第43話
差し込む夕日は寂しげで、静寂に包まれた教室。
昼間の喧騒とはかけ離れた空間に響くのは怒りを孕んだ声だった。
「ああ! もう、何なんでしょうかあの人たちは!」
その声の主は二上双葉だった。
予想外、あまりの出来事に俺は教室の扉を半開きにしたまま固まってしまう。
「自分たちが歯牙にもかけられていないからと言って、なんで私に突っかかってくるんでしょう!? だいたい、そういう性格の歪みが態度に出てるから男性から相手にされないんでしょうに!」
俺は、停止した思考を再起動させようとする。
こういう時、デュアルコアのPCが羨ましくなる。情報を並列処理したい。
「そもそも、なんでああいう人はこんな姑息なんでしょうか!? ああ、そうですね私が相手では勝ち目なんてありませんしね!」
落ち着いて整理しよう。
今重要なのは、二上のこの姿でも、漫画で見た彼女との乖離でもない。そんなことは後から考えればいい。
最優先はいかにしてバレずにこの場から立ち去るかだ。
今、俺は教室のドアをわずかに開いて右手で保持している。
この手を離してしまえば扉は勝手に閉まりはじめ大きな音を出す。
そうなれば、確実に二上は俺に気付く。
俺は、細心の注意を払いゆっくりと右手を動かして徐々に扉を閉める。
そして、盛大に手を滑らした。
「――――っ!?」
ドン、と大きな音が静かな教室に木霊する。
二上は首だけを後ろに回して音源に顔を向けた。
扉、ガラス越しに俺と二上の視線が交差する。
「…………っやば」
「――――――!!?」
そこからの俺の行動は速かった。
しかし、二上の行動は更に速かった。
飛びのくように扉を離れて廊下を駆けだしたが、次の瞬間には二上も教室を飛び出したのが音で分かった。
俺は振りむくことさえせずに廊下を爆走して階段へ向かう。
階段を3分の2くらい駆け下りたところで、踊場へむけてジャンプする。
しかし、俺が着地した次の瞬間には同じような着地音が背後で聞こえた。
「まっ――――!」
まて、と言おうとしたがそれ以上言葉は出なかった。
振り向くと目の前に来ていた二上が俺の体を抑えてそのまま壁際に追い込まれる。
背中にコンクリートの冷たさを感じる。俺は顔を上げて二上を見る。
だが、次の瞬間には俺の顔の横を二上の右手がすり抜け背後の壁を強打する。
このシチュエーションには覚えがあった。
しかし、今日の午前中に俺がしたそれと、世間一般で行われるそれに比べて、今回のこれは立場が逆になっている。
それに、ああいう気恥ずかしさでは無く、どちらかと言えば恐怖に近い感情がわき上がる。
「成嶋くん……」
その声色は凍てつくように寒く、震えるように低かった。
「はい……」
俺はただそう答えるしかない。
「二つに一つです。自分で忘れるか、私に忘れさせられるか」
アクション映画で聞くようなセリフを実際に言われるとは思わなかった。
そして、こういう時になんて答えるべきかなんて考えているはずも無かった。
「あの、落ち着こう。話せばわかる……」
「何が、わかるんですか?」
二上の顔には笑顔が浮かんでいる。しかし、それはいつものそれではない。
落ち着きを纏ったような雰囲気はすでに霧散している。
彼女のかぶっていた仮面、その存在を知ると同時にそれは剥がれ落ちた。
「さっき見たことは誰にも言わない。今のこれもだ」
「それ、どうやって保証してくださるんですか?」
マフィアのボスみたいなことを言う奴だな。
もう、こうなったらどうにでもなれだよ。
声色を作り、今日散々やったあれを思い出す。少女漫画の一ページ、見開きになったページに記されていた言葉を。
『俺は誓って、お前を泣かせるような真似はしない』
「は、何言ってるんですか?」
死にたい。
壁ドンされながら何恥ずかしいことしてんだ俺。
まったく、相手に響いてない。
「わ、私は真剣なんです! ふざけないでください!」
二上の笑顔が崩れた。
片手で口元を隠すように覆った二上からは先ほどまでの気迫は無い。
俺は、その機会を逃さなかった。
「ゴメン。でも、本当に言いふらすつもりはない。すぐには無理だけどなるべく忘れる」
俺のその真剣な語り方に二上の表情から緊張感が抜けていくのがわかった。
「本当ですね」
「誓って」
「神にですか?」
「神は死んだ」
「哲学の話をしているわけではありません」
「ごめんなさい」
少し顔を突き出せば触れてしまいそうな距離感で、二上と俺は会話を重ねる。
すると、お互いに少しずつ事態を飲み込めてきた。
「それで、いつまでこうしてるつもりだ?」
「あなたが逃げ出さなくなるまでです」
二上は、少し照れているのか頬を赤らめている。俺としても、ようやく頭が回り始めてきたのでこの体勢がかなり恥ずかしいことに気付く。
そろそろどかないと誰かに見られる。
そう言おうとしたその時だった。
二上の後方、踊り場の下から誰かがこちらへ向かってくるのが見えた。
瞬間、俺の思考は様々な可能性をはじき出す。
二上は、先ほど教室で見せた姿を隠したがった。
それは、二上が絶対に見せない姿だから。しかし、あれは間違いなく二上の本心、その一端だ。普段の二上はそれを隠すように偽っている。
なら、今この状況もまた普段の二上の姿、文武両道、清廉潔白な優等生のそれと外れる。
この姿もまた、彼女にとってみられるわけにはいかない姿だ。
もしこれを誰かに見られることがあれば、そうなった原因は俺にある。
なら、俺は責任を果たさなければいかない。
俺は、迫りくる何者かがこれを見つける前に行動する。
しかし、焦った人間が起こす行動はろくなモノではない。
「二上――――!」
俺は、目の前に立つ二上の肩を両手で掴むと体を回して立ち位置を入れ替えた。
「きゃっ――――」
短い悲鳴が聞こえたが、それでも俺の動きは止まらない。
二上を先ほどの俺と同じように壁際に追い詰め、その背後の壁に左手を叩きつけた。
本日三度目のそれは、二度目と違い正しい形で行われた。
「な、何を――――」
二上は突然の事に驚きながらもそれから反射的に逃れようとしたのか、両手で俺の胸元を掴んで押しのけようとするが足元のバランスがとれておらず俺の体に持たれかかってしまう。
その直後だ、踊り場に人影が現れたのは。
「あー……」
気の抜けた声を出しながら視線だけをそちらに向ける。
そこには二人の女生徒の姿があった。
手にした楽器から吹奏楽部であることが、制服から2年生であることがわかる。
「…………」
短くて長い沈黙が続く。
はっとした顔をした二人は慌てて階段を下りていくと、おそらく友達の名前であろう言葉を叫びながら消えていった。
やらかした。
もう、頭が痛くて何も考えられない。
俺たちは、お互いに力が抜けたように体を離すと、無言で教室に戻った。
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