第37話


 待ちに待った放課後。

 学校を飛び出すように出てきた俺たちは、駅前のクレープの屋台に並んだ。


 SNSで話題になっているだけあって、多くの人で賑わっており待ち時間も当然のように長い。

 しかし、3人で並びながら会話に花を咲かせていると時間と言うのは案外早く過ぎていく。


 花と言えば、今の俺は両手に花の状態である。

 三人仲良く手にしたクレープを食べるためにベンチに腰掛けていると、道行く人が時々こちらに視線を向けているのがわかる。


「おいしいでしょ双葉ちゃん!」

「はい、とってもおいしいですマエさん!」


 俺を挟んで二人が仲良さげに話している。いつの間にか二人は意気投合していた。

 おしゃれで自分磨きに余念がないイマドキ女子のマエと、十人居れば二十人が告って振られる完璧美少女の二上。

 この二人が揃っているだけで男たちの視線を集めてしまうのは当然だが、さらに俺みたいな奴がその間に座ってしまっている。


 事情を知らない人間であれば、女子高生2人を侍らしている見た目チャラくていけ好かない男でしかない。

 肩身が狭い。


「ナルくんのダブルチョコクリームもおいしそう!」


 マエが俺の左手のクレープを覗き込んでくる。

 きらきらと目を輝かせているのがハッキリとわかる距離感、ふわっと香る甘くていい匂いはクレープのものであると信じたい。


「メチャうまでメチャあま。コーヒー飲みたくなる」


 俺がそう言うとマエは自分のダブルベリークレープと見比べながら物欲しそうな視線を向けてくる。

 俺は、いろいろな可能性を考えて逡巡したが、観念してその言葉を口にする。


「……食べるか?」

「いいの……?」


 首を傾げ、上目遣いでマエは確認する。頬を薄く赤らめて、すこし困ったような表情をしているが、本当に困っているのは俺の方だ。


「やっぱナシ」

「わー、待って! 食べる! 食べたい!」


 俺が掌を返すと、マエはポカポカと力なく俺の肩を叩いて来る。

 俺は内心の焦り、羞恥心が顔に出ないよう押し殺しながら左手のクレープをマエに差し出す。


「ほれ」


 すると、マエは悪戯っぽい笑みを浮かべると、そのまま顔を近づけて俺が持ったままのクレープにかぶりついた。


「――――っ!?」


 あまりの事に表情が崩れてしまう。

 顔に血が集まって熱くなるのがわかる。

 マエはそんな俺の慌てぶりを見て満足したのか、笑顔を浮かべながら言う。


「ごちそうさま」


 右手が無事なら顔を隠していたところだ。

 俺に出来るのは顔を背けることだけ、しかし、反対側を向くとそこには笑みを浮かべた二上がいる。


「仲いいですね」


 その指摘に俺はもう空を見上げることしか出来なかった。



 クレープを食べ終わり帰路につく。

 すると、マエが唐突に切り出してくる。


「ねぇナルくん。お夕飯はどうするの?」


 マエは俺の家庭環境を知っている。当然、俺の夕食事情についてもだ。


「この手で作るのは無理だしな。弁当でも買うか、どっかに食べに行くか」


 とはいっても、痛みであんまり右手は動かせない。軽々しく外食をするわけにもいかないので必然的に選択肢は限られる。

 すると、二上が何かを思いついたような顔をする。


「でしたら、私が作りましょうか?」


 本日二度目のフリーズだった。

 ここにクラスメイト達がいないのがせめてもの救いかもしれない。


「いや、そこまでしてもらう訳には……」


 すでに昼食までご馳走になっている。これ以上の好意に甘えるわけにはいかない。


「ですが、その手ですとお弁当を食べるのも一苦労では?」

「それは、そうだが」


 二上は俺のケガに責任を感じている。ここで無下に断ってしまったら、明日その分の埋め合わせとして今日以上の何かをしてくる可能性も無くはない。

 俺が渋っていると、隣を歩くマエが何か思いついたような顔をする。


「だったら、アタシが作るよ!」

「二上、悪いけどお願いできるか?」

「ちょっとナルくん、それどういう意味!?」


 俺の予想通りの反応が返ってきて少し安心する。


「どういう意味って……。言わせたいのか?」

「むっかー。言っとくけどアタシだって料理くらい出来るし!」


 ぷりぷりと全く迫力の無い怒り方をしているマエに二上は言う。


「でしたら、私はお買い物だけお手伝いします。頑張ってくださいね、マエさん」

「ありがとう双葉ちゃん!」


 もはや俺に決定権など無かった。

 言われるままに俺は足取り軽くスーパーへ向かうマエの後ろをついて行くしかない。


 結局、いつもの時間にいつものスーパーに来てしまった。

 今日は買うものも多いのでカゴを持とうとすると、二上がそれを制した。


「いけませんよ。私に任せてください」


 そう言って買い物かごを奪われた。


「マエさん、献立は何になさるのですか?」

「そうだねー、ナルくんは何が食べたい?」


 食えるものが食べたい。などと言うのはいくらなんでも失礼だろう。


「何でもいい」

「うわー、実際に言われると困るねそれ」


 模範解答を用意してくれ。


「でしたら、カレーなんていかがですか? スプーンなら左手でも困らないのでは?」


 二上の提案はまさしく模範回答だった。食べる人間の気持ちを完璧に理解している。


「おっけーそれでいこう!」


 メニューが決まり早速、食材を集めに向かう途中で特売品のコーナーを通った。

 そこには割引価格の板チョコが並んでいる。

 それを見たマエが何か考え事を始めたので俺は先に釘を刺すことにする。


「言っておくが、板チョコ一枚は隠し味にはならないからな」


 それは完全にチョコレート味だ。


「い、入れないし!」


 マエは俺の指摘を受けてチョコレート売り場から慌てて離れた。

 微妙に言い淀んだところが怪しい。

 その姿を俺と二上は苦笑しながら見守った。


 あらかた食材を買い終えたところで俺はあることを思いつた。


「惣菜コーナーでとんかつ買わないか?」


 それを聞いたマエがなぜか笑っている。

 俺としては全く持って不本意だ。なにもおかしいことは言っていない。


「ナルくんもそういう男の子みたいなこと言うんだね」

「どういう意味だ?」

「だって、ナルくんの口から出てくる食べ物の話っていっつもお菓子のことばっかだし」

「失礼な、俺はちゃんと男だ」


 そう言うと俺は先頭に立って惣菜コーナーに向かう。二人がちゃんと付いてきているのか確認するためちらりと後ろを窺うと、マエが少し顔を赤くしながら俺の背中を見つめたまま立ち止っているのがわかる。


「どうかしたか?」

「う、ううん! 何でもない! とんかつ、買いにいこ!」


 そして、俺たちは惣菜コーナーに向かった。

 すると、そこにはこの場でよく顔を会わせるやつがいた。


「久遠」


 その人物、久遠の名前を呼ぶ。

 俺の声に気付いた久遠が、こちらを見ると一瞬だけ笑顔を見せたような気がした。

 しかし、瞬きの直後には彼女はいつもの気怠そうな表情に変わっていた。


「ナルキ……、とマエ」

「こんにちは久遠さん」

「こんにちは……」


 正妻ヒロインと負けヒロインが邂逅した瞬間だった。

 思わず息を飲んでしまうが、何も恐れることは無い。ここに取りあうべき主人公の姿はなく、二人が争う理由など無いのだから。

 恋敵、なんていう関係はここには存在しない。


「久遠は今日も弁当か」


 俺は久遠の手に持ったそれを見ながら言う。しかし、それはいつもと様子が違う。


「二つ……?」


 思わず口から零れてしまった。久遠は弁当を二つ重ねて持っている。

 俺のその言葉を聞いた久遠は、なぜか慌ててその内一つを棚に戻した。


「どっち買うか、迷ってた」


 久遠がそう言うので俺は惣菜コーナーに視線を向ける。今日は珍しく何種類かの弁当が残っておりいつもより選択肢が多い。


「……ナルキは、今日はどうするの?」


 久遠は、俺の右手を心配しながら聞いて来る。

 その質問にはマエが答える。


「今日はアタシが作ってあげるんだー」


 両手でガッツポーズをしながらマエは言った。


「そうなんだ……。ふーん」


 久遠は一瞬だけ顔を伏せると、マエを見ながら言う。


「頑張って……」


 そして、久遠はレジの方へ向かって歩いて行った。

 俺はその後ろ姿を見ながら少し考えを巡らせる。


 久遠はさっき弁当を二つ“重ねて”持っていた。

 それに対して久遠はどっちを買うか迷っていたと言ったが、だとすればその行動はおかしい。

 どちらにするか迷うのであれば、普段の久遠なら片手に一つずつ持って見比べながら考えるはずだ。

 しかし、そうでは無かった。


 なら、最初から二つ買うつもりで重ねて持っていたのでは?

 では、なぜそれをやめて一つだけ棚に戻したのか?


 考え出したら止まらなかった。

 そして、答えを見つけると何もせずにはいられなかった。


「悪い、先に外に出てる」


 俺は二人にそう告げると久遠を追いかけた。

 レジに向かったが、すでに姿はない。

 あたりを見回すと、今まさに自動ドアをくぐるところの久遠を見つける。


 俺は、急いで彼女を追いかける。

 スーパーの出口から少し離れたところでその背に追いついた。


「久遠!」


 俺の呼びかけに彼女は振り返る。


「なに……?」


 少しだけ、驚いたような表情が見える。


「俺の思い込みかもしれないが、さっきの弁当――――」


 言いかけたところで、久遠が一歩踏み出して俺との距離を詰める。


「それ以上は言わなくていい。口に出されると恥ずかしい……」


 距離が縮まったことで、久遠の表情が良く見えた。

 前髪で片目が隠れていてもわかるくらい、久遠は顔が赤くなっている。


「ナルキはやっぱり気付いてくれるんだね……」


 その言葉の意味を聞いて、俺は俺の出した答えが間違っていなかったことを悟る。


「悪いな……」

「ナルキは何も悪くない」


 久遠は俺のためにできることをやろうとしてくれていた。

 なら、俺はそれを無下にすることは出来ない。


「でも、気付かなかった振りも出来たよね……」


 久遠の言う通りだった。

 だから俺は本音を口にする。


「そうだな。それに、俺の勘違いの可能性もあった。けどな、もし本当だった場合を考えると、俺は無視するなんて選択は出来ない」

「……ナルキらしい」


 久遠はそう言うと、いつもの気怠そうな雰囲気を取り戻した。


「明日の朝、時間ある?」

「何も予定はないな」

「じゃ、ちょっと時間ちょうだい」


 その言葉は割と衝撃的だった。

 夜型の久遠にとって朝の睡眠時間は重要な意味を持つ。だからこそ、いつも時間ギリギリで登校している。


「駅近のパン屋のチョココロネがおいしいらしい。奢ってあげる」


 その時の俺の辞書にNOという言葉は載っていなかった。


「楽しみにしとく」


 そう言うと、久遠は満足げな顔をして短く手を振るとそのまま自宅への道を進んでいった。

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