第24話 闇の取り引きをするのです
薄暗い竹林。所有するシィルスティングの影響で、夜目は利く方なのだが、それがなくとも、まるで景色自体が発光しているかのようにして、不思議と辺りの風景を一望することができる。なにかしら特別な効力が働いているのだろう。
舗装もされていない竹林の道を、ワシャワシャ落ち葉を踏みしめながら歩く。地面には蛇女の這いずったらしい跡が、竹林の奥へと続いていた。
ここが現実世界から隔離された場所だというのは分かるが、風景そのものは、現実世界のものと全く同じらしい。そういうタイプの聖域だということだ。
具体的には、現実世界のものを丸ごとコピーして、ズラした次元の上に結界を張り世界を構築……いや、まぁいいか。とにかく、この中に入れるのは、入るための資格を持った者だけに限られる。
それが神々だけに限られるのか、あるいは普通に人間も暮らしているのかは、聖域の主の匙加減一つだ。
ある意味、創造主ごっこと言ってもいいかも知れない。この中でのルールは、全て聖域の主が取り決めている。
実際、この聖域を惑星規模で拡大させたものが、世界であると言ってもいいわけだし。創造主、創造神という存在は、その世界において絶対のものだ。それだけはどう足掻いても覆らない。
俺とウィラルヴァは、こと戦闘というものにおいては、相当の自信を持っているけれど、この地球の創造主&創造神には、どう頑張っても勝ち目がないだろうな。ここが地球である限り。
逆に俺とウィラルヴァの世界でなら、たとえどんな強敵が相手だろうと、負けることなど考えられない。
同じ理由で、この聖域内においては、できれば聖域の主と争い合いたくはないものだ。
勝てる見込みがないわけではないが、相当の神力を消耗させられるだろう。
どれくらいの神力を消耗すれば、星のレベルにまで影響が出るのかは、今一つピンとこないけれど。
「フン……ドウヤラ私ハ、見捨テラレタヨウダナ」
竹林の奥、古めかしく小さな、赤い屋代のそばで、屋代の周りに
「抵抗しなければ、傷つけるつもりはない」
一応そう言ってはみたものの……まぁ、大人しくゆうこと聞いてくれるとは思えないな。
「ドノ道、仮リモノノ屋代ヨ。家無キ我ガ身ニ未練ハナイ」
大事そうに蜷局を巻いて取り囲んでいた小さな屋代を、もたげた鎌首で寂しそうに見下ろす。
な、なんだよぅ。そんな顔されると、決意が鈍るじゃないかよぅ。
というかこいつ、一体どんな存在なのだろう。真樹さんは逸れし蛇神とかなんとか呼んでいた気がするけれど。
加えて、一つどうにも納得できないことがある。
どうやらこの蛇貴妃、正の神力も負の神力も……霊力も呪力も、両方を取り込むことができるようだ。それ自体は、そんなに珍しいことではない。実際に俺だって、やろうと思えば汚れた神力を使って能力を使用することもできる。…色々と問題も出てくるんで、まずやらないけれど。
この蛇貴妃、取り込んだ神力のうち、霊力だけを、この聖域を維持するために提供している…といったところだろう。自身は負の神力である、呪力だけを身に宿し、悪神として存在している。
……なんのために? 負の神力というのは、いわば腐った水だ。誰だって、綺麗な水を飲みたいに決まっている。
それが可能だというのならば、そうすればいいだけの話だ。誰が好き好んで、腐った水を飲みたがるだろう。
そういえば真樹さんが、この世界は竜脈の力が弱く、力を引き出すのは制限されていると言っていたような気がするが……それもどういうことなのだろう。神々の事情、とだけ言っていたが……。まぁ、その話はとりあえず置いておこう。必要があれば、あとで真樹さんに直接聞けばいいだけのことだ。
とにかく、だ。蛇神であろうと邪神であろうと、紛うことなき神の一柱だ。ならば……人を殺して神力を奪わなくとも、自前で神力を生み出すことができるはずなのだ。
その自前の神力をも、聖域に提供している? そこまでしなければならない、何か大きな事情でもあるということなのか。
なんだろう。考えてみたらこいつ、すごく悲しい神なんじゃないか?という気がしてきた。
「その屋代が、お前の仮屋ということか。その巨体じゃ、入れそうにもないけどな」
「人ノ感覚ト一緒ニスルナ。棲ミ家モ持タヌ野良神ノ気持チナド、貴様ニハ分カルマイ」
鎌首がゆっくりとこちらを向く。
「屋代ノ大キサハ関係ナイ。安ラゲル場所ガ在ルト言ウコトガ重要ナノダ。恵マレタコノ国ノ人間ニハ、理解デキヌデアロウ」
うーむ。まぁ、分からなくはないが。
とりあえず屋代の大きさについては、変化の魔法を使えば、身体の大きさなど如何様にも変えることができる。……いや、そこはどうでもいい部分か。こいつが言いたいことは、そういうことではない。
「ぼっちの典型だな。家に安らぎを求めてるようじゃ、そのうち引き籠って部屋から出なくなるぞ」
その点、神力を集めるために外出しているこの蛇女は、引き篭もる心配は……って、その外出をするたびに人が死んでるんだから、余計にタチが悪いじゃん!
むしろもう、ずっと引き籠ってろ。神力を集めないと存在を維持できないような、低級な悪霊ならともかく、自分で神力を回復できるのだから、外に出る必要もないだろ。
……そう思って抗議したところで、蛇女のもたげた鎌首が、ショボンと俯いた。
「身ヲ守ル力ヲ持タネバ、狩ラレテ滅ブガ条理ヨ。ソノタメニハ、汚レタ力デアロウト、集メネバナラヌ。ソレニ、私ダケノ霊力デハ、霊力ノノルマニ足ラヌノダ。足ラヌ分ハ、集メネバナラヌ」
「そのために人を食うことも辞さないと? それにしたって、やり方が悪趣味過ぎるだろ。わざわざ手足を千切って、流れた血から呪力を集めるとか、サイコパス過ぎるわ」
「アアシテ集マル力ハ、苦シミカラハ呪力ガ生マレ、生キヨウトスル意思カラハ霊力ガ生マレル。ソウシテ集マッタ力ノウチ、呪力ハ私ノ取リ分ナノダ。ソウイウ取リ決メヲ交ワシタ」
「取り決めって、誰と? 慎司のやつか?」
もしそうだとしたら、慎司も相当にヤバいやつだな。一体いつから断罪者をやっているのかは知らないけれど。
「奴ハ、只ノ客分ダ。コノ聖域ノ主ハ、他ニイル」
「客分? 聖域の管理者の一人だと言っていたぞ?」
「ソウダ。ソレダケノ権限ハ持ッテイル。奴ハ、アチコチノ聖域ト関ワリガ深イカラナ」
ふーむ。……なるほど。随分と出世したもんだな慎司のやつ。
いやいや、そうじゃないから! いかん。突っ込む者もいないのに、一人でボケてどうするよ俺。
複数の聖域と関わりが深い? ということはおそらく慎司は、それらの聖域の主の、さらに上に立つ、上位神の配下ということだろう。そうでなければ、いくら断罪者とはいえ、ただの人間が聖域の管理者になどなれるわけがない。
そういえば慎司、あの湖畔の街の神社の、神主の家系だったな。もしかしてその上位神とは、あの神社の祭神ということなのだろうか。
だがあの長屋の住人の中に、慎司の名字である水瀬という名前を知っている者は、誰もいなかったが……。住んでいる人達の中にも、水瀬という名字の者は一人もいなかったし。
それもどういうことなんだ?
まぁ、いいか。どの道あの街には、ウィラルヴァを連れてもう一度、訪れる必要がありそうだ。
「水瀬慎司……アノ男トハ、知リ合イノヨウダガ、ドウイウ関係ダ?」と、静かな口調で蛇女が聞いた。
「うん? ああ…元カノの弟、だ。昔からあんな根暗な奴なんだぜ、あいつ。俺と遥華がやってるところを、コッソリ覗いてたとの疑惑もある!」
慎司が様子を伺っているだろうことを期待して、声を大にして言ってみた。きっと今頃、聖域内のどこかで、額にピシッと青筋を立てていることだろう。
「水瀬遥華トハ、私ガ化ケテイタ女ダナ。ナルホド。ダカラアノ姿デ、オマエニ接触シロト言ッテキタワケカ」
納得したように蛇女が、シュルルっと口から赤い舌を出した。
ふむ。ということは、全て慎司の計算尽くというわけなのね。
真樹さんが、俺がシズカとセブラスのヘルプで、この仕事を受けたことを知っていた、ということは……慎司がそれを知っていても不思議ではない。断罪者であれば、情報も入ってくるだろう。
それに合わせて行動を起こしたと。
……………うん。
なんだろう。なんか今、一瞬……この世界の構図が、垣間見えた気がしたんだが。
世の中に蔓延る悪霊って、悉くこの世界の神々が関与しているんじゃないだろうな? そうやって神力を集めさせて、自由にさせているんじゃなかろうか。むしろ、神々が率先して、悪霊を生み出している?
あり得なくはないのが、怖いところだ。報道されないだけで、毎年日本でも相当の数の行方不明者が出てるっていうし、そのうちの何割が……やめておこうか。なんか怖くなってきた。
というか、神社でお賽銭や願掛けをするのにも、微量ずつ神力は集まるものだし、お経を唱えるにも大なり小なり神力は消耗される。加えて死したのちに、宗教ごとに魂が送られる先は……いや、これもやめとこう。ハッキリと怖い話だ。
第一に、俺が口出しできることではない。内政干渉というやつになる。
俺とウィラルヴァの世界では、そんなことないからね? ……と、とりあえず言っておこう。
今ふっと、そういえば……なんて思いが浮かんできたことは誰にも内緒だ。
「さてさて。まだまだ色々と、お前には聞きたいことがある。…大人しく捕まってくれるかな?」
言いながら右手に神剣ランファルトを武具召喚し、スチャリと剣先を蛇女に向けた。
「キッパリ言っとく。実力差は、天と地ほどの差がある。どうやってもお前に勝ち目はない。
ああ、目に見えない呪力……色の無い、無属性の神力で、俺が予測できないようなトリッキーな攻撃をしてくれば、手傷を負わせることくらいなら、できるかも知れない。
だが、それだけだ。手傷を負わせて終わる。俺は倒せない」
だって神力を出し惜しみしなくていいのなら、仮に手足が千切れたって、数秒で再生できるもの。神力を物質化させて、新しく手足を作ればいいだけだ。
創造主なめんな。シズカだってそれくらいのこと、造作もなくやってのけるはずだ。魔女という性質上、むしろ俺よりも得手かも知れない。ワンチャン、死んでも蘇生されるとかいうチーターの可能性もあるな。俺はそこまでは無理だけど。
蛇女が無言で、ジッと静かに俺の顔を見下ろした。大きな黒真珠のような瞳に、神剣ランファルトの淡い輝きが反射する。
「私ハ、滅ボサレルノカ?」
「それは……俺が決めることじゃない」
決めることじゃないというか……決めていいことじゃない。全ての決定権は真樹さんにある。二ヶ月前にこの蛇女に殺された断罪者は、真樹さんの親友だったのだから。
「ナラバ……戦ッテ死ヌ」と、蛇女がポツリと呟いた。
「ドノ道、滅ボサレルトイウノナラバ、最後マデ抗ウ。生キ残ッテモ、聖域ニ見捨テラレタ私ニハ、ユクアテモナイ」
「……戦いにすらならないぞ? ていうかさっきも言ったけど、殺す気はない。捕まえるつもりだからな」
「ナラバ、自爆モ辞サナイ。モウ流レルノハ嫌ダ。コノ屋代ヲ失ウノナラバ、コノ世ニ未練モナイ。潔ク滅ビテ、来世カラハ、只ノ小サナ蛇トシテ生キル」
言って再び、名残惜しそうな寂しい瞳で、グルリと大事そうに取り囲んだ屋代を、ジィ〜っと見下ろした。
ちなみに神族というのは、例え滅びたとしても、長い時間をかけて元の姿で復活することができる。
ただしその場合、元々生まれ持った姿で復活することになり、眷族や加護も、真っさらの状態だ。レベル1ってやつだ。
まぁ、生前に得た知識ってやつは、そのまま継続されるわけだから、完全にリセットされるってわけではないけれど。例えば儀式魔法なんかは、手順や材料を覚えていれば使用できるし、言霊だけで発動する魔法なんてのも存在する。どこかの神の眷族になったり加護を受けたりして、上がった能力や、使用の許可された理なんてのは、持ち越すことはできないけれど。
「サァ、殺スナラ殺セ。貴様ノ腕ノ一本クライハ、冥途ノ土産ニ持ッテ行カセテ貰ウ」
蛇女が言い放ち、もたげた鎌首が狙いを定めるように、揺ら揺らと揺れ動き始めた。
無造作に神剣ランファルトを携え、無言で蛇女と視線を合わせる。
中々に面倒な状況だ。倒すだけならともかく、完全に臨戦態勢の巨大な蛇を、どうやって捕まえればいいものか。
向こうが観念するまで、延々と首にしがみついてやろうか?などとも考えたが、それも面倒くさそうだ。蛇ってのは、相当に執念深いというし、逆に俺の方が根負けしそうだなぁ。
と、なると……。
うん。手段は一つしかない。
「取り引き…しないか?」
ふと妙案を思いつき、そう蛇女に問いかけた。蛇女の首の動きが止まり、僅かに斜めに傾く。どうやら首を傾げているようだ。
「取リ引キ……ダト?」
戦意を削がれ、呆気に取られた声が響く。
「そうだ。お前が自爆も辞さないほど、滅びる覚悟があるっていうんなら、悪い条件じゃないはずだ」言ってニヤリと口の端を上げる。
「……言ッテミロ。条件ガ良ケレバ、乗ラナイコトモナイ」
言いながら、囲んだ屋代を守るように、蛇女の胴体がキュッと絞まる。
……そんなに大事かね。いやもう、なんか哀れだわ、マジに。
「良し。それじゃ……おっと」
大きな声で話してちゃ、慎司に聞かれるかも知れないな。思い立ち、神剣ランファルトをリングに戻すと、軽快に蛇女の首にピョンと飛びついた。
「オマエ、ソコニハシガミツクナト、アレホド…!」
「まぁまぁ、ちょっとお耳を拝借」
蛇女の耳元で、ゴニョゴニョと内緒話をする。
「フム……オマエノ仲間ハ、ソレデ納得シテクレルノカ?」
「それはまぁ……事後承諾になるかな。カルマなんたらの話になれば、文句は言えないと思うよ」
真樹さんには悪いけれど、それで納得してもらおう。
あるいは、借りを一つ……ということにしてもらうかなぁ。
何より
「分カッタ。条件ヲ飲モウ」と、蛇女がコクリと頷いた。
と、
「勝手なことをされては困ります。
やはり貴方は、女を誑かすことにかけては一級品ですね」
びゅうっと一陣の風が吹き、怒りのこもった慎司の声が、薄暗い竹林に響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます