暗転
「ねぇ、私思うのよ」
顔を見せない少女が、僕に_______或いは自分に向けて、唐突に切り出す。緩やかな風に靡く暗い髪は、光に透けて胡桃色を見せている。
「どうして嘘は悪いことなのかしら」
「………騙された人が、嫌な思いをするから、とかじゃないんですか」
「それもそうね」
肌が焦げるような感覚を覚えるほどの強い日差しに眩暈がする中、当たり障りの無さそうな答えを投げた。これほどまでに暑い日に、どういう経緯があってか、僕と彼女は向日葵畑を歩いている。会話している目の前の存在が誰なのかも、ここが一体どこの向日葵畑なのかも、一切思い出せなかった。思考が鈍っている今この状況なら、実は今君が見ている光景は全て現実ではなく、目の前にいる白いワンピースを纏った少女も君の幻覚で、君は家のベッドでぐっすり寝ているんだ、などと言われても納得できる自信すらあった。
「これならどうかしら。
僕の前をゆっくりと歩いていた彼女が、初めて振り向いた。僕の知らない顔だった。
「お世辞とか、所謂優しい嘘とか、そういうのですか」
「それもあるけれど…………例えばアイドルみたいに、言葉だけじゃなくて自分ごと偽ってる人よ。偽ってる、なんて悪そうに言ったけれど、ああいう誰かに夢を見せる仕事の人が、友人と話している時までファンサービスをするなんて事は無いでしょう。この場合、ファンが見ているのはあくまで偶像だわ。ああ、それからーー」
少しずつ、まるで薬が回っていくように、言葉が解らなくなっていく。舌が回らなくなっていく。異常な状態に置かれているにも関わらず、ゲームのノンプレイヤー・キャラクターの如く無機質に足が進んでいた。止まりたい、休みたい、涼みたい、そんな僕の意思に反して。
「…………………なに、が、言いたいんです」
喉の奥から絞り出した声に、少女は一瞬くすりと笑い、そしてその表情を曇らせた。僕の動きが、どこか遠くから聞こえる蝉の鳴き声と共に止まった。
「貴方には、幸せでいてほしいの」
何も知らないままで。そう言って、彼女は一人歩みを進め、向日葵畑の中に消えていった。花々は、一輪余すことなく僕に背を向けている。
偶像こそ美しいのよ、とかいう声が、眩しい花びらの海の向こうから聞こえた気がした。
_________結論から言えば、僕が見ていた光景は夢だったらしい。彼女を見届けたまま僕は棒立ちのまま後ろに倒れ、頭を打つ直前に目を覚ました。階段から落ちる夢を見た時のような奇妙な浮遊感が、未だに脳髄に絡み付いている。
全て夢だったのなら、知らない場所にいたのも、知らない少女と話していたのも説明がつく。その筈なのに、どうも何か一つ、喉に引っかかり取れないものがあった。
僕は、あの少女を、知っている。
記憶の中にいる誰かと重ね合わせようとして______ふと思い出したように、その思考を止めた。付きかけた見当を、無理矢理頭から引き剥がした。何も知らないと自分に言い聞かせ、嘘を吐いた。
遠くで響く蝉の声が、ひどく鬱陶しかった。
トワイライト交差点 雨咲 リリィ @candy_stella
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