第22話 白蛇を捕まえます


「騙されるな。見た目なんて、いくらでも偽れる!」


 真樹さんの叱責が飛び、ようやく我に返った。


 薄く辺りを照らしていたカメラの明かりが、一瞬、フラッシュが焚かれたかのように明るく光る。その光を浴びた遥華の顔をした女が、眩しそうに両手で顔を覆った。


「キィィィィィィィーーー!!!」


 甲高い獣のような悲鳴が鼓膜に震えた。思わず顔を顰め、歯を食い縛る。


 普通の人間なら、これだけで鼓膜が破れてしまっていただろう。真樹さんが気になって肩越しに見やると、俺と同じように顔を顰めて耳を塞いでいた。


 が、ダメージはないようだ。何かしらの防御能力は備えているらしい。


 ふと車椅子に乗せられた男を見ると、耳と目から血を流し、ぐったりと項垂れている。おそらくは、事件のあったバーのマスターなのだろうが。


「ディサイダーメ……邪魔ヲスルナラ、貴様ラノ霊力モ吸イトッテクレルゾ!」


 覆っていた手を振り下げ、女の風貌が明らかになる。


 先ほどとは、全く違う顔つきをしていた。白かった肌はさらに白く、まるで生気を感じられない肌色に薄まり、大きく裂けた口裂け女のような口からは、蛇のような真っ赤な長い舌が伸びている。長い黒髪はボサボサに垂れ下がり、大きく見開かれた両眼は、全部が真っ黒で、吸い込まれそうな漆黒の光を湛えていた。


 明らかに遥華じゃない。なるほど、幻覚を見せて、惑わそうとしていたということか。


 そうだとしても、なぜあの香水の匂いまで感じたのか、いくらか説明がつかないことがある。あれのせいで遥華のことを連想してしまい、見せられた幻だったと思うのだが……まぁいい。のんびり分析している暇はない。


「不動結界符! この場に縛り付けるぞ。シュウイチ君、人間の方は気にしなくていい。あれはもう、助からない!」


 真樹さんが操作したスマホのライトの中に、一枚の札の形が浮かび上がった。大きく広がった文字が左右からアウトカーストを包み込み、衛星のようにして円形にグルグルと回転しながら、車椅子ごと、女の周りを取り囲んだ。


 シュルシュルと気味の悪い音を発しながら、女の口から長い舌が見え隠れする。真っ黒な目が憎々しげに、取り囲んだ文字を睨みつけた。


「コノ餌ハ返サヌ。マダマダタップリト、霊力ヲ搾リトレルノダカラナ」


「人間一人から吸い取れる霊力など、たかが知れているだろう。苦痛を受けて流れた血からは、負の霊力も吸い取れるだろうが、お前のやり方は燃費が悪すぎる。それではあと半日と持つまい」


「コレハ私ノ取リ分ダ! 誰ニモ渡サヌ!」


「取り分、だと? おかしな言い方をするな。他に霊力を分け合う相手がいるということか?」


 真樹さんが投げかけた疑問に、女は開けた口から伸びる舌を震わせ、威嚇する態度を取った。


「貴様ニ明カス義理ハナイ!」


 黒い爬虫類のような両眼が見開かれ、裂けた口が大きく開く。目に見えない何かの力が、女の口から発せられたように思えた。


明眼精符めいがんせいふ制淵領域せいえんりょういき!」


 真樹さんのスマホの画面から、発した言葉と同じ文字が浮かび上がる。真樹さんを中心に半径十数メートルほどに、球体状の神力領域が展開されたのが分かった。


「呪いの力は、目では見えない。色の抜けた神力だと思えばいい」


 真樹さんの展開した領域は、その目では見えない呪力に、強制的に色をつける結界領域であるようだ。女の口から発せられた衝撃波のような闇の塊が、すぐ間近に迫っているのが目視できた。


 なるほど。この結界内であれば、霊感のない俺にも、幽霊が見えるようになるのだろう。


 そもそも霊感というのがなんであるのか、今まで良く考えたことはなかったけれど……うん。なんとなく、分かったような気がする。


 俺とウィラルヴァの世界にも、ちゃんと存在している力の一種だ。まぁそれについては、あとでゆっくり考察することとして……。


岩砂甲虫サンドビートル、召喚!」


 土属性の魔獣を一体召喚し、前方に飛ばす。全身が硬い岩の甲殻に覆われた甲虫が、女の放った黒い塊に頭から突っ込んだ。


 バチっと派手な音を立てて、衝撃波とともに甲虫が粉々に砕け、砂となって空中に散らばった。


 神剣ランファルトを構えて、散らばった粉塵の中に突っ込む。粉塵のように漂う砂の粒を目眩しにして、一気に車椅子の女との距離を詰めた。


 女の反応速度は、それほど高いようには思えなかった。振りかぶった神剣への対応も遅れ、黒く艶めく眼球に憎しみの色が浮かぶ。


 鋭く振り下ろした刀身が女の頭に触れた途端、突然女の姿が、服だけを残してズルリとズリ落ちた。切り裂かれた赤いワンピースが、ユラリと地面に舞い落ちる。


「凄マジイ霊力ヲ持ッテイルナ。オマエを食エバ、数年ハ霊力ニ苦労シナサソウダ!」


 地面から聞こえた声に下方を見ると、数メートルもある巨大な白蛇が地を這いながら、威嚇するように口を開けて、鋭い牙を光らせていた。


「それがお前の正体か。蛇神の一種だろうとは思っていたがな」背後から真樹さんの声が響く。「はぐれし邪神よ、お前の背後に誰がいる? お前のようなはぐれ者が、単独でこの領域を維持することは不可能のはずだ。一体、どこの神の回し者だ?」


「ドコノ神デモヤッテイルコトダ。イチイチ詮索シテモキリガナイゾ」


「そんなことは分かっている。お前の背後に誰がいるのか知りたいだけだ。お前は…俺の親友を殺したんだからな。報いは受けてもらう」言って、険しい目つきで蛇女を睨みつける。


 うん。完全に蚊帳の外に追いやられた感じだね。話が良く理解できない。


 真樹さんが、返り討ちになったという同派閥の断罪者の敵討ちをしたがっているのは、まぁ推測できるけど。それには、直接手を下したこのアウトカーストだけでなく、後ろ盾をしている何者かも対象に含まれるということだろう。


 そしてその何者かは、神、であると?


 人を殺して奪った神力も、自分だけのものでなく、その神と分け合っているということだろうか? ……まぁいい。その辺りのことは、あとでちゃんと教えてもらうとしよう。


 神々が欲するのは、正の神力と呼べる力であり、この世界では霊力と呼ぶらしい。そして悪霊が必要とするのは、負の神力である、呪力。


 俺とウィラルヴァの世界のものと比べると、ごっちゃになって把握するのが難しいが……まぁとにかく、人間から負の神力を取り出すために、こうして苦しめて、流れた血から呪力を吸収しているのだということは理解できた。


「真樹さん。指示を」


 砂の粉塵になっていた岩砂甲虫を、一所に集めて甲羅の盾へと変化させる。といっても、盾にもできるように左腕に止まらせただけ、という形だけれど。


 この蛇女に関しては、倒すのはおそらく、それほど難しいことではない。よほど上手く力を隠してでもいない限りは、シィルスティング換算で、五つ星程度といったところだろうか。八星の神剣ランファルトならば、問題なく粉砕できる。


 問題は…真樹さんの目的は、単に倒すだけでなく、情報を引き出そうとしているということだ。さっきから斬りかかる隙は度々見つけているけれど、勝手に斬りつけて滅ぼしてしまうわけにもいかなかった。


 が、


「不動結界で縛っていられる時間は、そう長くはない。今のうちに、全力で攻撃してくれ」


 あら。倒しちゃっていいんですね。それならそうと早く言ってくれればいいのに。


 …とはいえ、この蛇女には俺もちょっと聞きたいことがある。


 よし。捕まえよう!


 思い至り、神剣ランファルトをリングの中に戻した。


「し…シュウイチ君?」


「ホウ、潔イナ。勝テヌト見テ諦メタカ」


 ニヤリ、と含み笑った巨大な白蛇に向けて、両手を広げてニギニギさせながら、じわじわと滲み寄ってゆく。


「ヌ? 貴様、ドウイウツモリダ?」


「動くなよぉ〜? ジッとしてろよぉ〜?」


 慎重に一歩一歩近づき、飛びかかるタイミングを計る。


「何をするつもりだシュウイチ君! 武器もなくて戦えるのか!?」


「捕獲します。その方が都合良いでしょ?」


「ほ、捕獲する!? どうやって!?」


「舐メタ真似ヲ!」


 白蛇が口を開け、シャー!と空気を震わせ威嚇した。


 同時に発生した衝撃波を、岩砂甲虫の盾で受け止める。再び岩砂甲虫は砂の粒となって散らばったが、それが再び目眩しとなり、俺と白蛇の頭部を包み込んだ。


 今がチャーンス!とばかりに、白蛇の頭の後ろへと飛びつく。


 ガシッと白蛇の首元に両腕を回すと、ちょうどスッポリと、俺の両腕に収まるくらいの大きさだった。そのままグッと力を込めて、胴体を跨いでその場に抑えつける。


「ヤメロォー! 貴様ドコヲ触ッテイル!」


「知るかよ!? 大人しくお縄に付け!」


「エエイ! 人間風情メガ!」


 のたうち回るようにして、白蛇が全身を暴れさせた。グンと頭が持ち上がり、両足が宙に浮く。


「あ、こら! 頭を下ろせ、落ちたら危ないだろ!」


「知ルカ! 落チテシマエ!!」


 ブンブンと激しく白蛇の頭が振り回される。白蛇の首に回した両手に、さらにググッと力を込めた。


「痛イィ!? 離セ! 千切レタラドウシテクレル!!」


「千切られたくなかったら大人しくしろ!」


「す、素手で捕まえようとしているのか? シュウイチ君、それは流石に無茶だ!」


 右に左に、前に後ろに振り回される中、暴れる白蛇の尾が、辺りの家の壁や塀をドコドコと粉砕していった。


 周りの民家から人が出て来る気配がないのは、誰も住んでいないからなのか、あるいは怯えて引き篭もっているのか。分からないが、あまり長居はできそうにないことだけは確かだ。


 と、真樹さんが展開していた、白蛇の周りを覆っていた不動結界が、バチンと音を立てて弾け消えた。


「まずい! すぐに離れろ、シュウイチ君!」慌てたように真樹さんが叫ぶ。


 いやいや、せっかくガッツリ捕まえたのに、ここで手を離すのは愚の骨頂……などと思ったそのとき、


「イイ加減ニシロォォ!!」


 ガブリ! と車椅子ごとバーのマスターを飲み込んだ白蛇の頭が、そのまま地面の中にズブリと潜り込んだ。


 え、地面潜れるの!?


 瞬間的にヤバさを感じて、岩砂甲虫を全身に防具融合させ、鎧のようにして身体を包み込ませた。


「シュウイチ君!?」


 真樹さんの叫び声が聞こえた途端、目の前に迫った地面の中に、白蛇の首と一緒に潜り込んでゆく。


 それとほぼ同時に俺が目にしたのは、地面の下からズブリと地上へ飛び出た、白蛇の頭と、地面に沈む前と全く同じ景色だった。


 なんだ? 元の場所に戻って来ただけ?


 いや、少しだけ違う部分がある。


 まずそこには、真樹さんの姿がなかった。加えて、先ほど白蛇の尾が打ち壊したはずの家々の壁や塀は、元通りに綺麗に修復されていた。


 白蛇の全身が地面から抜け出て、ジメジメしたアスファルトの上をズルリと這いずる。


「マッタク……トンダ目ニ遭ッタワ」ため息混じりに白蛇が呟くのが聞こえた。


 ……あれ? 気づいてないようですね。


「どこだここは? さっきの場所とは違うな?」


 問いかけると、白蛇の頭がギョッとしたような顔で、首元にしがみついた俺に向けられた。


「貴様!? ナゼコノ場所ニ入ッテ来レル!?」


「フハハ! コノ岩砂甲虫ハ、土属性ノ魔獣! 地面ノ中ナド、問題ナク潜リ込メルワ!」


「私ノ口調ヲ真似スルナァ!! ソウデハナク、我ラノ聖域ニ、許可モナクドウヤッテ入リ込メタノカヲ聞イテイルノダァ!?」


 と、またも俺を振り落とそうと、白蛇が首をジタバタと振り回し始めたとき、


「……どんな夫婦漫才だそれは。蛇貴妃へびきひ。その男…理道秀一は、そこらの断罪者とは訳が違う。その男は、異世界の創造主だ」


 不意に横手から、聞き慣れない声が響いた。


 静かで、落ち着いた、大人の男性の声。


 蛇貴妃と呼ばれた白蛇が、もがく首を大人しくもたげ、男の方を向いた。


「主カ。コノ男ガ創造主ダト? ソウダトシテモ、コノ場所ニ入リ込メタ理由ニハ、ナラヌ」


「俺が許可した……と言えば納得してくれるか?」


「フム……」と、蛇貴妃が意味有りげに相槌を打つ。


 どこにでもいそうな、カジュアルな服装をした男の姿が、先ほどまで真樹さんが立っていた辺りに、微かな月の光に照らされて佇んでいた。


 やや長めの茶髪の髪に、物静かな雰囲気。白い肌に、整った顔つき。細い銀縁の眼鏡の奥で、細めの鋭い視線が、まっすぐに俺に向けられている。


「お前は……」


 ふと、男の顔に見覚えを感じた。目に映る全ての事柄に、まるで興味もなさそうに、冷静に構えるその仕草。己の感情を全く感じさせない、無表情な顔つき。


「お前……慎司しんじか? 遥華の弟の?」


「……久しぶりですね。シュウイチさん」


 動揺も焦燥も、喜怒哀楽の一切の感情を感じさせない物静かな口調で、慎司は少しだけ短く息を吐き、スッと軽く頭を下げた。

 

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