第42話
太陽が完全に傾き、照らされていた校舎が朱に染まる。
ようやく俺は寝転がっていた芝生を立ち上がり、中庭から校舎内へ移動する。
校舎内から聞こえてくるのは吹奏楽部の練習音くらいで、出歩いている生徒は皆無だった。
差し込む日差しを廊下が反射して少し眩しい。
それでも、先ほどの光景に比べたら何でもない。
満更でもない、か。
そんなことを言われてしまうと、色々考えてしまう。
けど、まぁ今はそういう事が出来る空気じゃない。
でも、ちょっとにやける。
誰にも見られてないことを確認しながら自分の教室へ向かう。
カバンを回収してさっさと帰ろう。
階段を上り三階まで来た。廊下を曲がって教室まですぐだ。
すると、吹奏楽の演奏に混ざって人の話し声がするのがわかった。
「教室か……?」
C組の教室に近付くにつれてそれはハッキリと俺の耳に届くようなる。
その話し声は、あまり穏便な感じではない。
教室の扉の陰にかくれて室内を覗く。
室内には、三人の見知らぬ女生徒と、彼女たちに詰め寄られているように見える二上双葉の姿がある。
俺は少し様子を窺うことにした。
「二上さんさぁ、あの噂って本当なわけ?」
「すみません、どういった内容の噂でしょうか?」
「成嶋くんと付き合っているていう噂」
気の強そうな一人の女子生徒が二上を詰問している。女生徒は、その長い染髪した金色の髪の毛先を弄りながら睨みつけている。
対する二上は、いつものように落ち着いた雰囲気を纏い笑顔で対応していた。
「いいえ、私は誰ともそのような関係にはありません。成嶋くんとは、仲良くさせていただいてるだけです」
二上の言っていることは事実である。
しかし、疑いを持っている者を納得させられるかどうかは別の問題だ。
「じゃあ、ちょっかい出してるって事?」
「と、言われましても。どういう意味でしょうか?」
ロングヘアの女子は明らかにイラついている。
二上の言葉は、彼女を怒らせるには十分だった。
「はぁ!? 言わなくてもわかるでしょ、そのくらい!?」
「すみません」
「なにそれ? あたしアンタのそういうとこマジムカつくんですけど!」
取り巻きの女生徒達も同じように二上を睨みつけている。
明らかに剣呑な雰囲気だ。
俺は、それ以上黙っているわけにはいかなかった。
「あれ、何やってんの?」
教室の扉をなるべく大きな音を立てて開く。
浮かべる表情は冷静に、素知らぬ顔で教室に入る。
「あ、成嶋……くん」
先ほどまでの剣幕とは打って変わって戸惑いの表情をロングヘアの女子は見せている。
俺は平然とした顔で四人へ近寄って行く。
「なになに、何の話?」
両者の間に割って入れる位置まで来たところで、ロングヘアの女子がかなり焦っているのがわかる。
当然だろう。ここで二上が先ほどの内容を俺にぶち撒けたら彼女たちはどうすることも出来ない。
ロングヘアの女子は二上の顔色を窺うようにチラチラと視線を向けている。
二上はいつもの笑顔を浮かべたままだが、三人組にとってはその笑顔が何よりも恐ろしく感じただろう。
俺も二上に視線を向ける。俺の予想通りなら彼女が発する言葉は
「いえ、クラス委員の仕事を少し手伝ってもらっていただけです」
二上ならそうすると思った。
しかし、三人組は二上の発言に驚きを隠せていないようだ。
「そうか、俺も手伝おうか?」
「いえ、もう終わりましたので」
そして、二上は礼の言葉を言いながら三人にお辞儀をする。
そうなるともう、彼女たちの立場は無くただただ教室を去っていくだけだった。
俺はその背を見送って、完全に教室内に二人だけになるのを待ってから切り出す。
「良かったのか、見逃して」
俺がそう言うと、二上は苦笑しながら答える。
「やっぱり、聞いていらしたんですね」
「怒鳴りこもうかとも思ったが、二上は大事にしたくないだろうと思ってな」
あのタイミングで俺がそうしていたら、あの三人に逃げ道は無くなる。
俺は、そうするかどうかの選択を二上に委ねるため何も知らない振りを装った。
二上なら、ああいう手合いのあしらいも慣れていると思ったし、どういう決着を付けるかも考えて居ると思ったからだ。
もっとも、余裕がなさそうな雰囲気だったらそう限りではないが。今回はそうでは無い。
「そうですね。彼女たちも悪気があったわけではないと思いますので」
「はは、お優しいな」
「成嶋くんほどでは」
二上は、いつも通りの二上だった。
相手の気持ちを考えて、自分はどうするべきかを決める。
彼女たちだって手段は間違っていたが、もともとの切っ掛けは悪意ではないのだろう。
しかし、どうやったって分かり合えない人間がいるように、二上と彼女たちの相性は良くない。二上はそれをわかっている。だから、このような解決にして、以後お互いが距離を取れるようにしたのだ。
「ですが、やはり少し疲れました。落ち着きたいので一人にしていただけますか?」
二上の表情からは疲れの色は見えない。
しかし、それは彼女が俺を心配させないように取り繕っているからかも知れない。
他人の期待と羨望、時に悪意を向けられ続けて居る彼女の表層はそう簡単に崩れる物ではないのだろう。
「わかった。けど、何かあったら言ってくれ。力になる」
「はい、ありがとうございます」
そう言って俺は教室を後にする。
二上は俺の姿が消える瞬間まで、その平静を崩すことは無かった。
まったく、流石だよ正妻ヒロイン、完璧美少女。
これは並の相手が勝てる相手じゃない。
俺の作戦は正しかった。
二上を久遠の恋敵として参戦させてしまえば、やはり漫画の展開に持っていかれる。
なら、どうやって勝つか。そもそも勝負しなければ負けないのだ。
そんなことを考えていると俺はあることに気付く。
カバンを取りに戻ったのに肝心のカバンを持ってくるのを忘れた。
「まったく、俺も大概アホだな」
アキトの事をバカにできない。
そんな自嘲をしながら、俺は元来た道を戻る。
教室の前まで来て二上になんて言い訳をしようか考えながら扉に手を掛けてゆっくりと開く。
その瞬間だった。
「ああ! もう、何なんでしょうかあの人たちは!」
俺が扉を開くと同時に怒声が教室から響いて来た。
わずかに扉を開けたまま俺の手と思考が止まる。
今の声は……、まさか……。
夕日の差し込む教室内にはだた一つの人影しかなかった。
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