第37話 蛇貴妃にはご馳走だったようです


国乃樹魅富くにのきみと……思い出したゾ。そう言えバ、私が世話になっテいた神の名前ガ、そういう名前ダったナ」慎司の姿を見とめた蛇貴妃が、ポンと手を鳴らしてスッキリしたような表情を浮かべた。


 あちゃー。マジで忘れてたんかこいつは。よっぽどどうでもいい名前だったんだね。


「蛇貴妃。貴女は随分と都合良く、秀一さんの眷族に潜り込めたものですね。思いも寄らない出世ではないですか」嫌みたらしく、ふふっと鼻で笑う。


「その通りダ。今なラ、お前とモ、いい勝負ができるゾ」蛇貴妃は慎司の嫌味を、まるで気にも止めていないふうだ。


 と、


「そこの猪。アキトから足を退けろ。さもなくば……骨も残さず、一瞬で食ろうてくれるぞ」タマちゃんがギロリと、アキトビ君を踏みつける猪男を睨みつけた。


 んまっ! あんな小汚いボロ布をまとった、獣臭い毛皮を食らうなんて、お兄ちゃんは許しませんよ! 食当たりしてお腹壊したらどうするんですか!


 タマちゃんの頭にポンと手を置いて、シィルスティングを取り出して前に出る。タマちゃんは何か言いたそうに、幼い目つきで俺を見上げて口を開きかけたが、俺の手に持たれたシィルスティングに気がついたようで、何も言わずにカードに写し出された漆黒竜ディグフォルトの模様を、ジッと見つめていた。


 俺がどんな戦い方をするのか、気になるご様子です。


 うんうん。安全なところで、お兄ちゃんの勇姿を見ててちょうだいね〜。タマちゃんが怪我なんかした日にゃもう、お兄ちゃん世界を滅ぼしかねないから。


「……全く。貴方と戦うつもりはないのですがね」


 俺が戦う姿勢を見せたことに、慎司が眉間にしわを寄せて警戒した態度を取ったが、隣にいた黒い毛皮の狼男が、スッと慎司の前に足を踏み出した。


「慎司……あれが、お前の言っていた異世界の創造主だな。…強いんだろ?」ゴツい見かけに似合わず、少年じみた透き通った声音で、肩越しに慎司を振り返る。


「勝てませんよ。多聞の一族の血を引く貴方であろうと。赤子同然の扱いを受けるでしょうね」静かな声音で慎司が告げる。


 たもんの一族? ……なんかよく分からんが、どうやら相当に武闘派の一族の戦士らしいな。伝わってくる神力も怪物と呼ぶに相応しいほど強力なものだし、少なくとも蛇貴妃より厄介な相手と見て間違いないだろう。


 と、


「あ、てめぇこら! 逃げんじゃねぇ!」


 耳障りの悪い猪男のガラガラ声が響き、目を向けると、小さな猫型に変化したらしいアキトビ君が、踏みつけた猪男の毛むくじゃらの足から逃れ、こっちに向かって走ってこようとしていた。が、


「トロいんだよ雑魚がっ!」


 予備動作もなく一気に突進した猪男が、茶色いキジトラ柄の猫に化けたアキトビ君を、泥塗れの汚い足で再びドスンと踏みつけてしまう。


「ギャッ…!!」鋭い悲鳴を上げて、ヒビ割れたアスファルトの上、アキトビ君がジタバタと手足をバタつかせた。


 き……貴様!? なんということおおお!?


「アキト! もう…許さんぞ!」タマちゃんが声を張り上げ、全身が不確かな白い霧に覆われる。次の瞬間、霧の中から、一匹の大きな白猫が、ものすごい勢いで飛び出していった。


 子猫のものとは似ても似つかない、荒々しい姿。ボフっと逆立った4本の尻尾を逞しくしならせ、吊り上がった鬼のような目つきで猪男を睨みつける。剥き出しの牙を鋭くギラつかせ、シャーと威嚇しながら猪男に飛びかかった。


 あ! ダメですタマちゃん! そいつ、バッちぃからっ!!


 瞬時にディグフォルトを全身融合し、全速力で背中の翼を羽ばたかせる。


「ぇ、うぇぇぇ!? り、理道!?」背後からユウちゃんの驚く声が聞こえてきたが、とりあえず構ってる暇はありません! シィルスティングを使用したら姿形が変わってしまうことは、一応は説明してある。……ここまで悪魔じみたものになるとは言ってなかったけど。


 一瞬でタマちゃんを追い越し、鋭利な竜の爪の伸びた鱗だらけの黒い手で、猪男の頭をガシリと掴んだ。


「ぐぎぇっ!?」


「お前な。俺の前でにゃんこ踏みつけるなんて、随分と舐めた真似してくれるじゃねーか?」


 バキバキと掴んだ猪男の頭蓋骨が鳴る。そのままグイッと持ち上げようとしたら、身長が足りずに持ち上がりませんでした、と。


 バサリと翼をしならせ、足りない分を空中に浮かんだ。漆黒竜の翼を大きく広げ、空間に体を固定する。


 猪男の体重から逃れたアキトビ君が、標的を奪われ呆然としていたタマちゃんの頭に飛び乗っていった。


「無事か、アキト!」


「はい。申し訳ございません。聖域への侵入を許してしまいました」言いながら右足を抱え込み、タマちゃんのモフモフの頭部に蹲る。


「ぐぎ…は…離せぇ…!!」


 空中に持ち上げられジタバタともがきながら、猪男が苦し紛れに俺の胴を蹴りつけた。が、翼の風魔法の効力で、空間に固定された身体はビクともせず、蹴りの威力もディグフォルトの鱗まみれの竜の身体に、微塵のダメージも与えることはない。


「にゃんこは、優しくしなきゃダメでしょうが! 優しくした分だけ、にゃんこからも優しさが返ってくるんです。そんなことも分からない奴には、にゃんこと触れ合う資格などない!」メリメリっと、猪男の頭部を掴んだ指に力が篭もる。


「ぎゃぁああ! お、俺は別に戯れ合いたいわけじゃ…!」


「知るかぁ! アッキーに怪我を負わせただけでは飽き足らず、人懐っこさでは一、二を争うと一部コアなファンから支持の厚い、茶キジトラ猫になったアッキーを踏みつけるなんて、罰当たりにもほどがあるわ!」


「いや、知らんがな。どこ調べだそれは」と、後方でウィラルヴァがビシッとツッコミを入れる。「てかアッキーとはなんだ。また勝手に愛称など名付けおってからに」はぁーと長いため息を吐く。


「あ、優輝君、もうちょっと後ろに下がっていた方がいいよ。うん、そうそう。こういうときは、出来るだけ邪魔にならないように、隠れて様子見しとくのがベストなんだ」


「は、はい! ご忠告ありがとうございます、ドンテン先輩!」


 建物の柱の陰に隠れて、コソコソとこちらの様子を伺う店長とユウちゃん。その二人を守るような位置取りをした奈々枝さんが、俺の視線に気づき、頰に汗を垂らしながら愛想笑いをした。


「なんナら、私が食べテもいいゾ。猪肉は嫌いじゃナい」いつのまにかすぐ近くにいた蛇貴妃が、掴み上げられてプラプラと揺れる猪男を見上げて、ペロリと舌舐めずりをする。


「ひ、ひぃぃぃっ!?」


 青褪めた猪男が俺の腕を両手で掴んで、必死にもがいてバタバタと足をバタつかせた。


「いやいや、さすがに食べたり殺したりしちゃったら、後々問題になるかも知れないし……とはいえ、にゃんこを平然と踏みつけるような奴なんて、百害あって一利なし。トドメくれといたほうが、世の中のためかも知れないなぁ」猪男の頭を掴む爪に、さらにピキピキと力が篭もる。


 マジどうしてくれようこいつ。本当に蛇貴妃に食わせて、神力を吸収させてやろうか。多少、負の神力も所有しているようだから、その分はあとで浄化させてやらねばならないが。


「ぎ、ぎゃぁあああ! た、助けてくれ!」猪男が凄まじい悲鳴を上げた。


「……助けなくていいのか?」黒狼がチラリと慎司を見やる。


「異世界の神は、治外法権に当たります。それがどういうことか、貴方の一族は、どこの派閥より理解しているはずですが」


「俺は若いんだ。話には聞いているが、直接知っているわけじゃない。興味のないことは、覚えてもいられない」


「根っからの戦闘狂というわけですか。まぁ雇われ用心棒としては、打って付けの性分と言えるでしょう」


 慎司と狼男が、まるで蚊帳の外にいるかのごとく、双方が落ち着いた顔つきで話をしている。


 なんか似た者同士って感じだな。まぁいいけど。


「助けないのか、慎司? 仲間だろう?」


 問いかけると、慎司はヒョイと肩を竦め、


「貴方が何をしようと、文句をつけれる神もいないでしょう。それだけの力と財力を、貴方は持っている。好きにすればどうですか」


あくまで感情を見せず、冷たい視線だけを投げかけた。


「き、キサマ! 客分の分際でっ!?」フゴフゴと鼻息荒く、猪男が悪態を吐く。


 あ、きったね唾飛んだ!? タマちゃんとアッキーにかかったらどうすんだボケっ!?


「蛇貴妃、いただきますは!?」


「いタだきまス!」


 グニョンと身体が伸びた蛇貴妃が、巨大な大蛇の姿に変わる。


「や、やめてくれぇぇぇぇっっ!?」猪男の断末魔の悲鳴も気にせず、大口を開けた蛇貴妃の口の中に、猪男の身体をグイッと突っ込んだ。


 ングングと目を細めながら、蛇貴妃が猪男を丸呑みにしてゆく。


 十五禁指定は確実の、えげつないお食事風景です。お疲れ様でございました。


「う…うわぁ〜」と、ユウちゃんが口をポカンと開けて間抜けな声を出すと、「しまった、動画撮っとくんだった」店長が悔しそうに地団駄を踏んだ。


 呑気でいいねアンタらは。


 さて。とりあえず一匹は片付いたわけだが……


「慎司君や。ちょっと聞きたいことがあるんだけどね」フレンドリーを装い、ニコニコ顔で尋ねかける。


「……なんでしょう。姉さんの居場所だったら、神力と引き換えにお答えしますよ。そうですね……霊力換算で、十万ポイントといったところでしょうか」飄々とした態度で、的外れなことを言ってのけた。


 このやろう……どうあったって、口では敵いそうにない。ここは単刀直入にいくか。


「神の柱から外れさせる蝋燭……あれは、お前が作ったものなのか?」


 問われた慎司の口の端が、軽く引き上がった。


「あの程度の玩具なら、俺にも作れはしますが……残念ながら、俺の作品じゃありませんよ」


「そうか。…だが、お前の一派が仕掛けたことに変わりはないな?」


「俺の一派ではありません。キミトさん……国乃樹魅富の派閥が仕掛けたことに、違いはありませんがね。ちなみにこの黒狼、湧牙真神ゆがしんじんもまた、全く違う派閥に所属しています」


 そういえばさっき、用心棒だとかなんとか言ってたな。加えて慎司もまた、似たような立ち位置なのだろう。


 そのくせ、聖域にも自由に出入りできる権限を与えられているというのは、慎司の上にいる神は、相当に位の高い神族だと見て間違いはないだろう。


 なーんか面倒なことになりそうな気がするなぁ。まぁ、相手が誰だろうと、こっちの要求だけはキッチリと通してもらうけども。


「お前がどこの派閥にいようと、俺にとってはどうでもいいことだ。今回の件に、お前も関わっていることには、変わりがない。

 キッチリと言わせてもらうぞ。あの蝋燭、販売されているものも、すでに流通しているものも、全て回収して破棄させろ。それと国乃樹魅富の派閥に吸収された、野播羅乃玉の一族の聖魂を、一つ残らず返してもらいたい。俺達の要求は、その二つだ」


「……それは、この地方の最大勢力である、理道一家からの正式な要求、ということなんでしょうかね」どこか愉快気に慎司は言った。


 あん? 最大勢力? 理道一家って……ナニソレどこの暴力団よ?


「お前は何を言ってるんだ?」


「……やはり貴方は、自分の立ち位置を何も把握していないようですね。

 自身も異界の絶対神であり、他に類を見ない強力な神力を保有しながら、さらには他の世界の創造主と創造神をも、その配下に置いている。それだけでも史上稀に見る脅威であり、どれだけ危険視されていることか、貴方は考えもしないんでしょうね」


 ん……うーむ。言われてみれば確かに、セブラスもシズカも、相当に強力な神力を持っていると思うが……前に戦った感じからして、そこまで脅威に感じるほどの戦闘能力は、保有していなかったと思うんだが。


 ……いや、今現在セブラスは、ウィラルヴァの眷族下にあり、出会ったときよりも数段、強くなっているはずだ。ということは必然的に、シズカの能力も、同じだけ上がっているということになるわけか。


「これまで貴方達は、断罪者としての依頼を熟し、ただ金を稼ぐだけでいました。蛇貴妃を奪われたことも、こちらとしてはただ末端の手駒を失っただけであり、キミトさんもそれほど重要視はしていませんよ。

 だけど今回のこれは、神々の間にも激震が走るでしょうね。国乃樹魅富のれっきとした眷族である瀬見原主せみばらのぬしを配下に飲み込ませ、かの天照大神も眷族として欲した野播羅乃玉の一族を、いとも容易く勢力下に置いてしまったのですから。

 来期の定例議会が楽しみですよ。誰もが貴方の動向に注目していることでしょう」クックと楽しそうに含み笑う。


「別に野播邏乃玉の一族を、配下に置いたつもりはないけどな。今回の件で、一時的に手を組んだだけだ」


 何気なく呟いた一言に、ウィラルヴァが、


「アホウ」と冷たいジト目で俺を睨みつけた。


「え……シュウお兄たん……タマのお兄たんになったんじゃなかったの?」巨大なモフ耳をショボンとしなだらせ、茶キジのアッキーを頭に乗せたタマちゃんが、切れ長の青い瞳にウルっと涙を滲ませた。


 何を言ってるんですかお兄たんに決まってるじゃないですか! でっかくなっても極限に愛らしいですねータマたんは!


 虎よりもでっかい首を抱き寄せて、よしよしモフモフと柔らかな顎下を撫でる。


 ……あ。なるほど。これは十分に眷族下に置いたに等しい状況ですね了解です。


「……………チッ」背後から重い重いウィラルヴァの舌打ちが聞こえてくる。


 ごめんよぉ。次からは気をつけるよぉ。


「しんじ……そろそろやってもいいか?」


 不意に狼男が言葉を発し、スタスタと強靭な足を数歩前に踏み出させた。


「……何度も言いますが、勝ち目はありませんよ、湧音わおん


「構わない。今後のために、創造主とやらと戦ってみたいだけだ」言って漆黒の竜人スタイルの俺に目を向けて、「こっちの方が戦いやすそうだな」つぶやいた湧音、の姿形が、薄っすらとぼやけるように黒い霧に覆われ、スルスルと小さくなっていった。


 やがて俺と同程度の背丈になった湧音が、紺色の学生服のようなブレザーを着込んだ、人間の姿で、一人スタスタと無造作に歩み寄ってくる。


「秀一ってんだろ、あんた。俺と戦えよ」


 浅黒い肌に、寝癖のついたボサボサの黒髪。着込んだブレザーも着崩れがひどく、ネクタイは中途半端に締めてるわ、シャツの裾は半分ズボンからはみ出してるわと、とにかくラフ感がすごい。


 が、容姿は端麗なものだ。ヤンキーと言うにはちょっと違うけれど、クラスの一番後ろの席で、教科書も出さずに窓の外を見ながら授業を受けている逸れ者……って感じか。


 女にはモテそうだが。


 いかんいかん。どうにも色眼鏡の度が濃ゆいみたいだ。喋ってみたら意外に良い奴だった、ってことも多いのよ〜。


「本来の姿じゃなくていいのか? その姿だと、本気が出せないだろ」


「ただ筋力が落ちるだけだ。それに……俺にとっては、この姿の方が本来の自分なんだ」


 言って湧音が地を蹴り、音も立てずに一気に接近してきた。

  

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