第56話
7月7日は良く晴れていた。
梅雨前線も織姫と彦星の間に水を差すような真似は出来ないらしい。
その日は朝から日が照り付け、この前までの厚い雲が恋しくなるくらいに暑い。
そんな中、朝の早くから金にならない労働に、いや奉仕精神あふれる慈善活動に勤しんでいる。
「学生ボランティアの皆さんはこちらへー」
祭り会場、川辺に近い広場の真ん中でハンドマイクの声が響く。
運営委員会のオジサンの気の抜けた号令で集団が一斉に動きだす。
俺はその中で一人寂しく熱気に耐えていた。
周りにいるのは確かに俺と同じ学生だが、同学年の人数は少ないようで顔見知りは皆無だ。
必然、話し相手の無い俺は真面目にオジサンの説明に耳を傾ける。
まだ7月に入ったばかりだというのに夏日の今日はボランティア志願者という、意識の高い若者たちからでさえやる気を奪い取っている。
まぁ、これだけ直射日光に当てられ続けていれば仕方ないのかもしれない。
しかし、そんな事はお構いなしにオジサンの説明は続く。
ここに集まったボランティアは全員が男だ。
となると、割り当てられる仕事は肉体労働を求められる。
音楽ステージなどの大型の設備に関しては当然の様に業者に委託されているが、祭り用のテントや椅子、机の設置などはボランティアの役割だ。
この暑さの中でそれをやるのは億劫だが、仕方ない。
オジサンの説明が終わり早速作業が開始される。
俺は指示された通りにテントの設営へ向かう。
あまり使う頻度の少ないと思われるテントは、どこかカビ臭さを発している。
骨組みを組み立て、カバーを乗せる。
数人がかりでの仕事だ。
一張立てるだけでも割と汗を掻く。
「これ幾つあんだよ……」
時々、ぼやきながらも俺は体を動かし続ける。
熱中症対策で配られるドリンクも最初は冷たくて美味かったが、すぐに太陽に熱せられてその爽快感を奪われている。
午前中はそんな感じで会場の設営に追われた。
昼休憩の時間、俺は近くのコンビニで昼飯を調達するとわずかな涼を求めて川のそばまで来た。
今回の七夕祭りのメインとなる灯篭流しの行われる川は街中を通っており、場所によっては両脇に高いビルが建っていたり、決して自然豊かとは言えない。
しかし、近年の美化運動の成果か水質は向上しているようで、河川敷と言うには狭い川べりにはすでに見物客が集まっている。
俺は川べりへ降りる階段に腰かけると、川上を吹く風を感じながら買ってきたおにぎりを頬張った。
「美味い」
労働の後、汗を掻いて塩分を欲した体、そして外で食べる飯。
それらが合わさって何気ないコンビニのおにぎりがとてもおいしく感じた。
まぁ、たまには一人と言うのも悪くない。
入学以来、何だかんだで俺の周りには常に誰かがいたような気がする。
学校でも、バイト先でも、帰り道のスーパーでも、いつでもそこには……。
俺はそれ以上考えるのをやめた。
昼休憩が終わり午後からの作業が始まる。
祭りの開始は15:00からだ。
その時間までにやるべき仕事はいくらでもある。
午後からの仕事は各地に設置されるスタンプラリーの準備だ。
机に椅子に用紙などを決められた場所へ運ばなければならない。
いくつかのグループに分かれてその場所へ向かう。
俺が任されたのは比較的近場だったため、その地点まで台車を使って荷物を運ぶ。
割り当てられたポイントへ到着するとそこには見知った顔があった。
「久遠か?」
俺がそう呼ぶと振り返る。
久遠は、動きやすいラフな服装にボランティア参加者を示す名札を提げている。
俺はそれを見て少し驚いた。
「久遠もボランティアか?」
「……まぁ」
珍しいものを見た。
久遠は決して薄情ではないが、こういう活動に積極的に参加するタイプではない。
それは俺もなのだが、ともかくここで見かけるのは意外だった。
「俺はモモさんに頼まれて参加したんだが、久遠はどうして?」
「私も似たような理由……」
ぎこちない会話だというのは分かっている。
話題が思いつかない。
俺は今までどうやって久遠に接していたのだろうか?
その問いに答えてくれるものはいない。
そして、自分でその答えを出す時間も無かった。
立ち話をし続けるわけにもいかず、俺は運んできた荷物を降ろす。
久遠も自分の仕事に戻る。
お互いに、話そうと思えば会話ができる距離には居たが、しかしどちらとも言葉を発することなく黙々と作業に集中する。
「じゃあ、またな……」
「……うん」
そう言って久遠と別れた俺は空の台車を押しながら元来た道を戻る。
途中で振り返って見ると、スタンプラリーの準備を進める久遠の姿が確認できた。
俺は、顔を前に向けて進む。
すると、途中で俺を呼ぶ聞き覚えのある声がした。
「ヤッホー、ナル君」
「がんばってるな」
それはアキトと壱岐のコンビだった。
二人は太陽が昇り切り日差しが襲い掛かる真昼間、俺が最も欲してやまないソーダ味のアイスを片手に持っている。
「お前ら、嫌がらせかそれは?」
俺はアキトの持つアイスにうらめしそうな視線を送り、何とか奴の口に納まる前に溶けて落ちろと念じる。
しかし、そんな願いはあっさりと打ち砕かれアキトは見せつけるようにアイスを口に入れる。
「
「そういう壱岐くんだって」
壱岐はアキトを窘めながらも自身もアイスを頬張っている。
「お前ら二人とも帰れ」
俺がそう言うと、嬉しそうな顔をアキトは見せる。
「よーし、この顔が見れて僕は満足した!」
瞬間、俺の右手がアキトの額を捉える。
大して使われていない中身を少し圧縮してやるつもりで右手に力を籠める。
「あだだだだだ!」
アキトの苦悶の声が耳に心地よく、辛い暑さを一時忘れることができた。
俺は適当なところで解放してやると、壱岐が言う。
「満足したか?」
「それなりに」
「二人とも僕を何だと思ってるの?」
そんなやり取りをしていると思った。
一人も悪くないが、こうしている方が楽しいなと。
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