「お前のせいで、おれの人生は滅茶苦茶だ。」

【ある日、空き地でゲームをして遊んでいた『ぼく』は、突然現れたみすぼらしい格好の男に睨まれて困惑していた。「おじさん、だれ?」ぼくの問いかけに、こちらを憎々しげに見やっていた男は、「お前のせいで、おれの人生は滅茶苦茶だ」と言ってきた。】


          †††


 気がつくと、目の前にボロいジャージを着たおじさんが立っていた。ぎらぎらと目を光らせて、おじさんはぼくを睨んでいる。


 空き地には、ぼくとそのおじさんしかいない。


「おじさん、だれ?」


 それだけを問うのが、ひどく恐ろしかった。手の中の携帯ゲーム機がじっとりと手汗で濡れているのがわかった。


「……お前のせいで、おれの人生は滅茶苦茶だ」


 顔をしかめながら、おじさんは唸るようにして言う。


 意味がわからなかった。突然、見ず知らずのみすぼらしい格好の男に話しかけられて、ぼくは困惑しながら怯えていた。――人生を、滅茶苦茶に? ただの小学生にすぎないぼくが、大の男の人生を、どうやったら滅茶苦茶にできるというのか。


「……わけがわからない、という顔をしているな。おれは、未来の『お前』だ」


 何を言っているんだろう、と単純にそう思った。


 この、みすぼらしい男が、未来のぼくの姿? 悪い冗談だ。漠然と、ぼくはもっと素晴らしい人物になっているはずだ、とそんな風に反射的に、祈るようにして思った。


 というか、そもそもなんで未来のぼくがこんなところにいるのか? やっぱりこのおじさんはただ頭のおかしい、いわゆる変質者ってやつなのだろうか。


 だけど、おじさんはぼくの心を見透かしたかのように、にたりと笑う。


「疑っているだろう? 『自分がこんな大人になるわけない』ってな」


 自分も、なんで自分がここにいるのかわからない――おじさんは、そう前置きした上で、次々に話しだした。『彼』が『ぼく』である根拠。ぼくの好きなゲーム、キャラクターの名前、ぼくの部屋にある家具の配置、ぼくしか知らない秘密基地のこと。そこに隠したおもちゃや、学校の帰り道に拾ったエッチな本のことまで。


 ぼくしか、知らないことを、全てこのおじさんは知っていた。まるで――まるで本当に、彼がぼく自身であるかのように。


 いつしか、ぼくはびっしりといやな汗をかいていた。


 そしておじさんは、聞いてもいないのに、自分のことを語りだした。それはぼくがこれから歩む人生の物語だった。小学校、ゲームで遊び呆けていたぼくは、中学であっという間に成績が悪くなって、高校や大学の受験にも失敗。浪人しても第一志望には受からず、仕方がなく入った滑り止めの大学でもやる気を出せずにさらに堕落していき、就職にも失敗して、ろくな働き口も見つからず、うつうつとした日々を過ごしている――


 ぼくが漠然と思い描いていた、明るい未来なんて、彼の口からはこれっぽっちも語られなかった。ただ、ぼく自身が、「こうはなりたくはないな」と思っていた、そんな未来がぼくの姿だった。


 気がつけば、おじさんは消えていた。


 白昼夢――というやつだったのだろうか。いつもの空き地。そこに、おじさんの痕跡はまったく残ってなかった。


 でも耳の奥に、おじさんの恨み言がこびりついている。


「おれがこうなっちまったのは、ぜんぶお前のせいだ! お前がもっと頑張っておけば、こんなことにはならなかったのに! お前のせいだ! お前のせいで、おれの人生は滅茶苦茶だ――!」


 みーんみーん。


 セミが鳴いている。夏休みの空き地。


 ぼくはとたんに、全てが恐ろしくなって、そのまま家に逃げ帰った。




 それから、ぼくの毎日は少し変わった。




 怖くなった。ゲームで遊ぶときも、大好きだったアニメを観るときも、全然落ち着かなくて前ほど楽しめなくなってしまった。


 お前のせいで、おれの人生は滅茶苦茶だ――


 おじさんの声が聞こえる気がした。あんな大人になりたくないと思った。ぼくの人生は、未来は、もっと輝かしいものなのだとそう信じたかった。


 だから――変わることにした。あんなおじさんが未来の姿だなんて、まっぴらだ。


 まず、ゲームはやめた。その代わりにぼくは勉強をはじめた。算数や理科もそうだけど、とにかく本をたくさん読んだ。難しくて興味がなかった本も、将来のためと思って読むことにした。そしてめんどうくさくなって、全てを投げ出そうとしたとき、またおじさんの声が聞こえた気がして、ぼくはやっぱり頑張った。


 そのまま、中学校に上がって、高校に上がって。


 やっぱり、何かに追い立てられるようにしてがんばっていたぼくは、第一志望の大学にも受かった。


 そこで、もうそろそろ頑張らなくてもいいかな、と思ったけど。


 やっぱり、おじさんの声と姿がちらついて、落ち着かなくて、ぼくは勉強に打ち込んだ。そのまま大学を出て、大学院にも行って、就職して、経験を積んでから起業して――




 ――そして、今のおれがある。




 寝室でひとり、酒のグラスを傾けながら、おれは考える。今となっては、当時のあれは悪い夢か何かだったのではないか、と思う。小学生のくせして妙に現実味のある夢を見たものだ、とは不可解に思わなくもないが。


 それに追い立てられるようにして学生時代を過ごしたせいで、おれの青春は微妙に乾いたものとなってしまった。ただ、悪い影響ばかりだったとは言えないだろう。少なくともあのときの『おじさん』と今の『おれ』は間違いなく別人だ。最近では立派な自分というものを自負できるようになってきた。まだまだ規模は小さいが、今では一企業の経営者だ。業績も悪くなく、伸びしろもある。社会的には、おれは間違いなく成功している部類と言っていい。


 ――尤も、貧乏を極端に恐れるがため、見えないところでの倹約が身に沁みついてしまったのは玉に瑕だが。今日も今日とて寝巻き代わりに使っている、使い古したボロボロのジャージを撫でて、おれはひとり苦笑した。


 そろそろ結婚を考えてもいい時期かもしれない。仕事は忙しいが充実しているし、忙殺されていると言うほどでもない。過去の『ぼく』に胸を張れるような、幸せな家庭を築きたいところだ――


 そんな風に考えながら、おれはベッドに潜り込んで、寝た。




 ――そして不思議な夢を見た。




 気がつけば、おれは懐かしい街並みの中にいた。


 呆然としてしばらく気づかなかったが、それは数十年前の実家周辺の景色だった。今では取り壊されてしまったはずの家々も、住宅街になってしまったはずの田畑も、土地開発でなくなってしまったはずの森も、全てがあの日のままそこにあった。


 子供時代のことを考えながら寝たから、こんな夢を見てしまったんだな。おれは可笑しく思いながら、ノスタルジックな風景の中をのんびりと歩く。


 そのうち、前方に懐かしい空き地が見えてきた。おれの小さい頃の遊び場だ。今は小さな商店が建っているはずのそこは、やはり昔のまま。そして土管に座った男の子が夢中になってゲーム機で遊んでいる。


 間違いない、小学生の頃のおれだ。


 懐かしさやら感慨深さやらで、おれは胸が一杯になった。なんとも、粋な夢を見たものだ。今やおれは、あのときの『おじさん』とは比較にならないような立派な大人になっている。せめて夢の中でだけでも、子供時代の自分にそれを報告して、安心させてあげようじゃないか――おれはちゃんと、立派な大人になったんだぞ、って。


 そう思って意気揚々と歩き出したおれだが、『ぼく』に近づいていくうちに、段々と腹が立ってきた。


 なぜかって?


 単純だ。ゲーム機で遊ぶ過去のおれ自身が、情けないほどのアホ面を晒していたからだ。こちとら必死で今まで頑張ってきたのに、あまりにも脳天気が過ぎるのではないか?


 そう思った瞬間、はたと不安になった。


 もしここで、おれが『立派な将来』を保証したら――こいつはどうするのだろう?


 自慢じゃないが、あの『悪夢』に遭遇するまで、おれは自他共に認める楽天家だった。ある意味、大物の素質があったと言うべきかもしれないが、この場合それは悪い方向に作用する。つまるところ、おれはあまりコンスタントに努力をしない、怠け者の気があったのだ。それはゲームで遊び呆けているこの姿を見れば一目瞭然だ。


 そこに、「将来は立派な大人になれるぞ」なんて言おうものなら――おれは、きっと、頑張らない。


 今のおれがあるのは、間違いなく必死で努力したからだ。生半可な覚悟で成し遂げたことではないのだ。だが、今のこの『ぼく』に、そんな覚悟があるとは思えない――





 ――決めた。





 ふんす、と鼻を鳴らしたおれは、ずんずんと『ぼく』に近づいていく。


 やがておれの険しい視線に気づいたのか、『ぼく』がひょっこりと顔を上げた。


「……おじさん、だれ?」


 怯えたような間抜け面に、噴き出さないよう堪えるのには苦労した。恐る恐る尋ねてきた『ぼく』に、おれはせいぜい憎々しげな表情を作って、こう言ってやった。




「お前のせいで、おれの人生は滅茶苦茶だ」




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