあるじゃんか、慎司〜」


「貴方はどこまでも、非常識なところしかありませんけどね」


「し、失敬な!

 ま、まぁとにかく…そろそろ、本題に入ろうか」


 ハナちゃんに渡されたタオルを慎司に差し出しつつ、あははと愛想笑いを返す。



 さてさて。ようやく、本格的な交渉に入れるわけですね。


 ええ〜っと。まずは……

 


 ……なんだったっけ?

 

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