第39話
人の噂も七十五日。
世間で流れる噂というのはそれほど長続きしないという意味のことわざだ。
たしかに、日々を忙しなく働く社会人からすれば七十五日なんてあっという間に過ぎるだろう。
さらに、情報化社会の現代においては多様な情報が日々、それこそ湯水のように溢れている。
ちょっとした噂なんて七十五日も待つことなく霧散するだろう。
しかし、それは社会人の話だ。
学校という、現代社会からある意味で切り離された小型の閉鎖した社会。その中で流れる情報はそれほど多くない。特に、身近な人間にまつわる情報は少なく、身近であるがゆえに大きく騒がれ長く残る。
結局、現実はそう簡単に計れないのだ。
一限の授業が終わった休み時間。
いつもなら、ポケットにお菓子を忍ばせたマエが俺の席にやって来るのだが、この日はやはり現れない。
「…………」
それとなく、視線をマエが座る席の方へ向ける。
すると、こちらを恐る恐ると言った様子で窺っていたマエと目が合い、マエは慌てて顔を背けてしまう。
隣に立っていた三倉がその姿を見て俺の方を向くと、顔の前で手を合わせて謝罪の意志を示した。
「そうなるか……」
今朝のアキトの言葉を思い出す。
同時に、こういった無責任な噂に振り回されてしまうことになったマエの気持ちを思うと穏やかな心境ではいられなくなる。
「やりづらいよな、これじゃ……」
いちど口に出した言葉は飲み込めない。流れた噂を消せはしない。
噂が沈静化するのを待つしかないが、それはいつだろうか?
今は6月だ。
ことわざ通りなら約2か月半で噂は消える。と言うことは8月だが、もう夏休みに真っただ中だ。
つまり、夏休みに入ってしまえば噂に煩わされることも無く、2学期に入ればまたいつもの日常に戻れるという事。
目標は見えた。あとはそれまでどうやって穏便に過ごすかだ。
俺は、次の授業の合間にそのことについて考え続けた。
次の授業が終わり再び休み時間が来る。
やはり、マエは自席で三倉と話している。
それを確認した時だった。もう一人の当事者である二上が俺の席までやって来た。
「成嶋くん、ケガの具合はいかがですか」
二上が言葉を発した瞬間、教室内の人間。つまり、クラスメイトと他クラスから野次馬に来ている者たちの意識がこちらに向けられたのがわかった。
俺は慎重に言葉を選ぶ。
「ああ、見た目はあれだが、もう痛みは無い」
そう言って俺は右手を握ったり開いたりして見せる。
「それは良かったです。もし、後遺症などが残ったらと心配していました」
二上は、自分の右手を胸にあててホッと息を吐いた。
「大げさだな。ただの打撲だ」
「いえ、打撲と言っても油断は出来ません! 神経が傷ついたりする可能性もあるんですから!」
諭すようなその言い方は子供を叱る親、いや弟を叱る姉の様な印象を受ける。
「わかった。次はもっと上手く助けるよ」
俺は、その言葉を口にした直後に気付く。やらかした。
「次も、助けてくれるんですね」
教室内の空気が一瞬だけ凍りつき、直後に女子生徒たちの黄色い声が聞こえてくる。
「成嶋くん大胆!」
「やっぱホンキなのかな!?」
そして、それに混ざって怨嗟の声までバッチリと。
「やはり処すしかないな」
「イケメン殺すべし」
助けを求める意味を込めて視線をアキトの方へ向ける。
アキトは壱岐と共に俺の様子を窺っていたようだった。
「ぐ――――!」
アキトは笑顔でサムズアップしている。
俺にはもうその意図がわからない。
「はぁ……」
壱岐は深いため息を吐きだすと両手の掌を上に向けてお手上げポーズ。
俺は白旗振りながら降伏ポーズをすべきだろうか。
「あ、もうすぐ次の授業ですね! 失礼します」
そう言って二上は自席に戻っていった。
残された俺は、好奇と嫉妬の視線に晒されながら早くチャイムが始まらないかと祈り続けた。
更に次の休み時間。
先ほどの俺の有様を見たアキトと壱岐が席にやって来る。
「ナル君、真面目にやってる?」
「成嶋、秋勇里からそう言われるってかなりヤバいぞ」
壱岐の指摘はクリティカルヒットした。
俺はもう項垂れるしかない。
「あー、これはかなりきてるね」
「わかるのか?」
「モチロン。僕とナル君の仲だよ」
頭の上でアキトと壱岐が何かを言っている。
「しかし、息を吐くようにカッコつけるやつだな」
「壱岐くんだけに?」
「は?」
「壱岐くん怖い。ナル君みたい」
俺には目の前で繰り広げられる漫才をただただ聞き流すことしか出来ない。
「なんとかしないとマズいんじゃないか? 下手すれば四人目の女が現れる可能性も」
「となると、今度は元カノ系とかかな?」
「居るのか?」
「いっぱい。この学校にはいないけど」
何か個人情報を暴露されている気がするが、俺にはもう歯向かう元気は無い。
「そうなるといよいよ修羅場だな」
「壱岐くんが言うと深刻に聞こえるね。目つきが悪いから?」
「秋勇里が言うとギャグに聞こえるから俺が言ってんだ。実際深刻だろ」
「それね」
すると、アキトは何かを考え込むようなそぶりを見せた後に言い放つ。
「僕に良い考えがある!」
「「却下」」
「息ピッタリで否定しない!」
「壱岐だけにか?」
「成嶋、黙れ」
あげた顔を引っ込める。
「で、なんだよいい考えって?」
「ナル君はもう普通にしててもイケメンムーブしちゃうんだから、あえて狙ってイケメンムーブをしてみるとかどう?」
「なるほど、意識的にカッコつけようとすると逆に寒くなるって寸法か」
アホの提案はやはりアホだった。しかし、壱岐もそのアホに毒されているようだった。
「例えばどういう風に?」
「語尾を常に『ぜ』にするとか」
「よし、成嶋。やってみろ」
「黙れだぜ」
やっててメチャクチャ恥ずかしい。
「ナル君、真面目に」
一番ふざけたことを言った奴になぜか説教された。
「じゃあ、なんて言えばいいんだぜ」
「あ、これやめよう。どっかのお笑い芸人だ」
「お前マジふざけんなだぜ」
いつもならここでアイアンクローだ。
しかし、まだ右手が本調子じゃないので我慢する。
「他はそうだね……。少女漫画のイケメンのセリフでしゃべり続けるとか」
「例えばどんなだ?」
「ちょうど、ミクちゃんから借りたのがある」
「どれどれ――――うわ、恥ずかし。俺には無理だな。成嶋、やってみろ」
いま思いっきり恥ずかしいって言ったよな。
俺は訝しむような視線を壱岐にぶつける。
「これくらい恥ずかしいことを言えば、みんな冷める」
「そういうものか……」
せっかく提案されたので一応やってみることにする。
適当なページを開いて書かれている言葉を確認する。声色を考え、なるべくカッコつけて読み上げる。
『よく喋る口だな。塞いでやろうか?』
瞬間、俺たちの会話に聞き耳を立てていた女子グループから嬉しそうな悲鳴があがった。
「おい、アキト」
「まぁまぁ、もう一回くらいどう?」
促されるままに他のページを開く。
『お前は俺の女だろ? 黙って俺に守られてな』
後ろで人が倒れたような音がする。
「アキト」
「ゴメン」
直後、壱岐が丸めた教科書でアキトの頭を叩いた。
アキトはうらめしそうな視線を壱岐に向けるが、壱岐は丸めた教科書で掌をポンポンと叩いている。
そして、再びアキトが何かを思いついた顔をすると壱岐に向かって話しかける。
「あとは、壁ドン」
「壁ドン」
「からの、顎クイ」
「顎クイ」
「これで女子はいちころよ」
「よし、成嶋やってみろ」
「もはや趣旨が違う」
しかしアキトはお構いなしと言った様子で俺を無理やりに立ち上がらせると教室の後ろに連れ出した。
「で、どうすんだよ?」
「こう、壁にむかって手をドンって」
アキトがジェスチャーでやり方を説明する。
すると、何かに気付いた壱岐が口を挟む。
「てか、一人でする事じゃないよな?」
「そうだった! じゃ、壱岐くんこっちに立って」
アキトは壱岐を壁にもたれ掛からせる。
「はい、ナル君。どうぞ」
もはや求められるままに動いてしまう。
「――――!」
壁際、壱岐の顔を横を左手で叩く。
顔を近づけて目線を合わすと、壱岐の瞳に俺の顔が映り込むのが見える。
そして、右手で壱岐の顎を持ち角度を上に向ける。
その次の瞬間。
連続したシャッター音が教室に響き渡った。
「何してんだ?」
顔を横に向けると、スマホを構えたアキトと他多数の女子たちが見える。
「ナル君、撮れ高はバッチリ!」
笑顔でサムズアップをするアキトを見た俺と壱岐は、同時にその体を抑え込む。
そして、可能な限りの苦痛を与えてやった。
「あだだだだ! ゴメンナザイ! もうじばぜん!」
そして、次の授業が始まるまでアキトの悲鳴は教室に響き続けた。
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