第21話 魔物の領域に侵入したようなのです
アスファルトの上に落ちた青白い足跡が、ゆっくりとしたペースで歩みを進めてゆく。
事件のあったバーの裏口から、薄暗い路地裏を進み、さらに人通りの少ない町外れへと。不思議と人と出会わないのは、何かしらの力が働いていたりするのだろうか。
しばらく進むと、歓楽街も離れ、寂れた商店街の裏道へと入る。昼間はそれなりに人も多いのだろうが、夜に開いている店はなく、街灯も少ない、物静かな街並が続いていた。
辺りにはアパートや民家らしき建物もあるが、不思議と人の気配が感じられない。古い軒並みの、真っ暗な窓の向こうから、得体の知れない何かが覗き込んでいるような気味の悪さを感じて、軽く背筋がゾッとする。
「何か、悪いものの影響を受けている土地のように思う。住む人はほとんどいないと思うし、住んだとしてもすぐに出て行くか、鬱病にでもかかって塞ぎ込んでしまうだろうね。こういう場所は、実はあちこちに点在しているものなんだ。華やかな歓楽街の裏側には、割りかしこういう場所も多い」
真樹さんが携帯の画面を見つめつつ、落ち着いた声音で言った。
携帯の画面には、付近の地図のような画像が映し出されている。俺の持っているタブレットと、似たような機能なのだろう。
自分もタブレットを取り出して、例の探索アプリを起ち上げてみたが、相変わらず赤い点滅は表示されてはいなかった。だが、歓楽街や住宅街を彷徨いていたときより、黒い点滅が増えたような気がする。
真樹さんもそれには気づいているらしく、
「何者かの結界内に入ったようだ。結界というか……領域と言った方が正しいかな。棲家と言ってもいい。神々の聖域とはまた違った、魔物達の領域だよ」
そういう場所では、住んでいる一般人にも、何かしらの悪影響が出るものなのだという。敏感な人だとその場所を通っただけでも、例えば頭痛や吐き気がするなど、体調に影響を及ぼすこともあるという。
「俺達が領域に侵入したのも、すでに感知されているだろうね。その辺りに潜んでいる悪霊は、取るに足らないものだろうけれど、領域展開できるだけの悪霊は、少なくとも危険度Aには分類されると思っていい。それが今回の標的のアウトカーストなのか、全くの別物なのかは分からないけれど」
それでも青白い足跡は、領域の奥へと迷うことなく歩を進めてゆく。無関係であるとは考え辛かった。
「向こうから仕掛けてきてくれたら、手っ取り早いんですけどね」
一応、いつでもシィルスティングを使って対応できるように意識しながら、真樹さんと並んで歩いてゆく。何気なく言ったその一言に、真樹さんはひどく感心したふうだった。
「さすがは異世界の創造主。A級程度の悪霊など、意に介さずって感じか」
「いや、そういうつもりじゃないけれど」
と謙遜してみたものの、少なくとも身を守る手段としては、究極の防御魔法である、絶対防御の盾がある。俺達の世界で、母なる神と呼ばれる絶対神の一柱が得意としていた魔法で、ゴースト系の魔物に対しても、問題なく効果があった。
それはこの世界でも同じだ。世界を構成する力の原則は、どの世界でも共通している。それを引き出すための手段や、呼び方は変わっていても、根本的には同じものだ。それが宇宙の法則であるからだ。
従って、いくら悪霊が精神生命体も同様の存在で、たとえ目で見ることがかなわないとしても、俺の所有する魔剣や神剣を使っても、ダメージは通るのが道理だ。それが神力を通わせる武具である以上は、この世界の悪霊や妖魔、たとえ神族にだって、十分な効果が期待できた。
まぁ、属性による相性の良し悪しはあるだろうけれど。加えて言うならば、防御魔法というのは、実は俺はあまり得意ではない。
シィルスティングの得手不得手は、生まれ持った適性属性や、性格にも大きく左右される。
使えないということはないが、苦手属性だと、それだけ大きく神力を消耗してしまう。ウィラルヴァは出し惜しみするなとは言っていたが、できれば出来るだけ神力の消耗は抑えたいところだ。
「異世界の創造主というのがどれだけの力を秘めているか、ある程度は理解しているつもりだよ。
ところで、シュウイチ君の能力は、どういったものなの? サイトのプロフィールには、召喚術と書かれてはあったけど」
そういえば神崎さんと話したときに、サイトのプロフィール登録もしたんだっけ。当たり障りのないことしか答えなかったけど。
直感的に、真樹さんは信用してもいい人物だと思う。共闘することにもなるんだし、情報開示は必須か。
「ロードリング……この左腕のブレスレットの中には、俺が創造した様々な魔獣や神獣……要はモンスターが入っています。それらは、創造神の持つ能力を、個別に所有していて、召喚したり、自身の身体に融合させることで、能力を引き出すことができるんです」
「なるほど。式神みたいなものかな? ちなみに、何体くらい所有しているの?」
「何体? いや、実は正確な数は把握していないんですが……少なくとも、千は超えると思います」
「せ、千!? ち、ちょっと待て……それじゃあ君は、千体もの式神を従えているってことになるのか! 軽く、軍団の域じゃないか!?」
ああ…言われてみれば確かに、事実上はそういうことになるわけか。
だがまぁ、それをいっぺんに召喚でもしようものなら、神力の消耗が途方も無いことになりそうだから、極めて現実的ではないけれど。
ていうか数が必要なら、増殖能力を持つシィルスティングを召喚すれば済む話だ。千や二千どころか、万単位で操ったこともある。わざわざ大量のシィルスティングを召喚させる必要もない。
それはまた、式神とは違った能力のような気もするけれど……まぁこの世界にある能力に例えれば、そういうことになるのかも知れない。少なくとも似ているとは思う。
「君は、この世界において、相当のバランスブレイカーになりそうな気がするよ。
と……どうやら、標的が近いようだ。注意してくれ」
真樹さんが携帯の画面を操作し、先ほどまでとは違うアプリを起ち上げたようだった。
「先に言っておくけれど、俺が得意なのは、サポーターだ。タンク兼アタッカーは、君に任せる。ヌーカーやサブヒーラー的な役割も熟せるけれど、そっちはあまり期待しないでくれ。君達の世界のものと比べられると、相当にショボいものだから」
「随分とゲーム的な言い方をしますね」
「まぁね。それが現代的というやつだ。だが決して、ゲーム感覚でやっているわけではないよ。それに君には、そう言った方が分かり易いと思ってね」
確かに。タンク兼アタッカーと言われただけで、俺が何をすればいいのかというのは、ほぼ把握できた。
ちなみにタンクというのは、敵の注意を引いて攻撃を引き受ける役目で、最もメインとなる戦闘要員のことだ。アタッカーやヒーラーとは、読んで字の如く、そのままの意味。ヌーカーとは魔法を中心とした遠隔攻撃を得意とし、サポーターというのは、戦況分析や補助をメインとし、ときにはヌーカーやヒーラーとしての役割を果たすこともある。
なるほど。ゲームのパーティとして考えるならば、タンク兼アタッカーの俺と、サポーター兼サブヒーラーとしての真樹さんとは、非常に相性が良いと思う。
良く良く考えれば、メインのアタッカーにもタンクにもなれるであろうセブラスと、確実にヌーカー素質がバリバリのシズカ、加えて神力の補助ができて実質メインヒーラーになれるウィラルヴァとが揃えば、非常にバランスのいいパーティが出来上がりそうな気がする。
ウィラルヴァに関しては、一人でなんでもできてしまいそうな気はするが。それを言っちゃ元も子もないな。
まぁ、こんなふうにゲーム感覚で考えるのもどうかと思うが。
分かり易くはあるけれど。
「追いついたぞ。近くに潜んでいるはずだ」
真樹さんが言って、地面を歩いていた青白い足跡が、地中に染み入るように薄くなっていった。真樹さんのスマホが短く警告音を発し、カメラのライトが点灯する。
が、普通に動画を撮っているわけではないようだ。画面には正面の風景だけでなく、ドーナツ状にして前後左右、全ての方向が映し出されている。
「カメラに映る範囲が、俺の領域だ。この範囲内であれば、完璧にサポートできる。あまり離れ過ぎないでくれよ」
「了解」
左手首を掴むようにして、ロードリングに触れたまま、真樹さんの数歩前へと踏み出した。
左右には木造の古い住宅。苔生してジメジメした狭い路地。街灯も家の明かりもほとんどないが、所有する闇系のシィルスティングの影響で、ある程度の夜目は効く。
遠く離れたところに、ポツンと一つの街灯。その先の突き当たりは、竹林になっているようだ。歓楽街の喧騒も、道を通る車の音も、不思議と聞こえてこない。まるで、異世界にでも迷い込んだような既視感を感じた。
と、
キィ……キィ……
小さく、何か金属製のものが軋むような音が聞こえてきた。フワリ…と、季節にそぐわない、生温い風が頬を撫でる。
その風の中に、不意に嗅ぎ慣れた香りが混ざっているのに気がついて、グッと眉間に皺が寄る。
「街灯の脇道だ。赤の反応」
真樹さんに言われて目を向けると、街灯の脇の道から、車椅子を押す髪の長い女性が姿を現した。
距離があるため顔までは分からない。車椅子には男性らしい短髪の人物が乗っており、あんぐりと口を開けて、呆けたように夜空を見上げている。
嗅いだことのある、香水の匂いが、ぐんと強くなった。加えて、こちらもまた覚えのある、何やら生臭い、生暖かい臭いが、夜風に紛れて漂ってくる。
街灯の下、車椅子の動きが止まった。やや斜めを向いた車椅子に乗った男が、カクンと首を落としてこちらに視線を向けた。
「タ…タスケテ……クレェ……」
かすれた、呻くような声が、男の喉の奥から絞り出される。その男の様子に違和感を感じ、よく目を凝らしてみて……思わずゾッと鳥肌が立った。
男には、両腕と両足が無かった。乗せられた車椅子の上、ビクビクと小刻みに痙攣を繰り返しながら、血と涎の混ざった液体を口から垂れ流し、両の手足から絶え間なく鮮血を滴らせている。垂れた血は車椅子に吸収されるかのようにして、地面に滴ることもなく、座った座席に染み込んでいた。
「あれは……生きている、のか?」衝撃的な光景に冷や汗を流しつつ、シィルスティングを一枚取り出す。
相手が闇の属性であることを期待して、光属性の白銀竜ランファルトを、神剣として武具召喚させた。
白銀に艶めく剣を携え、ゆっくりと歩を進める。数歩離れて、真樹さんがあとをついてくる気配を感じた。
と、またも、嗅ぎ慣れた香水の匂いが鼻をつく。
嫌な予感が、胸中に広がっていった。一歩ずつ近づくごとに、車椅子を押す女性の顔が、ぼんやりとボヤけつつも、少しずつ容姿が確認できるようになってくる。
やがて、数十歩ほどの距離を残したところで、それ以上進むことができず、立ち止まってしまった。
胸の内に沈み込む暗い気持ちと共に、戦意が急激に失われてゆく。
「遥華……」知らず知らず、彼女の名前が口から漏れた。
あの頃と何も変わらぬ、どこか幼いままの顔つきで微笑む彼女が、薄暗い街灯の明かりに照らされて、ただ静かにそこに立っていた。
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