第44話


 夕暮れに照らされる教室で女子と二人きり。


 ラブコメ漫画とかでもよくあるシチュエーションだろう。

 そこに、彼女の秘密を知ってしまった。なんて要素を加えたら、いよいよヤバい。

 勝ち確ルートであとは告白から式場まで一直線だ。


 今の俺たちを見れば、ほとんどの人間はそう思うだろう。


 片や学年一の完璧美少女、片や学年暫定トップのイケメン。

 この二人がこのシチュエーションでそろっていたら何も想像するなと言う方が無理かもしれない。


 もっとも、本人たちはそれどころではないのだが。


「成嶋くん、どうするんですか?」


 二上はいつもの声色で、そしていつもの笑顔で俺にそう言った。

 しかし、俺には彼女が纏っていたいつもの雰囲気を感じることは出来ない。


 外観だけなら、いつもの通りだ。

 しかし、一番外側の見えない外面が今の二上には無い。

 そんな些細なことで、目に見えもしないそれだけで俺の目に映る彼女はいつもの彼女では無かった。


「ちょっと待ってくれ。いま色々と処理が追いつかない」

「私だってそうですよ! あ、あんな真似を人前でされて!」

「いや、それについては悪かった……。ともかく、順番に一つずつ確認していこう」


 二上双葉は自分を偽っていた。

 彼女のかぶった仮面はもはやペルソナと呼べるほどに完璧に合わさっていた。


 思えば、常に他人の目に晒され続け、期待と悪意の渦中にあった彼女が、自分の心を守るために強固な外面を作り出すのはおかしなことではない。

 俺は、偶然にもその綻びの瞬間を目撃した。


 しかし、それはおかしいんだ。


 こんな設定は漫画には無かった。

 だが、もしも漫画でも実際は仮面をかぶっていたのだとしたら、それは読者さえも欺けるくらいに完璧なものだ。

 そんなことは確かめようがない。

 なら、今ここで起こっている現実を受け止めるしかない。


 先入観を忘れろ。

 今ここに居る二上と、漫画の『二上双葉』を同じと思うな。

 でないと見誤る。


「さっきの教室でのことだが、あれは……」


 俺がそう切り出すと二上は、そのいつもの表情で答える。


「私だって年相応の人間です。ああいう事も思いますし、誰も聞いていなければ口に出すこともあります」


 その通りだった。

 それは、何も悪いことではない。人が他人をどう思うかなんて誰にも善悪の判断をしていいことではない。


「悪い」


 俺が、バツが悪そうに答えると、相変わらずの張り付けた笑顔が僅かに本当に笑っているかの様に見えた。


「私は、私に向けられる期待、こうあってほしいという願望、それに応えるために今の私のイメージを作り上げました。ですから、それを壊すようなことはしないでください。お願いします」


 その言葉は、心からの言葉であるように感じた。

 纏っていた見えない外面一枚が無くなり、彼女の発する言葉に生の感情が込められているように思えた。


「さっきも言ったが、約束する。そんなことは絶対にしない」


 だから俺も本心でそう答えた。


「ありがとうございます。では、踊り場でのあれ、どう責任をとってくれるのですか?」


 俺はそれを聞いて先ほどの場面を鮮明に思い出してしまう。

 お互いの体が触れあい、俺の顔のすぐ近くに彼女の頭があり、その熱も、匂いも、感触も、胸の鼓動、吐息さえもが伝わる距離感。

 少女漫画の人気シチュエーションであり、そこからさらに胸に飛び込んでくるという踏み出した展開。


 そう思うと体中の血液が頭に集まってくるようで、俺の顔は陽の光に関係なく赤く、熱くなる。


「な、なに照れてるんですか!」


 そんな俺の姿を見て、二上の貼り付けた笑顔が剥がれ落ちて慌てたような表情をしている。


「い、言っておきますけどあれは事故ですから! 私はあなたを何とも思ってませんから!」


 その慌てふためく姿はいつもの彼女と違って新鮮で、余計に気恥ずかしくなって顔を背けてしまう。


「な、なんですかその反応! あなたならこのくらいなんてことないでしょう!」

「なんてことなかったらこんな反応するか!」


 俺は、良く考えずに反射的に口に出していた。


「っ――――!!? い、いったん落ち着きましょう! 会話が進みませんので!」


 しばらく沈黙が続き、今度は俺から口を開いた。


「ともかく、人に見られたのはマズかった。すまない」

「いえ……、私がその……あなたを抑え込んでいる場面を見られるよりはマシですから、その点だけは感謝します」


 平静を取り戻した二上だったが、その顔には貼り付けた笑顔はない。


「ですが、このままだと例の噂は更に過激になるかもしれません」


 悩みの種はそれだ。

 現状でさえ、俺たちが付き合ってるのではなんていう噂が流れているのに、そこにあんな可燃物を投下してしまえば更に燃え上がることは必至だ。


「どうにかしないとな……」


 一応、手は考えてあるが……。


「何か、良い考えがあるんですか?」

「あるにはあるが……」


 二上は渋る俺の顔をじっと見据える。

 あまり気は進まないが、俺はその考えを詳しく説明する。


「まず、誤解を解くのは無理だ」

「なぜですか? 誠意をもって説明すれば納得してくれる方も」

「いるかもしれないが、全員じゃない。それに重要なのは真実では無く納得できる話かどうかだ」


 二上は先ほど、教室で詰め寄ってきた女子生徒とのやり取りを思い出しているようだ。

 例え真実でも、疑いの目で見られていてはそれを真実と受け止めてくれるわけではないのだ。


「では、どうするのですか?」

「俺が二上に振られたことにする」


 それを聞いた二上は驚いたような表情を見せる。


「事実かどうかこの際どうでもいい。俺が二上に振られたという噂を流して、実際に距離を取ればそれは真実として扱われる」


 まぁ多少のダメージはあるが、少なくともそれは俺に向けられる憐みの目でしかない。

 その程度なら安いものだ。


 気は進まないが名案だと自負していた俺に、二上は予想外の言葉を言い放つ。


「却下です」


 二上は不満げな顔をしながら言葉を続ける。


「それだと、私が薄情な女として見られます。付き合い始めたと思われている時期から考えてもこんなすぐ振ったのでは余計にそうみられます」


 まぁ確かにその通りではある。


「なら、振られても仕方ないことをしたようにすればどうだ?」

「例えば?」

「二股かけてたとか」

「その相手の方にも迷惑がかかります。それに、私は浮気相手にも浮気された女にもなるのは御免です。私のイメージが崩れます」


 うん、まぁそうかもしれない。


「じゃあ、俺が無理矢理に二上に迫ったっていうのは?」

「迫る、とは?」


 この女マジか。もしかしてそっち方面の知識に疎いのか?


「セックスだよ」

「え――――?」


 二上は、その言葉を聞いた瞬間に表情が硬くなった。


「な、何を言っているのです! み、未成年ですよ!」

「だから、それを俺が無理矢理しようとしたから振られたって話にするんだよ」

「そ、そんなの嘘でも嫌です! そんなレイプ未遂のことをされた女として見られるなんて嫌です!」


 うんまぁ、そう言うと思った。

 俺は更に思考を巡らして別の案をひねり出す。


「じゃあ、逆に俺が二上を振ったってのは」

「それはもっと嫌」


 もっと嫌なのか。

 なんだろ、傷つくというよりだんだん腹が立ってきた。

 そもそも、二上が俺を追いかけてきてあんな事をしなければ、いや、極論教室であんな真似をしなければこんなことにはなってないのに。


 いやいや、それじゃ水掛け論だ。なんの解決にもならない。


「なら、二上はなにか案は無いのか?」


 俺のその言葉を受けて、二上はしばらく何かを考えているかのようなそぶりをする。

 そんな仕草一つとっても、普段の彼女とはやはり違っていて、どこか無防備にも見えた。


「では、こうしましょう。私たちは噂通りに付き合っているかもしれない様に装うんです」


 二上は人差し指を立てて堂々とした口調でそう語った。


「付き合ってるふりをするのか?」

「違います。付き合っているかも知れないふりをするんです」


 どう違うんだ?

 と、言いたげな俺の顔を見た二上は得意げに語り始めた。


「ですから、私たちは友達以上の親密な関係のふりをします。しかし、実際に問い詰められると否定します。そのようにどっちつかずの関係を維持して夏休みまで続けます」


 後は夏休みに入れば自然消滅、ってわけか。

 それ、俺が考えてたやつに似てる。


「振ったにしろ振られたにしろ、そういう話は私のイメージを傷つけます。一番いいのは自然消滅です」

「それなら、夏休みを待たずに距離を取れば結局おなじことになるんじゃないか?」

「踊り場のあれを見られた以上、私たちはもうただならぬ関係一歩手前まで来ています。このまま距離を取ればどちらかが振った振られたという噂が流れてしまいます!」


 夏休みならそんな噂を流そうにも、学校に生徒がいないから流れる余地は無いってことか。

 二上の提案は、確かに一番波風の立たないものだった。

 なら、俺の答えは一つだ。


「わかった。それで行こう」

「ええ、よろしくお願いします」


 差し出した右手を二上は優しく握り返した。

 二上は今でも俺のケガの具合を慮っている。それは、仮面が外れてもそうなのだ。


「で、俺たちの関係はどう表現するんだ?」

「対外的には気になる異性。実情は共犯者ですね」


 気になる異性は共犯者ってね。

 ま、やるだけやってみよう。


「言っておきますが、誰にも秘密ですよ。マエさんにも久遠さんにも」

「わかってる」

「それに、私たちが目立てば、必然的にお二人の噂も小さくなるでしょうね」

「思わぬ副産物だな」


 それは都合が良い。

 正直、あの二人には申し訳ないと思っていた。


 その後、俺達は帰り道を共にしながらこれからの犯行計画について詳細を決めていった。

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