第17話 上位派閥に手出ししてはいけません
時間が時間のため、サイトのメールから神崎さんに連絡を入れていたのだが、どうやらまだ会社にいたらしく、家に帰り着く直前に、電話がかかってきた。
「問い合わせ頂いた件についてですが、まず記憶の操作というものは、基本的には認められてはいません。ですが、いくつか特例はございます」ハッキリとした口調ながら、どこか温かみを感じさせる。愛嬌の良さが滲み出た声音だ。
「迅速に調べていただいて、ありがとうございます。仕事早いですね」
スマホをスピーカーにして、運転中の店長にも聞こえるようにする。
ちなみに店長がサポートとして仕事に加わることは、神崎さんにも報告済みだ。
「いえいえ。これくらい当然です。深夜であっても対応させていただきますので、何かありましたら、いつでもお気軽にどうぞ。
ええっと、特例についてですが……。
この国では、やむなき事情がある場合に限り、記憶の改竄、もしくは消去が行われることはあるようです。
口外するわけにはいかない、人外の関わった事件の目撃者の記憶を消したり、心に傷を負った被害者のケアなど、適応される範囲には限りがありますが」
「なるほど。あくまで秩序を保つための処置、ということですね。これでも一つの世界の秩序を構成した身です。その重要性は理解しています。
ていうかこの国では…ってことは、国によって違いがあるんですか?」
「断罪者の支部が存在しない国では、支配する神々により、独自のルールが施行されているところもあります。
また国内においても、支配圏の細かなルールについては、基本的にはその土地、または派閥の最高神に一任されています」
なるほど。なんというか、戦国時代みたいな感じなんだな。それぞれの土地毎に支配者がいて、独自のルールがあるというわけか。
と、なると、厄介な問題も出て来そうな気もするんだが。どの地域をどんな神様が治めていて、どんなルールがあるかは知らないけれど、場所によって許されることと許されないことがあるんじゃ、迂闊に旅行にすら行けやしない。
できることなら全国共通のルールで統一して欲しいものだけど。
まぁ、神々ごとの考え方の違いはあるんだろうが。
が、俺が知りたいのは、そこではない。
「断罪者として、どう立ち回れば良いのか、マニュアルのようなものもあるんでしょう? 何もかもを神々に任せていたら、無法地帯が生まれてもおかしくない。あるいはルールが厳しすぎて、逆に生き難い土地になっちゃうことだってあると思うし」
というか、基本的にこれだけは曲げちゃいけないという、統一したルールが存在しなければ、断罪者だって存在する意味がないだろう。もしくは断罪者そのものが、身勝手な正義を振り翳す暴力者とも捉え兼ねられない。
そうなれば、反発する神々も必ずあるはずだ。
「それについては、細かな規定はいくつもございますが、基本的には、普通に生きている一般人が、普通のまま生きられるということを重視して考えていただければ、間違いがないかと思われます」
ふむ。それもまた、随分とフワッとした言い方だ。まぁ、分かりやすくはあるけど。
「仮に、理道様が人を…あるいは、神々の誰かを、死に至らしめたとします。
それが理道様の、断罪者としての判断により施行されたものであれば、その時点では何の問題も生じません。人間の世界の法律についても、国に掛け合って、問題がないよう取り計らうことができます。
ですが後日、他の断罪者より異議が申し立てられた場合、査問により、正しい断罪が処されたのかどうかの、判定が下されることになります。そこで間違った断罪が処されたと判断されれば、最悪の場合、理道様に死罪が言い渡される可能性もあります」
死罪…か。なるほどね。なんでもかんでも、断罪者個人の裁量任せにはならないってことか。
なんとなく見えてきたぞ。
つまりは、言ってしまえば…断罪者の上位派閥には、簡単には手出しできないってことだ。
断罪者は基本的に、人間世界のルールには捕らわれず、独自の裁量で断罪を行う権利は所有しているものの、迂闊に上位派閥の関係者を断罪してしまうと、あとから裁判にかけられる可能性が出てくると。
そこで下される裁定は、査問に参加した断罪者の総意によるものだが……必ずしも、公平な裁定が下されるとは限らない、ということだろう。
実質、この世界の実権を握っているのは、国や断罪者ではなく、より多くの断罪者を支配下に置く、断罪者の上位派閥、ってことになるわけだ。
そう考えると……真樹さんが、中立の派閥に所属しろと言ったのは、その辺りの事情も絡んでのことだったのだと推測できるな。
この世界の神々にも、数の暴力は存在するらしい。これはよくよく考えて、上手く立ち回っていかないと、後々絶対に面倒くさいことになりそうだ。
「ちなみに今回の場合ですけど、理道君の記憶に封印をかけた相手に、僕らが断罪を下すことはできるんですか? どんな事情があったのかは分かりませんけど、勝手に記憶を操作して、愛し合う二人を別れさせるなんてこと、職権乱用も甚だしいと僕は思うんですけどね」と、赤信号で車を止めた店長が、スマホの向こうの神崎さんに問いかけた。
どうにも店長、その部分だけは相当に譲れないらしい。もしかしたら過去に何かあったのだろうか、などと不意に思ったが、とりあえず黙っておいた。特に詮索する必要もないことだ。
「それなんですが……記憶を操作された当時、理道様は一般人であったため、封印をかけた相手が特定できたとしても、査問まで持ち込むことはできないと思います。仮に持ち込めたとしても、味方してくれる断罪者がどれほどいることか……
ただし、封印をかけた相手が、この世界の神々や断罪者側の人間でなければ、自由に処分することはできますよ。まぁこの場合、その可能性は限りなく低いとは思われますけど。そもそも記憶操作の能力自体、相当に高位の神でなければ、持ち得ない能力ですので」
まぁ確かにそれはある。俺とウィラルヴァの世界でも、それだけの精神操作能力を持つ者は稀だった。シィルスティングで言っても、その能力を持つソゥルイーターや調律の魔神等も、上位魔獣に当たる六星レベルだ。そんなにお手軽な能力じゃない。
記憶を失ってからの俺も、それまでの生活と比べ、特に大きな不都合が生じたわけでもない。原付だっていつのまにか新しい物に乗っていたし、新しい恋人だっていた。気楽に友達と遊び回っていて、生命の危機を感じるような事態に遭遇したことなんて、一度もなかった。
とはいえ……それは確かに、人の気持ちを無視した行為なのだとは思う。思うのだが、世の中を上手く回らせるには、必要な処置だったのだと考えれば……今の俺ならば、まぁ納得……とまではいかずとも、少なくとも妥協して、甘んじて受け入れることもできる。
ただし、その経緯がどういうものだったのかは、できれば知っておきたいところだ。あのときあの街で、何が起こって、俺や彼女、そしておそらくは、あの街に住んでいる人々が、何を目撃したのか。何のために、記憶の改竄を受けなければならなかったのか。
今の俺ならば、それを知ったところで、無暗に騒ぎ立てることなどしない。例えばネットに真実を書き込んだりして、世の中を混乱させてしまうこともないだろう。
まぁ、今さら彼女と再会して、どうこうしたいというわけでもないが。
少なくとも俺にとっては、それはすでに過去の出来事であり、終わってしまっている恋だ。今はウィラルヴァだっているのだし、仮に彼女が俺のことを覚えていたり、思い出したりしたとしても、元の鞘に納まるなんてことにはならないだろう。
俺には俺の事情があり、ウィラルヴァの居る、今の生活がある。過去がどうあれ、それを曲げることはできないのだから。
聞きたかったことは粗方聞き終えたため、神崎さんにお礼を言って電話を切った。ちょうど俺のアパートの近くに差し掛かり、駐車場脇の路肩に車を止めた店長が、ハザードを焚いてサイドブレーキを引いた。
「できれば、ウィラルヴァちゃんも交えて話し合っておきたいところだけど、僕がいきなりお邪魔しても、お母さんもびっくりしちゃうだろうね。
どうしようか。というかそもそも、この件に、これ以上首を突っ込むべきなのかも、微妙な話になってきてないか?」
眉を潜ませながら話した店長の指摘も、もっともなところだ。
おそらくこの件は、断罪者に属するこの地方の神々が関わっている。あの街の神社の祭神がそれに該当するのかは、聞いてみないと分からないが。
「要は……理道君がどうしたいか、だろうね。それには、いくつかの段階があると思う。
まず一つ目は、記憶の操作が行われたのは、正規の手順に則ったものだったとして、このまま何もせずに納得する。断罪者としては、まぁ正解の一つではあると思うよ。
二つ目は、事の真相を調べる。具体的には、例の神社の神様を訪ねるとか、街での聞き込みを重点的に行う、ってのが無難な線かな。何があったのか、どうしても知っておきたいってんなら……まぁ僕でよければ、いくらでも手伝うよ。
そして三つ目は……事の真相を調べた上で、彼女を探す。
理道君が、どうしても彼女に会いたいと思うんならば、この選択肢を取らざるを得ない。
ただしこの場合……彼女にはちゃんと、全部を話しておかないとね」
と店長が言って、小さく息を吐き、車のサイドミラーを見やった。
ややあって、ガチャリ、と後部席のドアが開き、頰を膨らませたウィラルヴァが、車の中に入って来る。
「置いて行かれた……」と、開口一番にボソリと呟いた。
「お前……家を出るとき、母さんに見られなかっただろうな」
「心配するな。ベランダから飛び降りた。もちろん誰にも見られてはおらぬぞ」
ああ、なるほど。普通に聞いたら有り得ない内容だが、ウィラルヴァなら……というか、今なら俺でも、たとえ屋上から飛び降りたって、かすり傷一つ負うことはない。
もちろんそれを、人に見られるわけにはいかないけどね。そこもちゃんと気を配っていたというのなら、何の問題もないわけだ。
「置いてっちゃってごめんね。ちょっと、ナイーブな問題だったもんだから」と、店長が後部座席を振り向いた。言いながらウィラルヴァの足を確認しているが、怪我の有無よりも、スカートからチラつく白い膝元に意識が移っちゃったらしく、途端に顔を赤らめて前を向いた。
正直者ですね店長! ちょっとほんわかした。
「分かっておる。ちょっと嫌味を言っただけだ。シュウイチの目を通して一部始終を見ていたからな。事情は把握している」
「へ? そ、そんなこともできちゃうんだ。監視状態だったわけね。これは理道君……浮気の一つもできないね」アハハハと、額に汗しながら愛想笑いする店長。
うん。もう慣れちゃってるけどね。異世界に転移されてからこちら、ウィラルヴァには常に監視されているような状態だ。
まぁ、それが創造主と創造神の関係性の一つではある。今さら何をか言わんや。
だが…なるほど。だとしたら、
「ウィラルヴァ。転移前の俺のことも、お前はちょくちょく見ていたはずだよな。
水瀬遥華……聞き覚えはあるか?」
念のために聞いてみた。ウィラルヴァは不機嫌そうに眉間にしわを寄せて、フンとそっぽを向いたが、
「名前はうろ覚えだが、そういう相手がいたことは覚えている。あの場所にも心当たりがあるぞ。確か、あの神社には、湖の主である龍神が祀られていたはずだ。
が、見ていても面白くもない、不満が溜まるだけの恋愛ごとだったからな。たまに覗き見する程度だった。気がついたらあの女が、お前の周りからいなくなっていたので、しめしめ別れたかとほくそ笑んでいたのだが……よもや、このような面倒ごとになっていたとはな」言って腕組みし、ふうっと長く息を吐いた。
ふむ。何から何までも見ていたわけではない、ということか。なんだ。それくらいの気配りはできるんだな。
てっきり、目を皿のようにして見てい……まぁいい。あんまり考えない方がいいような気がする。
「あの女のことや、記憶の操作については、後日改めて、あの神社の龍神を訪ねてみよう。何かしらわかることはあるはずだ。
それより、今夜はやることがある」
そう言ってウィラルヴァは、後部座席にきちんと坐り直すと、カチャリとシートベルトを締めた。
おや。このままお出掛けするようです。
「シズカとセブラスのヘルプだ。街を徘徊する悪霊を葬りにゆくぞ」
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