「煉獄の蚊」


 とある悪の組織の秘密基地で、美少女スパイが捕らえられた。


「くっ! 何をされても情報は吐かないわよ!」


 悪の総裁の前に引きずり出された美少女スパイは、それでも気丈に振舞う。


「フッ……愚かな娘よ。貴様の口を割るなど容易いこと」


 全身を黒装束で包み、リッチな椅子に座った悪の総統は、そんな少女の態度を鼻で笑い飛ばした。


「博士! 『例の研究』は?」

「はっ! 先ほど、完成いたしました!」


 総統の横に控えていた、白衣を着込む怪しげな博士が誇らしげに胸を張る。


「フッハッハ、それはよい。小娘よ、今日捕まったのが運の尽き! これより貴様を実験台にしてくれるわ!」


 上機嫌の総統とともに、一同は秘密基地の研究所区画へと移動した。


 無機質な研究室の中央には、ガラスで造られた小さな立方体の気密室が安置されている。そしてその中には、黒い小さな何かが大量に蠢いていた。


「なっ、なによこれ……」


 あまりの不気味さに、思わずたじろぐ美少女スパイ。


「フッフッフ……これは我らが技術の結晶、最強の蚊だ!」

「蚊ぁ?」

「博士! 説明してやれい!」

「おっほん。これは遺伝子改造と改良を重ね、従来の蚊の百倍の生命力、従来の蚊の百倍の繁殖力、そして従来の蚊の百倍の痒みを獲得した蚊なのだ!!」

「な、何ですって……!」


 その凶悪さに、流石の美少女スパイも動揺を隠せない。


「その痒みは、まさしく煉獄の炎が如き苦しみ……故に名づけること煉獄インフェルノの蚊モスキート!!」

「なんでこんなものを生み出したのよ!」

「フッハッハ。それは強烈な痒み成分エキスを抽出するためだ。従来の蚊の百倍の痒みをもたらす薬液を、そうさな……ム○やキ○カンといった痒み止めの製造工場で、密かに混ぜ込めば何が起こると思う……!?」

「な、なんてことを……!!」


 悪の総統が示した計画プランの一端に、戦慄する美少女スパイ。


 が、すぐに、自分がこの場に連れてこられた意味を察して顔を青褪めさせた。


「ハッ!? まさか、わたしを……!?」

「フッハッハ、察しがいいな! 今から貴様をこの気密室の中に放り込む!」

「イヤー!」

「それも、あられもない格好にしてからな!」

「イヤーッッ!」

「お前たち、この小娘をひん剥いてやれ!」

「ウィーッ!!」


 総統の命令に、ドクロっぽい戦闘服を着込んだ戦闘員たちが美少女スパイに飛び掛る。

 そして手際よくその服をビリビリと破いていき、あられもない姿となった美少女スパイは、哀れ大の字に磔にされてそのまま空中に吊り下げられた。


「フッハッハ、惨めよのう小娘!」

「くっ……なによ、たかが蚊ごときに! わたしは絶対負けないわ!」


 きっ、と悪の総統を睨みつける美少女スパイ。

 対して総統は「フッハッハ」と心底愉快そうに笑った。


「それはどうかな……? 博士!」

「はっ!」

「この蚊のプロトタイプで、実験したことがあったな?」

「ええ、我らが基地を襲撃した自称正義の戦隊のピンクを捕らえ、今回と同様の実験を行いました。その際まだ煉獄インフェルノの蚊モスキートは未完成で、せいぜい従来の蚊の二十~三十倍の痒みしか発生しませんでしたが……」

「しかしその蚊にくまなく全身を刺させ、大の字に磔にし、通路に放置してやったのだ! 構成員が通りすがる際は身体をくすぐるよう命令した上でな!」


 グッフッフ……といやらしい笑みを浮かべる総統。


「さて……ピンクはどうなったと思う?」

「し、知らないわよ、そんなの」

「13時間47分19秒後に精神が崩壊しました」


 博士の言葉とともに、研究室の大画面にパッとピンク髪の女性の顔が映る。白目を剥いて涙と涎と鼻水を垂れ流した、この世のものとは思えないような表情。


「ひぃっ!?」


 その悲惨すぎる末路に、美少女スパイは震え上がる。


「フッハッハ、まさに傑作であったな。あの間抜け面といったらもう! あんまりにも面白かったので精神崩壊までの録画DVDと一緒に、ピンクを箱詰めにして正義の戦隊の基地まで送り返してやったわ!」

「先日、正義の戦隊が活動を停止したのには、そんなわけが……!」

「ピンクの末路と動画を観て震え上がったのであろう。ワシは今でもあの動画を手元に置いておるが、組織の今後を考えてブルーになったときなどには観直して気分転換にしておるわ」

「おお、奇遇ですな。わたしもです」

「フッハッハッハ」

「はっはっはっは」

「くっ、狂ってる……あんたたち狂ってるわ!」


 半泣きになった美少女スパイが喚き散らすが、悪の総統はむしろその笑みを濃くし、戦闘員が運んできたリッチな椅子に座って優雅に足を組んだ。


「フッフッフ、何とでも言うがよいわ。さあ博士、やれい!」

「ははっ! おい、お前たち!」


 博士の指示を受けた下っ端研究員たちがコンソールを操作し、美少女スパイを吊り下げたクレーンがウィイインと気密室の上まで移動していく。

 さらに、天井から透明なチューブが下りてきて美少女スパイを閉じ込め、気密室と接続。元々何のためにあったのかわからない無駄に凝ったギミックにより、美少女スパイは完全に隔離されてしまった。


「くっ、こんなことならエロいことでもされた方がマシだったわ……!」


 磔にされたまま足掻く美少女スパイが、吐き捨てるようにして言った。


「昔はそういうのもやってたんだが、ワシも歳でなぁ」

「案外飽きもきますしね」

「ウィー」


 うんうん、と頷き合う悪の組織の構成員たち。ここで実験を中断してエロ拷問に移行する可能性はないと見て取り、美少女スパイは悔しげに顔を歪めた。


「うぅっ……こうなればもう、死なば諸共よッ!」


 自暴自棄となった美少女スパイが、ガリッと奥歯を噛み締める。


 その瞬間、ズズーンという鈍い音とともに秘密基地が揺れた。


「なんだ! 何が起きた!?」

「直ちに調べさせます! おい!」


 狼狽する悪の総統、慌てて博士が部下に指示を出す。

 下っ端研究員たちが急いでコンソールを操作し、やがて揺れの原因を突き止めた。


「こっ、これは――!? 自爆装置の一部が起動し始めています!」

「馬鹿な! 正義の組織との戦闘で万が一追い詰められた際、データを丸ごと破棄できるよう念のために設置しておいた自爆装置が起動し始めているだと!?」


 リッチな椅子の肘掛を握り締め、愕然とする総統。


「アレはワシの秘匿回線でしか起動できないはず――ぬっ?」


 と、突然、総統はバシンと自分の横っ面をはたいた。

 隣の博士が怪訝そうに総統を見やる。


「いかがなさいましたか?」

「いや、なんか蚊が……」

「え?」

「ん?」


 顔を見合わせる悪の総統と博士。


「博士ッ! 大変です!」


 そのとき、下っ端研究員の一人が悲鳴のように叫ぶ。


「気密室が! 先ほどの揺れで破損しました!!」

「何だと!?」


 見れば、ガラス製の気密室の壁にヒビが入っている。そしてそこに小さく開いた穴から、なんと煉獄インフェルノの蚊モスキートが出てきているではないか。


「なぁッ!? 何故だ!? ッぐう!?」


 愕然とする博士は、再び起きた激しい揺れで床に倒れ伏した。

 衝撃を受けた気密室が、さらにビシビシとひび割れを大きくしていく。


「何故この程度の揺れで破損するのだ!? 強化ガラスのはずでは……!?」

「いえ、予算不足で、強化ガラスじゃなくて普通のガラスに」

「はぁっ!? 馬鹿者! 低ランクとはいえ立派な生物兵器なんだぞ!」

「予算削ったのは博士でしょ! それに、こんな揺れは想定して――どわぁッ!」


 激しい揺れ、爆発が近づいてきている。下っ端研究員も衝撃で転倒した。


「うわぁっ、蚊が出てきたぞ!」

「気密室がもたない!」

「あっ刺された! うっわ痒ッ、痒ッ!」


 既に被害も出始めていた。刺された研究員たちが床でのた打ち回っている。


「ぐあああッ! 痒い! 痒いぞぉぉぐわあああッッ!!」


 そして、被害を受けたのは総統も例外ではなかった。

 リッチな椅子から転がり落ち、黒装束の上から顔や身体を掻き毟っている。


「いっ、いかん! 早く総統に避難していただくのだ!」

「ダメです! 研究室ラボの扉が衝撃で歪んで開きません!」

「何だと!? ええい、仕方ない! なんとしても煉獄インフェルノの蚊モスキートを駆逐するのだ! 殺虫剤の散布を!」

「わかりました!」


 博士の指示のもと、ア○スジェットとキンチョ○ルを構えた研究員と戦闘員たちが殺虫剤を散布する。


 が、


「ダメです! 効きません!」

「くっ百倍の生命力が仇になったか……! 蚊取り線香は!?」

「ダメです、効果なし! ぐあぁッ刺されたぁぁあ痒い゛い゛い゛!?」


 豚の形をした蚊遣器かやりきで蚊取り線香を焚く研究員が悲鳴を上げた。その周囲をプゥンプゥンと元気良く蚊が飛び回っている。

 戦闘員たちが蚊を全て叩き潰そうと躍起になって駆け回っているが、逆に体温が上がったことで集中砲火を喰らい、一人また一人と痒みで倒れ伏していく。


「ぐああああ!!」

「あ゛あ゛あ゛あ゛死ぬう゛う゛う゛ッ!」

「ウィイ゛イ゛イ゛ッッ!」

「あっはっはっは! いい気味ね!」


 阿鼻叫喚の地獄絵図を繰り広げる悪の組織の構成員を尻目に、磔にされたままの美少女スパイは高らかに笑った。皮肉なことに、透明なチューブで完全に隔離された彼女こそが、今この場において最も安全なのだった。


「こんなこともあろうかと、自爆装置に細工をして奥歯のスイッチでいつでも起動できるようにしておいたのよ! せいぜい苦しむがいいわ! あっはっはっは!」


 自慢げに種明かしをする美少女スパイだが、顔や体の各所を刺された悪の総統は口から泡を吹いて床で痙攣しており、話を聞くどころではない。同様に他の構成員たちも、息も絶え絶えといった様子で痒みに悶え苦しんでいる。


 ところでこれからどうやって脱出しようかしら、と美少女スパイが真顔になったところで、ズガーンッという爆音と共に研究室が激しく揺れた。至近距離で爆発が起きたのだ。


 ぐらぐらと揺れる照明、天井からぱらぱらと粉塵が落ちてくる。そしてその衝撃がトドメとなり、気密室が完全に崩壊した。


 プゥゥ~ンという、身の毛がよだつような何万もの羽音が響き渡り、黒い悪魔が一斉に解き放たれる。


 あまりの痒みに床で動けなくなっていた構成員たちが、さらに蚊にたかられて血を吸われ、そのまま動かなくなっていく――


「あ」


 そして、運の悪いことに、美少女スパイの閉じ込められたチューブと、気密室を隔てていたガラスの扉も破壊された。


 数百、いや数千になろうかという煉獄インフェルノの蚊モスキートが、チューブを伝って美少女スパイに迫る。


「イッ、イヤーッ! 誰か、助けてッ刺される刺されるッあ゛あ゛あ゛あ゛!! 痒い゛い゛い゛い゛――ッッ!!」


 ガクガクと磔にされたまま痙攣する美少女スパイ、その体が瞬く間に蚊の群れに包み込まれ、真っ黒になって見えなくなっていく――






 その日、とある少女の捨て身の攻撃により、一つの悪の組織が壊滅した。


 構成員は全滅、設備も破壊し尽くされ、完膚なきまでに叩き潰されたのだ。


 世界に、平和がもたらされた。


 ――ただ一点、秘密基地の崩壊に伴い、数万匹の煉獄インフェルノの蚊モスキートが野に放たれてしまった、ということを除いて。


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