第32話 ななえおばあちゃん


 同僚に教えてもらった御呪い。その後に見るようになったという、白い服の女。やたらと重なる不運に、身内の体調不良。そして、一歩間違えば死んでいたかも知れない事故に、相談した霊感のあるママさんの死亡。


 ふーむ。その飲み屋のママさんが、どういった経緯で亡くなったのかというのは気になるところだけれど、一番気になるのはやはり、ユウちゃんにつきまとっているという、白い服の女の存在だろうか。


「これまでに、一度も見たことはなかったのかい。その白い服の女の姿を?」


 店長の問いに、ユウちゃんは確固として頷くと、


「どれだけ有名な心霊スポットに行ったって、お化けの一つも見たことなんてなかったですよ。見たいとは思っていましたが、実際に目の当たりにすると……しかも、変に不運なことが重なって、挙句に知り合いが死んじゃったとなると、もうパニックですよ」泣きそうな顔で訴えた。


 まぁそりゃ、自分が相談したせいで、人が亡くなったとなれば、良い気分ではいられないだろうが……そもそもそれは、ユウちゃんのせいだと確定したわけではない。たまたまという可能性もあるわけだ。


 それについては、明日にでも確認しに行かなければならないだろうけれど。


「それよりもまずは、問題の白い服の女の件だな」


「やっぱり……あの女が、ママさんを?」と、ユウちゃんが膝を震わせる。


 うーん。どうだろう。それについては、ちょっと思うところがあるのだが……


「なぁウィラルヴァ。その白い服の女って、今もここにいるのか? ……って、何してるんだお前ら?」


 ふとウィラルヴァと蛇貴妃の方に目を向けると、二人は店の奥の壁際で、何やらゴソゴソと辺りのテーブルや戸棚を片付けている最中だった。


「ここに物があると、通るのに邪魔になるからな」


「あれ? そんなところに扉なんてあったっけ?」と、店長が眉を顰めながら、腰を上げて、ウィラルヴァの背後にある扉の方へと歩いてゆく。


「作ったのだ。中々の出来であろう」得意げにウィラルヴァが胸を張った。


 いや、作ったってオイ。そんなところに扉を作ってなんになる? 店の一番奥の突き当たり、壁の向こうは隣の建物の店舗になる場所だ。


「へぇー。即席でそんなこともできちゃうんだ。さすがはウィラルヴァちゃん。

 ……これって、クローゼット?」


 扉を開けた店長が、そこにあったクローゼットの中から一枚の上着を取り出し、しげしげと眺めた。


 ……ん? なんか見覚えがあるぞ?


「は? ちょっと待て、それって…俺のジャケットじゃんか!」


「当然だ。シュウイチの部屋のクローゼットだからな」腕組みをしたウィラルヴァが、ふふんと鼻で笑う。


「理道君の? …お? クローゼットの奥にも、まだ扉があるのか」言った店長が、吊り下げられた数着の上着を掻き分け、クローゼットの奥に手を突っ込んだ。


 ガチャリ、と音を立てて、奥の扉が開く。


 あら不思議! クローゼットを開けると、そこは自分の部屋でした!


 ……………って、オイ!? 俺の部屋だと!?


「何やってんだお前!? ここと俺の部屋とを繋げたのか!?」


「ふふふ。今やお前の部屋も、この店もまた、私とシュウイチの聖域であるからな。回廊を繋ぐことなど朝飯前だ」


「そうダそうダ〜! 朝飯前どころか、おやつ前……ハッ!! おやつを買いそびレているゾ!?」


「なにっ……そう言えば! おいシュウイチ、話が違うではないか! コンビニデザートを奢ってくれる約束だっただろう!」


 すごい剣幕で俺に詰め寄る二人組。


 ええい! そんなことどうだっていいわ!


「お客様の前でしょうが! 繋ぐなとは言わんが、タイミング見ろよ!?」ごつんと二人の頭にゲンコツを落とす。


 マジで何やってくれてんの! 部屋との行き来が楽になるのは歓迎だけど、今じゃなくたっていいだろ!


「り、理道? どういうことだ? お前んちって、ここの隣だったの?」と、背後でユウちゃんのか細い声が聞こえる。


 ほらぁー。説明めんどくさいやつぅー。


「いや、まぁ…なんというか」と額に汗して苦笑を返し、ツカツカと扉の前に歩み寄り、バシッと扉を閉めた。


 母ちゃん出て来たらどうすんねん。弁明のしようもないわ。


「ええーっと。ま……まぁとりあえず、話を進めようか。ウィラルヴァ、例の白い服の女は、今もここにいるのか?」無理矢理に話を逸らす。と、


「シュウイチ……デザートは?」ウィラルヴァが不安げな目で、俺の服を引っ張った。


 ええい! あとでちゃんと買ってあげるから!!


 ソファーまで戻り、元いた場所に腰を下ろす。


「その女ナラ、優輝の背後に立っておるゾ。マサに背後霊というヤツだナ」


「うむ。背後に立っておるのだから、背後霊だ。間違いない」


 ようやく納得してくれたウィラルヴァと蛇貴妃が、口々に言った。


 いや、背後霊って守護霊ってことでしょ。言葉の通りに捉えちゃあかんがな。


 ビクリと身を強張らせたユウちゃんが、慌ててテーブルを乗り越え、俺の隣のソファーへと身を移した。


「オオ。今度は、部屋の壁カラ、顔だけ出ておるゾ?」と、ユウちゃんの背後を指差す蛇貴妃。


「ひぃっ!?」ソファーにダイブして身を仰け反らせるユウちゃん。


 いちいち怖がらせるな! 怖がるな!


 だがお陰様で、ユウちゃんの気を逸らすことには成功したようだ。クローゼットの件については、このまま有耶無耶にさせてもらおう。


「これ写真に写らないかなー?」と、パシャパシャとスマホのカメラでシャッターを切る店長。


 アハハハ。もう。みんな好き勝手しすぎだぞ? ……マジで。話が進まないから!


「と、とにかく。……ウィラルヴァ。その白い服の女と、話ができないか? 俺が思うに、話は通じる奴だと思うんだけど」


 なぜそう思うのかというのは……まぁ、勘としか答えられないけれど。とにかく、そうでなければ、俺に訴えかけてきたあの一言は、説明がつかない。


 ウィラルヴァと蛇貴妃は、背後にいるから背後霊だと称したわけだけれど……それも、あながち間違いではないような気がするのだ。


「話なら、すでに終わっておるぞ。蛇貴妃が契約を交わし、一時的に蛇貴妃の傘下に入っておる形だ。まぁこれは本当に一時的なもので、事が解決すれば解消されるものだがな」


 ……………。はい。爆弾発言いただきました。


「お前な! そういうことは逐一報告してもらわないと……っていうか、やっぱり、悪霊ではないんだな、そいつ?」


 ウィラルヴァは俺の隣にストンと腰掛け、


「そうでなければ、私も蛇貴妃も、こんなにのんびりしておるものか」


「そぅダそぅダー。悪霊だったラ、私がとっくニ喰らっテおるワ」ウィラルヴァの向こうから、ニョキッと蛇貴妃が顔を覗かせる。


 うん。食べるのはやめておきなさい。悪霊なんて食ったら、負の神力を取り込むことになっちゃうんだから。俺やウィラルヴァならともかく、君が取り込むのには若干の問題があるから。


「えーと……僕や優輝君にも分かるように、詳しく話してもらえたら嬉しいんだけど」と、苦笑した店長が説明を促した。


 ナイスです店長。わたくしも説明を求めます。


 腕組みしたウィラルヴァが、ふうとため息を吐く。


「ならば、本人からもう一度説明してもらおうか。おい女…奈々枝ななえといったか。具現化する許可と、神力を与える。出て来て自分で話すとよい」とウィラルヴァが、ユウちゃんの背後の壁を見上げた。


 釣られて、全員の視線が同じ場所に集まる。と、


「お有り難う御座いますぅ〜。お初にお目にかかります秀一様。わたくし、優輝の先祖霊に当たります、小林奈々枝と申します〜」


 長い黒髪の女の青白い顔だけが、薄汚れた壁に嵌り込んだお面のようにして、ぴょっこりと現れた。


「うわわわわわわぁぁ!?」


 慌ててユウちゃんが、テーブルを飛び越えて向こう側のソファーにダイブする。


「おおお、すごい! 写真に写ってるよ!」歓喜の声を上げた店長が、パシャパシャとカメラのフラッシュを連写した。


「あらやだ。わたくし、お化粧もしていませんのよ。被写体にされるなんて恥ずかしいですわ」


 奈々枝、と名乗った女がニョキッと壁から腕を生やし、恥ずかしそうに顔面を覆った。


 いや、フレンドリー! 幽霊が写真写り気にすなっ!


「え、小林…奈々枝? なんか、聞いたことがある気が……」とユウちゃんが、ダイブしたソファーの上で無様に腰を抜かしながらも、おずおずと顔を上げて、壁から生えた自分の守護霊に目を向ける。


「あらー、薄情ねー優輝ちゃん。貴方の実家の仏壇にも、私の写真が飾られているでしょうに」顔を覆っていた手が壁の中に引っ込み、再び首だけになってニコニコ微笑む。


 うん。怖いからそろそろ壁から出て来てください。子供が見たら軽くトラウマになってしまいそうな光景です。


「まさか、ひいひい婆ちゃん? え、でも、写真だと、めっちゃしわがれた怖そうな顔の……」


「何か言いましたかー? 霊体だと年齢関係ないこと分かりますかー?」


 ズイッと壁から抜け出て来た奈々枝さんが、有無を言わさぬ迫力を笑顔の中に滲み出させ、ユウちゃんにグイグイ顔を寄せる。


「ひぃぃ! ごめんなさいっ!」仰け反るユウちゃん。


 なんというか、幽霊にしてはやけに明るい、エネルギッシュなお姉さんだ。いや、お婆ちゃんだけど。


 さて。……そろそろ、話を戻さねばなりますまい。みんながみんな、自由すぎるわ!


「ええっと…奈々枝さん、と呼べばいいですかね? 初めまして。ユウちゃんの同級生の、理道秀一といいます」


 座ったままながらきちんと挨拶し、ペコリと頭を下げる。奈々枝さんは空中にフワフワ浮かんだまま、身体ごとこちらに向き直ると、


「夜叉孫がお世話になっております。小林家の守護霊を取り仕切っております、優輝の先祖の奈々枝と申します」と、もう一度きちんと挨拶をし、律儀に深々と頭を垂れた。


 うん。ノリは良い感じだけど、どうやらちゃんとした人物のようだ。悪霊からは程遠い。身に纏っている神力も、負の神力ではなくまともな神力だし……いや、その神力は、ウィラルヴァが貸し与えたものなのだから、当然っちゃ当然か。


「へぇー。守護霊を取り仕切る役割とか、そういうのがあるんですね。初耳だー」と、店長が目から鱗して深々と頷いた。


「一族、血縁ごとに、あの世での責任者がいるんです。小林家は代々、山建根命やまたつねのみこと様の氏子であり、それなりに強い発言力を持っているのですよー?」腰に手を当て、自慢気に胸を張る。


 山建根命か……これまた初めて聞く名前だけれど。どこの派閥の神なのだろうか。


 こないだ真樹さんが言っていたけれど、日本の神々のほとんどは、天照大神と縁のある派閥か、大国主命の側の派閥、大きく分けて二つの派閥のどちらかに属しているという。中には真樹さんのいる派閥のように、どちらにも属さない中立の派閥もあるというが、その割合は全体の二割にも満たないんだそうだ。


「ひ、ひいひい婆ちゃん、そんな偉い人だったんだ……」と、ユウちゃんがポツリと口にした。


 未だ動揺は拭い切れていないような顔つきだが、やけに人間っぽく明るい話し方をするご先祖様の姿を見て、多少は落ち着いてきているようだ。ソファーの端っこにちょこんと腰掛け、おりこうさんに姿勢を正して奈々枝さんの顔を見上げている。


 一瞬、奈々枝さんが、そんなユウちゃんに向けて、何か言いたそうな顔をする。が、すぐに思い直したかのように、それまで通りのニコニコとした人当たりの良い笑顔を浮かべた。


「今は私が、一族の代表みたいなものですからねー。だからこそ、優輝ちゃんみたいに、一族の輪から外れてしまった子に対しても、責任を持つ必要があるんですよー」


「一族の輪から外れた? それってどういう意味ですか?」と、店長がキョトンとして小首を傾げた。


 奈々枝さんはちょっと困ったように、笑顔ながらも眉間に皺を寄せて、複雑そうな表情を浮かべたが、ちらりと一度、ウィラルヴァに視線を向けたあと、


「それが、秀一様とウィラルヴァ様に助けを求めた、最もの要因なのです。どうか、お力をお貸しください」


 と、床にストンと足を着けて、深々と頭を下げた。

 

 

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